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1.美しい男

 円型の室内の中央に設えられた証言台に、黒一色の軍服を着た長身の若い男が立たされていた。

 証言台を半円に囲んで、このジタルクッキングス皇国の皇族や、侯爵以上の爵位を持つ上級貴族が階段状に居並んでいた。


 皇帝の勅命に従わず進軍しなかった辺境総大将、アロイス・ホーランの軍法会議は終盤を迎え、このまま処刑が決まるはずだった。


 コリーナは証言台の横に立つと、優雅に緋色のドレスをつまんで、その場に両膝をついた。その様はまるで、乳白色の大理石の床に一輪の真っ赤な薔薇が咲いたようだった。

「どうかこの者をお助けください」

 コリーナの声が、静まり返った室内に響いた。

 あれほどアロイスを罵っていた者たちが、今は一言も発することなく成り行きを見守っていた。


 皇太子妃の座を約束された、ザーランド公爵家の令嬢であるコリーナが、金で爵位を買って下級貴族の男爵に名を連ねただけの軍人の命乞いをしているのだ。しかも、その男には半獣半人だという噂まであった。

 半獣半人とは、人間と獣人の血が混じった者のこと。この国では、奴隷として使役される存在である。

 居並ぶ者たちの多くは、余計なことを言って皇家やザーランド公爵家を敵に回したくないのだろう。


「ああ、彼はなんて美しいの……! この国には『美こそ我らの娯楽』という言葉もありますでしょう? こんな美しい方を死刑にするなんて、この国の損失ですわ!」

 コリーナは華やかな笑みを浮かべ、隣に立っている男を見上げた。


 過酷な国境の戦地に身を置いていても、彼の美しい姿は損なわれていなかった。艶やかな長い黒髪。青い瞳は宝石のよう。鼻筋は通っていて、引き結ばれた唇の適度な厚みが、彼の中性的な美しさを引き立てていた。


(こんなやり方しかできなくてごめんなさい。女は政に口を出せないの。どうかそのまま、余計なことを言わないでいて……)

 コリーナは心の内でアロイスに頼んだ。


「なっ、えっ、なにを!? なにを言っているのかっ、コリーナ!?」

 皇太子イェンスが、屈強な身体を揺らして席を立った。


(わたくしがここまで来る間、追っても来ず、今に至るまでなにもおっしゃらなかったのに……。今更なにをおっしゃっているの)

 イェンスはコリーナが隣の席を立ち、証言台に近づこうとして警備兵に止められたりしている間、ただずっとアロイスを見ていただけだった。


 コリーナは楽し気に笑ってみせた。

「皇太子殿下も、このホーラン男爵が美しいとお思いになりませんこと?」

 コリーナは再びアロイスを見上げた。今度はアロイスもコリーナを見た。


(お願いよ、そのまま黙っていてちょうだい……。あなたに死なれると、この国はまた滅びてしまうの。同じ過ちを繰り返すわけにはいかないのよ)


 アロイスの目は、コリーナの手入れの行き届いた金の巻き毛や、長い睫に彩られた新緑の色の瞳、薔薇色の頬や唇を順に映してから、また正面に向けられた。


「美しさなど、戦場では役に立ちません」

 アロイスがどこか気を悪くしたように言った。

 戦場ではそうかもしれない。だが、ここは戦場ではなく宮廷だ。宮廷には宮廷の戦い方があるのだ。

 コリーナは笑みを崩さなかった。


「美しいのはコリーナ様です。華奢で可憐な、かすみ草の花のようでいらっしゃいます」

 アロイスは再びコリーナを見つめ、かすかに笑った。

「まあっ!」

 コリーナは大げさに驚いてから、恥ずかし気にうつむいてみせた。


「コリーナ……! わからないのか! 美しさがどうこうという話ではないのだっ!」

 イェンスが叫んだ。


「汚らわしい! 良家の令嬢がなんということ!」

 皇后アンゲラも席を立って、ヒステリックに怒鳴った。

 コリーナは、怒り狂って侍女になだめられている叔母を見上げた。


(そんな非難など少しも怖くないわ。前世であなた方は、わたくしを敵国への供物として残し、三人でいずこかへと逃げ去った。わたくしは主が不在の玉座の前で、併合国家ウッタイの兵士に捕らえられたのよ)


 コリーナはイェンスやアンゲラを捨てることにためらいはなかった。

 前世で皇帝エアハルトは、皇宮がついに攻められるという時、コリーナを皇宮に呼びつけた。


(わたくしは一度はこの国の皇太子妃として、火炙りにされた身。しかも、皇太子殿下との婚礼を挙げる前によ。こんな程度で怯むものですか!)


 イェンスは父親譲りの立派な体格をし、その剣技は父を上回るとも言われていた。

 コリーナはイェンスにその気さえあれば、父母や護衛の者たちをふり切って、コリーナを守りに戻ることだってできたはずだと思っていた。


「コリーナよ、そんなに、そのっ、その男が良いのかっ!?」

 イェンスの問いかけに、コリーナは小首を傾げてみせた。

「良いもなにも、殺すには惜しい見目麗しさですわ! こんな美しい殿方がいるなんて……! わたくし、こんな殿方に初めてお会いしましたわ」

 コリーナは再びアロイスを見つめた。彼の美しさに惹かれ、うっとりしているように見えるよう願いながら……。

 コリーナはイェンスといとこ同士であり、共に皇太子とその許嫁として役目を背負いながら育ってきた。コリーナはイェンスが、なぜか容姿にあまり自信がないことをよく知っていた。


 イェンスはアンゲラに似て、コリーナと同じ金の髪と新緑の瞳を持っていた。色彩は母親似であるが、彫りの深い目鼻立ちは父親似。まるでエアハルトに似せて刃物で削り出したかのようだった。

 イェンスもアロイスほどの輝く美貌ではないが、彫像のような麗しい皇太子だと言われていた。

 コリーナもイェンスの容姿が、アロイスにひどく見劣りするなどとは思っていなかった。


「それならば……! そんなにその男が良いのならばっ! その男とっ、その男とっ、婚姻すれば良いではないかっ!」

 イェンスは顔を真っ赤にして震えていた。


「あら、皇太子殿下。わたくしは公爵令嬢で、母は皇帝陛下の妹ですのよ? そのわたくしが男爵と婚姻してもよろしいとおっしゃるのですか?」

 コリーナは暗に、『皇太子のくせにこの国の法も知らないのかしら?』と嘲った。


 イェンスの父であるエアハルトは、武も知も兼ね備えた皇帝と言われていた。だが、イェンスは武芸こそ父親譲りの才があるものの、勉強の方はあまり好きではなかった。

 勉強の時間に猟犬を伴って城を抜け出し、狩りに行くこともしばしばだった。そのくせ、勉強ができないことは頭が悪いと同義だとでも思っているような節があり、己の賢さをひけらかそうとしてくるところがあった。


「コリーナ! よく考えてみよ! その男と婚姻させられることなど、ないとでも思っているのではないかっ!?」

 イェンスは、エアハルトに向かってひざまずいた。

「父上、ホーラン男爵にコリーナと釣り合う身分を与えてやってください! そうですね……、王位を与えては? 辺境王に封じ、国境地帯のカーマレッキスを領地として与えてやってください!」


 イェンスの言葉に、それまで成り行きを見守っていた上級貴族たちが騒めいた。

「勅命に逆らった男爵に王位だと?」

「コリーナ嬢の身分を下げるのではなく、ホーランの身分を上げる!?」

「あの庶民の出の男が、王!?」

「我らより上の位を賜るというのか!?」


 動揺する上級貴族たちを、エアハルトの侍従長が「ええい、黙らぬかっ! 皇帝陛下の御前であるぞ!」と一喝した。


「皇帝陛下、いいんじゃないですか? どうせもうコリーナは皇太子殿下とは婚姻させられないですしねぇ?」

 皇弟であるエクベルトが、軽い調子でイェンスに加勢した。半獣半人を闘技場で戦わせて楽しむ残忍さで知られている男である。武芸に秀で、『武人の頂』とも呼ばれている彼の退屈そうな笑みは、近くに座っている軟弱な貴族たちを怯えさせていた。


「え……っ? あれ……っ!? えぇ……っ!?」

 イェンスの顔から血の気が引いた。

「コリーナ! コリーナ……ッ! ああっ、私はなんということを……!」

 名を呼び、後悔しているが、時すでに遅しである。

 イェンスがコリーナにアロイスと婚姻するよう言った瞬間、コリーナの運命は変わった。

 この国の貴族の令嬢として、コリーナはアロイスと婚姻するか、アロイスに拒まれたなら一生独身でいるより他にどうしようもなくなったのだ。


(伯父様、お願いよ。ホーラン男爵を殺さないで……。わたくしと婚姻させることで、生かしてさしあげて……)

 コリーナは内心で懇願した。

 長くひざまずいているコリーナの膝は痛み、床の冷たさがその身に這い上がって来ていた。

(ホーラン男爵を生かすと、早く決断してちょうだい……。わたくしはもう、そう長くこうしていられないわ……)

 ひざまずくにしても、通常は膝当てをするなどの準備をしてから臨むものである。コリーナはそのことを知らなかった。そもそも、公爵令嬢であり未来の皇太子妃だったコリーナは、両膝を硬い床に突いてひざまずき続けるなど、かつて一度だってしたことはなかった。

 神に祈る時でさえ、皇太子妃の座を約束された尊い身分であったため、ひざまずくなどということはしなかったのだ。


「コリーナよ、ホーラン男爵、アロイス・ホーランと婚姻したいか?」

 エアハルトが訊ねた。

「はい、皇帝陛下」

 コリーナは望む結果が得られるだろうことに満足してほほ笑んだ。


「コリーナ……ッ!」

 イェンスが絶叫した。

「ダメだ、ダメなのだ、コリーナ! 君はなにもわかっていない! ダメだ、コリーナ! よく考えるのだ! まだ間に合う! 撤回するのだ!」


「皇太子を連れ出せ!」

 エアハルトが命じると、イェンスの侍従と護衛武官がイェンスを取り囲んだ。暴れるイェンスが「えっ!? ちょっ、待っ、違う! コリーナ、違うのだっ!」などと叫びながら、護衛武官の剣を奪おうとした。アンゲラの護衛女官である通称『鋼鉄の白百合』、顔も身体も岩のように厳つい女戦士の中から、五人もの者がイェンスの侍従と護衛武官に加勢して、ようやくイェンスはおとなしくなり、この円型議事堂から連れ出されて行った。


「ホーラン男爵は、コリーナを娶るか?」

 静かになった室内に、エアハルトの声が響いた。

 アロイスは大股でコリーナの背後を通り、コリーナの隣にひざまずいた。


「コリーナ嬢と婚姻させていただけましたら、この身に余る光栄に存じます」

 アロイスがエアハルトに向かって頭を下げる姿は、まるで一幅の絵画のよう。ここに多くのご婦人方が集っていたならば、何人の令嬢や夫人が失神してしまっていたことだろうか。


 エアハルトは大きくうなずくと、新たなる勅命を下した。

「ホーラン男爵、アロイス・ホーランを辺境王に封じる。国境地帯のカーマレッキスを治めるがよい。また、辺境王アロイス・ホーランには、ザーランド公爵家の令嬢コリーナを娶り、辺境王妃とすることを許す」

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