第十七章「始原の水」
蓮が意識を取り戻したのは、三日後のことだった。
「……ここは」
目を開けると、見知らぬ天井が見えた。清潔な白い布の天蓋。柔らかなベッドの感触。窓から差し込む、明るい日差し。
「蓮さん! 目が覚めたんですね!」
声がして、視界にエリシアの顔が現れた。
「エリシア……」
「よかった……本当に、よかった……」
エリシアの目から、涙がこぼれていた。
「三日間、ずっと眠っていたんです。何度呼びかけても、反応がなくて……私、本当に心配で……」
「三日……。そんなに眠っていたのか」
蓮は身体を起こそうとしたが、全身に力が入らない。筋肉が衰えたような、重い倦怠感があった。
「無理しないでください。蓮さんの身体は、まだ回復していません。儀式で、大量の生命力を消費したんですから」
「ああ……。そうだったな」
蓮は、横になったまま天井を見つめた。
「世界樹は……」
「完全に蘇りました」
エリシアが答えた。その声には、喜びと安堵が滲んでいた。
「あれから、世界中で奇跡が起きています。枯死地帯だった土地から、次々と植物が芽吹いているんです。大陸全土に、緑が戻りつつあります」
「そうか……」
蓮は、目を閉じた。
成功したのだ。水揚げの儀は、成功したのだ。
十年間、花を生かすことしか考えてこなかった自分の技術が、世界を救った。
「……よかった」
蓮の目から、涙がこぼれた。
それは、安堵の涙だった。長い旅の終わりを告げる、静かな涙だった。
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「ところで、ここはどこだ」
しばらくして、蓮は周囲を見回しながら尋ねた。
「聖地の神殿です。儀式の後、蓮さんを運んできました」
「神殿……。あの廃墟が?」
「いえ、今は違います。世界樹が蘇ったことで、神殿にも魔力が戻ったんです。建物は自動的に修復され、今では昔の姿を取り戻しています」
蓮は窓の外を見た。
確かに、神殿は廃墟の面影がなかった。白い壁は輝きを取り戻し、柱は真っ直ぐに立ち、庭には花が咲いている。
そして、窓の向こうには——
「世界樹……」
世界樹が見えた。
だが、その姿は、数日前とは全く違っていた。
灰色だった幹は、深い茶色——生きた木の色に変わっていた。枝には無数の葉が茂り、その葉は鮮やかな緑色に輝いている。空まで届くような巨大な樹が、太陽の光を浴びて生き生きとそびえ立っている。
「……美しい」
蓮は、その光景に見惚れた。
「千年ぶりに、世界樹が完全な姿を取り戻したそうです。古文書に記されていた『黄金時代の世界樹』と同じ姿だと、学者たちが言っています」
「そうか……」
蓮は、しばらく世界樹を見つめていた。
やがて、一つの疑問が頭に浮かんだ。
「黒沢は……どうなった」
エリシアの表情が、少し曇った。
「捕縛されました。儀式の後、帝国軍の兵士たちが正気を取り戻し、黒沢さんを拘束したそうです」
「正気を取り戻した?」
「はい。黒沢さんのスキル【支配】は、世界樹の魔力によって無効化されたようです。彼の支配下にあった兵士たちは、全員が自分の意志を取り戻しました」
「そうか……」
蓮は、複雑な気持ちだった。
黒沢は、自分の敵だった。十年間、自分を苦しめ続けた男。この世界でも、自分の邪魔をし、仲間を傷つけた。
だが、同時に——
「あいつも、被害者だったのかもしれない」
「え?」
「元の世界で、あいつは俺を虐げていた。でも、あいつ自身も、何かに追い詰められていたのかもしれない。上からのプレッシャーとか、自分の限界への焦りとか。俺は、あいつの苦しみを、全く見ようとしなかった」
「蓮さん……」
「許すわけじゃない。あいつがしたことは、許されないことだ。でも、憎み続けるのも、もう疲れた」
蓮は、窓の外を見つめた。
「これからどうなるかは、この世界の人たちが決めることだ。俺には、関係ない」
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「ガルドは」
もう一つ、気になっていたことがあった。
「生きています」
エリシアが答えた。その顔に、安堵の笑みが浮かんだ。
「重傷を負いましたが、命に別条はありません。今は、領都の医療施設で治療を受けています」
「よかった……」
蓮は、心からそう思った。
ガルドは、自分たちを逃がすために、一人で帝国軍に立ち向かった。その勇気と献身に、どれほど救われたか分からない。
「ガルドには、礼を言わないとな」
「ええ。回復したら、会いに行きましょう」
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