4.集結地
ウルバンが気を失ったコリーナと共に、集結地に到着した時にはもう、あたりは真っ暗になっていた。
すでに集結地には幕舎が用意され、松明が陣営内を明るく照らしていた。
ウルバンは出迎えた兵士に馬を預け、コリーナを抱えて、辺境王とザーランド公爵家の紋章が並べられた、豪華絢爛たる幕舎へと向かった。
幕舎の前には、ツァハリアスが歩哨のように立っていた。
「コリーナ! ウルバン将軍!」
ツァハリアスがウルバンとコリーナの姿に気づいて駆け寄った。
「コリーナ、どうしたんだい!? 怪我したのかい!?」
「いえ、ただ気を失っておられます」
ウルバンが答えた。
「そうなのかい……。ウルバン将軍、お嬢様を守ってくれて感謝する」
ツァハリアスがひざまずき、ウルバンに礼を言った。
「……自分のような者に、そのようなことをなさらないでください。妃殿下を幕舎で休ませます」
ウルバンが言うと、ツァハリアスが立ち上がった。
「コリーナから言伝を預かっているんだ。『豪華な幕舎は敵を誘うために使え』とのことだ。コリーナはあちらの、ザーランド公爵家の護衛兵の幕舎に運んでやってよ」
ツァハリアスが示したのは、使い古された小ぶりな幕舎だった。
「あちら!? あちらへ!? 本当にあちらで良いのですか!?」
ウルバンは腕の中のコリーナと幕舎を見比べた。
「やっぱりそう思うよね」
ツァハリアスが苦笑した。
「ええ、まあ……」
ウルバンは困惑しながら同意した。この旅は、ウルバンにはわけのわからないことばかりだった。
「コリーナが、自分が動けない場合に備えて用意させていたんだよ。まあ、入ってみてよ」
ツァハリアスはいたずらっぽくウインクした。
ウルバンはさらに困惑を深めた表情で、「はい……」とだけ答えた。
「妃殿下をお渡しいたします」
ウルバンは小声で言って、ツァハリアスにコリーナを渡そうとした。
「僕に? どうしてだい? 君が連れて行って、一緒に休むといいよ。疲れただろう?」
「『卑しい半獣半人』が妃殿下をお連れしてよいのですか?」
「それなんだけど、ここでも誰か、僕らのこと見張ってるのかな? 霧も出てきたし、こちらの様子なんて見えないんじゃない? 僕はまだ演技を続けないといけないのかなぁ……。この軽薄そうな服も着替えたいよ」
「妃殿下のご意思なら従った方がよいかと……。この方が妃殿下ご本人なのですよね?」
「ああ、本人さ! やっぱり僕は、君が疲れていることの方がずっと気になるな! コリーナと一緒に幕舎で休んでくるといいよ。君がコリーナになにかする気なら、ここに来るまでにしてただろうけど、そんな様子もないしね。まだまだ先の長い旅だよ! しっかり休んで、元気に行こう!」
ツァハリアスは陽気に笑って、ウルバンの背中を叩いた。
「ツァハリアス護衛兵長が、そうおっしゃるのでしたら……」
ウルバンはコリーナを抱え直した。
「ちょっと! あんた、なにやってんのよ!?」
グリゼルダが叫びながら走ってきた。
「グリゼルダか」
と言うウルバンなど無視して、グリゼルダはツァハリアスの腕を引いた。
「ごめんよ……。コリーナが戻ったから……」
「謝るんじゃないわよ! もうっ! あの豪華な幕舎の前で偉そうに立ってなさいって言ったじゃない!」
グリゼルダが小声でツァハリアスを叱った。
「グリゼルダ、苦労をかけるな」
ウルバンが声をかけた。
「まったくよ! こいつ、なんにも考えてないんじゃない!?」
「そこまで言わなくても……」
ツァハリアスがしょんぼりと言った。
「ウルバン将軍に絡まないで! あっちに行って! いっぱい嫌味を言って嫌なヤツ! どれだけ半獣半人を見下したら気が済むの!」
グリゼルダが大声で言いながら、ツァハリアスを連れて行った。
コリーナの意図を汲んでくれたグリゼルダも、任務遂行になかなか苦労しているようだった。
「ウルバン将軍!」
今度は革の鞄を下げた老人が片足を引きずりながら寄ってきた。
「ボドじいさん、妃殿下を診てやってくれ」
「その前に一つよろしいか」
軍医はウルバンに向かってひざまずいた。
「なんだ?」
「あのツァハリアス護衛兵長だが、妃殿下になにを命じられているのか知らんが、なかなか気の良い若者ですわい」
「……」
ウルバンはため息をついた。
「この老いぼれが山道で足を挫いたら、自分の馬に乗せてここまで連れてきてくれましたわい。他の怪我人も乗せて、自分は馬を引いて歩いておられましたわ」
「そんな話は後にしてくれないか。妃殿下を休ませる」
ウルバンは幕舎へと歩き出した。数歩進んでから、ふり返った。
ボドはひざまずいたままでいた。
「誰を診るか決めるのは、この老いぼれだろうて」
「気を失う前、妃殿下は様子がおかしかった。診てやってほしい」
「我らの総大将様は、こんな気性の老いぼれを気に入って、おそばに置いてくださってるんだと思ったが」
「……それは診る気がないということか。ならば、ザーランド公爵家の医師に診せるだけだ」
再び歩き出したウルバンの背に、ボドが怒鳴った。
「たとえ総大将様の奥方だろうと、一人で逃げ出す貴族の女を診てやる時間なぞ、この先の短い老いぼれには、ありませんや!」
ウルバンがまた足を止めた。
「ウルバン将軍……。妃殿下には、たしかに総大将様のお命を救っていただいとります。我らの総大将様は、妃殿下のおかげで、今や辺境王殿下だ。すごいことだと思っとります」
「ボドじいさん、やめてくれ……」
「総大将様のためなら、命なんぞ惜しくない! 半獣半人を哀れんで、守ってくださる方はこれまでもいなさった。だが、総大将様のように、半獣半人と共に歩んでくださるようなお方は、かつて一人もおらなんだ。総大将様を尊敬しとります。総大将様は立派なお方だから、身勝手で性悪な女でも、恩義を感じて大事になさる……」
「言い過ぎだ」
「……ウルバン将軍もわかっているはずだろうて。その女のウルバン将軍を見る目は……、好いてる相手を見る時のものだ」
「……」
ウルバンはコリーナを抱える腕に力を込めた。
「お二人がここまで来るのに、ずいぶんとお時間がかかりましたな。ウルバン将軍は、もう奥方様のお相手をなさったのか。貴族の女にとっては、半獣半人に相手をさせるなど、物の数にも入らん。多少好いていたとて、半獣半人などただの暇つぶしの道具にすぎんよ」
「ああ、そうだ……。たとえ半獣半人の俺がお相手をしても、妃殿下は辺境王殿下から、不貞を働いたと責められはしない……」
「ウルバン将軍も、身の丈にあった幸せを求めなされ……。半獣半人と人間は婚姻できないのくらい、知っておられるだろうに……。貴族が婚姻するには、貴族の立会人が一人は必要だ。仮に人間と半獣半人が婚姻できたなら、金で立会人になってくれる貧乏な男爵様くらいなら、探せばどこかにおられるかもしれん。だがな、半獣半人にお心までくださる貴族のご令嬢など、この世におるはずなかろうて……」
「わかっている……。ああ、わかっているさ……」
ウルバンは早足でその場を後にした。
ボドが何度もウルバンの名を呼んだが、ウルバンはもう、ふり返ることさえしなかった。