第35話 自由なる建築家③
八十郎の体内から、それが現れてきた。
――
【運命の戦車(semita fatum chariot)】。
六惺が好んで運用してきた、
「地面を這い、標的を執拗に追尾する爆弾型兵器」
その系譜に連なる存在であり、言ってしまえば完成形――
鋼鉄で構成された躯体は、明らかに無機物である。
にもかかわらず、その表面には、生き物のような緊張感が宿っていた。
内部で何かが循環しているのか、ドクン……ドクン……と低く脈打つ律動が、大地を通して伝わってくる。
鈍重でありながら確実な駆動音が、空気そのものを押し潰すように圧し掛かり、周囲の音を次第に飲み込んでいく。
その、たった一両。
黒魔術士教会が誇る最精鋭部隊の一角――
**『自由なる建築家』**が展開する、精緻極まるミニチュア都市へ向け、正面から侵攻を開始した。
迎え撃つ戦力は、視覚的な規模だけで言えば、ほとんど一個師団に匹敵する。
蟻粒サイズの兵士たちが都市全域を覆い尽くすように蠢き、その数はざっと見ただけでも1万を下らない。
まるで精巧な模型に魂を吹き込んだかのような光景だった。
『自由なる建築家』からの即時指示なのか。
侵入を許すまいと、装甲車両が一斉に前進を開始する。
ガシャン、ガシャン、と金属同士が噛み合う音を響かせながら、瞬く間に即席のバリゲートが構築されていく。
その様子は、細流がいくつも合流し、やがて抗いがたい大河へと変貌していく過程を、早回しで見せられているようでもあった。
歩兵部隊と思しき黒点の群れが密集し、隊列を整え、空には無数のドローンが浮かび上がる。
ブゥゥゥン……ブゥゥゥン……。
重なり合うプロペラ音が空気を震わせ、都市全体に、ぴんと張り詰めた戦闘の気配が満ちていく。
通常であれば――
この都市に足を踏み入れた瞬間、侵入者は例外なくミニチュア軍勢の餌食となる。
それは疑いようのない結末であり、過去に覆された例など一度もなかった。
とはいうものの。
それはあくまで、“一般的な侵略者”の場合である。
ジリ……ジリ……。
【運命の戦車】は、地面を削り、引き裂くような音を立てながら進軍を続けていた。
履帯が大地を噛み、土砂と瓦礫を押し潰し、踏み固めていく。
やがて、敵の間合いに入ったのだろう。
即席バリゲートとの距離、およそ3m。
空気が凍りつく。
いや、凍ったのは空気ではなく、時間そのものだったのかもしれない。
すべてが引き伸ばされ、極限まで研ぎ澄まされた刹那。
――一斉砲撃。
都市に配備された装甲車群が、同時に火を噴いた。
ドンッ。
ドドドドンッ――。
まるで映画館の重低音を、至近距離で浴びせられたかのような衝撃。
腹の底が揺さぶられ、衝撃波で空気が波打ち、視界がわずかに歪む。
無数の砲弾が一直線に吸い寄せられ、【運命の戦車】へと殺到し、着弾と同時に爆炎が花のように咲き乱れた。
だが――
八十郎は、その瞬間ですら、勝敗の行方を100%の確信をもって見据えていた。
未来を知る魔女。
彼女は、この結末を最初から視ていたのだろうか。
剣豪が幾度となく頭の中で反芻してきた光景が、寸分違わず、現実として再生されていく。
爆炎の切れ目。
揺らめく火の幕が、ゆっくりと裂ける。
そこから、ぬぅ……と姿を現したのは――
傷一つない、【運命の戦車】だった。
砲撃は、確かに直撃している。
爆発も、衝撃も、十分すぎるほどに届いていた。
それにもかかわらず、戦車は微塵も意に介していない。
減速すらなく、まるで瓦礫を押し潰すブルドーザーのように、淡々と、そして確実に前進してくる。
次いで、歩兵部隊から銃声が上がった。
パパパパッ。
乾いた連射音が重なり合い、弾幕が雨のように降り注ぐ。
しかし――
それでも、止まらない。
――圧倒的だった。
その一語を選び取った瞬間でさえ、なお生ぬるさが舌の上に残る。
生温いどころではない。現実の光景は、その言葉の意味を軽々と踏み越えていた。
力の差、などという常套句では到底足りない。
蹂躙という語を当てはめても、まだ何かが欠けている気がする。
八十郎の視界に広がっているのは、戦いと呼ぶには一方的すぎ、破壊と呼ぶには整いすぎた――そんな、異様な光景だった。
ミニチュア都市は、精巧に作り込まれている。
街路は碁盤の目のように走り、建築物は用途ごとに配置され、砲座や防壁は緻密な計算のもとで構築されていた。
そこに配された兵士たちもまた、必死に役割を果たしている。
銃火が閃き、砲身が唸り、空気を裂くような轟音が次元の狭間に反響する。
――それでも。
それらすべてが、無慈悲な力の前では、等しく踏み潰されていく。
あまりにも淡々と、あまりにも静かに。
その惨状を見据えるほどに、八十郎の胸の奥では、名づけようのない焦燥が、じわじわと膨張していった。
勝っているはずなのだ。
いや、勝利はすでに確定している――そう断言してもよいほど、戦力差は歴然としている。
とはいうものの。
これから完全破壊される運命にあるミニチュア都市の姿と、自身の存在とが、どこかで不気味に重なって見えてしまう。
整然とした街並み。
必死に抗う兵士たち。
それらが、抗う余地すら与えられず、均等に、平等に、押し潰されていく様を見ていると、胸の奥で、嫌な想像が芽を出す。
――自分も、ああやって。
いつか、踏み潰される側に回るのではないか。
その思考は、言葉として形を結ぶ前に、得体の知れない恐怖へと変質していた。
なぜ、こんな感情を抱くのか。
剣豪である八十郎自身にも理解できず、思わず首を傾げたくなるほどだった。
とはいうものの――
それでもなお。
彼は、敵であるはずの守備隊を、心の底で応援せずにはいられなかった。
≪そんな生ぬるい攻撃で、どうにかなると思っているのか……?
魔女は、妖刀村正を、軽く、素手で受け止めた生命体だぞ。
核兵器だ。奴を破壊するためには、核兵器以上の火力を――
叩き込まなければ、無理に決まっているだろ!≫
吐き出される声は、苛立ちと焦燥を孕み、次元の狭間に虚しく反響した。
自分に言い聞かせているのか、それとも誰かに向けた警告なのか。
その区別すら、もはや曖昧だった。
『自由なる建築家』が豪語するだけのことはある。
要塞都市の火力は、確かに凄まじい。
砲火は間断なく降り注ぎ、ドドドドッ、と空気を震わせ、地表を穿ち、都市全体が一個の兵器であるかのように振る舞っている。
ものの――
そのすべてが、致命打にはなり得ていない。
今の状況を無理やりゲームに例えるなら、序盤の街に、レベルMAXのラスボスが殴り込んできているようなものだった。
どれほど迎撃しても、削れるのは表層ばかり。
体力ゲージは、ほとんど動かない。
本体は、びくともしないのである。
≪マジで……いい加減にしろよ。
魔女本人がいないっていうのに、なんでここまで圧倒的なんだよ……≫
吐き捨てるような呟きが零れた、その瞬間だった。
『運命の戦車』が、都市外周を固めていたバリゲートを――
ガガガガッ、と金属が悲鳴を上げる音とともに粉砕し、ミニチュア都市内部へと侵入した、まさにその瞬間。
―――――――『運命の戦車』が、自爆した。
爆音は、ない。
衝撃波も、存在しない。
ただ、次元回廊の天井――およそ100mはあろうかという高みまで、一本の火柱が、すっと突き上がった。
音もなく、静かに。
しかし、圧倒的な存在感をもって。
熱が、ない。
つまりそれは、燃えているにもかかわらず、熱を発していない炎だった。
視界が歪むこともなく、空気が揺らぐこともない。
それなのに、本能が、警鐘を打ち鳴らす。
――触れてはならない。
――関わってはならない。
『自由なる建築家』が勢力を広げていたミニチュア都市全域へ、
冷たい炎が、一気に流れ込んでいく。
侵略すること火の如く。
まさに、その言葉をそのまま写し取ったかのような光景だった。
直径40mにまで広がっていた都市の地表を、冷炎が舐め尽くす。
ズズズ……と、音なき侵食。
建築物が、兵士が、装甲車が、
区別も、抵抗も、慈悲もなく、すべてを平等に飲み込まれていく。
戦闘は、スローモーションのように引き伸ばされる。
崩れ落ちる壁。
逃げ惑う影。
悲鳴すら上げる間もなく、存在そのものが薄れていく瞬間。
時間にして、ほんの一瞬。
火柱が立ち上がってから、まだ10秒も経過していない。
それにもかかわらず――
都市中央に立つ、背の高い黒魔術士。
『自由なる建築家』の周囲には、何本もの火柱が、まるで猛獣の群れのように立ち並び、踊り狂っていた。
ゴウ……ッ。
無音の咆哮が、空間そのものを押し潰す。
完全包囲。
逃げ場は、どこにもない。
八十郎は、この結末を、どこかで予測していた。
理屈では理解していたはずだった。
とはいうものの、その光景を現実として突きつけられた瞬間、背筋を冷たい何かが、すっと駆け抜ける。
≪魔女には……ここまでの未来が見えていたっていうのか。
自由なる建築家と名乗る黒魔術士も、それなりの手練れだったはずなのに……≫
やがて。
黒魔術士の断末魔が、かすかな悲鳴となって響き渡る。
それは、叫びと呼ぶにはあまりにも弱く、嘆きと呼ぶには短すぎた。
しかし、その声は、冷炎に掻き消される。
存在そのものが、上書きされるように、塗り潰されていく。
――『自由なる建築家』。
運命の戦車の炎により、死亡を確認。




