第1話 純血の魔女①
深夜から朝へと移ろう、太陽が昇る直前の時間帯。
都市特有の雑居音が共鳴していた繁華街から、人の気配が少しずつ、しかし確実に引いていく。ざわめきは薄まり、残響だけが建物の隙間に貼りついているかのようだった。
ビルの1階に軒を連ねる店舗のほとんどは、すでにシャッターを下ろしている。
ガラガラと閉じられた金属の壁が、街を封じ込める檻のようにも見えた。
近くを高速道路が走っているせいなのだろうか。
空気は重く、濁っている。排気ガスと夜気が混ざり合い、喉の奥にざらついた感触を残す。
繁華街を貫く幅の狭い川。その水面には、まだ消えきらないネオンの光が、ゆらり、ゆらりと歪んで反射していた。
赤、青、紫。色彩は派手なのに、どこか冷たい。
家出してきた者達なのだろう。
川沿いの歩道には、15歳にも満たないと思しき少年少女達がたむろしている。煙草を回し、缶の酒を傾け、他愛のない話で笑い合っていた。
楽しそうではある。とはいうものの、その笑顔の奥には、行き場を失った不安が滲んでいるようにも見えた。
その光景を、橋の上で足を止め、一人の女が静かに眺めていた。
何かをするわけでもない。ただ、じっと、川と人々を見下ろしている。
女の名は、六惺。
年齢は見た目だけなら二十前後。
純血の魔女として、この世界に生まれてきた存在である。
左右対称に整った顔立ちは清潔感があり、誰が見ても美人と認めるだろう。
例えるなら、高校一の美少女がそのまま生徒会長を務めている、そんな印象だった。
体脂肪率は15%前後か。
全身をスウェットで包んでいるにもかかわらず、余分な脂肪がほとんどないことが一目で分かる。引き締まった体は、ただ立っているだけで静かな圧を放っていた。
六惺は、自分が魔女であること以外については、あまり多くを知らない。
記憶も、家族も、過去も曖昧だ。
ものの、この世界に生まれてきた「理由」だけは、はっきりと認識していた。
彼女こそが、この都市の『管理人』。
そして、この街に存在するギルド施設を護る使命をもって生まれた者である。
六惺が管理するこの都市では、地方から流入してくる若年層を食い物にする犯罪が急増していた。
治安は目に見えて悪化している。
金に困り、行き場を失った若い女を拉致し、監禁し、商品として扱う。
そんな犯罪が、日常の裏側で横行していたのだ。
ビルの屋上にとまっている使い魔――烏。
その視界が、リアルタイムで純血の魔女へと送られてくる。
そして今、不穏なワゴンカーが接近してくる様子を、烏ははっきりと捉えていた。
目的は明白。拉致監禁。
六惺は、自分が標的になっていることを、すでに理解している。
車はライトを落とし、エンジン音を殺しながら、ゆっくり、じりじりと距離を詰めてきた。
魔女は、法が裁かない悪党を見つけては、その者の『犯罪指数』に応じて制裁を下してきた。
容赦はない。
これまでに、数えきれないほどの半グレや反社会的勢力を惨殺している。
当然、六惺は彼等にとって報復の対象となっていた。
近づいてくる車に乗っているのは、報酬目当てで彼女を拉致監禁しようとする殺し屋達だ。
それでも純血の魔女は、構える素振りすら見せない。
背を向けたまま、気づいていないかのように振る舞っている。
彼女が逃げない理由は単純だった。
街のゴミである殺し屋は、魔女にとって掃除の対象。
歓迎すべき来訪者でしかないのだ。
六惺は、使い魔を通して上空からの映像を眺めながら、内心わくわくしていた。
街は相変わらず、何事もないかのように時間が流れている。
ワゴンカーが10mほどの距離まで迫ったところで停止する。
ガコン、と小さな音を立ててスライド扉が開いた。
次の瞬間。
ドタッ、ドタッ、ドタッ。
3人の男が勢いよく飛び出し、一気に距離を詰めてくる。
全員、顎の部分が解放されたジェットヘルメットを着用していた。
魔女は反撃するつもりがないのか。
いまだに、背を向けたまま気づかないふりを続けている。
先頭を走っていた男が、橋の上で川を眺める六惺の背中へ、迷いなくスタンガンを押し当てた。
バチッ、と光が弾ける。
スパーク音と同時に、電気ショックが走った。
人体は神経伝達に電気信号を用いている。
外部から約1mAの電流が加われば、しびれを感じる構造だ。
男が使用したスタンガンは4mA。
確実に相手を気絶させるための、十分すぎる出力である。
六惺を襲った殺し屋達3人は、いずれも10代後半の若い男だった。
中学、高校では暴力によってカースト上位を独占し、支配することに酔いしれていた連中である。
彼等が選んだ進路は『半グレ』。
強姦、拉致監禁、殺人――悪の限りを尽くしてきた。
そんな彼等のもとに、魔女拉致の依頼が舞い込んだ。
数々の猛者が返り討ちにあったという噂を知っていたにもかかわらず。
事故案件だと分かっていながら、依頼を受けてしまったのだ。
若い殺し屋達は、スタンガンが吐き出す高電圧の電流を、真正面から浴びせられた人間がどうなるかを、よく知っているつもりだった。
ましてや相手は、女だ。
抵抗も、悲鳴も上げる暇すらなく、その場に崩れ落ち、意識を手放す――そうなると、最初から疑っていなかったのだろう。
だからこそ、彼らの思考はそこで止まっていた。
バチバチッ、と乾いた放電音が闇へ溶けて消えた、その刹那。
殺し屋達は、すでに“次の工程”へ移行していた。
倒れ込むはずの体を素早く拾い上げ、関節を極め、口を塞ぎ、拘束具を噛ませる。
抵抗される前に、意識が戻る前に、車へ放り込む――拉致。
その一連の動作に、一切の迷いも、無駄もない。
何度も、何度も繰り返してきた手順だ。
呼吸するのと同じくらい、身体に染み付いた流れ。
今回も、いつもと同じ。
あっけなく終わる。
そう、思い込んでいた。
だが――
次の瞬間、その“常識”は、鈍い音を立てて崩れ去ってしまうこととなる。
スタンガンの電気ショックを、真正面から受けたはずの魔女は、倒れなかったのだ。
膝が折れることも、よろめくことすらない。
ふらつきもなく、悲鳴もなく、ただ――何事もなかったかのように、平然と立っていた。
沈黙。
闇。
そして、次の瞬間。
魔女は、その場で反撃へ転じた。
————振り向きざま、腰を軸に、体を鋭く捻ると、ゴウッ、と空気を切り裂く低い音が走っていき、
次の瞬間、男のヘルメットへ、裏拳が叩き込まれた。
電光石火のバックアンドブロー。
薙ぎ払うように振り抜かれた拳は、しなやかで、無駄がなく、それでいて――異様なまでの重さを孕んでいる。
触れた瞬間、ダイヤモンドよりも硬いと錯覚するほどの一撃であった。
ガンッ――!
鈍く、しかし致命的な衝撃音が夜気を震わせる。
ヘルメットは無残に陥没し、男の体は抵抗する暇すらなく宙を舞った。
アスファルト舗装の地面へ、叩き付けられ、ドサッ。
さらに、バウンドする肉体が…
一度、二度。
そこでようやく、路地裏の空気が変質した。
――戦闘だ。
そう理解した瞬間、張り詰めた殺気が一気に噴き出し、狭い空間を満たす。
その刹那、魔女――六惺の頭の中へ、膨大な情報が洪水のように流れ込んでいた。
目の前にいる3人の殺し屋達が、これまで積み重ねてきた悪業の記録。
殺し、暴行、拷問、略奪。
それらは『犯罪指数』として色彩化され、否応なく脳裏へ焼き付いてくる。
目の前の3人は、例外なく『ブラック』。
すなわち、死刑対象。
金のために、どれほどの命を奪ってきたのか。
六惺は感情を挟むことなく、それを淡々と認識していく。
中でも、スタンガンを押し当ててきた男――その罪は、ひときわ重い。
殺し屋としての殺人だけではない。
罪のない女や子供を、数え切れぬほどレイプしてきた記録。
映像のように鮮明な情報が、容赦なく流れ込み、脳を叩く。
六惺は、まるで神の存在を信じているかのように、これから行う行為について、誓いめいた言葉を心の中で呟いた。
≪この三匹のクソ外道どもは、例外なく、確実に――ここで始末する。必ずだ≫
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