17.ザーランド侯爵の私兵(後編)
「私は……どうやら仕える主を間違えたようだ」
「ふぇっ!?」
フォルカーが妙な声をもらした。
騎士団長はレイピアを鞘に戻すと、フォルカーを見据えたままひざまずいた。
「今の主、ザーランド侯爵にお暇乞いをしてまいります。貴方こそ、私の真の主。どうか麾下に加えていただきたい。貴方の騎士になりたいのです」
騎士団長は熱っぽい目でフォルカーを見上げた。
「あぁー……、私の騎士団はすでに定員を超えているのだ。これ以上の人員は必要としていない」
「あなた、どのあたりで辺境王殿下を真の主だとお思いになったの!?」
「そんな要素なかったよね!?」
ツァハリアスがコリーナをふり返り、コリーナがうなずいた。
「辺境王妃殿下ならば、おわかりになるはずだ! このような美しい男を殺そうとするなど、正気のさたではない! 美こそが我らの最大の娯楽ではありませんか!」
コリーナも軍法会議で、美しい男を殺してはいけない、『美こそ我らの娯楽』と訴えたが、それは助命嘆願のためであり、決して本気ではなかった。
今、そのことを持ち出してコリーナに理解を求めるこの男は、見るからに本気で言っていた。
「そうなの……、だろうか……?」
動揺するフォルカーを、コリーナは身を寄せて支えた。
「もちろん、今の主を裏切ることなどできません。ここは退かせていただき、正式にザーランド侯爵家の騎士を辞めてまいります。主を持たぬ身になった時、その時こそ! この私を受け入れていただきたい!」
「いや、いや、だから、もう、そういう人、大勢いて、定員を大幅に、超えちゃってるんだよ」
フォルカーは少し片言になりながら教えた。
「騎士なんて、麾下に何人いても良いものでしょう。己の食い扶持は己でなんとかいたします。ご安心めされよ、未来の我が主!」
「本当に足りてるんだよぉ……」
というフォルカーの訴えに、男は赤い目を細めた。
「実にかわいらしい方だ。こんな方を身代わりに立てるとは、辺境王アロイスの気が知れない」
「いやぁ、私が辺境王アロイス・ホーランだよ?」
フォルカーは引きつった笑いを浮かべた。
「貴方が誰でもかまわない。我が名は、血飛沫舞う赤き瞳のレイピア騎士、ロタール・ラヤン。未来の我が主よ、貴方に命を捧げる男の名だ。覚えておいていただきたい」
男は素早く立ち上がると踵を返し、ザーランド侯爵家の紋章の入ったマントをはためかせながら颯爽と立ち去った。
「なんだ、偽物かよ」
「辺境王が偽物なら、お妃だって本物なわけないよな」
ロタールの配下の騎士たちも、彼らの騎士団を辞める予定らしい男の背中を追って、去っていった。
ロタールと配下の騎士たちの姿が見えなくなると、ツァハリアスが大きく息を吐いた。
「退いてくれたのはよかったけど、彼が本当にロタール・ラヤンなら、ザーランド侯爵家の筆頭騎士団長じゃないか……。筆頭騎士団長が、死ぬか、大怪我か、老いて引退する以外でお暇乞いするなんて、聞いたことがないよ……」
「有名人かなにか知りませんが、俺はもう新しい情報なんて、お腹いっぱいで入らないですよ……」
フォルカーは涙目になっていた。
「フォルカー、あなた、自分の騎士団を持っているの?」
コリーナは顔色のひどく悪いフォルカーの腰を、さらに強く支えてやった。
「いいや、ないですよ! ディートマーが、あっ、俺の弟なんですけど、ウルバンに爵位を買う金を工面しようとしたことがあって。俺を気に入ってる野郎どもから、俺の騎士団の入団料として、金貨一枚を徴収しようとしやがったんですよ!」
「ウルバンに……なんですって!?」
「爵位ですよ! ウルバンの奴、『自分のことだから、金は自分で工面する』って言って、休役制度を使って軍を休んで、二年も俺たちの前から姿を消してさ。パンデアージェン男爵領で傭兵をやって、金貨二十枚を稼いできたんだけど。あの時、ウルバンがディートマーを止めてくれなかったら、俺は二十人規模の騎士団を持つことになってましたよ!」
「自分のこと……? 君、それって、どういうことなんだい!?」
ツァハリアスが大剣を鞘に戻し、フォルカーとコリーナの元に歩いてきた。
「俺の騎士団の定員はゼロだ! 騎士なんか一人だっているもんかっ! なにが色気だ、クソ野郎ども! 俺が好きなのは女だ! 全員、失せやがれ!」
コリーナとツァハリアスが目配せしあった。
ツァハリアスが、力なく荒ぶるフォルカーの横に立った。フォルカーを支える役目を、コリーナから引き継いだ。
「フォルカー、ウルバン将軍は爵位を持っているのかい?」
ツァハリアスはフォルカーの腰を引き寄せた。
「ちょ、ちょっと、なにをしてるんです、ツァハリアス護衛兵長!?」
「ウルバン将軍は半獣半人でありながら、爵位を持っているのかい?」
ツァハリアスはフォルカーに顔を近づけた。
「離せよ! 俺に近寄るな!」
フォルカーはツァハリアスを押しのけようとした。
ツァハリアスは薄く笑って、フォルカーの頬に手を添えた。
「さあ、教えておくれ、僕のかわいい人……」
「最悪だよ、こいつ! 思ってもないこと言うなよ!」
フォルカーが暴れるのを、ツァハリアスは易々と抑えこんだ。
「あなた、正直に言わないと、ずっとそのままツァハリアス護衛兵長に口説かせるわよ! 彼は男女どちらからも口説かれ慣れているわ。口説き文句は尽きないわよ!」
「コリーナ、いつにも増して言ってることがおかしいよ……。別に僕だって慣れてないし……。彼らは金杯王城との繋がりを求めて寄ってきているだけだよ……」
皇都の女性たちから陰で『正統派の王子様』と呼ばれている男が、情けない顔をした。
「わたくしは、それだけではないと思うわ」
コリーナは苦笑した。
「ああ、僕のフォルカー……。君と語り合いたいんだ。ウルバン将軍は爵位を持っているのかい? さあ、無駄な抵抗はやめて、素直になるんだ……。僕の問いに正直に答えておくれ」
「もう、その口調がイヤだ! 俺はなにも言わない! ずっとこうしていたら、そのうちウルバン将軍が戻ってくる! それまで耐えてやる! 本物はもっと気持ち悪くねっとりしてる! お前みたいに爽やかじゃないから!」
フォルカーがわめき散らしているところへ、一人の辺境王妃の私兵が馬に乗って駆けてきた。
「妃殿下! 自分は輸送兵のエゴンであります! アイケ輸送兵長の指示で参りました! ヨストさんが錯乱して、ウルバン将軍に挑んでます! ――って、うおぁっ! そちらのお二人は抱き合ってなにをしてられるんです!?」
報告した長身の若い兵士は、ツァハリアスとフォルカーを見て琥珀色の目を見開いた。彼の首からこめかみにかけてを覆う独特な毛の模様から、彼がキリンの半獣半人なのが見て取れた。
「介抱してるんだよ! わからないのかい!? フォルカーは緊張しすぎて倒れそうなんだ!」
ツァハリアスがふらつくフォルカーを抱え上げた。
フォルカーは、もはやなにも言わなかった。
「僕と妃殿下に馬を!」
二人の兵士が白馬を二頭連れてきた。
ツァハリアスはフォルカーを愛馬に乗せ、自らも後ろにまたがった。
コリーナもドレスのまま騎乗した。
「エゴン、案内してちょうだい!」
コリーナが命じると、エゴンは馬を返して走り出した。




