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最終到達地点 ~ギルド会館の管理人〜  作者: ヨシムラ


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第10話 拳闘士の女③

喉元を深々と欠き切られ、もはや死を待つしかない状態に陥った男たちが、アスファルトの上を芋虫のように這いずり、もがいていた。

ごぽり、と喉から溢れ出た血泡が口元を濡らし、引き攣った指先が路面を掻く。

そのすぐ傍では、全身の骨を粉砕され、内臓を潰された者たちが、力を失った人形のように無秩序に転がっている。

息をしているのか、それともすでに事切れているのか。

見分けがつかないほど静まり返ったその姿は、気絶して死んでいるかのようであった。


これまで犯してきた罪が、形を変えて自身へと還ってきたのだろうか。

否、報いというにはあまりにも露骨で、残酷で、即物的だった。


10人。

数時間前に入国したばかりの『人狼』である一人の女によって、10人の半グレたちは一瞬にして餌食となり、無惨な骸へと変えられていた。


――九重。


短く切り揃えられた黄色い髪が、真夏の強烈な陽光を跳ね返し、鈍く、しかし確かな存在感をもって光っていた。化粧の痕跡すら感じさせない素の顔立ち。中性的という言葉では収まりきらない輪郭は、女であることを主張するでもなく、男であることに寄り添うでもない。性別という枠組みそのものを、最初から拒絶して生きてきた――そう言われれば、妙に納得がいく佇まいだ。


年齢は30を超えているだろうか。身長は180cmを上回り、タンクトップから露出した白い肌は、真夏の太陽に焼かれて赤く染まっていた。無駄を削ぎ落とした筋肉が、皮膚の下で静かに主張する。過剰ではない。だが、甘えもない。まるで研ぎ澄まされた刃物のように、必要な部分だけが残されている。鍛え上げられたアスリートの肉体――いや、それ以上だ。生き残るために最適化された肉体、その完成形と呼んで差し支えない。


ただ、そこに立っているだけでいい。

それだけで、場の空気がミシリ、と軋む。


見えない圧が、空間そのものを押し潰すように広がっていく。獣の気配。重く、濃く、淀んだ霧のように周囲を侵食していくそれは、人間の理性を試すための圧力だった。人狼――九重は、その本性を隠すつもりなど最初からないらしい。むしろ誇示するかのように、殺気を垂れ流していた。


――そして、もう一人。


九重とは、あまりにも対照的な少女が、その惨状の中心に立っていた。


血と肉の匂いが濃密にこびりついた現場。舗装された道路には、無残に倒れ伏した者たちが幾つも転がり、乾きかけた血痕が黒ずんだ地図のように広がっている。戦闘はすでに終わっているものの、空気はまだざらつき、殺気の余韻が微細な振動となって漂っていた。そんな修羅場のど真ん中で、少女は微動だにせず、静かに立っていたのである。


年齢は20歳前後だろうか。線の細い体躯。なだらかな肩と華奢な腰。少し風が吹いただけで折れてしまいそうなほど頼りなく、高校生の文科系女子を連想させる外見だった。凄惨な現場とのあまりの不釣り合いさが、逆に異様な存在感を際立たせている。


だが、その表情には、何一つとして揺らぎがない。


修羅場に慣れ切っているのか。

それとも、最初から興味がないのか。


驚きも、恐怖も、嫌悪すらない。

まるで感情という概念を、生まれ落ちた瞬間から持ち合わせていないかのようだ。ガラス玉のように澄み切っていながら、底の見えない瞳。温度というものが存在しない、無機質な眼差しだった。


その名は、六惺。


趣味は、外道をいたぶり殺すこと。

純血の魔女――そのものだ。


九重が六惺に抱いた第一印象は、強烈な「嫌悪」だった。


男に媚びるような可憐な外見。守られることを前提に作られたかのような、か細い身体。異性に依存する女の典型、その象徴のように映ったのである。体格にも腕力にも恵まれ、力で生き延びてきた九重は、それが嫉妬であることを頭では理解している。とはいうものの、生理的に、この手の女を受け入れられないという感情は、どうにも抑えがたい。理屈では切り離せても、獣の部分が、はっきりと拒絶していたのだ。


距離にして、魔女とはおよそ10m。

それは人狼の間合いであり、九重が最も戦闘値を発揮できる領域だった。一瞬で踏み込み、喉笛を引き裂き、骨ごと引き千切り、息の根を止める――それすら可能な距離である。


だがしかし。

九重は、まだ攻撃に出なかった。


気配なく現れたこの女を、静かに、慎重に観察していた。獣が獲物を狩る前、まず匂いを嗅ぐように。踏み込む価値があるのか、それとも一歩踏み違えれば死に直結する危険物なのか。その判断を誤ることだけは、許されない。


探りを入れるため、九重は低く口を開いた。


「お前。魔女だな?」


「はい。私の名は六惺。魔女で間違いありません」


淡々とした返答。

そこには感情の起伏など、一切存在していなかった。


剣豪・八十郎は知らなかったようだが、六惺は裏の世界では相当な有名人だった。都市伝説と呼ばれるほどの存在であり、数え切れない逸話がある。名だたる猛者たちが挑み、返り討ちに遭い、その痕跡すら残さず消え去った――そんな話が、まことしやかに囁かれていたのである。


記憶力に秀でた九重は、それらの武勇伝をいくつも知っていた。


知識だけではない。

眼前で、自分という存在を空気のように扱うこの線の細い魔女に対し、人狼の本能が、絶え間なく警告音を鳴らし続けていた。


ジリジリ、と。

鼓膜の奥で、不快なノイズが鳴り止まない。


違和感は、少なくとも3つあった。


まず1つ。

五感すべてに特化した自分が、これほどの距離まで接近を許してしまったこと。


次に。

死体を前にしても、路傍の石を見るかのような平然さ。その在り方。サイコパス特有の、温度のない気配を纏っている点。


そして、もう1つ。

常人なら立っているだけで震え上がるほどの殺気を放つ九重を、まるでその辺を歩く一般人のように無視していることだった。


とはいうものの。

体格差、筋力差、これまで培ってきた経験値を冷静に当て嵌めれば、魔女の戦闘力は自分に遠く及ばない。戦えば、軽く殺せる。そう、たかを括っていたのも事実である。


一方の六惺は、露骨に殺気を撒き散らす人狼を気にする様子もなく、視線をすっと足元へ落としていた。


道路に転がる、ジュラルミン製のキャリーバッグ。

どうやら、それが気になっているらしい。


その中には、24kインゴットが100㎏ほど。電子錠でロックされ、金庫用素材で覆われたケースであり、総重量は300㎏を超える。六惺は、まるで落とし物を拾うかのような何気ない仕草で、そのバッグへと手を伸ばした。


九重は、侮っていた。

こんな、か弱そうな小娘に、持ち上げられるはずがない――と。


だが、次の瞬間。


ひょい、と。

まさにその擬音が相応しいほど軽々と、六惺は300㎏超のキャリーバッグを持ち上げていた。息は乱れず、腕も震えない。そこだけが無重力地帯になったかのように、現実感がごっそり削ぎ落とされる。


その瞬間、九重の胸の奥で、怒りの炎がぼう、と燃え上がった。

絶対の自信を誇っていた身体能力。それを、見下していた小娘に、同じ土俵へと踏み荒らされた感覚。不快感が、獣の本能を激しく刺激する。


さらに、追い打ちがかかる。


平然と持ち上げられたジュラルミンケースが、ガチリ、と音を立てることすらなく、するりと開いたのだ。本来ならテンキー式の電子錠。36桁の数字を入力しなければ開かないはずの代物である。


にもかかわらず、六惺は一切触れていない。

まるで自動扉のように、勝手に開錠された。


36。

6の平方。


「6」に愛されている魔女にとって、その数字は味方だった。道理も法則も、六惺の前では意味をなさない。ものの、その理屈を、人狼の女が理解できるはずもない。


想定外の連続に、九重は完全にフリーズしていた。


その様子を見てか、六惺は淡々とした口調で、ふざけた小芝居を始める。


「何だ、これは……。バッグの中に、二十四金のインゴットが――ざっと百キロはある。どうしてこんな場所に、こんな代物が落ちているの? 困ったわね……これはもう、警察に届けるべきかしら」


「おい、小娘。そのバッグに触るんじゃない!」


「私のことはお気になさらずに。道路に転がっている虫ケラどもが、まだ息をしていますよ。どうぞ、きっちり息の根を止めてあげてください」


「小娘。これは警告だ。今すぐそのバッグから手を離せ。それは私の持ち物だ」


「ええ。もちろん、これがあなたの物だということは承知しています」


「そうか。分かっているなら話は早い。そのキャリーバッグを、こちらへ渡してもらおう」


「申し訳ありませんが、それはお返しできかねます」


「何だと。もう一度だけ言うぞ。それは私の物だ。今すぐ、言う通りにしろ!」


「この中に入っている二十四金……密輸品、ですよね?」


「小娘。そんなことはお前には関係ない。とにかく、それをこちらへ渡せ!ー


「密輸品を見逃すことはできません。従って、こちらで没収とさせていただきます」


「お前……いい加減にしろよ!」


「私のことは、私設警察のようなものだと理解してください」


「私設警察、だと?」


「はい。それも、かなり迷惑な部類の私設警察です。これで、お返しできない理由はご理解いただけましたか?」


「おい、小娘。ふざけるのも大概にしろ!」


六惺は、獰猛な獣に威嚇されているにも関わらず、まるで意に介していないかのように振舞っている。

そのふざけた言葉の数々が、人狼の脳裏で何かをぷつりと切断した。


カチリ、と。

理性が外れ、本能が前面へと押し出される音だった。


これまで出会ったことのない、理解不能な生命体。

その存在を前にして、九重は牙を隠すことをやめ、本性を剥き出しにする。


空気が、ぎちりと軋んだ。

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