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死に戻り令嬢は皇太子と婚約破棄して辺境王の許嫁になり国を救いましたが愛しているのは一緒に処刑された男です  作者: 赤林檎


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2.辺境王妃の婚礼行列

 皇都ギムラから国境地帯カーマレッキスまでは、早馬でも十日、貴族のご婦人用の馬車では一ヶ月はかかると言われていた。


 その道のりを、一台の馬車が行く。


 緋色に塗られ、黄金の装飾がなされたこの馬車には、小さな旗が掲げられていた。辺境王の紋章のついた旗と、ザーランド公爵家の紋章のついた旗。

 嫁入りの時にだけ使われる、四頭の白馬に引かせた豪華絢爛たる婚礼馬車だった。


 この馬車には二組の護衛部隊がついていた。

 一組は、アロイスの腹心である将軍、ウルバンの率いる一隊。

 もう一組は、ザーランド公爵家の護衛兵。こちらは、コリーナが叔父であるエクベルトから結婚祝いとして贈られ、ザーランド公爵家の私兵となった者たちである。コリーナの婚礼行列の護衛兵長を務めるツァハリアスが率いる彼らは、ザーランド公爵家の使用人に扮していた。

 それぞれ約百人からなる精鋭部隊だった。



「まだまだ時間はありそうね」

 コリーナは読んでいた兵法書から顔を上げ、馬車の外を見た。

 ガラスのはめ込まれた窓の外には、皇都ギムラとは川を隔てて隣りあう田園地帯スガイシの、のどかな風景が広がっていた。


「お嬢様、現在地を確認いたしますね」

 コリーナの隣に座っていた中年の乳母のギーゼラが、窓を引き開けて、白いハンカチを振った。

 ツァハリアスが、黒いリボンで一つに結んだ金髪をなびかせながら、すぐに白い愛馬を走らせ近づいてきた。

「お嬢様が現在地を気にされていますよ」

 ツァハリアスは大きくうなずいた。

「そろそろスガイシの外れ、レアイヒロ峠にさしかかります」

「峠……。つまり山道に入るということね」

 コリーナは確認した。

「お嬢様、その通りでございます。――コリーナ、こんな感じでどうかな? 婚礼行列の護衛兵長っぽいかい?」

 ツァハリアスが照れ笑いをした。貴族の婚礼行列の護衛兵長は、見栄えの良い男が花嫁を先導し、婚礼に花を添える役目を担っていた。

「その調子で頼むわ。ありがとう、ツァハリアス」

 コリーナがほほ笑むと、コリーナの幼馴染はほんのり頬を染めて愛馬を繰り、馬車から離れていった。


「お嬢様、今日もツァハリアス様はなんて凛々しくて素敵なのでしょう! まさに『正統派の王子様』です! あれほど見目麗しい方に先導されて婚礼行列をされるご令嬢なんて、この国ではお嬢様だけです!」

 金髪のギーゼラの正面に座っている、こちらも金髪の侍女のシシーが、うっとりとした目で窓の外を見つめた。

「お嬢様の前でまで、おやめなさい」

 ギーゼラがたしなめ、「はしたない」と眉を吊り上げた。

「いいのよ、わたくしは気にしていないわ」

 コリーナはシシーに笑って見せた。


「お嬢様、他の使用人に示しがつきません!」

「いつも言っているじゃない。シシーはわたくしと共に育った妹も同然の子よ。わたくしはシシーが楽しそうにしているのを見るのが好きなの」

「お嬢様、この世でツァハリアス様よりも素敵な方は、辺境王殿下だけですね! ああ、ギーゼラ様にも、あの美しい辺境王殿下のお姿をお見せしたかったです!」

 シシーが無邪気な笑顔を浮かべた。そんなシシーの両頬は、赤く腫れていた。


(ごめんなさいね、シシー)

 コリーナがアロイスの命乞いをした、あの軍法会議の見学に付き添っていた侍女がシシーだった。

 軍法会議の後、シシーはコリーナを止められなかった罰として、木の懲罰板で両頬を十回ずつ叩かれた。

 最初は両親がシシーを殺すと言っていたところを、コリーナが哀願して罰を与えるだけにしてもらった。さらに頼み込んで叩く回数も減らしてもらい、叩くのさえメイド頭に任せるのではなくコリーナ自身がした。

 それでもシシーの頬は、かなり腫れた。コリーナが医師に診せて薬を処方させたが、まだ腫れは引いていなかった。


「なにが美しい辺境王殿下です! 王位を賜ったからと調子にのっているに違いありません! 急報が届いたかなにか知りませんが、お嬢様との挙式もせず前線に戻るなど、ザーランド公爵家を下に見ているのです!」

 ギーゼラが悔し気にハンカチを握りしめた。

「辺境王殿下は皇帝陛下の命に従っただけよ。それに、わたくしはこれで良かったと思っているのよ。こうして気心の知れたあなたたちと、この馬車でのんびり旅ができるんですもの。辺境王殿下が一緒なら、きっとこうして楽しくおしゃべりすることなんてできなかったわ」

 アロイスとの愛のない婚姻を思い出し、コリーナの心は暗く沈んだ。


(お命をお助けするためとはいえ、辺境王殿下に望まぬ結婚をさせてしまった……。申し訳ないことをしたわ。わたくしはきっと恨まれているわね……)


 コリーナは己が冷遇されるであろうことは、仕方がないことと覚悟していた。たとえコリーナが正妃であっても、アロイスから冷遇されていたら、寵愛されている側室には敵わないだろう。

 コリーナの連れてきた使用人たちも、肩身の狭い思をし、側室から虐待されたり、時には命を奪われるかもしれない。コリーナがどんなに心を砕いたところで、使用人たちを完全には守ることはできないだろう。


(いけない! 今はそれどころではなかったわ。山道に入るなら、地形を確認しておかなくては!)

 コリーナは開いたままだった兵法書を閉じ、シシーに命じて、ウルバンとツァハリアスを呼び寄せた。

 コリーナは馬車を止めさせて、外に出た。先ほどまで読んでいた兵法書の内容を思い出し、胸に手を当て目を閉じた。

(『わたくしはウルバン将軍を好ましく思っているし、ウルバン将軍もわたくしに好意的。わたくしたちはきっとうまくやっていける』)

 コリーナは兵法書に書かれていた『ささやかな交渉魔法』を心の内で唱えた。

(この世に魔法などという都合の良いものはない……。この『魔法』だって、『気持ちによってなにかが変わる』と書かれていただけよ。けれど、少しでもなにか効果がある可能性があるならば、わたくしはなんだってやってみるわ)

 コリーナは決意を胸に目を開き、数歩進み出た。


 ウルバンがコリーナの前で、長身を折り曲げてひざまずいた。実戦によって鍛え抜かれた頑健な体躯に、軍法会議の時のアロイスと同じ黒の軍服をまとっていた。彼の腰に下げられているのは、使い込まれたサーベルだった。


 ツァハリアスも直立して右手のひらを胸に当て、武人の礼をもってコリーナを迎えた。彼の装いは、フリルの多い派手な白シャツと軽薄そうな黄金色のパンツ。腰には、この旅立ちに際してザーランド公爵から贈られた、新品の金のレイピアが下がっていた。


「二人とも楽にしてちょうだい。誰か、このあたりの詳しい地図はあるかしら?」

「お嬢様が地図をご覧になるのですか!?」

 ギーゼラが驚きの声を上げた。

「そうよ」

「地図など御者や兵士の見る物ではないですか!」

「あら、そんなことないわ」

 コリーナが困ったように笑うと、ギーゼラは「失礼いたしました、お嬢様」と詫びた。


 ザーランド公爵家の護衛兵の一人が地図を持ってきて、シシーに渡した。

 ギーゼラとシシーが、コリーナに見えるように地図を広げた。

 コリーナは地図を見つめて地形を確認し始めた。


「ザーランド公爵令嬢様が、なぜ地図などご覧になるのですか?」

 ウルバンは、コリーナの楽にしろという指示には従わないまま、どこか横柄に訊ねた。

(今のわたくしは、あなたの考えているような、『愚かなザーランド公爵令嬢様』ではないわよ)

 コリーナは片方の唇の端を引き上げた。

「なぜだと思う?」

 コリーナは問い返した。

(ウルバン将軍、あなたはわたくしを知らないでしょうけれど、前世でのわたくしがあなたを知っているわ。あなたのホーラン男爵への忠誠心、辺境軍でどれだけ慕われているか、そして、その強さとやさしさも……)

 コリーナはウルバンの、幾筋かの編み込みによって粗野に束ねられた黒髪を見つめた。

(――ウルバン・レミッシュ。前世でのわたくしの、一夜限りの夫)

 コリーナが火炙りに処される前夜、ウルバンは併合国家ウッタイの兵士によって、コリーナのいる牢に連れてこられた。皇太子妃の座を約束された高貴な令嬢を辱めるための、『卑しい半獣半人』として――。


「愚か者故、なぜ地図などご覧になりたいのか、まるでわかりかねます。どうぞお許しください」

 ウルバンの口調は、内容に反して皮肉に満ちていた。

「ウルバン将軍、わたくしは伏兵を心配しているの」

「伏兵……? ザーランド公爵令嬢様は今、伏兵、とおっしゃいましたか……?」

 ウルバンは空色の目を見開き、不作法にもコリーナを見上げた。その顔には、端正な顔立ちを隠すように無精ひげが生やされていて、彼の年齢を実際よりも年嵩に見せていた。

「ええ、伏兵よ」

 コリーナはうなずいた。


「お嬢様を睨みつけるなど、無礼にもほどがあります!」

 シシーがウルバンを責めた。

「いいのよ、シシー」

「ですが、お嬢様!」

 シシーが悲鳴のような声を上げた。


「シシー、わたくしは気にしていないわ。ウルバン将軍、峠には細い道が多いでしょう? 待ち伏せされて挟み撃ちされたら、ひとたまりもないわ」

「たしかにその通りですが……、いったい誰が襲ってくるとお考えなのですか?」

「誰とは言えないけれど、襲ってくる理由ならば二つあるわ。ザーランド公爵家の令嬢が、辺境軍の『無敵の戦神』アロイス・ホーラン様に嫁ぐのよ。ザーランド公爵家が婿殿と共に手に入れる強大な辺境軍の力は、この国の兵権を握るのと同等。これを脅威と考える者がいるでしょう」

「兵権……」

 ウルバンがつぶやく。

「初代皇帝アンゼルム・ナウサの血筋を重く考えている者も、わたくしを放っておくとは思えないわ。今の皇帝陛下の姪であるわたくしが、庶民の出の軍人に嫁ぐのよ。わたくしの婚姻は皇帝陛下が皇族と上級貴族の前で命じたもの。覆すことは難しいわ。わたくしを殺すことで解決したいでしょうね」

「……わかりました。自分のような者に、丁寧なご説明をありがとうございます」

 ウルバンは静かに言った。


「ウルバン将軍、わたくしはこの地図から、いつも正確に物事を読み取れるなどと言うつもりはないわ。わたくしがなにかを見誤っていて、実戦経験の豊富なあなたの方が、正しい判断ができるということもあるでしょう。そのことを忘れてはならないわ。いいわね?」

「はっ、承知いたしました」

 ウルバンの声音からは、横柄さが消えていた。

「もちろん、わたくしも最善を尽くします。戦に勝敗はつきものだけれど、なるべく良い結果になるようにしていきたいと思っているわ」

「……お気持ちが理解できました。これまでのご無礼をお許しください」

「許すわ。わたくしはあなた方と、今この時を共にできることをうれしく思っています」

 コリーナはウルバンから辺境軍の兵士たちへと視線を移した。


 ウルバンが立ち上がった。武骨な指輪をはめた右手で拳を作り、天に掲げた。

「辺境軍の兵士は聞け! これより我らは、こちらの『辺境王妃殿下』に従う! 妃殿下に我らの血肉と心、魂をもって尽くすのだ!」

 ウルバンが叫び、辺境軍の兵士たちが「妃殿下に我らの血肉と心、魂を!」と返すことで応えた。

「妃殿下、我らは武骨な軍人共です。驚かれたことでしょうが、お許しいただきたい」

 ウルバンは下した右の拳で胸を叩いた。辺境軍の軍人が命を賭ける時にする、誓いの所作だった。

「いいえ、頼もしいわ。ウルバン将軍、ツァハリアス護衛兵長も、こちらに来て。一緒にこの地図を見ましょう」

 コリーナはウルバンとツァハリアスにほほ笑みかけた。

「はっ」

 ウルバンは短く応えると、大股で一歩近づいて地図をのぞき込んだ。ツァハリアスもその隣に並んだ。


「どの道も狭そうだわ。……この目立つ馬車を捨てていきたいところだけれど、今後の辺境王殿下のご威光のことを考えると、それもできないわね」

 コリーナは地図の上に指を滑らせて、いくつかのルートをたどってみた。


 地図から顔を上げたコリーナは、長い婚礼行列を見た。

「この隊列も、このまま伸びきらせておくわけにはいかないわよね」

「お嬢様……、隊列とは……? 楽隊に演奏をさせるというお話ですか?」

 ギーゼラが不思議そうに言った。

「戦の陣形の話をしているのよ。このまま長い行列で進んでいくよりも、なるべくみんなで集まっていた方が、攻めたり守ったりしやすいものなの」

 コリーナが教えると、ギーゼラは考え込んだ。


「ザーランド公爵家の使用人は、どの程度戦えるのですか?」

 ウルバンがザーランド公爵家の使用人たちに目をやる。彼らはどこか不揃いな感じがあり、寄せ集められた者たちのように見えた。

 彼らは、元は金杯王の武芸を慕って金杯王城に集まった、様々な経歴を持つ武人たちだった。使用人や私兵として見た場合、かなりの違和感があって当然だった。


「わたくしがお父さまに頼み込んで、乗馬のできるこの侍女と乳母の二人以外は、ツァハリアス護衛兵長の配下に使用人の格好をさせて婚礼行列に並ばせているの。それなりの戦力になるはずよ」

「あら、だからだったのですね! みんなどこかで見たことのある方たちなのに、館や領地の使用人ではないんですもの。どういうことなのかと思っていました」

 シシーが納得したというように笑った。


 コリーナは地図に目を戻した。

(馬車を守りつつ、峠のどこかで襲い来るだろう敵を迎え撃つ……。戦力も今から減らしたくはないわ……)

 コリーナはここに至るまでに読むことのできた兵法書を必死で思い出しながら、地図に描かれた記号を頼りに地形を想像した。


「シシー、ここでお茶にすることにするわ。使用人に準備をさせてちょうだい」

 コリーナが命じると、シシーが後ろに控えていたメイド頭の格好をした者に指示を与えた。

「お茶……。お茶ですか」

 ウルバンが訝し気にコリーナを見た。

「きっとわたくしたちに敵対する誰かが、今もこうしているわたくしたちを見張っているはずよ。このままただ立ち話をしていると、怪しまれるかもしれないわ。わたくしがこの田園の真ん中でお茶でも飲んでみせたら、『身勝手な公爵令嬢が、軍人相手にわがままを言って困らせていたのだ』とでも思ってもらえると思うの」

「お嬢様……、いったいどうなさったのですか? これまでのお嬢様とは、あまりにも違います」

 シシーが不安そうに訊ねた。

「婚姻こそまだだけれど、わたくしはもう皇帝陛下の命で辺境王妃となることが決まり、婚礼行列をしている身。これまでと同じではいられないのよ。……わたくしの呼び方も、勅命に沿ったものに改めた方がいいわ」

「……申し訳ありませんでした、辺境王妃殿下」

 ギーゼラとシシーが『お嬢様』と呼び続けていた無礼を詫びた。


 皇帝から賜った婚姻が先延ばしになった上、婚家まで婚礼行列で旅をする令嬢の正しい呼称などというものを、この場の誰も知らなかった。文献を漁れば、過去には同じような事態に陥った女性もいたのかもしれないが、彼女らが道中どう呼ばれていたのかなど一般には知られていない。


 皇帝に敬意を払い、その命により婚姻がすでに成ったと見なして、『辺境王妃殿下』と呼ぶことが儀礼的に正しいのか。

 婚礼行列の最中であることを踏まえて『新婦』や『花嫁』と呼べば、現実に即しているから良しとされるのか。

 戸籍管理局に出向いていない以上はまだ未婚なので、皇帝のことなど考えず、戸籍に沿って『お嬢様』のままこそ正解なのか。


 皇帝の持つ絶大な権力を考えると、皇帝に敬意を払っている体で『辺境王妃殿下』と呼ぶことが、最も無難で安全性が高いだろう。

 コリーナと辺境軍の兵士たちは、保身も考えて『辺境王妃殿下』を選んだようだった。


「ウルバン将軍、ツァハリアス護衛兵長、わたくしのお茶会の守備を固めるという名目ができたわ。山道に入っても良いよう、陣形を整えてちょうだい」

 二人の武人はコリーナの命に従い、それぞれの部下に移動するよう指示を出した。


「二人とも、地図を見て。ここ……、この井戸のマークのところを本陣にしたいと思うの。どうかしら? 長く留まるつもりはないけれど、水源は確保しておきたいと思うのよ」

「お嬢様、こちらに川もありますが……」

 ツァハリアスが、井戸から少し離れた場所を流れる川を指でなぞった。

「川は上流から毒を流されるのが怖いわ」

「毒を流す……ですか」

 ウルバンが困惑した目でコリーナを見た。川に毒を流されることを警戒するなど、深窓の令嬢の考えることではなかった。


「自分のような者がこのようなことを言うのもなんですが……。妃殿下の身代わりのお方ならば、もう少し貴族のご令嬢らしくしていただいた方が良いかと……」

「ウルバン将軍、どこかから連れてきた身代わりの娘だと思うだろう? それがさ、コリーナ・ザーランド本人なんだよね……」

 ツァハリアスは気さくにウルバンの腕を二回叩いた。


「ご令嬢の身代わりにされた方が、なんとか生き残るために知恵を振り絞っているようにしか見えませんが……。身代わりなら身代わりだと、正直に言っていただかなくては困ります。どういうお方かわからなくては、こちらも守り切れません」

「身代わりの者だったらどんなに良かったか! 別な者を用意しさえすれば、それで済むのですからね!」

 ギーゼラが小声で絞り出すように言った。


「この方よりお顔立ちなどが似ていなくても、もう少しご令嬢らしく振る舞える方をご用意された方が……。これでは貴族のご令嬢というより軍師です」

「ウルバン将軍、見損なわないで。わたくしは自分の身代わりの者に危険を押しつけるような、そんな卑怯な真似はしないわ。――生き残るために知恵を絞っていると言ったわね。貴族の令嬢であっても、生き残るための努力くらいするわ」

 コリーナの強い眼差しが、ウルバンにまっすぐに向けられた。


 ウルバンは小さく息を吐いた。

「自分が任されたのは、『辺境王殿下のお妃様』をお守りすることです。こちらの『辺境王妃殿下』をお守りすることが、『辺境王殿下のお妃様』を安全に辺境王殿下の元にお届けするお役に立つならば、精一杯務めさせていただきます」

「わたくしはそんなに偽者に見えるの?」

「それはまあ……、そうですとしか言いようがないですね……」


 コリーナは少し考えてから、艶然とほほ笑んだ。

「これはむしろ上策なのではないかしら?」

「……どういう意味でしょうか?」

 ウルバンは眉根を寄せ、腕を組んだ。

「わたくしが『身代わりの娘』に見えるならば、刺客たちは存在しない『本物の辺境王妃』を探しまわるはずよ。わたくしたちの道行きが少しは楽になりそうで良かったわ」

「おっしゃることがすべて本当ならば、上策と言えなくもないでしょうが……」

「上策であれ、下策であれ、わたくしは令嬢らしくなど、するつもりはないわ」

「いや、そこは、多少はご令嬢らしくしていただいた方が……」


 説得を試みるウルバンの背中を、ツァハリアスが軽く叩いた。

「僕らもだいぶ説得したんだけどね……。兵法書を読むのもやめないし、馬に乗れない者は絶対に連れて行かないって言うし……。君も諦めた方がいいよ……」

「もしや、こちらの金髪の侍女殿が本物の辺境王妃殿下でしょうか?」

 ウルバンはシシーを見た。

「妃殿下、やはり服を取り替えていただけませんか? 令嬢のふりがしてみたいです!」

 シシーはコリーナの腕に抱きついてねだった。

「シシー、だめよ。あなたには他にお願いしていることがあるでしょう?」

「そちらもこなしつつ、妃殿下のふりをするくらいできます。妃殿下のドレスを着させてください」

「たとえあなたにでも、わたくしは自分の危険を押しつけたりしないわ。そのような生き方をしたくないの。この状況はわたくしが招いたのよ。自分の選んだ道がどんなものか、自分で歩んでみるわ」

 コリーナはやさしくシシーの腕を解いた。


「ツァハリアス護衛兵長、この井戸は、単独の湧き水の井戸なのよね?」

 コリーナは改めて地図を示すことで、自身が本物か偽者かという話を終わらせた。

「はい、お嬢様。部下に確認させております」

「地下水脈に毒を入れられる心配もないわ。やはり陣を張るなら、ここが良さそうね。このレアイヒロ峠での、いざという時の集結地もここにしましょう。二人とも、兵士たちに伝えておいてちょうだいね」

 コリーナは二人と共に、その井戸に至るルートのいくつかを検討し、二番目に広い道を行くことにした。


 コリーナの指示で、二人が偵察兵を送り出した。本当に進む予定の二番目に広い道にはベテランの偵察兵を少数。一番広い道にも、それなりの偵察兵を多数送った。


 作戦会議をしているうちに、お茶会の準備が整った。

「お嬢様、お茶の用意ができました」

 シシーがコリーナに伝えると、ギーゼラが地図をしまいながら「辺境王妃殿下とお呼びなさい」と叱った。

「あっ、そうでした! 大変失礼いたしました、妃殿下。どうぞこちらへ」

 シシーが示す先には、刺繍入りのクロスをかけられたテーブルと猫足の椅子。テーブルの上には、ザーランド公爵家の紋章の入ったティーセットが置かれていた。


「この機会にウルバン将軍とツァハリアス護衛兵長と、ゆっくりおしゃべりしてみたいわ。二人にわたくしと同席することを許します」

 コリーナの言葉を聞いたウルバンが、その場でまたひざまずいた。

「妃殿下に一つお知らせしておきたいことが……」

「あら、なにかしら?」

「妃殿下……」

 ウルバンがどこか苦し気にコリーナを呼んだ。

「どうしたというの?」

 コリーナはツァハリアスを見た。ツァハリアスは硬い表情でコリーナを見つめ返した。

 ツァハリアスは、なにか気合を入れるように、拳を握りしめた。


「妃殿下、我らの中隊にいる者らは、全員が『卑しい半獣半人』なのです」

「半獣半人だと! それは君もということなのか、ウルバン将軍!」

 ツァハリアスがものすごい棒読みで問うと、ウルバンはあっけにとられながらも「自分も……『卑しい半獣半人』です」と答えた。


「ハハッ、半獣半人だって? 獣人なら獣の特殊能力があるだけまだましだ! 今では獣人には希少価値もあるからね。それが、半獣半人だと! 獣人と人間の悪いところしか受け継がず、この世に生を受けると言われている、半獣半人だとはな!」

 ツァハリアスはどこか乾いた笑い声と共に、金のレイピアを抜いて、その切っ先をウルバンに向けた。

「そんな大事なことを隠していたなんて! 君はもっと前に申し出るべきだったんじゃないのか!?」

 ツァハリアスは大声を出した。その声はだいぶ裏返っていた。


「ツァハリアス護衛兵長!」

 コリーナが呼んだが、ツァハリアスはコリーナに向かって、どこか不敵に笑って見せただけだった。


 ウルバンの近くにいたザーランド公爵家の護衛兵が二人、素早くウルバンの両隣りに移動した。

「ウルバン将軍、お許しください。護衛兵長殿は、おそらく妃殿下の命を受けているのです。半獣半人を悪く言うようなお方では……。本当は人が良く、やさしいお方なのです」

「護衛兵長殿は、きっとなにか使命を帯びておられるのです。とにかくすごくいい方なんですよ……。お怒りなら、どうかこの私に……。殺すなら私を……」

 二人同時に言うと、二人とも、急いでまた元の位置まで戻っていった。

 ウルバンはまたも困惑した顔をしたが、すぐに表情を引き締めた。


「妃殿下、自分の落ち度です。お伝えするのが遅れてしまい、申し訳ありません」

「なあ、ウルバン将軍! これから、この僕、いずれ金杯王エクベルト殿下の養子に迎えられるだろうこの僕が、半獣半人と一緒に護衛の仕事をしないといけないというのかい!?」

「……金杯王?」

 ウルバンが訊き返した。

「辺境の者たちは、金杯王殿下のことすら知らないのかい? なら、僕がどんなお方か教えてあげるよ! 金杯王殿下はそれは立派な闘技場をお持ちでね! 半獣半人同士を戦わせ、上級貴族をいつも楽しませておられる。あの素晴らしいお方こそ、この国の皇帝陛下の弟君であらせられる!」

「皇都にはそんな方が……」

 ウルバンはツァハリアスを見上げた。

「ハハッ、そうさ! 僕はその金杯王殿下の家の家令とメイド頭の子として産まれたんだけど、なぜか家令より金杯王殿下に似ていてね!」

 ツァハリアスは、ウルバンに己の顔を見せつけるように腰をかがめた。その動作は大げさで芝居がかっていた。

「僕が今回お嬢様の頼みでザーランド公爵家に移る時、金杯王殿下はたいそう惜しんでくださったよ。金杯王殿下はたいそう僕をかわいがってくださっていてね、『博愛騎士』なんていう称号までいただいたんだ。ああ、君にわかるかなぁ? 僕はこの国の騎士なんだ!」

「そうなのですか……」

 ウルバンは戸惑いながらも相槌を打った。


(なんということなの……。わたくしはツァハリアスを見誤っていた……。演技なんて、まったくできないじゃないの……!)

 コリーナは興奮で顔を赤くしているツァハリアスを見た。


「だいたい、半獣半人を従えて戦っているホーラン男爵……、いや、今では辺境王殿下だったな。いくら王位を賜ったからって、そんなヤツがコリーナの夫になるだなんて!」

「ツァハリアス護衛兵長、こんな大勢の前でまで妃殿下を呼び捨てにするなんて! 身の程をわきまえなさい!」

 ギーゼラが叱りつけた。

「ああ、乳母殿。乳母殿だって本当は、この博愛騎士ツァハリアスこそ、コリーナの夫にふさわしい男だと思っているんじゃないかい!?」

「え……っ、は……っ!?」

 ギーゼラも絶句した。


「なあ、コリーナ! 君だって皇太子殿下より、ずっとそばにいた僕の方を慕ってくれていただろう!?」

 ツァハリアスは、キザな動きでコリーナをダンスに誘うような仕草をしてみせた。


「ああっ、もう我慢できない!」

 ウルバンの後ろで女の声がした。

「グリゼルダ!」

 ウルバンが名を呼んだ。

「ウルバン将軍、怒らなきゃっ! こんなに言われて、黙っていちゃダメよ!」

 小柄で愛らしい少女が、ウルバンの横まで早足でやって来た。


「なんだ、この小さなお嬢さんは!?」

 と叫んだツァハリアスを、青い髪の少女が睨みつけた。少女は続けてコリーナを見た。


「妃殿下、対立したらいいんですよね。ここはあたしにお任せください。ウルバン将軍にはお立場があります」

 少女は抑えた声で言った。

「頼むわ」

 コリーナがうなずくと、コリーナがツァハリアスにさせていることの意図を理解してくれた少女もまた、うなずきかえした。


「あんたなんて大っ嫌い! ここにいる半獣半人は、みーんなあんたのこと大嫌いになったわよ! ひどいことをいっぱい言うなんて!」

「やめないか、グリゼルダ!」

 ウルバンがひざまずいたまま、グリゼルダの腕をつかんで止めようとした。グリゼルダはウルバンの手をふり払った。


「妃殿下、グリゼルダはまだ幼いのです。どうかお許しください」

 ウルバンがコリーナに深く頭を下げた。

「謝ってほしいのはこっちじゃない! こいつってば、獣人や半獣半人をばかにしてるのよ! ここは怒るところよ!」

「小さなお嬢さん、あまり僕を怒らせない方がいい……」

 ツァハリアスはキザったらしく肩をすくめてみせた。普段やり慣れていないことが丸わかりの、不自然な動作だった。

「小さなお嬢さんじゃないわ! 覚えておいて、あたしはグリゼルダよ! グリゼルダ、これが、これからあんたと罵りあうことになる相手の名前よ!」

 グリゼルダは手のひらで自分を示し、胸を張った。その胸は小柄なグリゼルダには不似合いなほど大きく、広く開けられた軍服の襟元から谷間が見えた。


「あなたがグリゼルダ……」

 コリーナは小さくその名を呼んだ。


「ウルバン将軍は無口な方なの! 言いたいことはあたしに言って! あたしがいくらでも相手になるわ!」

「無口って……。君、それはいくらなんでも無理があるんじゃないかい……!?」

 あれだけコリーナのことを身代わりではないかと言い募ったりしたウルバンが、無口であるはずがなかった。むしろよくしゃべる方だ。


「まあいい……。ええと……、君は……、なんの半獣半人なのかな?」

 ツァハリアスが訊ねた。

「あたしは非力なハミングバード! 男に嬌声を聞かせる、『哀れな最下層の女』よ!」

 グリゼルダの言葉は、グリゼルダが鳥の半獣半人であることと同時に、娼婦であったことも教えていた。


 グリゼルダが左の袖をまくりあげた。

 彼女の二の腕には、丸く鳥の羽根が生えていた。

 それは、この国では『獣の名残』と呼ばれている、半獣半人の証。

 半獣半人はそれぞれ肌のどこかに、獣の一部を宿して生まれてくるのだ。


『獣の名残』は、身体の左右どちらか半分にしか現れない。かつて、半身を覆うほど『獣の名残』が広がった者はいたが、全身が覆われた者はいなかったと言われている。このことが、半獣半人という呼び名の由来だと、諸説あるなかの一つとして信じられていた。


「……グリゼルダ、覚えておくよ」

 ツァハリアスは言い捨てると、レイピアを鞘に戻し、大股で歩き去っていった。

「もうお茶会という雰囲気ではないわね……」

「はい、妃殿下。ああ、なんということでしょう……。いろいろ無理がありますよ……」

 ギーゼラが泣きそうな声で言った。

「シシー、飲まなかったお茶はティーポットに入れたまま、大事に運んでいってちょうだい」

 テーブルも椅子も使われないまま片付けられた。

 辺境王妃コリーナの婚礼行列は、太く短く形を変えて、レアイヒロ峠へと続く道を進み始めた。

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