27.とんでもない男(後編)
「我々はチネンタル一族でござます。私はチネンタル男爵、そちらの無邪気な方は、辺境の我々を取りまとめるチネンタル侯爵でございます」
ウルバンは顔を引きつらせて、自分のまわりを回って観察に勤しんでいる若い男を見た。
「俺はたぶん戦場で会ってるぞ。ウッタイ軍前線総司令官のボードゥアンだ」
チネンタル一族の四人は全員が青年だった。
その若者たちの中に一人だけ混じっていた、一房だけ灰色が入った銀髪に黒い目の中年の男が寄ってきて、ウルバンに名乗った。
「今、なんと言ったのだ!? 誰だと!?」
「俺だ、義弟よ!」
「誰が誰の義弟なのだ!?」
「やめろよ、ボードゥアン卿。まだそんな関係じゃないじゃん」
ディートマーがまたとろけるような笑顔を浮かべた。
「まだっ!? まだとは!?」
「ウルバンの旦那、あんた、からかわれてるんだよ」
レネーが小声で教えると、ウルバンはディートマーを射殺しそうな目で見た。
「ウルバン、俺の嫁さんを連れてきてくれたのはいいんだけどさぁ。レネーに抱えられてるって、どういうこと?」
ディートマーはいまだにレネーの首にシャムシールを突きつけていた。
「ウルバンの旦那、さっきのデッカイ犬に変身して、ディートマーを吹っ飛ばしてくれ! これじゃあ、嫁さんを休ませに行かれねえよ!」
「誰がお前の嫁さんなのかな?」
「ディートマー! 俺の嫁さんだなんて、一言だって言ってやしねえじゃん!」
レネーの額から汗が二筋、頬へと滑り落ちた。
ディートマーはシャムシールを鞘に戻した。
「行け。嫁さんが死にそうじゃないか」
「なにが『行け』だよ! 偉そうに言うな! 弟の前だからって格好つけんなよ!」
レネーは怒りながら、ドアが開いたままの辺境総大将の私室に入っていった。
「ディートマー、こいつらとなにをしていたのだ!?」
「カードゲームだよ。ボードゥアン卿がウッタイの前線流の遊び方を教えてくれてね。お前が『金を賭けるな』なんて言うからさぁ。ウッタイの前線流は、最下位の者が服を脱いでいくんだ。金を賭けなくても、充分に楽しめたよ」
「そうだった! ディートマー、ついに俺にも同じカードが配られたぜぇ! 王冠と錫杖と楯の五が揃ったんだぜぇええ! いいだろ、ディートマー! いいカードだろおぉぉー! これで俺が一等だあぁーっ!」
侯爵はまたしても妙な叫び声を上げた。
「……あいつは叫ばないと話ができないのか?」
「やかましくて申し訳ありません、殿下」
床の方から言われて、ウルバンは慌てて男爵に立つよう促した。男爵はウルバンに礼を言ってから、貴族らしい優雅さで立ち上がった。
「ディートマー、俺の妃に腕の良い医者が必要だ。手配してくれるか」
ウルバンは『俺の妃』という言葉を強調した。
「ボドじいさんはどうしたのさ?」
「リスタルパーの森で皇軍と戦っているはずだ。俺の妃は皇帝を倒すつもりだったのだ」
「すごいじゃないか!」
ディートマーは馬でも呼ぶように口笛を吹いた。
「医者がご入り用とは。我々の領地から選りすぐりの者を連れてまいりますので、侯爵の処刑はどうかお考え直しを……」
男爵がウルバンにひざまずいて頼んだ。
「立つが良い。やかましいとは思うが、処刑など考えたこともないぞ……」
「有難き幸せに存じます!」
男爵は飛び上がるようにして立つと、侯爵と伯爵と子爵に、領地に戻って選りすぐりの医者を連れてくるよう指示を出した。
チネンタル一族の者たちは、全員で辺境総大将の私室に入り、身なりを整えて戻ってきた。
「ちょっと気になったんだけどよぉ、皇軍ってのは、どこのどいつの私兵団なんだ?」
栗色の髪をした目つきの非常に悪い大男が、太い声で男爵に訊ねた。
「伯爵、皇軍というのは私兵団ではありません。この国の皇帝の軍隊です」
「皇帝ってぇと、アレか! 俺んとこの家のお手伝いさんのテレーゼ。侯爵が『公爵好みの女だぜぇ!』って言うからよぉ、皇都に行かせたんだがよぉ……。その皇帝って野郎が難癖つけて、公爵がテレーゼと結婚できねぇって手紙が来たんだよぉ……」
「伯爵! 私があれほど止めたのに、テレーゼを勝手に皇都に送ったのですか!」
「だってよぉ、公爵の兄貴だってまだ若いからよぉ……。奥さんがいたっていいだろぉ……!」
伯爵はうなだれて、大きな身体の横で拳を固めた。
「つまり、公爵の結婚の邪魔をしてるクソ野郎の私兵団が攻めてきて、ディートマーの弟の嫁さんも大怪我させられたってわけだよね? それってさ、モテない野郎が僻んでるんじゃないの? 腹立つよね!」
赤毛の小柄な男が、他の三人を見まわした。
「そいつはたしかに腹立つな……。野郎ども、ぶちのめすか……!」
男爵が低く言った。
「決ぃぃまりだぜええぇぇっ! 皇帝とかいうクソ野郎の私兵団をぶっ潰してやるぜえええぇぇぇぇー!」
拳を振り上げた侯爵の言葉に呼応して、他の三人も拳を振り上げ、全員が奇妙な雄叫びを上げた。
侯爵が男爵に背中を押されてウルバンの前にやって来て、四人でひざまずいて出立の挨拶をした。
四人は『皇帝とかいうクソ野郎の私兵団』をどうぶちのめすか相談しながら、それぞれの領地へと帰っていった。
「んじゃ、まあ、いろいろお取込み中みたいだし、自分は酒場に行って、パンデアージェン男爵とでも飲んでくらぁな」
ボードゥアンがひらひらと手をふりつつ、辺境総大将の私室に入っていった。
「パンデアージェン男爵!?」
「そうだよ。皇都では俺が辺境王アロイス・ホーランってことになってるだろ。お前の爵位をもらっちゃって悪いと思って。レネーに言ったら、パンデアージェン男爵がもう引退したがってるって噂を教えてくれてさぁ。喜べ、弟よ! 今度の爵位は、馴染みのある領地付きの男爵位だ!」
ボードゥアンが枯葉色をしたウッタイ軍の軍服と平たい軍帽を身につけて、辺境総大将の私室から出てきた。
ボードゥアンは拳から人差し指と中指を立ててこめかみに当てる、ウッタイ軍流の挨拶をして、チネンタル一族の後を追うように歩いていった。
「ディートマー……!」
ウルバンは固めた拳を震わせた。ウルバンにはもはや、なにからこの兄を責めたらいいのかわからなかった。
「おい、ウルバンの旦那。嫁さんはあんたの寝台に寝かせたが、今にも息絶えそうな勢いで弱ってるぜ……」
レネーが辺境総大将の私室から出てきた。
ウルバンは慌てて辺境総大将の私室にある、自分の寝台に向かった。
コリーナは蒼白な顔でぐったりと寝台に横たわり、息をしているのかもよくわからない程だった。
「ウルバン、俺の嫁さんはどうしてこんなことになってるんだよ? 婚礼行列をして兵営に来るってだけだろ? なにしてたんだよ? 無理せず休み休み来ればいいのに」
「ディートマー、そいつは俺が説明してやるから。ちょっと部屋から出ようぜ。軍医も呼んでこないといけないだろ」
レネーがディートマーの腕をつかんで、辺境総大将の私室から出て行った。
「貴女の志をここで潰えさせたりはしない」
ウルバンはコリーナの手をとると、そっと手の甲に口づけた。そのままその手を両手で包み、顔を伏せ、黙って涙を流した。
そのまま、どれだけの時間がたっただろうか。
部屋のドアがノックされた。
「俺は、我が救世主に従い、血肉と、心、魂をもって尽くす」
ウルバンは小声で言うと、拳で自分の胸を叩いた。辺境軍の軍人が命を賭ける時にする、誓いの所作だった。
ウルバンは拳の裏で涙を拭うと立ち上がり、無意識のうちに「クーン」と一声鳴いてから、女性軍医と入れ替わりで辺境総大将の私室から立ち去った。




