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7.白い魔女

 レアイヒロ峠の木々の間を、灰色の軍服に身を包んだ一団が進んでいた。

 彼らは、足の下で小枝が折れる音や、石と石がぶつかり合う音がするたびに、怯えた目をしてまわりを警戒していた。

 あたりに立ち込めている霧は、夜が深まると共に、白さを増していっていた。


「おい……、なにか聞こえないか……?」

 松明を掲げた一人の兵士が訊いた。

「女の声……?」

 別な兵士も問う。

「辺境王妃か?」

 兵士たちは腰の剣に手をかけながら、身を低くした。

 彼らは寄り集まって斜面を登って行った。


 進むにつれて、彼らの耳にはっきりと女の声が届くようになった。

「これは……歌……?」

「女が歌っているのか……?」

 兵士たちは言いあった。


「あっ、あれは……!」

 一人が指さした。

 示された先には、金の冠を髪に載せ、耳にも首元にも大きな宝石を飾り、美しい布がたっぷりと使われたドレスを着た女が立っていた。

 女の傍らでは、金髪を黒いリボンで束ねた若い騎士がひざまずいて、女のためにランプを掲げていた。明るい青色の騎士服の二の腕には、金糸で金杯王の紋章が刺繍されていた。



「あの女、辺境王妃か!?」

 兵士たちは剣を抜いた。

「愛人の騎士が一緒だ!」

「いや、あの男は金杯王の愛人だって話だ!」

「俺はザーランド公爵の愛人だと聞いたぞ!」

「俺が聞いた話じゃあ年増好みで、辺境王妃の乳母が相手だったぞ!」

「とにかく、あいつを連れているなら間違いない! 辺境王妃本人だ!」

 兵士たちが怒鳴りあった。


「あなたったら、誰にでもウインクするからこうなるのよ……」

 コリーナは小声でツァハリアスに言った。

「それじゃあ、そう遠からず僕を愛人にしてるメンバーに、ウルバン将軍も入っちゃうじゃないか。もう二回くらいウインクしちゃったよ……」

「それは確実に入るわね……」

「ウルバン将軍って、かなりちゃんとした男だよね。僕に対して『責任をとります』とか言い出さないといいけど……」

「言いそうだわ……」

 コリーナとツァハリアスは言いあってから、二人とも笑いをこらえた。


「コリーナ、そろそろ弓が届きそうな距離になる。話し出した方がいいよ」

 ツァハリアスの言葉に、コリーナは「わかったわ。ありがとう」と返した。


「わたくしはザーランド公爵令嬢コリーナ! 皇太子殿下の元許嫁であり、未来の辺境王妃である!」

 コリーナは近づいて来ていた兵士たちに向かって言った。


「やはり辺境王妃だ!」

「辺境王妃本人が出てきたぞ!」

 兵士たちが叫んだ。


「わたくしはこの国の皇后となる資格を得ていた者! 皇后とは、この国の聖女! そなたら如きに、このわたくしの尊さなどわかるまい!」

 コリーナは兵士たちを見下すように笑ってみせた。

 兵士たちが足を止めた。


「わたくしを害しようとする者たちは聞け! ここはレアイヒロ峠! 我が配下の居所である!」

 コリーナが片手を軽く上げた。

 コリーナの隣に、頭から白いマントをかぶり、ランプを持った一人の女が現れた。

「聖女たる資格を持つ、このわたくしを殺せると思うな!」

 コリーナがヒステリックにも聞こえる声で叫ぶと、ツァハリアスが素早く立ってコリーナを抱え、後ろに下がった。


「辺境王妃が退いたぞ!」

「あの白い女はなんだ!?」

 兵士たちが言いあった。


 女はマントの下から一冊の、古ぼけた大きな本を取り出した。

「なんだ、あの本は!?」

「本を持った白い女だと!?」

 明らかに兵士たちは動揺していた。


 兵士たちの耳に届く歌が大きくなった。

 歌は彼らに物悲しい物語を聞かせた。皇都からほど近い田舎町が舞台の、一組の夫婦の物語を。




 オイゲンという名の男が、妻と共に苦労して金を貯め、男爵の位を買った。

 オイゲンの夢は、妻の夢でもあったから、二人は手を取りあって喜んだ。


 オイゲンは皇都に行って、番兵になった。なにもない片田舎から皇宮の番兵が出たのだ。オイゲンは町の英雄になった。


 町の娘たちは、みんなオイゲンに夢中になった。

 皇都の酒場の女も、娼館の女たちも、みんなオイゲンに寄ってきた。


 妻はオイゲンを信じていたから、家でおとなしく待っていた。オイゲンが男爵になる前と変わらぬ、慎ましい暮らしをしながら。


 男爵のオイゲンは、以前のオイゲンではなくなっていた。

 名前はオイゲンのままだったが、妻の知らない男になっていた。


 妻は男爵のオイゲンの心に、もう自分がいないことを知った。


 ある霧の夜、妻は頭から白いマントをかぶり、オイゲンに会いに行った。


 オイゲンは酔っぱらって、酒瓶片手に皇都の通りを歩いていた。酒場から娼館に続く道だった。


 妻はオイゲンに会うと、マントの下から出した魔導書を開いた。

 石や礫がオイゲンを打ち、オイゲンは息絶えた。


 妻は霧をその身にまとわせたまま皇都を後にし、故郷の町へも戻らなかった。


 人は彼女を『白い魔女』と呼ぶ。

 レアイヒロ峠には、白い魔女が住んでいる――。




『レアイヒロ峠の白い魔女』は、このような物語が美しい言葉とメロディにのせられた、この国では有名な歌だった。



 兵士たちの前に現れた『白い魔女』は、歌の通りに本を開いた。

 兵士たちは、彼女がこの峠に移住することになった経緯を美しい歌声で聞かされながら、四方八方から投げつけられる石や礫に打たれた。


『白い魔女』は現れては消えた。

 兵士たちの正面にいたと思ったら、今度は右に。

 驚きながら『白い魔女』に背を向けて逃げれば、背後にいたはずの『白い魔女』が正面に立っていた。


「どうなっているんだ!?」

「魔法か!? 魔法なんて本当にあったのか!?」

 口々に言いあう兵士たちの一人が、突然、その場で倒れた。

「お、おい、どうした!?」

 そばにいた兵士が、倒れた兵士を松明で照らし、肩をゆすってみるが、返事はなかった。

 別な兵士が、倒れた兵士の鼻の前に指を出し、呼吸を確認した。

「おい……! こいつ息をしてないぞ……!」

 兵士が叫んだ。

「なんでだよ!?」

 という声は、当然の疑問だった。

「こんな石や礫が当たった程度で、なんで死ぬんだ!? おかしいだろ!」

 わめく兵士の頭に、石が当たった。

「いてぇ!」

 兵士は頭を触った。


「歌のなかでも、オイゲンは死んでただろうがっ!」

 どこにでも、中途半端に賢い者はいるようで。

「どれだけ石や礫が当たったんだって思わなかったか!?」

 冷静なようで冷静でない言葉。

「魔法だ! オイゲンは魔法の力で死んだんだ!」

 あり得ない結論を、真実のように聞こえさせた。

「レアイヒロ峠の『白い魔女』ってのは、霧のことじゃなかったのか!?」

 正しいことすらも疑ってしまうほど、彼らは混乱していた。



 終いには、彼らには『白い魔女』が五人に見え始めた。

「お、おい、囲まれてるぞ!」

「俺の目がおかしいのか!? なんで五人もいるんだ!?」

「魔法だ! あの聖女が『白い魔女』を増やしたんだ!」



 寄り集まっている彼らの中心に向かって、一人の兵士がうつ伏せに倒れた。

 先ほど、頭に石が当たって痛がっていた兵士だった。


「お、おい、やめろよ! こんな時になにやってんだ!」

 倒れた兵士を起こそうとするが、その身体にはまったく力が入っていなかった。

「死んでる……! こいつも死んでるぞ!」

 仰向けにされた兵士の呼吸を確認した者が叫んだ。


「おい、こんな仕事、割に合わないだろ!」

 一人が怒鳴った。


「辺境の半獣半人と貴族の私兵どもが守ってる、純潔を失って狂った公爵令嬢を殺すだけって話だっただろうが!」

「なにがただの『狂王妃』だよ! この国の聖女になれる女だったじゃねえか!」

「田園で襲った時だって、半獣半人も私兵も妙に強かったぞ!」

「元は辺境で無理矢理に兵士にされた奴らと、金杯王の闘技場の見世物どもだろ? なんであんなに強いんだ!? どっかおかしいだろ!」

「だいたい、この国の聖女ってなんだ!? なにができる女なんだ!?」

「『白い魔女』を手下にして、しかも増やしてるだろうが! よくわからねえが、聖女ってのは魔女の親玉なんだろうぜ!」

 怒鳴りあう兵士たちの上に、石と礫が降り注いだ。


「うおあっ! 俺にも石が当たったぞ!」

「俺もだ! 死ぬ! 死んじまうっ!」

 兵士たちは足をもつれさせ、時に転びながら峠を下っていった。

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