第7話 剣豪の親父⑤
八十郎は、ふと過去を思い返していた。
かつて半グレの幹部がリボルバー式の銃を振りかざし、放った六発の弾丸。――そのうち最後の一発だけが、常識ではありえない軌道を描き、まるで逆方向に跳ね返るかのように、位置を入れ替えた出来事。
あれこそが、『魔女の呪い』なのだと、六惺自身が語っていた。
そして今、ようやく腑に落ちる。
自分が放つ斬撃――その六度目にこそ、『魔女の呪い』が作用する――その事実を。
女は、まるで答え合わせをするかのように、剣豪へ言葉を投げかけた。
「君が繰り出せる攻撃は、残り三回までです。――ここまで説明すれば、さすがに理解できたのではありませんか?」
「……つまり、俺が放つ六度目の攻撃にも、『魔女の呪い』は例外なく作用する。そう解釈して、間違いはないな?」
「ええ。その認識で、完全に正しいです」
「ならば――このまま攻撃を続ければ、『魔女の呪い』によって、最終的に俺は――殺される……そういう結論になるのか?」
「いいえ。結論から申し上げれば、君が死ぬことはありません」
「どういう意味だ。呪いを受けても、俺は死なない……そう言いたいのか?」
「はい。私は“外道”しか殺せない運命を背負っています。――つまり、君のような善人を、私は決して殺すことができないのです」
「外道しか……殺せない運命、だと……」
「ですが――それでも『魔女の呪い』は、確実に作用します。その結果、君の体の一部とも言える存在――その『妖刀・村正』は、跡形もなく砕け散ることになるでしょう」
「……なんだと。この『妖刀・村正』が、破壊されるというのか……」
「はい。その妖刀の属性は、疑いようもなく“悪”。――私が殺すべき対象、そのものですから」
――キン。
妖刀・村正から、するすると殺気が消えていく。
自らが砕かれる未来を察したのか、それとも恐怖に屈したのか。
近距離戦では無敵の自信を誇っていた八十郎でさえ、この状況では否応なく理解するしかなかった。
六惺には歯が立たない。敗北する未来は、ほぼ確実なのだ。
とはいえ、胸の奥にどうしても引っかかるものが残っていた。
回避不能なはずの神速の突きを、なぜ捌かれたのか。
頭上から振り下ろした斬撃を、なぜノールックで受け止められたのか。
その消化しきれない疑問を察したのだろう。
六惺は薄く微笑み、答えを口にした。
「最初に繰り出した突き――初見殺しと自負していた、あの斬撃です。なぜ捌かれたのか、不思議で仕方がない……そんな顔をしていますね?」
低く澄んだ声だった。
よく通り、耳に残る。荒ぶる気配も、相手を威圧しようとする色もない。だが、その静かな声音には、長年刃を握り続けてきた剣豪の内面――疑念、誇り、そして動揺――を正確無比に射抜く冷静な余裕が滲んでいた。
まるで、すべてを見透かしているかのような静けさ。
六惺の瞳には、一切の揺らぎがない。瞬きすら忘れたかのように、凪いだ湖面のような眼差しだった。
「……」
八十郎の喉が、ひくりと鳴る。
返そうとした言葉は舌の上で絡まり、形になる前に霧散した。胸の奥に何かが引っかかり、呼吸だけがわずかに乱れる。
「理由は単純です――私には、未来を読み取る力があるから」
淡々とした告白だった。
誇示も、酔いもない。ただ事実を述べているだけ――そんな調子で。
「未来……だと?」
思わず声が荒れる。
肺の奥から吐き出された言葉には、本人が自覚する以上の動揺が滲んでいた。
「待て。お前は……“未来を知る能力”を、本当に持っているというのか」
「はい。一般的には――『第六の感覚〈シックスセンス〉』と呼ばれている力です」
「第六感、だと……」
思わず喉が鳴った。
ごくり、と乾いた音が耳に大きく響く。
「……つまり、お前はその第六感で、俺の突きが走る軌道も、踏み込みのタイミングも……すべて、事前に見えていたというのか!」
語尾が、かすかに震えていた。
怒りなのか、恐怖なのか、それとも両方なのか。自分でも判別がつかない。
「その通りです」
六惺は即答した。
一瞬の迷いもなく、まるで当然の事実を述べるかのような口ぶりで。
「神技と称される斬撃を、いくら繰り出そうとも――私の前では無意味です。君と私とでは、その力量が、あまりにも隔たりすぎている。……どうか、その現実を理解してください」
その言葉は穏やかだった。
だが、その静けさは刃よりも鋭く、確実に八十郎の心を切り裂いてくる。
――――第六の感覚。シックスセンス。
あまりにも漫画じみた話だ。
普段であれば、鼻で笑って一蹴していたはずだった。
しかし現実は――目の前で、確かに起きている。
あの初太刀。完璧だった踏み込み。必殺を確信した斬撃。
それらすべてを、まるで手遊びのように捌かれたという事実が、否定の余地なくそこにあった。
八十郎は驚愕した、というより――思考そのものが迷子になっていた。
深い樹海へ、地図も持たずに踏み入ってしまったような感覚。
あるいは、出口の存在しない迷路へ、背中を押されて突き落とされた気分だったのかもしれない。
だが同時に――
胸の奥で、ずっと引っかかっていた最後のピースが。
カチリ。
そんな音を立てて、はまった気もしていた。
魔女から戻された『妖刀村正』。
その禍々しい刃が、まるで生き物のように脈打ち、剣豪の体内へと馴染み、ゆっくりと収まりつつある感覚。
ズズ……。
血の気が、一気に引いていく。
背筋を冷たいものが走り、指先がかすかに痺れた。
全身から力が抜け、視界がわずかに揺れる。
膝が笑い、今にも崩れ落ちそうになる。
それでも――ほんのわずかに残った気力で、地面を踏みしめ、八十郎は立ち続けていた。
≪未来を見る力……第六の感覚、か。
だとしたら――人間ごときが、勝てる相手ではない、ということか≫
近距離戦最強。
そう自負してきた剣豪が、自らの完全敗北を、静かに認めた瞬間だった。
⸻
バサァッ。
突如、羽音が張り詰めた空気を切り裂いた。
鋭く、重たい音が、場の緊張をさらに引き締める。
いつの間に入り込んだのか。
扉を開けてきたのか、それとも――最初からそこにいたのか。
魔女――六惺の足元へ、一羽の烏が静かに舞い降りていた。
六惺の使い魔。
魔女と視覚情報を共有する存在であり、この場で起きた剣豪とのやりとりを、一部始終、見届けていた烏である。
その烏が、思考の止まった八十郎へ向けて、ゆっくりと嘴を開いた。
「剣豪、か。――懐かしい名だ。久しいな、人の身で剣を極めし者よ」
「……」
「お前。我が弟子、六惺に『俺は何者なのか』と問いかけていたな?」
「……なぜ、烏が……喋っている……?」
掠れた声だった。喉の奥が、ひりつく。
「不可思議か? だが安心しろ。我は、ただの烏ではない。人の理を踏み越えた存在――いわば“上位存在”だ」
「普通の烏じゃない……? 上位存在、だと……?」
「うむ。
何を隠そう、我は六惺の師だからな。
言葉を解し、口を利く程度で驚かれては、こちらが困る」
「……そうか。烏が喋るのは……この状況では、当然……なのか……」
理解が追いつかない。思考しようとするほど、現実感が遠のいていく。
「受け入れがたいか。だがな、この時代に生を受けた剣豪というのは、総じて頭が硬い。もう少し柔軟であってもよかろうに」
「……いや。その通りだな。反省しよう」
「うむ。素直でよろしい。では――六惺の師である我が、直々に答えてやろう。お前の、その疑問にな」
「……俺が、何者なのか……という問いのことか」
「そうだ」
烏は一拍置き、重々しく続けた。
「まず一つ。『妖刀村正』をその身に宿して生まれ落ちた者。
――お前たちは、『純血の魔女』を討つ宿命を背負っている」
「……俺の、宿命が……魔女を、殺すこと……だと……」
「然り。
お前の先代にはな。
天然理心流、新陰流――そうした流派を打ち立てた剣客が、いたはずだ。覚えはないか?」
八十郎の喉が、ひくりと鳴った。
「お前は、そのあらゆる奥義を継ぎ、幾度もの生を巡り、転生を重ねてきた存在だ。
――そういうことになる」
八十郎は、烏が言葉を喋ったこと以上に――
そして、自身の秘密を暴かれたこと以上に――
『純血の魔女』の師匠が、この烏であるという事実に、強烈な衝撃を受けていた。
ありえない出来事が、次から次へと重なっていく。どこからが現実で、どこまでが幻想なのか。
もはや、その境界すら曖昧になっていた。
それでも――
烏が師匠だという一点だけは、どうしても受け入れがたかった。
そのときだった。
ウゥゥゥゥ――ン。
遠くから、サイレンの音が響いてくる。
銃声を聞いた誰かが、警察へ通報したのだろう。
烏は羽を軽く震わせ、六惺と八十郎へ視線を向けた。
「六惺。そろそろ潮時だ。この場に留まる理由は、もはや無い」
「……」
「剣豪。お前も同じだ。
行くあてが無いのなら――我がギルドへ招いてやろう」
嘴が、にやりと歪んだ――そんな気がした。
「付いてくるがよい。拒否する自由は……無いわけではない。だが、賢明とも言えまい」
「……烏の……ギルド……だと……?」
呆然と呟く八十郎。
この出会いが、さらなる厄介事の始まりであることを――
彼はまだ、知る由もなかった。
剣豪はこの後しばらく、六惺のいる街に滞在し、否応なく、数々の騒動へと巻き込まれていくこととなる。
⭐️を頂けると、有難いです。
よろしくお願いします。




