28.旅の終わり(前編)
ウルバンが辺境総大将の私室から出て、緋色の絨毯の上を歩いていると、レネーが慌てて走ってきた。
「旦那! 旦那が馬車で言ってた、侍女と乳母らしき女性二人が来やしたぜ!」
レネーは自分の背後を拳から立てた親指で示した。
ウルバンはレネーと共に、軍幹部宿舎の出入り口に向かった。
「シシー殿! ギーゼラ様!」
ウルバンが呼びかけると、気を失いかけているギーゼラと、ギーゼラを支えているシシーがウルバンを見た。
二人とも自身の血と返り血にまみれ、乗馬服のジャケットの元の色がわからないほどだった。
「殿下……、ギーゼラ様をお連れしました……!」
ウルバンはシシーに駆け寄り、ギーゼラを受け取った。
シシーがその場に倒れそうになるのを、ウルバンは片腕で支えた。
「シシー殿!」
「お嬢様……、私は最強の獅子……。私だって熊の天馬騎兵に勝ちました……。だから……」
「シシー殿……!」
ウルバンはレネーにギーゼラを渡し、シシーを床に横たわらせた。
「おそば……に……」
シシーの言葉はそこで途絶えた。
「シシー殿! シシー殿! しっかりしてくれ!」
ディートマーがウルバンの向かい側から、シシーの顔をのぞき込んだ。シシーの鼻の下に指を差し出し、呼吸を確認した。
「気を失っただけだけど、危険な状態だ。そちらの女性と一緒に、医務室のベッドに寝かせるよ。来い、レネー」
「なんのつもりだよ! 弟の前だからって、俺に命令するなって!」
レネーは怒りながらも、ギーゼラを抱えてディートマーの後に続いた。
その場に残されたウルバンは、両手に残るシシーの血を見つめてから、拳を固めた。
「俺の馬を引け! 行くところがある!」
ウルバンが怒鳴ると、近くにいた女性兵士が「はい、総大将!」と応えて、軍幹部宿舎を出て行った。
女性兵士は、すぐに戻ってきた。
「総大将、敵襲です! 白黒の縞模様のペガサスが来ます! おそらく天馬騎兵の襲撃かと!」
「そいつは味方だ! 攻撃するな!」
「はい、総大将!」
女性兵士はまた軍幹部宿舎から走り出ていった。
ウルバンもその後を追い、軍幹部宿舎を出た。
ヒューゴはすでに辺境軍の兵士から矢を射かけられていた。
「やめろ! ママちゃんが怪我したんだ! 犬、いるだろう! 出て来い!」
ヒューゴはペガサスで飛び回って矢を避けつつ、ウルバンを呼んでいた。だが、兵士たちには、その犬が誰なのかわからないようだった。
「弓隊、引け! 俺の客人だ!」
ウルバンが怒鳴ると、矢を射かけていた兵士たちが弓を下した。
「にゃああぁぁーっ!」
ヒューゴは叫びながら急降下してきて、右肩と左の脇腹に矢がささったままのエゴンを支えて、ウルバンの前に立った。
「おい、犬! ママちゃんを助けてくれ!」
「ヒューゴ、エゴンを医務室に運べ! 誰か案内してやってくれ!」
ウルバンの命令に、近くにいた弓兵の一人が「はい、総大将!」と応じ、ヒューゴの反対側からエゴンを支えて歩いていった。
「こんな調子で数人ずつ兵営にやって来るのか!? これではボドじいさんを探しに行かれないではないか!」
ウルバンがいなくては、誰が敵で誰が味方か見わけられないだろう。
立ち尽くしているウルバンの元に、伝令兵が走ってきた。
「総大将、お戻りでしたか! 騎士に連れられた分隊がやって来ます!」
「ディートマーにも知らせてくれ」
「はい、総大将!」
伝令兵はウルバンに一礼して、再び駆けだした。
ウルバンが知っていて、ここに来そうな騎士はツァハリアスだけだが、ツァハリアスは単騎でシシーとギーゼラを追っていった。
分隊ということは、十人ほどでやって来るということだ。ツァハリアスがどこかで十人もの者たちと合流するだろうか。
ウルバンは考えながら、兵営の皇都方面側出入り口にある防壁へと向かった。
ウルバンが防壁にある岩作りの見張り台に上がると、レミアムアウトの三の尾根で見たザーランド侯爵家の騎士たちが馬を走らせてやって来るのが見えた。
ザーランド侯爵家の騎士たちは、防壁に声が届くところまで近づいてきた。
「ウルバンー、たすけてー」
軍服の背に槍を背負ったフォルカーが、力のこもらない声を上げた。
「フォルカー!?」
ウルバンは騎士の一人の前に座らされている長兄に呼びかけた。
肩を落としてうつむいているフォルカーは、ウルバンの目には人質にとられているようにしか見えなかった。
「そうですぞ! さあさあ、門を開けるのだ! 我が主のご帰還ですぞ!」
焦げ茶色の髪と赤い瞳を持つ中年の男は、遠くからでもわかるほど嬉しそうだった。
防壁の上にいる弓兵たちが、一斉に矢をつがえた。
「総大将様の一の従僕、フォルカー様をお助けしろ!」
弓兵隊長らしき男が怒鳴った。
「待て!」
ウルバンは兵士たちに指示を出した。
「しかし、フォルカー様が……!」
弓兵隊長は焦った声で言い返した。
「フォルカー、誰に捕まっているのだ!?」
「こいつがあのロタールだよー! 黒いペガサスに乗った伝令兵から、『真の主が助けを求めてる』って聞いたとか意味不明なこと言ってさ! こいつ、頼んでもいないのに、ザーランド侯爵と侯爵の騎士団と私兵団を引き連れて、リスタルパーの森に俺を助けに来たんだよー! 侯爵は『辞めるなんて許さん!』って怒ってるのに、勝手に俺の騎士団の筆頭騎士団長になったんだ! ウルバン、たすけてー!」
「ウルバンというと、我が主の弟君ですな! お初にお目にかかります。我が名は、血飛沫舞う赤き瞳のレイピア騎士、ロタール・ラヤン。あなたの兄君に命を捧げる男の名です。ぜひとも覚えておいていただきたいですな!」
ロタールはレミアムアウトの三の尾根でフォルカーと出会い、フォルカーの騎士になるためにザーランド侯爵にお暇乞いをしに帰ったはずだった。
「お前では話にならん! 辺境王を出せ! なぜ他家の筆頭騎士団長に引き抜きなど仕掛けるのだ! しかも色仕掛けとは! この私が道義をわきまえさせてやるわ! さっさと辺境王を呼んで来い!」
ロタールと馬を並べている真っ赤なジュストコールの男が、ウルバンに怒鳴った。
「……ザーランド侯爵か?」
「いかにも、私がザーランド侯爵、ユストゥス・ザーランドである! 早く辺境王を出せ!」
「開門!」
ウルバンはザーランド侯爵を無視して、防壁の下で待機している兵士たちに指示を出した。
ロタールとザーランド侯爵と騎士たちが防壁の内側に入ってきた。
ウルバンは兵士の一人に、ロタールたちを軍幹部宿舎で待たせるよう命じた。
「誰かボドじいさんを連れて来ないのか!?」
ウルバンはひび割れ、砂になりかけている痩せた大地に目を凝らしたが、他に人影は見えなかった。




