15.一軍馬公の私兵(中編)
「様子を見に来たというのは?」
ウルバンは冷たく訊いた。
「閣下はこう、馬の研究にその身を捧げているお方でして、『ヨスト、ちょっと行って見てきてくれ』と、まあ、こんな調子なんですわ」
「俺がこれでも『見てどうしたらいいんすかね?』と確認したんっすよ。そうしたら、『困っていたら助けた方がいいな。三百人も行けば、まあなんとかなるだろう』と……」
「こいつ、余計なこと言いやがって!」
ヨストが殴るふりをし、戦斧を背負ったマッツが両手のひらで頭部をかばって笑った。
「それで来てくれたのね。うれしいわ」
コリーナがほほ笑んだ。
「いえね、オレらも一の尾根まで偵察に行った時、声かけようかなぁとは思ったんですよ。でもよ、こうも身なりの良い人間たちばかりだと、ちょっと、こう、半獣半人のオレらって、どうなのかなぁって思いましてね」
ヨストが言いにくそうに説明した。
「身なりの良い人間たちとは? どこにいるんだ?」
ウルバンの表情が険しくなった。
「どこって……。あんた方、みんな綺麗な格好してるじゃないっすか。同じ私兵服を着てる人らと、高そうな武装をしてる人らでしょ。なんなら、あいつら平民ですらないのかな、騎士とかの準貴族ばかりなのかなって話してたんっすよ」
ウルバンはちらりと、自分の軍服や護衛兵の装備に目をやった。
「私兵服を着てるあんたらは、ホーラン男爵、ああ、いや、今は辺境王殿下か。辺境王殿下の私兵だろ?」
ヨストの問いに、ウルバンは眉根を寄せた。
「これは私兵服ではなく軍服だ。俺たちは辺境軍の兵士だ」
「そりゃあ、全員がってことか?」
「ああ。この軍服を着ている者たちは、全員が辺境軍の兵士だ」
ウルバンがうなずくと、ヨストは目を見開いた。
「いやいや、半分以上は私兵だろ? 爵位を買うほど金があるなら、連れ歩いているのは私兵に決まってらぁ! 金持ちが辺境から皇都まで行くのに、わざわざ職場の部下ばかり連れて行ったってのか?」
「皇帝からの勅命での移動だ。部下を伴うに決まっているだろう」
「ほぇー、そういうものかね? 普通は私兵に守らせると思うんだがなぁ」
ヨストがマッツに訊き、「さぁ……、どうなんすかね」とマッツが返した。
「それにしても、お嬢様。お久しぶりです」
ヨストとマッツがコリーナの前に立った。
ヨストがひざまずく……かのように見せながら、コリーナを右肩に担ぎ上げた。マッツがシシーとギーゼラの腕を引っ張った。
楯の壁が開きながら前進し、ヨストとマッツは後退した。
「そうはさせん!」
ウルバンのサーベルが、コリーナを担いでいるヨストの喉元に付きつけられようとした。
「おいおい、速すぎだろ!」
ヨストはコリーナの重みも利用しながらサーベルを避けて身を引き、コリーナをマッツに向かって放り出した。マッツがシシーとギーゼラを楯の壁の内側に向かって突き飛ばし、コリーナを抱きとめながら壁の内側に入ろうとした。
ウルバンが舌打ちをしながら、ヨストをマッツに向かって蹴り飛ばした。
マッツはコリーナを抱えたまま、ヨストと共に地面に倒れ込んだ。
「容赦ねぇなぁ! お嬢様が怪我したらどうするんだよ!?」
ヨストは低い姿勢のまま剣を抜き、ウルバンのすねに向かって水平に切りつけた。
ウルバンが後ろに飛び退って剣を避けている間に、ヨストは立ち上がってもう一本の剣を抜いた。
「俺は妃殿下を辺境王殿下に嫁がせる。邪魔をするな」
ウルバンが低く言い放った。
「へっ、忠義者ってか。オレらにも忠義はある! お前の辺境王殿下は嫁をもらいてぇのかもしれねぇが、オレらの一軍馬公閣下はな、お嬢様に望まぬ婚姻はさせられねぇってよっ!」
ヨストがウルバンに斬りかかろうとする背中に、マッツの腕をふり払ったコリーナが飛びついた。
「ヨスト、死ぬわよ!」
「それがオレの仕事でさぁ! 下がっててください。皇帝陛下に命じられた嫌な婚姻なんざ、する必要ねぇんです!」
「嫌がってなどいないわ! わたくしが麗しの辺境王殿下に嫁ぎたいのよ! 邪魔をしないで!」
コリーナは、今度はヨストの剣を構えている左腕に抱きついた。
「お嬢様、なにをなさるので!? オレなんかにこんな風にしちゃあいけねぇ!」
「あなたに死んでほしくないのよ!」
コリーナは潤んだ目でヨストを見上げた。
ヨストが横目でウルバンの顔を見て、にやりと笑った。
「おう、辺境王殿下の私兵の隊長さんよ。あんたも一緒に領地に連れて行ってやる。どうだ? ずっとこのお嬢様にお仕えできるんだ。悪い話じゃねぇだろ?」
「話にならんな」
ヨストは自分に抱きついたままのコリーナに、困った様な笑みを向けた。
「お嬢様、離れてください。幼い頃から知ってるお嬢様に、こうもくっついてられると、妙な気分になってきちまっていけねぇ」
「嫌よ!」
「まったく、お嬢様ときたら、わかっちゃいねぇなぁ」
ヨストは切なげに目を細めてから、ウルバンに視線を戻した。
「一緒に来い、素朴な帽子とベストの隊長さんよ。悪いようにはしねぇ。俺が閣下に頼んで、お嬢様の侍衛かお側仕えの私兵にしてやるからよ。お嬢様だっていつまでも子供のままってこたぁねぇだろう。一緒にいさえしたら、あんたの手を引いて、庭園の東屋に誘うことだってあるかもしれねぇだろうが」
説得を続けるヨストに、フォルカーが「ふざけるな!」と怒鳴りながら、天馬騎兵の槍を突き出した。
マッツが背中の戦斧を引き抜き、槍の穂先を弾いた。
「俺はこいつに、そんな、そのうちもらえる餌を待つような暮らしはさせない!」
フォルカーは大きく槍をふるい、マッツが飛び退った。
「こりゃあ驚いた。情夫がいやがったのか。おい、葦毛の情夫。あんたも連れてってやるから、そこの隊長を説得しろ」
「誰が情夫だ! 俺はそういうことを言われるのが、なによりも嫌いなんだ!」
フォルカーは槍を構え直した。
「報われてねぇのか? じゃあ、やめとけ。このマッツなんてどうだ? 『獣の名残』は目立つが、そう悪くねぇだろ」
「なんでもマッツ、マッツって、俺で片付けようとするの、良くないっすよ!」
マッツがフォルカーの前に立った。
「オレにしとけって口説くのも、なんか違うだろうが! その葦毛の情夫に気があるみてぇじゃねぇかよ」
「弱った心には、そういうのが効くんじゃないっすかね」
「先に言えよ! おい、情夫、オレにしとけ!」
「そりゃあ、いくらなんでもいい加減すぎっすよ!」
ヨストとマッツが声を上げて笑った。
「そういう冗談が一番嫌なんだよ!」
フォルカーが怒りのままに突っ込んでくるのを、マッツが戦斧で受け止めた。高い金属音が連続して響いた。
(挑発が上手いわ。長く一緒にいるだけあって、連携もしっかりしている。ああ、二人とも死なせたくないわ……)
コリーナは首を傾げて、ヨストの肩に頭を預けた。前世の牢で、ウルバンにしていたように。
「おっ、お嬢様、こりゃあ良くねぇです!」
ヨストが左腕を動かして、コリーナを少し離そうとした。
コリーナは前世のウルバンを懐かしみながら、ヨストを見上げた。
コリーナと目があうと、ヨストの喉が小さく鳴った。
「お嬢様……、世の中にゃあ、オレのような異形の半獣半人に酷くされてぇって高貴なご婦人も、まあまあいるんですわ。こう……、なんて言ったらいいのか……。こんなオレでも、まあ、モテねぇってわけじゃあねぇんです」
「異形? 身体は鍛えられているし、顔も整っていると思うわ」
コリーナは不思議そうな顔をした。
「クソッ、オレはお嬢様を相手になに言ってんだ……。お嬢様は聖女様だろうが。わけもわからねぇで言ってるってぇのに!」
ヨストはコリーナから顔を背けた。
マッツと打ちあっていたいたフォルカーが、そんなヨストとコリーナを見て、表情を変えた。
「妃殿下は辺境王殿下のお妃だろッ!」
叫びながら、フォルカーがヨストに向かって槍をふるうのを、マッツが戦斧で防いだ。
「そのおっさんはなんだよ!? 妃殿下が今からそんなで、辺境王殿下はどうなるんだッ!?」
フォルカーが激しく槍で突き、マッツが戦斧で受け止めた。一際大きな金属音が響いた。
「おいおい、情夫。そいつはお嬢様に向かって言ってんのか? その槍もオレじゃあなくて、お嬢様に向けてんのか?」
ヨストが両手の剣を握り直した。コリーナを左腕に抱きつかせたまま、ゆっくりと剣を構え直した。
「ヨスト、やめて!」
「お嬢様、あいつはお嬢様相手に頭が高いんじゃあねぇですかね?」
「ヨスト!」
コリーナが悲鳴のような声を上げた。
かつてヨストは、ザロモンに剣を向けた刺客の半獣半人に対し、似たような問いかけをした後に首をはねていた。
(一兵も損なわずに合流するところまではいったのに、ここでフォルカーを討ち取られたら、どうにもしようがなくなってしまうわ! ウルバン将軍はフォルカーを殺した者を、決して許したりはしない……!)
コリーナはヨストに抱きつく腕に力を込めた。
フォルカーの槍を防ぐばかりだったマッツが、大きく踏み込んだ。戦斧が風を斬る音がする。フォルカーが大きく身体を反らして、戦斧を避けた。
フォルカーが舌打ちをして、槍を構え直した。
マッツが悪い顔で笑い、こちらも戦斧を持ち直した。




