第十二章「世界樹の悲鳴」
帝国軍の駐屯地を抜けて一週間。
三人は、ついに聖地の入り口に到着した。
「あれが……世界樹か」
蓮は、目の前の光景に言葉を失った。
巨大な樹が、そびえ立っていた。
幹の直径は百メートル以上あるだろう。高さは、雲を突き抜けるほど。枝は大陸全土に広がっているかのように、空を覆い尽くしている。
だが——
「枯れている……」
エリシアが、震える声で呟いた。
世界樹の姿は、想像していたものとは全く違った。
樹皮は灰色に変色し、ひび割れている。葉は一枚もなく、枝は骨のように空に向かって伸びている。根元からは黒い液体が染み出し、周囲の土を汚染しているように見えた。
「これほどとは……」
ガルドも、絶句していた。
蓮は世界樹に近づき、幹に手を触れた。
その瞬間、膨大な情報が流れ込んできた。
苦痛。悲鳴。絶望。
世界樹の「意識」が、蓮の中に入り込んできた。
『……助けて……』
声なき声が、頭の中に響いた。
『……魔力が……流れない……詰まっている……苦しい……死にたくない……』
蓮は膝をついた。頭を抱え、歯を食いしばる。世界樹の苦痛が、そのまま自分の身体に伝わってくるようだった。
「蓮さん!」
エリシアが駆け寄ってきた。
「大丈夫ですか! 顔色が真っ青です!」
「……世界樹の声が、聞こえる」
蓮は、かろうじて答えた。
「苦しんでいる。魔力の流れが、完全に詰まっている。このままでは——」
『……もう、長くない……』
世界樹の声が、再び響いた。
『……あと、数年……いや、数ヶ月かもしれない……私が死ねば、この世界も……』
蓮は立ち上がった。
「時間がない。すぐに、水揚げを——」
幹に手を当て、スキル【水揚げ】を発動しようとした。
だが——
「……駄目だ」
蓮の顔が、絶望に染まった。
「規模が、違いすぎる」
世界樹の導管は、一つ一つが川のように太い。そして、その数は数万——いや、数十万以上あるかもしれない。蓮が今まで蘇らせてきた植物とは、文字通り桁が違う。
「一人では、到底無理だ。この樹全体の導管を開通させるには、何十年、いや何百年かかるか分からない」
「そんな……」
エリシアの目から、涙がこぼれた。
「せっかく、ここまで来たのに……」
ガルドも、拳を握りしめていた。
「何か、方法はないのか。世界樹を救う、別の方法は」
蓮は必死に考えた。
世界樹の導管を、一本一本開通させるのは不可能。では、もっと効率的な方法はないか。
『……水揚げの儀……』
世界樹の声が、再び響いた。
「水揚げの儀?」
『……千年前……私を維持するための儀式があった……それを行えば……一度に、すべての導管を開通させることができる……』
「その儀式の方法は?」
『……覚えていない……神殿に……記録が……』
蓮は顔を上げた。
「神殿?」
エリシアが反応した。
「聖地には、世界樹を祀る神殿があるはずです。そこに、儀式の記録が残っているかもしれません」
「行こう」
蓮は立ち上がった。
まだ、希望はある。諦めるには早い。
三人は、世界樹の根元にある神殿を目指して歩き出した。
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神殿は、世界樹の根に抱かれるように建っていた。
古代の建築様式で造られた壮麗な建物だが、長年の放置で荒廃が進んでいた。柱は傾き、壁は崩れかけ、床には瓦礫が散乱している。
「誰もいないようですね」
エリシアが周囲を見回しながら言った。
「昔は、神官たちがここで世界樹を祀っていたはずですが……今は、完全に放棄されています」
「千年前に、水揚げの儀が途絶えたからだろう。それ以来、ここに来る意味がなくなった」
三人は、神殿の奥へと進んだ。
埃と蜘蛛の巣だらけの廊下を抜け、中央の広間にたどり着く。そこには、巨大な祭壇があった。祭壇の中央には、世界樹の根の一部が露出しており、その周囲に古代文字が刻まれている。
「これは……」
エリシアが祭壇に近づき、文字を読み始めた。
「『水揚げの儀の手順』……。見つけました!」
「本当か!」
蓮も駆け寄った。
エリシアは、古代文字を一つ一つ解読していく。
「『水揚げの儀を行うためには、三つのものが必要である。一つ、水揚げの力を持つ者。二つ、根源の泉から汲んだ始原の水。三つ、世界樹の根との接続点』」
「水揚げの力を持つ者——それは俺だ。根との接続点——ここがそうだろう」
「問題は、二つ目ですね。『根源の泉から汲んだ始原の水』……」
エリシアは続きを読んだ。
「『根源の泉は、世界樹の最も深い根の先端にある。そこから湧き出る水は、世界の魔力の源泉であり、この水を用いて水揚げの儀を行うことで、世界樹の全導管を一度に開通させることができる』」
「根源の泉……。どこにあるんだ」
「ここに、地図があります」
エリシアは祭壇の脇にある石板を指差した。
石板には、大陸の地図が刻まれていた。世界樹を中心に、根が大陸全土に広がっている様子が描かれている。そして、その根の最も深い部分——大陸の東端に、「根源の泉」と記された場所があった。
「東端……」
ガルドが顔をしかめた。
「それは、帝国の首都の真下だ」
「帝国の首都……」
蓮は石板を見つめた。
根源の泉は、帝国の勢力圏の中心にある。そこに行くためには、帝国軍を突破しなければならない。
「黒沢が、行く手を阻むだろうな」
「ああ。あいつは、俺が世界樹にたどり着くのを待っていると言っていた。根源の泉のことも、知っているかもしれない」
「罠の可能性もありますね」
エリシアが言った。
「ええ。だが——」
蓮は顔を上げた。
「行くしかない。他に方法がないなら、危険を承知で突っ込むしかない」
「蓮さん……」
「俺は、世界を救うためにこの世界に来た。ここで引き返すわけにはいかない」
ガルドが、蓮の肩を叩いた。
「覚悟は決まっているようだな。なら、俺も付き合おう」
「私もです」
エリシアも頷いた。
「最後まで、一緒に行きます」
蓮は、二人の顔を見つめた。
「……ありがとう」
三人は、根源の泉を目指して出発することを決めた。
帝国の首都へ。そして、黒沢との対決へ。
最後の戦いが、始まろうとしていた。
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