第14話 ギルド会館②
六惺が、ギルドの受付カウンターへと歩み寄り――
どすん、と腹に響く鈍重な音を立てて、キャリーバッグを叩きつけるように載せた。
革張りのカウンターテーブルが、ぎし、と短く軋む。
その瞬間、周囲の空気が目に見えない膜のように張りつめ、呼吸すら一拍、遅れた気がした。
次の瞬間だった。
――カァ。
烏が、低く短く鳴いた。
合図だったのか、それとも偶然なのか。とはいうものの、六惺は一切の言葉を発することなく、ただ淡々とバッグのファスナーへ指をかける。
ジャッ。
乾いた金属音が、静まり返ったギルドホールに鋭く走った。
六惺はそのまま、八十朗からもはっきりと見える角度まで、バッグの口を大きく開くと…
――ぎっしり、だった。
中に詰め込まれていたのは、黄金色の塊。
整然と、寸分の狂いもなく積み重ねられた金の延べ棒が、照明を受けて鈍く、しかし否応なく目を引く重厚な光を放っている。
九重から強奪した、24本のインゴット。
総重量は100㎏。
時価総額、150億円。
あまりにも現実離れした数字が、説明も前触れもなく、無遠慮に視界へと叩き込まれてくる。
……これは、日常的な光景なのだろうか。
八十朗がそんな疑問を抱いたのも、無理からぬことだった。
なぜなら――赤帽人形は、その異常な光景を前にしても、眉一つ動かさなかったからだ。
まるで郵便物を仕分けるかのような手つきで、赤帽人形は金塊の計測を開始する。
カチ。
カチ。
無機質な機械音。
金属と金属が触れ合う、低く鈍い響き。
そこには驚きも、戸惑いも、確認の言葉すらない。
阿吽の呼吸――その言葉が、これほど自然に当てはまる場面もないだろう。
八十朗は、その一連の流れを、どこか醒めた目で眺めていた。
≪おいおいおい……。
あの金塊、どう考えても、ろくな代物じゃないだろ。
どこかのマフィアでもぶっ潰して、根こそぎ強奪してきたに違いない。
それにしても……赤帽人形が一切反応せず、作業を始めているってことは。
普段から、こんなことが当たり前のように起きているってことなのか?
今更ながら考えてみると、あの魔女を野放しにしてしまったら――
この世界、普通に終わるんじゃないのか。
とにかく最悪なのは、“魔女が最強”って事実だ。
あの女には、誰も勝てない。
……烏が、あの魔女のブレーキ役をしてくれているのだろうか。
もしそうなら、本当に烏様様だ。
この世界が、悪の暴君みたいな魔女から、辛うじて護られているのは――
烏のおかげ……なのかもしれないな≫
八十朗の意識は、自然と先の戦闘へと引き戻されていった。
六惺と交わした、あのやり取り。
――最強レベルで、頭のネジが完全に吹き飛んでいる。
そう評する以外に、言葉が見つからなかった。
そして、その危険極まりない存在に対する、唯一の抑止力。
それが烏なのではないか、という考えが、じわじわと浮かび上がってくる。
――剣豪として。
――世界最強の殺し屋として。
その名に恥じぬだけの年月を、剣豪は生きてきた。
幾世代にもわたる剣客たちが、血と研鑽を積み重ね、削り、磨き上げてきた秘剣。そのすべてを、まるで己の手足の延長であるかのように自在に扱えるという自負は、確かに胸の内にあったのだ。
呼吸の深さ。
一歩踏み込むための間合い。
殺気が生まれ、流れ、ぶつかり合う、その刹那の揺らぎ。
刃が空気を断ち切る瞬間に生じる、わずかな重みと抵抗――。
剣豪は、それらを理屈ではなく、身体で知り尽くしている。
だからこそ、分かってしまった。
とはいうものの――それでもなお。
魔女を止める、などという行為が、剣の延長線上に存在しないということを。
理屈ではない。
経験が、直感が、魂の深奥で警鐘を打ち鳴らしている。
あれは剣でどうこうなる存在ではない。
踏み込んだ瞬間に、命の秤が一方的に傾く――そんな確信だけが、冷たい汗となって背中を伝っていた。
その重苦しい沈黙と張り詰めた空気を、使い魔の烏は読んだのか。
あるいは、最初からすべて織り込み済みだったのか。
烏は、狙い澄ましたかのような絶妙な間合いで一歩前に出る。
床板が、き、と小さく鳴った。
嘴が開かれる。
「剣豪。ギルドマスターとして――お前に命じる!」
「……私に、命令なさるおつもりですか」
「そうだ。お前は二十四時間後、拳闘士と戦え!」
「申し訳ありません。このギルド会館で働かせていただいてはおりますが、私は戦うために、ここに身を置いているわけではありません」
即答だった。
それは拒絶であり、剣豪なりの最後の線引きでもあった。
「お前、剣客だろうが! 一宿一飯の恩義に、報いようとは思わんのか!」
「ですから……私は、そういった類の仕事は請け負わない主義です」
「これは、れっきとした仕事だ。余計な懸念は不要だ」
「お待ちください。なぜ、その拳闘士と戦わねばならないのですか。もっと穏健に解決する道は、ないのでしょうか?」
「フッ……これ以上に平和的な解決など、存在せん」
「……では、そもそも。その戦いの目的は、何なのですか?」
「目的か。至って単純だ。――その金塊を賭け、拳闘士と勝負する。それだけの話だ」
「それでしたら、魔女さんが適任ではありませんか。私が言うのも何ですが、彼女は無敵でしょう。私が出る意味は、ありません」
「剣豪よ。まさに、そこだ。私が問題視しているのは、その点なのだ!」
「……その点、とは?」
「少し考えてみろ。六惺が相手では、勝負にならんだろう」
「まあ……確かに。烏さんのおっしゃる通り、一方的な展開になるでしょうね」
「そうだ。六惺にとっては、相手がどれほど足掻こうと、無抵抗と大差ない
それはもはや戦いではない。一方的な殺戮だ!」
「……理屈としては、理解できますが」
「相手は戦いを望んでいる。だが、加減というものを知らぬ六惺には、それが出来ん」
「それで……私の出番、というわけですか」
「そうだ。程々の戦闘値を持つ剣豪――お前の役目だ!」
「私が……程々、ですか」
「うむ。六惺に刃向かってきた者の中では、健闘した部類だと思っているぞ」
「はあ……そうですか。健闘、ですか」
「私が褒めているのだ。素直に、礼の一つも言えんのか」
「……ありがとうございます」
「よし。決まりだな、剣豪。この戦い――敗北は、断じて許されん」
「敗北は許されない、ですか……。ですが、こればかりは実際に刃を交えねば分かりません。過度な期待は、なさらぬよう」
「駄目だ。必ず勝て。絶対に、だ」
「……念のため伺いますが。万が一、私が敗れた場合、どうなるのですか?」
「剣豪。貴様……まさか、わざと負けるつもりではあるまいな?」
「…………」
沈黙が、どさりと落ちる。
ごくり、と喉が鳴る音が、やけに大きく響いた。
「よく聞け。お前が敗北すれば、実に由々しき事態になるぞ」
「それは……どういう意味でしょうか?」
「教えてやろう。剣豪が勝てば、24金は我々のもの。仮に負けたとしても――やはり、我々のものだ」
「……すみません。烏さんの仰っていることが、理解できません。私が敗北すれば、24金は拳闘士さんの手に渡るのでは?」
「残念だが、その時点で拳闘士は六惺により殺害され、この世から消えておる」
「え……。私が負けたら、魔女さんが拳闘士を殺す……それは、あまりに筋が通らないのでは?」
「何もおかしくはない。この戦いは、勝とうが負けようが、24金が我々のものになる――ただそれだけの話だ」
「それは……明確な約束違反では?」
「何を言う。相手が不慮の事故死を遂げるだけのことだ
我としては約束を果たしたくとも、その相手が存在せねば、どうしようもあるまい」
ぞわり、と。
剣豪の背筋を、氷水が流れ落ちたかのような感覚が走る。
「…………」
「分かるか、剣豪。我としては、拳闘士を無駄死にさせたくはないのだ」
「…………」
「拳闘士の命を救える者は――お前しかいない」
「…………」
「お前は、その者のために戦え。そして、必ず勝利を掴み取るのだ!」
使い魔の烏は、もはや隠すことすらせず、実に楽しげな悪人面を浮かべていた。
その横で、六惺は小さく首を左右に振っている。剣豪が烏という存在を、まだ理解しきれていないとでも言いたげに。
そう。
烏は、悪属性の六惺ですら呆れるほどの腹黒なのである。
ギルド会館の先輩役である赤帽人形が、完全にフリーズしている剣豪を見かねたのか、助け舟を出すように口を開いた。
「八十朗君。以前お伝えしましたよね。烏さんは、六惺さんが創り出した使い魔だと」
「ああ、そうでしたね。使い魔には、本体の性格が色濃く反映されるのでしたか」
「その通りです。六惺様が凶悪属性であれば、その使い魔もまた、当然ながら凶悪になります」
「つまり……烏さんは、凶悪属性だということですか」
「私の見立てでは、六惺様よりも、さらに質の悪い属性かと」
「本気ですか……。あの魔女さん以上に、なお劣悪だと」
「拳闘士の命を救いたいのであれば、烏さんの提案を受け入れる以外、選択肢はないかと思いますよ」
烏は「クククク」と、喉を鳴らすような笑い声を漏らした。
その湿った音が、室内の空気をさらに濁らせる。
赤帽人形の言葉は、おそらく正しい。
とはいうものの、剣豪の胸中には、飲み下せぬ重たい塊が、沈殿したままだった。
こうして――
24時間後、拳闘士との戦いが、切って落とされることとなる。




