28.旅の終わり(後編)
ウルバンは重い足取りで軍幹部宿舎まで戻った。
ウルバンが軍幹部宿舎に入ると、ザーランド侯爵がディートマーに値段交渉をしていた。
「では、金貨五百枚ではどうか!? 辺境王殿下、そう欲張るな! 手のひらの『獣の名残』というのは、給仕をする時などにけっこう目立つのだ。足の裏にある者ほどの高値はつかないと知らんのか!?」
「んー、でも、兄同然だからなぁ。どうしようかなぁ? 五百枚程度じゃ気が進まないなぁ」
ディートマーがいたぶるようにねっとりと笑った。
「あっ、ウルバン! 俺、ディートマーに売られるよぉ!」
フォルカーがウルバンに気づいて、ロタールを引き連れてやって来た。
「おっ!」
ザーランド侯爵が値踏みをするようにウルバンを見た。
「ん?」
ディートマーが小首を傾げた。
ザーランド侯爵もウルバンの元に来て、腕や胸の筋肉を触り、目の充血具合や歯並びを確認し、指や爪に欠けたところがないか調べた。
「フォルカーとかいうのはもういい! こいつにする! こいつを連れて金杯王城の闘技場に行き、最強の称号を貰い受けよう!」
「ここは奴隷市場ではないぞ、ザーランド侯爵」
「鍛え抜かれた猛者の声ではないか! こいつを金貨五百枚ではどうだ、辺境王殿下!」
「そいつはちょっと……金貨五百枚じゃあ、無理かなぁ……」
ディートマーが言いながら、この場から逃げ出そうとした。
ウルバンは素早くディートマーの後ろに回り込み、襟首を捕まえた。
「私が辺境王アロイス・ホーランだ! なぜ私の従僕と、私の値段交渉をするのだろうか、ザーランド侯爵」
「はっ、そんな戯言を信じると思ったのか!? 辺境王アロイス・ホーランは、顔と身体で軍部でのし上がった男だ。お前のような頭の中まで筋肉が詰まっている根っからの兵士が、そのような真似をするはずなかろう!」
「こいつはディートマーという私の二の従僕だ! そちらのフォルカーも私の一の従僕である! 売ることはできない!」
「腐っておるわ……」
ザーランド侯爵が吐き捨てた。
「なんだと!?」
「凄まじい美形を買い集めて、色仕掛けで軍部でのし上がり、皇帝への不敬の罪さえ不問にさせ、終いには他家の筆頭騎士団長まで引き抜こうとする! お前の性根は腐っていると言ったのだ!」
ウルバンはなにもかもが嫌になった。
こうしている間にも、コリーナは死にそうになっていた。コリーナのそばにいたい気持ちを押し殺し、ボドを迎えに行くつもりでいたというのに、このような下らないやり取りに時間を取られているのだ。嫌にもなる。
ウルバンは軽いめまいを覚えて、ふらりとよろめき、片手で目と額を覆った。
「ウルバン、疲れてるんだよ。救世主はどうしてるんだ?」
フォルカーがウルバンの腕を支えた。
「救世主は猫の天馬騎兵に噛まれて、瀕死の状態だ」
「ここはいいから、そばにいてやれよ。ボドじいさんは、俺がロタールと探しに行って連れてくるよ。ザーランド侯爵もロタールになんとかさせる」
「ロタール、ロタールと、お前はそれでいいのか、フォルカー」
「もういいんだ……。ロタールはやたら強いしさ……。なんだか、俺も疲れちゃった……」
フォルカーは力なく笑った。
「我が主よ! 疲れた時は甘いものがよろしいですぞ! 干し苺がまだあります! さあ、口を開けて! お水も飲まれますかな?」
ロタールが革袋から干し苺を出し、フォルカーの口に放り込んだ。
嬉々としてフォルカーの世話をやくロタールは、フォルカーの筆頭騎士団長というよりは、もはや幼子の母親か従者だった。
「なにをしてもお美しい……。さすが、我が主よ……」
うっとりとつぶやく、この言葉さえなかったら。
「大丈夫だよ、ウルバン。こいつは俺さえ見てたらご機嫌なんだ……。もう行けよ」
ウルバンはフォルカーに礼を言って、コリーナの元に戻った。
結局、ボドはヒューゴが探しに行った。
ヒューゴは三日をかけてボドを探し出し、最強の『縞々の天馬』に乗せて連れ帰ってきた。
「もはや命の灯火は消えかけとります……」
傷だらけのボドは、コリーナを診察すると首をふった。
ウルバンはコリーナの手を握り、その名を呼んだ。
ウルバンの横では、ギーゼラもコリーナを呼んでいた。
「なにか助ける方法はないのか?」
「あるにはあるが……。まあ、難しかろうて……」
「なんなのです!? 大恩あるお嬢様をお助けするためならば、なんだっていたします!」
ギーゼラがボドの服に縋りついた。
「ユニコーンの角を粉にして飲ませると、血が止まり、毒が浄化されるそうだ。万能薬とも言われとる。手に入るなら試してみたいが……」
「ヒューゴを呼べ! 俺がヒューゴと共に皇宮に行き、角をへし折って持ち帰る!」
ウルバンが勢いよく立ち上がった。
「お待ちください、殿下!」
ギーゼラが止めた。
「なんだろうか? 一刻を争うのだが!」
「ボド、わたくしの『皇太子妃の証』をお使いなさい! ユニコーンの角でできたメダルですよ」
ギーゼラは乗馬服のシャツの襟元をくつろげて、ネックレスの先についている白いメダルを見せた。
「それはギーゼラ様の身分証ではないのか? 削って粉にしてしまったら、あなたは元皇太子妃だと名乗れなくなってしまうだろう」
ウルバンの言葉に、ギーゼラは首をふった。
「いいえ、これは正式な身分証ではなく、エーベルハルト殿下が皇宮に保管されていたユニコーンの角を使って作ってくださった、ただの贈り物です。身分証ならば、元皇太子妃兼皇太子の許嫁の指南役の認定証がありますよ」
「それは形見の品ではないか……」
「この方はエーベルハルト殿下の姪。そのお命をお助けするために使うのですから、エーベルハルト殿下もお喜びになるはずです」
ギーゼラはネックレスを外すと、メダルを一度、両手で強く握ってからボドに渡した。
ボドは診察鞄を開いて鉄のおろし器を出し、メダルを周りから削った。
ボドが薄紙の上に粉を出し、コリーナの口を開かせて、粉を舌に載せた。
「こんなに少しで良いのですか!? すべて削ったってかまいませんよ! 少し小さくなっただけではないですか!」
ボドが返そうとしたメダルを、ギーゼラが押し返した。
「強い薬だ。もう充分だろうて。後は待っとるしかない」
ボドは他の患者の診察をするために、辺境総大将の私室を出て行った。
ギーゼラも、フォルカーが世話係として付けた女兵士に連れられて、医務室に戻っていった。
ウルバンだけは、コリーナの横にひざまずき、その手を握って、目覚めの時を待ち続けた。
ウルバンがコリーナの目覚めを待っている間も、レネーが戸籍管理局や王侯貴族局に出向いて、法について調べながら、王の婚姻の立会人になれる者を探していた。
レネーがなんの成果も上げられず、コリーナも目覚めることなく、ウルバンたちが辺境に到着してから十日が過ぎた。
その日、金髪の若い男が大剣を杖代わりにして、金髪の若い騎士を背負って辺境にやって来た。
防壁にいる兵士たちは、フォルカーから金髪で青い騎士服の騎士が来たら開門し、軍幹部宿舎に案内するよう命じられていた。
兵士はその二人の金髪の若い男を、命令通りに軍幹部宿舎まで連れて行った。
騎士を背負った男は、軍幹部宿舎に入ると、叫んだ。
「出迎えよ! 金杯王殿下のお出ましであるぞ!」
ウルバンとフォルカーは、その声を階段の途中で聞き、手すりの向こうに見える二人の男を凝視した。
「金杯王が来ただと!?」
ウルバンが問うた。
「我が名は、荒ぶる大剣騎士、グントラム・リダホワ!」
ウルバンはこの金髪で浅黒い肌の男が誰か思い出した。
ザイクタイルの町でコリーナを半獣半人と勘違いして絡んだ挙句、ウルバンに気絶させられて、酒をかけられて路地に転がされた男だ。
「我こそは、金杯王ツァハリアス・グリッシュロップ殿下の一の従者である!」
男は言い終わると、ツァハリアスの大剣に身体を預けて動かなくなった。
この国の騎士の死に様の中で、最も美しいとされている姿。
『激戦を生き抜き、主を安全なところまで運び、立ちながら天に召される』
グントラムのそれは、後世に語り継がれるような、完璧な騎士の姿に見えた。




