14.尋問の流儀(前編)
翌日の深夜。
コリーナたちの野営地の片隅で、『武器庫として使われている幕舎』が燃やされた。
「なんでこんなことになった!?」
「敵襲かっ!」
兵士たちが口々に叫びながら、消火にあたっていた。
火の手は、別な幕舎に燃え移る前に消し止められた。
山賊風の袖が引きちぎられたシャツを着た偵察兵が、藪の陰からその様子を確認していた。その偵察兵もまた、フォルカーに監視されていたのだが。
フォルカーは偵察兵が自陣に戻って行ったのを確認すると、コリーナの幕舎にやって来た。
火が苦手なコリーナは、幕舎の内で上掛けを頭までかぶり、寝台の端に座ったウルバンに見守られながら震えていた。
「上手くいきましたよっと! 火もすっかり消えました」
フォルカーが面倒くさそうに報告した。
「こちらの兵士たちはどうだ?」
「そろそろ策だったってことが知れ渡った頃かと」
「イグナーツとグリゼルダは大丈夫かしら?」
上掛けの下からコリーナが訊ねた。
「たぶん大丈夫だと思いますよ。下手に偵察したりしない方が、逆に安全なんですよ」
「妃殿下、ご安心ください。イグナーツは少数での強行突破の名手です。半獣半人には獣人のような特殊能力はありませんが、黒猪の半獣半人のイグナーツが敵中を突破する姿は、まさに猪が突撃しているようだと言われています」
ウルバンが上掛けの上から、コリーナの背中をやさしくさすった。
「仲が良いのはかまいませんが、そういうのは俺が出て行ってからにしてください! 目のやり場に困りますよ!」
フォルカーが足早に幕舎を出て行った。
「武器もあらかじめ他に移してあります。燃えたのは、丸太や枝です。なにも心配いりません」
「ウルバン将軍がこうしてそばにいてくれるのは、とてもありがたいのだけれど……。辺境軍の兵士たちも、あなたを必要としているのではなくて?」
「妃殿下をこうしてお守りすることこそ、辺境王殿下に命じられた俺の任務です」
アロイスもさすがに、部下に向かって『妻となる女性が怯えているようなら、やさしく背中をさすってやれ』とまでは命じないのではないか、という真っ当な意見を言えそうな者は、すでに先ほど幕舎を後にしていた。
(任務……。そうよね……。あなたにとって、これは任務なのよね……)
コリーナはアロイスが、己の代わりにウルバンにコリーナの相手をさせているのだと、改めて理解した。
元よりアロイスは、コリーナへの愛などない。『軍法会議で裁かれて処刑されかけていたら、皇帝の命によって皇太子の許嫁と婚姻させられることになった』など、彼にしてみれば超展開もいいところ。
処刑される代わりにいきなり娶ることになった妻など、なんでも引き受けてくれる忠実な部下がいるなら、世話を押しつけてしまいたいと思っても不思議ではない。
(わたくしにとっては、ウルバン将軍のそばにいられるのは悪くない話だけれど、ウルバン将軍にとってはどうなの……。ウルバン将軍は半獣半人よ。辺境王殿下の腹心の部下のようだけれど、ウルバン将軍を拾ってくれたフォルカーのご両親が、ホーラン家の奴隷だったなら……。ウルバン将軍もホーラン家の奴隷になるしかなかったはずだわ)
コリーナはツァハリアスが言った『家族でも人質にとられているのか』という言葉を思い出した。
(ウルバン将軍の『小さいお兄ちゃん』のディートマーは、この一行には加わっていないようだわ。彼が今も辺境王殿下のそばにいて、主人の機嫌を損ねると虐げられるのならば、ウルバン将軍には辺境王殿下に逆らうという選択をすることは難しい……)
コリーナは自分がアロイスについて、軍法会議で見聞きしたこと以外はほとんど知らないことに気づいた。
軍法会議で死なせなければ、もうそれで良いとしか考えていなかった。
ウルバンが一国を滅ぼす原因となった、あの美しい男。
半獣半人と共に歩んでくれる、稀有な人間。
そんな男のことを、なぜ前世でウルバンはなにも語らなかったのか。
彼を死に追いやった者たちの一員であったコリーナに、彼を語ってやる言葉などなかったからか。
ウルバンはコリーナを辱めず、やさしく接してくれた。コリーナはその理由を、彼が紳士だったからだと思っていた。だが、『怒れる魔獣』とまで呼ばれた男が、自ら望んで牢に入ったくらいで紳士に戻れるのか。ウルバンが憎しみから、コリーナに自分を愛させたのだとしたら……。
(復讐のために愛させるなんてばかげているわ。わたくしは『翌日には死ぬ女』だったのよ。恥辱の中で死なせる方が、よほど復讐としてふさわしい……)
コリーナの時が戻った時のために愛させた、というのも考えにくい。誰かの時を戻せるならば、ウルバンがわざわざコリーナを選ぶ理由がない。自分が戻って、なんとかしてアロイスを助けたら良いではないか。
だいたい、火炙りになって死んだはずなのに、時が戻って生き続けていることだって、超展開なのだ。予測できることではなかった。
「辺境王殿下は……どんなお方なの……?」
相手を知らずして、戦に勝つことは難しい。
コリーナはウルバンがどんな表情をしているか見るために、上掛けから顔を出した、
「顔が良いということを知っているだけでは、足りませんか?」
やさしい声音にかすかに含まれている嫉妬。
コリーナの脳裏に、道中でツァハリアスに投げかけられていた言葉の数々が甦った。
『金杯王の愛人』
『男色はいけない』
コリーナはこれまで知らなかったが、男同士でも恋仲や愛人関係になることがあるということだ。
「ウルバン将軍、あなたは……ホーラン家の奴隷なの……?」
「ホーラン家の奴隷とは……、突然なぜそんなことを思われたのですか?」
またも質問に質問が返ってきた。
「わたくし……、辺境王殿下が麗しいということ以外、なにも知らないの……。ウルバン将軍の知っていることを、教えていただけないかしら?」
「ああ……、俺が辺境王殿下の家の奴隷なら、辺境王殿下のことをよく知っているだろうと、そういうことでしょうか?」
「わたくしは……半獣半人のこともよく知らないの……。もし失礼だったのなら謝るわ。辺境王殿下について、なにから問えばよいのかも、よくわからなくて……」
コリーナはウルバンが答える気がないと判断して、一度口を閉じた。
余計な情報は与えたくない。相手がウルバンでも、なるべく手の内は見せたくなかった。
自分が語るのではなく、相手に語らせたい。
(わたくしは特定の者としか話をしてこなかったわ。こういう自分を嘆いても仕方ない……。このわたくしで戦っていくのみよ)
人は誰しも、己の持っているものを駆使して戦っていくしかない。この国で最も尊い女、皇后になる可能性さえあったコリーナですら、それは変わらなかった。
「上手にお話できなくて……ごめんなさい……」
ウルバンはコリーナを子供だと言っていた。コリーナにはどういうことかはっきりとはわからなかったが、とにかくコリーナを子供だとに見做しているということは間違いない。ならば、それをも利用するまでだ。
「わたくしの夫となる方は……、どんなお方なのかしら……?」
頼りない口調に、揺れる瞳――。コリーナはこれまでの己と矛盾しない程度の幼さを、思いつく限り演出して見せた。
(ウルバン将軍、わたくしはあなたの脅威とはなりえない。あなたは大人で、世慣れていて、力だってずっと強い。頭も良い。わたくしは少しくらい情報を与えたところで、それを利用してなにかを成せるような者ではないわ)
女に見えていると言われていたならば、コリーナは書物で知ったあらゆる方法を駆使して、女らしさを出しながら話を進めただろう。仮にそれを女計と名付けるならば、今のコリーナがしていることは子供計とでも呼ぶものだった。
「俺の立場で辺境王殿下を語ることは難しいです」
ウルバンは苦笑した。
普段のコリーナならば、ここで謝っていただろう。
(彼に謝りすぎては、こちらの立場が下になってしまうわ。ここが引き際かしら……)
ウルバンがもしも今これ以上は話さないと決めているならば、コリーナは次の機会を待つつもりだった。
「もしや、俺の家族が辺境王殿下に人質にとられているのではないか、などと思っておられるのですか? そのようなことはありません」
「そうなの……? では、ご家族はどうされているの?」
フォルカーは元気でいるようだが、ディートマーはどうしているのか。
「俺に血の繋がった家族はおりません。捨て子でしたので」
「ホーラン家に拾われたの?」
「妃殿下はその方がよろしいですか? 俺がホーラン家の奴隷ならば、女主人となった妃殿下は、俺になんでも命令できます」
ウルバンが長い指でさらりとコリーナの頬をなでた。




