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最終到達地点 ~ギルド会館の管理人〜  作者: ヨシムラ


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第18話 剣豪 vs 拳闘士③

闘技場の中央。

石床の上では、どこにでもいそうな冴えない親父と、屈強な体格を誇る黄色い髪の女が向かい合っていた。観客席から見下ろせば、どう見ても釣り合わない取り合わせだろう。だが、空気は重く、張りつめ、今にも弾けそうな緊張を孕んでいる。


一人は八十郎。

最強の殺し屋と恐れられ、妖刀・村正を携えて戦う剣豪である。

腰は低く、構えは自然体。老獪さすら感じさせる佇まいとは裏腹に、その内側には、無数の死線をくぐり抜けてきた研ぎ澄まされた感覚が静かに息づいていた。


もう一人は九重。

伝説の種族――人狼。

圧倒的なフィジカル値を武器に戦場を蹂躙する拳闘士(グラディエーター)だ。黄色い髪は汗と闘気に濡れ、獣のような眼光が八十郎を射抜いている。筋肉の一つ一つが戦いのために存在しているかのようで、呼吸ひとつとっても、凶器のような圧を放っていた。


互いに接近戦を主戦場とする戦闘スタイル。

噛み合った瞬間、そこにあるのは駆け引きではなく、純然たる命のやりとりとなる。そんな、紙一重の危険な戦いが、すでに始まっていた。


二人の距離は30m。

だが、その数字は意味をなさない。


ズンッ――。

九重が12mの間合いから一瞬でゼロ距離へと踏み込む。空間を圧縮するかのような高速移動、『縮地』。視界が歪み、風圧が遅れて押し寄せるほどの加速だった。そこから叩き込まれる、必殺を意図した渾身の一撃。


しかし――

ギリィッ、と刃が鳴り、八十郎の身体は紙一重でその軌道から外れていた。


回避された。

それも、辛うじてではない。致命の線を、確実に外す動きだった。


九重は一瞬だけ目を細める。とはいうものの、動揺はない。獣の本能と戦士の理性が、即座に思考を切り替えていた。


≪……まさか、必殺の一撃がかわされるとはな≫


九重は内心で舌を打った。

鋭く細めた視線の奥で、冷静な分析が高速回転していく。


≪さすがは伝説級の殺し屋、か。伊達にその名で呼ばれてはいないというわけだ≫


距離を取りながら、彼女はわずかに呼吸を整える。

闘技場の空気が、肌にまとわりつくように重い。

床に残った微かな足跡、踏み込みの跡、刃がかすめた際に舞った塵。

そして――目の前の剣豪の呼吸の乱れ、体重移動の癖、重心の沈み。


すべてが情報だった。


≪詳細は分からないが……奴は何らかの能力で、私の動きを先読みしたのだろうな。そうでなければ、今の一撃を回避できるはずがない≫


ギリギリ。

紙一重。

寸分違えば、勝敗はすでに決していたはずだった。


≪なるほどな≫


九重はわずかに口角を吊り上げる。


≪魔女には遠く及ばないにしても……私を脅かすほどに危険な敵であることは、間違いないようだ≫


とはいうものの――

彼女の中では、すでに“数値”が弾き出されていた。


≪だがしかし、親父のステータス値は把握した。力・速度・体力……そのすべてが、私の50%以下だろう≫


九重は確信していた。

瞬間的な技量、危機察知能力――それは認める。

だが、純粋な身体能力の総量では、差は歴然だったのだ。


≪ならば、持久戦に持ち込めばいい≫


心は静まり返っている。


≪決定打を避け、消耗を重ねさせる。体力を削ぎ落とし続ければ……最終的に勝つのは私だ≫


派手さはない。

だが、確実で、合理的な戦術。

時間は、常に自分の味方になる――はずだった。



一方、剣豪・八十郎。


拳闘士の女が見せた異常な加速。

地を蹴った瞬間の爆発力。

空気を裂く「バンッ」という衝撃音。


――正直なところ、内心では舌を巻いていた。


とはいうものの、恐慌に陥るほどではない。

彼の精神は、すでに“その段階”を通り越していた。


八十郎は、突出した『空間把握能力』を有している。


視界に映るものだけが世界ではない。

舞い上がった塵の揺れ。

床板を踏みしめる圧力の微細な変化。

呼吸の間。

筋肉の張り。

脈拍が跳ね上がる、その刹那。


拳闘士の身体が“動く前”の兆しを、五感すべてで拾い上げる。


本来であれば――

余裕をもって回避できたはずだった。


だが、その速度は、想定を超えていた。

結果として、回避は間一髪。

紙一重。

ただそれだけのことだったのだ。


さらに言えば、八十郎には別の下地がある。


人智を越えた未確認生命体。

純血の魔女との、数え切れぬ戦闘経験。


因果を無視した現象。

常識を踏みにじる理不尽。

理解不能な殺意。


それらを幾度となく潜り抜けた結果、

“想定外”に対する耐性が、異常なほど鍛え上げられていた。


そう――

驚く、という感情そのものが、すでに摩耗していたのである。


とはいうものの。

人狼との戦闘が容易であるはずもない。


むしろ、この戦いは――

八十郎にとって、極めてハードルの高いものだった。


なぜなら。


この戦いは、相手を殺すためのものではない。

救うための戦い、なのだから。


烏の言葉が、脳裏をよぎる。


――これは24金を賭けた戦い。

――もし剣豪が敗北すれば、不慮の事故という名目で、無敵の魔女が拳闘士を抹殺する。


つまり。


敵を傷つけすぎず。

それでいて、確実に勝利しなければならない。


八十郎は、これまで相対してきた異能者たちの姿を、拳闘士の女と重ね合わせる。


どの敵よりも厄介だ。

単純な強さではない。

条件が、あまりにも厳しすぎる。


≪魔女の存在は別として……この拳闘士の女、接近戦に関していえば、今まで戦ってきた誰よりも強い≫


喉の奥で、乾いた笑いが漏れそうになる。


≪身体能力値だけでいえば……俺の数値を、遥かに凌駕しているな≫


視線を上げる。

構えは解かない。

間合いは崩さない。


≪この相手を、無力化して勝つ……か≫


肩がわずかに上下する。


≪やばいな。正直、どうしていいのか……さっぱり分からないぜ≫


それでも。


≪とにかく今は、攻撃を凌ぐしか黄色い髪の女が、音もなく踏み込む。

気配は薄く、呼吸すら削ぎ落とした動きだった。


タッ、タッ――

床を叩くのは、ごく軽いステップ音。だが、その一歩一歩には迷いがなく、獲物の懐へと切り込む鋭さがある。


距離は一気に縮まる。

5m。


妖刀・村正。

刃渡りは1mを超え、刀身そのものが凶器としての圧を放っている。

剣豪が最も力を発揮する間合いは、おおよそ3m――それが、常識だった。


――ならば。

安全圏は5m。


九重はその距離を寸分違わず保ったまま、八十郎を中心に回り込む。

ローリングするかのように、滑らかな円軌道。

死角へ、死角へ。

常に視界の外をなぞるように位置を変え、剣の切っ先から逃れ続ける。


速度を武器に、視界の外から圧をかける。

見えない位置から、見えない脅威を送り込む。

狙いは単純だが、極めて効果的――精神的な負荷を積み重ね、判断力を削ぎ落とす。


180cmを超える体躯が、獲物を狩る肉食獣のように滑っていく。

筋肉の連動に一切の無駄はなく、重心移動は流れる水のごとし。

そこにあるのは、洗練された殺意だった。


――だが。


突出した『空間把握能力』を持つ八十郎にとって、そこに“死角”という概念は、そもそも存在していなかった。


九重が与えようとした精神的圧力は、剣豪の内側に一切、届いていない。

ざわりとも、揺らぎすらしない。


人狼が描いた戦術は、完全に空を切っていたのである。


拳闘士は、それでも愚直に動き続ける。

タッ、タッ、タッ。

不規則な軌道。

間合いの維持。

角度の探索。


視界の外から、いつでも踏み込める位置を探し続ける。

人は日常生活において、80%以上の情報を視覚に依存している。

見えていない場所からの攻撃には対応できない――

それが、一般論であり、戦闘のセオリーだった。


だからこそ、九重は時間をかける。

焦らず、詰めすぎず。

勝利に近づくための“正しい仕事”を、一つずつ積み重ねていく。


とはいうものの。


現実は、その逆を示していた。


拳闘士が時間をかければかけるほど、

彼女が勝利する確率は、確実に下がっていく。


なぜなら――

この剣豪にとって、時間とは“熟成”であり、

戦場そのものが、自らの感覚を研ぎ澄ます装置だったからだ。

その理由については、この後、純血の魔女・六惺が、烏へと語ることになる。



アリーナ席。


二人の死闘をよそに、まるで興味がないかのように、一人の女がタブレットへと視線を落としていた。

画面に描かれているのは、人類が近い未来に手に入れる新たなエネルギー――太陽炉の設計図。

精密な線が幾重にも重なり、静かな狂気すら感じさせる。


純血の魔女、六惺。

彼女は戦場を見ず、しかし“見ていないわけではなかった”。


その隣にとまる烏が、アリーナ中央の攻防を眺めながら、低く口を開く。


「六惺。この戦い……どちらが勝つと見ている?」


「客観的に見て、剣豪の勝利が確実かと思います」


即答だった。

ためらいも、含みもない。


「なに? 剣豪が、拳闘士に勝つだと?」


「はい。間違いないかと」


「六惺、お前……まさか戦闘の素人であったか。誰がどう見ても、剣豪の方が不利ではないか」


六惺は視線を上げない。

ペン先は、さらさらと止まらずに動き続ける。


「烏さん。いえ、師匠は……剣豪が拳闘士の速度についていけていない、と見ているのですね?」


「そうだ。それが分かっていて、剣豪が勝つと言うのか?」


「はい。まず一つ。剣豪自身も、まだ自覚していないようですが――」


六惺はペンを止めずに、淡々と続ける。


「あの剣客はすでに、『ロレンチーニ』を発動させています」


「なぬ……『ロレンチーニ』だと? なんだ、それは」


一瞬だけ、

タブレットに描かれた線が止まる。


「ロレンチーニとは――」


六惺は、ようやく視線を上げた。


「人の体に流れる、微弱な電流を感知する能力のことです」


その言葉が落ちた瞬間、戦場の空気が、ピン……と張り詰めた。

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