5.コリーナの幕舎(後編)
それからしばらくして、コリーナが意識を取り戻すと、ウルバンがコリーナの手を握ったまま、寝台の横で居眠りをしていた。
「ウルバン……?」
コリーナは横たわったまま呼んでから、小さく笑った。
「わたくしったら、いけないわね……。彼はウルバン将軍よ。わたくしのウルバンではない……」
コリーナは眠っているウルバンの形の良い眉や、長い睫、しっかりとした鼻筋や、適度な厚みの唇を眺めた。
ウルバンがゆっくりと目を開き、急いでコリーナの手を離した。
「大変な失礼をいたしました、妃殿下……。お手を清められますか? それともなにか罰を……」
ウルバンは寝台の横でひざまずいた。
「そんなこと言わないで、ウルバン将軍……。悲しくなるわ。わたくしがあなたの手を、汚らわしいと思うことなんてない……」
「……感謝いたします」
ウルバンは顔を俯けた。
「もっと楽にしてくれていいのよ」
「とんでもありません。ただ今、乳母様と侍女様を呼んでまいります」
ウルバンが立ち上がり出て行こうとするのを、コリーナは「待って」と止めた。ウルバンはコリーナに向き直った。
「なんでしょうか?」
「助けてくれてありがとう。そばにいてもらえて心強かったわ」
コリーナはウルバンに向かってほほ笑んだ。
「もったいないお言葉です……」
「……ウルバン将軍。一つだけ、あなたにお願いがあるの」
「なんなりとお申し付けください。この命に代えても叶えてみせます」
ウルバンは右の拳で胸を叩いた。それは、彼が以前にも見せた、辺境軍の軍人が命を賭ける時にする、誓いの所作だった。
「近くに来て」
コリーナは命じた。
「はっ」
ウルバンは短く答え、寝台の横で再びひざまずいた。
「ウルバン将軍、聞こえるわね」
コリーナは小さな声で言った。
「聞こえます」
ウルバンの答えを聞いて、コリーナはほほ笑んだ。
「わたくしを生きたまま、カーマレッキスに連れて行ってほしいの。どんな姿でもかまわない。五体満足でなくてもいいの。わたくしを辺境王殿下と正式に婚姻させるのよ。そうすれば、たとえわたくしが死んでも、わたくしの持つものすべてが、そのまま辺境王殿下のものになるわ……」
「妃殿下、いけません! 突然なんということをおっしゃるのですか!」
ウルバンが声を荒げた。
コリーナは乗馬服の襟元から、大きな赤い宝石のついた金のネックレスをつかみ出した。
「このネックレスを身につけておいて。必要な時はこれを敵に差し出すのよ。石の裏に『ウルバンにコリーナの秘めた愛を贈る』と彫ってあるわ。後でランプにかざして、見てみてちょうだいね」
「は……?」
思わず声を漏らしたウルバンを見て、コリーナは笑った。
「きっとみんな信じるわ。本命はこちらよ。わたくしと共に、辺境王殿下に渡してちょうだい」
コリーナは乗馬服のポケットを探り、一つの指輪を出した。貧しい半獣半人でもなんとか買えそうな、露店などで売っている安っぽいものだった。
「大事にお持ちします」
ウルバンは指輪を受け取った。
「今はめている指輪と、この指輪を取り替えて。右手の中指にしているでしょう」
「自分が……身につけるのですか。しかし、サイズが……」
ウルバンは元からはめていた指輪を外し、コリーナから渡された指輪と交換した。
「サイズなら調べさせてもらったわ。おそらく問題ないはずよ」
本当は、誰にも調べさせてなどいない。コリーナが前世でウルバンと夜通し話をした時に、サイズを教えてもらっていたのだ。
「おっしゃる通りです」
ウルバンは驚きながら、元からはめていた指輪と、新たに指にはめた指輪を見比べていた。サイズがあっていたのも驚きだろうが、指輪自体もだろう。二つの指輪はまったく同じものではないが、かなり似ていた。わざわざ似たものを選んだとしか思えなかった。
「内側に文字が彫ってあるわ。あなたも見てはだめよ。知らなければ、拷問されても白状することはできないでしょう」
「自分は『卑しい半獣半人』です。文字など……」
「ええ、そういうことにしておくわ」
コリーナは笑顔でウルバンの言葉を遮った。
コリーナはゆっくりと身を起こし、ネックレスを外した。
「わたくしを必ず、辺境王殿下に嫁がせるのよ」
と言いながら、ウルバンの首にネックレスをつけた。
「『辺境王妃コリーナは、ウルバン将軍に寝台の上でネックレスを贈った。自らの手で、ネックレスを身につけさせた』」
「……心得ました。必ずや任務を遂行いたします」
ウルバンはコリーナに頭を下げると、ネックレスを軍服の下に隠した。