第27話 絶対なる支配者④
九重は、向かい立つあのキモデブの口から、ぽろりと零れ落ちた言葉――
「最強のカウンター魔術」
その10文字を、頭の奥で何度も、何度も転がしていた。
反芻する。
噛み砕く。
意味を確かめる。
舌の上で転がすように、思考の内側で繰り返しなぞる。
まるで、あの男の唇の端から滲み出た一語一語に、ずしりとした重みが宿っているかのようだった。軽口でもなければ、虚勢でもない。冗談めいた響きは、どこにもない。
嘘をついているようには、まったく見えなかった。
視線のわずかな揺れ。
瞬きの間隔。
喉が上下するタイミング。
呼吸の浅さと深さの切り替わり。
そうした細部を拾い上げるたび、不自然さは見当たらない。むしろ逆だ。微細な動き、息づかいのひとつひとつが、妙なほどに整っている。嘘を吐く者特有の、わずかな綻びが存在しない。
それだけに――直感が、はっきりと告げていた。
あの「カウンター魔術」こそが、この場を覆う奇怪な『視覚のズレ』の核心なのだ、と。
現状を整理すれば、答えは自然と浮かび上がる。
もし、目の前のデブが高位の魔術を複数同時に展開しているとしたら。そして、そのうちの1つが「カウンター魔術」だとしたら――。
不用意な攻撃は、自殺行為に等しい。
下手に動いた瞬間、魔術は即座に反応する。
こちらの意思、動作、殺意、すべてを読み取り、反転し、打ち消す。
カチリ。
まるで、見えない歯車が噛み合い、狂い始める音がしたかのように、緊張が背骨を伝って走り抜ける。首筋から腰、指先に至るまで、神経が一斉に張り詰める感覚。
たった一瞬の油断が、命を断つ。
そんな予感が、肌にべっとりと貼りついて離れない。
とはいうものの――
人狼の女である九重に、打開策がまったくないわけではなかった。
記憶の糸を、そっと手繰る。
そうだ。ここに至る前の出来事。ギルド会館での、あのやり取り。
拳闘士の女――自分自身が、純血の魔女によって、その眠れる才能を呼び覚まされていたことを、九重は思い出す。
眠っていた力。
動くことの無い魔術回路。
その名は――『狂乱化』。
発動すれば、己の身をほとんど無敵の状態に置くことができる。
あらゆる効果を拒絶し、あらゆる攻撃を通す、異常なまでの力。
とはいうものの、代償と制約は、あまりにも重い。
九重の脳裏に、六惺との会話が鮮やかによみがえる。声色、間の取り方、静かな圧。まるで今も、すぐ背後で囁かれているかのようだった。
⸻
「拳闘士さん。君の体内に眠っていた『狂乱化』の魔術回路――すでに目覚めさせておきました」
「眠っていた魔術回路の『狂乱化』だと? 本当に、目覚めたというのか?」
「はい。『狂乱化』を発動すれば、一定時間、いわゆる『無敵状態』に身を置くことが可能です」
「私が……『無敵状態』になれる? つまり、私にはお前をも凌駕する力が宿る、というわけだな?」
「そう解釈しましたか。しかし残念ながら、私自身はその適用対象外です」
「なるほど。お前に及ばないのなら、真の無敵とは言えんな」
「ですが、私以外の存在に対しては、間違いなく無敵の力を発揮するでしょう。あらゆる効果を跳ね除け、必ず敵にダメージを与えられるはずです」
「つまり、攻撃も妨害もすべて無効化し、必ず一撃を叩き込める……そういうことか?」
「ただし、『狂乱化』の扱いには細心の注意が必要です。一歩でも踏み誤れば、危険は免れません」
「回りくどいな。さっさと注意点を言え」
「時間制限があります。人狼さん――君が『狂乱化』を発動したまま意識を保てるのは、最大でも0.1秒です」
「無敵でいられるのが、たったの0.1秒……? それでは、ほとんど使い物にならないじゃないか!」
「いえ、決して無意味ではありません。私見ですが、0.1秒あれば、大抵の敵は十分に仕留められるはずです。ご安心を」
「……なるほど。0.1秒で充分だと? とはいえ、使わずに済むなら、それに越したことはないな」
「加えて、0.1秒を超えた瞬間、暴走します。現状の君では、正気を保つことは不可能でしょう」
「正気を失い……私は、暴走するというのか」
「はい。暴走すれば、人としての形を取り戻すことは不可能です」
「人で……なくなる、だと?」
「その場合、私が止めます。最悪のケースでは、殺処分という結末も想定されます。十分に注意してください。『狂乱化』発動時に備え、タイマー表示も用意しておきましょう」
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記憶が、すっと現在へと引き戻された。




