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13.レミアムアウトの二の尾根(後編)

「ウルバン将軍じゃない……! その格好はどうしたの? なぜイグナーツの帽子とベストを借りているの?」

 コリーナはウルバンの茶色い帽子と、茶色い革のベストを交互に見比べた。

「ウルバン将軍よね……?」

 男は答えず、幕舎の入り口まで行くと、「入れ」と命じた。


 幕舎に一組の男女が、とても気まずそうに入ってきた。

 女の方は、清楚で可憐な印象になるよう化粧を施したグリゼルダ。一見すると素顔のままに見えるのは、彼女の化粧の腕が良いからだろう。髪型もおとなしそうな女という印象になるよう結ってあり、軍服の襟元は首までしっかり閉められていた。


 男の方は、髪型はウルバンとまったく同じ。黒い髪で、目は青みの強い灰色、無精ひげもある。腰にはウルバン愛用のサーベルにそっくりなサーベルまで下げていた。

 男はウルバンよりもほんの少し背が低い。鍛え抜かれた筋肉の上に、薄く脂肪が付いているせいで、少し太っているように見えた。

 彼の身体のあちらこちらに付いている脂肪をもっと削ぎ落したら、さらにウルバンに似せられるだろう。

 おそらく、本人もウルバンもそれをわかった上で、あえて今以上には身体を絞らずに、『素朴で平凡な半獣半人』という印象を保っているのだろうが。


「イグナーツ、手伝え」

 ウルバンがツァハリアスのところに行き、男が持ってきていた鎖で縛り上げた。

「待って、ウルバン将軍! 彼はわたくしの指示で……」

「わかっています」

 という返答とは裏腹に、ウルバンはイグナーツにツァハリアスを連れて行くよう命じた。

「処刑しようというの!?」

 コリーナは慌てて寝台から立ち上がった。

「妃殿下のやろうといしていたことを、我々が代わって実行するだけです」

「やろうとしていたこと!?」

「最初からやりたくて仕方なかったのでしょう? ――苦肉の計を」

 コリーナは小さく息をのんだ。

「やりたくて……仕方なかった……?」

「ツァハリアス護衛兵長だけに苦痛を負わせるつもりかと思いましたが……。とんだ勘違いでしたね。裏切者のふりをさせて敵地に送り込む前に、彼を誘惑して楽しむつもりでいたとは」

「誘惑して……楽しむ……?」

 コリーナにはそれがなにをすることなのかわからなかった。

「万が一、死なれては、彼を味わうことができなくなる」

「味わう……?」

 コリーナは小首を傾げた。ウルバンの言っていることが、さっぱりわからなかった。

 生きたままのツァハリアスで料理を作ったところで、コリーナにはおいしく食べられる気がしなかった。死んでからなら、ショックでもっと食べられないだろうが……。


「あなたはなにをそんなに怒っているの……? 危ないことをしようとしたから……?」

 と問うコリーナの口調は、年齢よりもずっと幼さを感じさせるものだった。

「時間がありません」

 ウルバンはグリゼルダにコリーナの破れたネグリジェを渡した。

「妃殿下が証拠の品まで用意してくださっていたぞ」

 グリゼルダはネグリジェを広げて確認してから、折りたたんで懐にしまった。

「このイグナーツが俺の代わりに『ウルバン将軍』として敵地に投降しに行きます。ツァハリアス護衛兵長は戦利品として連れて行かせます。グリゼルダはツァハリアス護衛兵長に虐げられていた半獣半人の女役として、イグナーツと共に投降させます」

「妃殿下……、自分にすべてお任せください」

 イグナーツがコリーナにひざまずいた。その動作も口調も、ウルバンそのものだった。


「詳しくは、この後に俺からお伝えします」

「え、ええ……」

「予定より遅くなった。二人とも、もう発て」

 ウルバンが命じると、イグナーツがツァハリアスを担いで幕舎を出て行った。グリゼルダもその後に続いた。


 コリーナはウルバンに命じられるまま、彼が幕舎から一時的に出ている間に乗馬服に着替えた。

 ウルバンは再び幕舎に入ってくると、居心地悪げにコリーナから目を逸らした。

「わたくしはこの本の通りに、手順を踏んでいただけなのよ」

 コリーナはウルバンに兵法書を渡した。ウルバンは愛らしい押し花の栞の挟まったページを開き、本の題名の『兵法基本学習帳』と第一章の題名である『意外と簡単! はじめての苦肉の計』を何度か見比べた。

 ウルバンは本文を確認した後、静かに本を閉じた。コリーナに本を返そうとはしなかった。

「妃殿下……。いろいろ言いたいことはありますが、まず妃殿下には俺の指揮下に入っていただきます。作戦行動は俺が指揮をとります。よろしいですか?」

「それは勝手なことをするなという意味ね」

「そう受け取っていただいてかまいません」

「わかったわ」

 コリーナが素直に応じると、ウルバンは意外そうな顔をした。


「ウルバン将軍は今回のことに備えて、ずっと自分をイグナーツに似せようとしていたの?」

「そうです。俺のふりをしたイグナーツが敵地で素の己を出してしまうよりは、イグナーツのふりをした俺が自陣で素の己を出す方が安全ですので」

「その通りだわ。わたくしが余計なことをしたせいで、ずっと苦労させてしまったわね……」

 コリーナは優雅にお辞儀をして詫びた。


「この本を拝見して、妃殿下が勤勉な方だということはわかりました。しかしながら、この本ですが……。皇都のような戦のない場所で読む、娯楽のための本です。付録として手順書は付いていましたが、実戦用の教本ではありません」

「まあ、そうだったのね……。わからなかったわ。金杯王城の城下町で買ったのだけど……。わたくしは皇宮の軍本部に行かなくてはいけなかったのね」

「この本を拝見するに、妃殿下は特に苦肉の計にこだわりがあったわけではないとお見受けしましたが……」

 ウルバンは片手に持った本を示した。

「第一章から順番にやっていくのが良いと思ったのよ。語学の本も料理の本も、前の方が簡単で、後になるに従って難しくなっていったわ」

 この本も、最終章は総仕上げとなる内容だった。それまで学んできたいろいろな計略を混ぜて実行する、連環計という計略だった。


「……今後は計略を実行なさる前に、必ず実戦に詳しい俺に相談してください。失敗すると人が死んでしまいます」

 ウルバンの口調は、まるで幼い子供に言い聞かせているようだった。

「そうよね、そうしたら良かったわね」

「妃殿下がそのように素直に、俺の言うことを聞いてくださるとわかっていたら、実戦経験のなさそうな三百人の兵士など正面から蹴散らして、さっさと前に進んでいました。イグナーツとグリゼルダを危険にさらすこともなかった」

 人はいろいろなことが上手くいっていれば、調子にのってしまうことがある。それは、ウルバンほどの男でも例外ではなかったと、コリーナは考えていた。


(あなたの言う通り、三百人の実戦経験に乏しい兵士なら、簡単に蹴散らせたことでしょうね。彼らを派遣した者は、わたくしたちを甘く見ている。三百という中途半端な数からそれがわかる。わたくしたちよりも少しだけ人数が多ければ、簡単に勝てるだろうというおごりが見える。――彼らがわたくしの予想している者たちでないのなら、その考えは、きっと当たっていたでしょうね)

 コリーナはただ黙ってうつむいてみせた。


「妃殿下、幕舎というのは、このように布でできています。妃殿下がお住まいだった立派なお屋敷のような、防音性に優れたものではないのです。声は外に聞こえるものだと思っておいてください。……先ほどの妃殿下とツァハリアス護衛兵長の言い合いも、野営地中に聞こえています。俺は恥ずかしくて居たたまれません……」

 ウルバンは腕を伸ばし、幕舎の布を手のひらで軽く揺らしてみせた。

「言われてみたら、そうよね……。布ですもの……。わたくしも居たたまれないわ……」

 ウルバンは赤面しているコリーナに近づいた。コリーナの正面に立ち、身をかがめてコリーナの耳に唇を近づけた。

「このように、小声で話さなくてはいけません」

 ウルバンの吐息が、コリーナの耳朶をくすぐった。


「あのようにツァハリアスを誘惑するなど、妃殿下は辺境に嫁ぐのが嫌になったのですか?」

 その声は、甘く、ねっとりと、コリーナを誘惑した。

「もしや、美形なだけの地方軍人に嫁ぐのが嫌になりましたか?」

 コリーナはびくりと身を揺らした。

「後悔しているのですか?」

 コリーナは息をするのも忘れて、次の問いかけを待った。

「もしもそうなら、俺を選んでくださいませんか?」

 ウルバンがコリーナの手をとり、指に口づけた。

 コリーナは思わず微笑んでいた。

「俺と二人で逃げましょう。アロイスを殺すより、その方が手っ取り早い」

 辺境王アロイス・ホーラン。ウルバンは彼を呼び捨てにしてみせた。

「ウルバン将軍、安心してちょうだい。わたくしの気持ちは変わっていないわ。わたくしは辺境王殿下に嫁がなければならないの。――必ず、嫁いでみせるわ」

 コリーナはウルバンの手から自分の手を引き抜いた。

 ウルバンがひざまずき、コリーナに非礼を詫びた。

「疲れたわ……。作戦内容は、また明日、ゆっくり聞かせてちょうだい」

 コリーナはウルバンに下がるよう命じ、ウルバンは『兵法基本学習帳』を持ったまま幕舎を出て行った。



 ウルバンがコリーナの手をとった時、ひざまずいていたならば、コリーナは彼の言葉を信じて慌てふためいただろう。

 だが、彼はそうしなかった。

 コリーナの知っている『ウルバン将軍』は、たとえ本音を引き出すためでも、裏切者にひざまずいたりはしない男だ。

 ウルバンはまだ、コリーナを完全には信じていない。

 そして、アロイスへの忠誠心を失っていない。

(それでいいのよ)

 コリーナはそんなウルバンに満足していた。


 ウルバンはコリーナの稚拙な苦肉の計に呆れていた。

 コリーナが幼い口調で語りかけたら、しばらくしてからウルバンも幼子を諭すようなことを言った。

(ウルバン将軍、あなたの目には、今どのくらい、わたくしが愚か者に見えているかしら? あなたが守らなければならないのは、愚かで無鉄砲な公爵家の令嬢よ。気を引き締めてちょうだい。必ずわたくしを辺境王殿下に嫁がせるのよ)

 コリーナは胸の内でウルバンに語りかけた。



 この国には『薔薇のことは庭師に聞け』という言葉もあった。

 コリーナは最初から、この苦肉の計は失敗させるつもりでいた。

 そんな結末に至る計略にふさわしい適材、『薔薇をよく知る庭師』は誰かと考えた時、ツァハリアス以上の者はいなかった。

 半獣半人を決して虐げたりしない、誇り高き『博愛騎士』。

 多くの者に好感を与える人柄と、チャーミングな笑顔。

 コリーナにとってツァハリアスがあそこまで演技ができなかったのは想定外だったが、彼が裏切者の役に向かない男であることくらい知っていた。



 賢しらな貴族の女の、稚拙な策を看破したと思うがいい。

 この程度の策しか弄せないと侮るがいい。

『味方を信じさせずして、敵は欺けぬ』

 あのウルバンでさえも、コリーナを軽んじるような態度に出た。

 敵対する者たちも、きっとコリーナを侮っていることだろう。



(――必要とあらば、わたくしは『無敵の戦神』さえも踊らせてみせる)



 コリーナの秘めた決意は、傲慢と呼ぶにふさわしいものだった。

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