18.辺境王アロイス・ホーラン(中編)
ヨストは馬の腹を蹴り、一気にウルバンとの間合いを詰めた。
ヨストの双剣が唸りながらウルバンに振り下ろされた。ウルバンは馬を操りながらサーベルで、双剣から繰り出される速攻を受け流した。
マッツが戦斧でヨストの背中に斬りつけると、ヨストもまた足で器用に馬を操り、片手の剣で戦斧を弾き飛ばそうとした。
マッツはヨストから距離をとり、彼らに近づいてきたザーランド侯爵の騎士に斬りかかった。殺さない程度にザーランド侯爵の騎士を攻め、ウルバンに挑んでいるヨストの方に誘導した。
「マッツの野郎、鬱陶しいことしやがる!」
ヨストはウルバンを攻めながら、近づいてきたザーランド侯爵の騎士の槍を叩き落とし、容赦なく首を突き刺した。
「お前には殺す前に聞いておきてぇこともあったが、お嬢様の名誉に関わるからな。こんなところじゃ話せねぇのが残念だ!」
「ヨスト私兵長、俺もお前を殺す前に聞いておきたいのだが、お前のお嬢様のウルバンというのは、ザーランド公爵家の下男か? 馬丁か? なにをしていた半獣半人だ?」
「誰だって……? お嬢様のウルバン……!?」
「コリーナ嬢が夜中にうなされながら呼ぶ……」
「このクソ野郎! 俺はその話をするのを控えたんだろうがっ!」
ヨストはウルバンの言葉をさえぎって叫び、あたりを見まわした。
「マッツ、近くにいるザーランド侯爵の私兵や騎士を全員殺せ! 今の話を聞いてそうなヤツは全員だ! ウルバン、この野郎、お前もやれ!」
怒鳴りながら、ヨストはウルバンから離れると、近くの岩場の陰に馬を進めた。逃げて行くザーランド侯爵の私兵たちの背中を見つけると追って行き、十字に切り裂いて戻ってきた。
マッツとウルバンも手分けして、ザーランド侯爵の私兵や騎士を倒していた。
「ウルバンめ、つまんねぇ策を使いやがって!」
ヨストは見つけ出したザーランド侯爵の私兵を切り倒した。
あたりを見まわしているヨストの目に、エゴンがコリーナたちを連れてやって来る姿が映った。
「ヨスト、あなた、いったいなにをしているの!?」
護衛部隊に守られながら駆けてくるコリーナに問われて、ヨストは半笑いになった。
「いやぁ、なんでしょうね!?」
少し前までならば、ヨストもウルバンを倒すところだと叫んでいただろう。
「おい、そこの輸送兵、お前もここらの私兵や騎士を倒せ! 一人たりとも逃がすな!」
命じられたエゴンが、槍を構えて敵の姿を探した。
「君たちは本当になにをやっているんだい!? 僕たちは君とウルバンが戦っていると聞いて、慌ててやって来たんだよ?」
ヨストとウルバンは、別々な場所で敵と戦っている。手分けして敵を倒しているようにしか見えなかった。
「いや、まあ、いろいろありまして……」
ヨストは言葉を濁した。
「フォルカー、なぜツァハリアス護衛兵長の馬に乗せられているんだ?」
ウルバンはザーランド侯爵の騎士の首を掻き切りながら、ツァハリアスの愛馬の上でおとなしくしているフォルカーを見た。
「彼は緊張しすぎて体調が悪いようなんだ」
答えたのはツァハリアスだった。
「そうでしたか。フォルカー、休んでいなくて大丈夫なのか?」
「情夫の心配ばかりしてるんじゃねぇよ! いや、人間サマは奴隷を情夫とは呼ばねぇか!」
ヨストが怒りに任せて、敵兵を引き裂いた。
「人間サマだって?」
ツァハリアスが眉根を寄せた。
「そこで敵を狩ってる、『名字持ち』なのを隠してやがった、本物の辺境王殿下のことですよ」
ヨストは剣の先でウルバンを指し示した。
「『名字持ち』とはなんなの?」
コリーナにとっては、初めて聞く言葉だった。
「ああ、コリーナは知らなかったのかい。半獣半人には名字がないから、名字がある人間のことを『名字持ち』と呼ぶことがあるんだよ」
同様の人間への蔑称として『氏持ち』、『下の名持ち』、『姓有り』などがある。
「それは……、普通に知られていることなの……?」
コリーナは呆然としてツァハリアスを見た。
「半獣半人には名字がないということかい? みんな知っていると思っていたけど……。君は皇太子の許嫁だったから、半獣半人についてなんて知る機会もなかったのかな?」
コリーナが皇后となるべく学ばされていたことは、宮廷と後宮で役立つものばかり。平民や、奴隷である半獣半人についてなど、誰もコリーナに教えてくれはしなかった。
「ヨスト私兵長、ウルバン将軍には名字があるのかい? 彼が人間で、辺境王アロイス殿下だというのかい!?」
ヨストに確認しているツァハリアスの声が、コリーナにはひどく遠くに聞こえた。
「ええ。ウルバン・ホーランだったか……? ザーランド侯爵の野郎、かなり本気で辺境王を討つつもりだったみたいで、辺境王の顔を知ってる元辺境軍の逃亡兵を買ってきてやがりましてね。ヤツらがそんな風に呼んでましたよ」
『俺の名はウルバン・レミッシュだ』
牢の中でウルバンは、座り込んで泣いているコリーナにささやいた。
あのやさしい声音は、コリーナにこっそり『自分は人間だ』と教えて、安心させようとしてくれていたのだ。
「あなた……、人間だったのね……」
コリーナは前世でのウルバンに向かってつぶやいた。
金で爵位を買った者は、『名二つ』という蔑称で呼ばれることがある。平民だった頃の名前と、購入した貴族の名前の二つを持つことになるからだ。
ウルバンを例に、この二つの名前を説明しよう。
『平民名』とも呼ばれる、彼の元からの名前がウルバン・レミッシュ。
『貴族名』とも呼ばれる、彼が購入した王侯貴族認定証に書かれており、戸籍管理局で新たな彼の名前として登録されたのが、アロイス・ホーラン。
特別な理由がない限り、爵位を購入し、戸籍管理局で名前の変更登録をした後は、『貴族名』を名乗ることになる。それも当然だろう。貴族として扱われたいがために、高い金を払って爵位を購入したのだから。
しかしながら、生まれた時から使っていた『平民名』に愛着のある者は多い。彼らは、どうせ購入するならば『平民名』に近い『貴族名』をと考える。
歌曲『レアイヒロ峠の白い魔女』に出てくるオイゲンも、歌詞に『名前はオイゲンのままだったが、妻の知らない男になっていた』とあるように、オイゲンという名前の『貴族名』の男爵位を買ったのだろう。
ウルバンは二年という歳月をかけ、傭兵という過酷な仕事で爵位の購入資金を工面した。潤沢な資金を有していたわけではない彼には、おそらく、その時に最も安い値段がついていた男爵位しか購入できなかったのだろう。
その結果が『平民名』とはかけ離れた『貴族名』。『安い名前』という端的な蔑称で呼ばれるそれだった。




