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12.レミアムアウトの一の尾根(後編)

「チネンタル公爵はそれでも下女との婚姻を諦めませんでした! 下女を私兵に守らせながら、皇帝陛下が人間と半獣半人の婚姻を認めてくれるのを、今でも待っているそうなんですよ!」

 シシーが夢見るような目をして斜め上を見つめ、ほのかに赤く染まった両頬を手で包んだ。

 ウルバンがコリーナにうなずくことで合図を送り、コリーナはツァハリアスとシシーとギーゼラを下がらせた。


「皇帝陛下はおそらくチネンタル公爵が皇宮に押し入った時点で、チネンタル公爵を処刑したかったのではないかと思います。しかし、その場ではできなかった。『辺境の砦』を敵に回すことになりますので」

 ウルバンは三人が充分に離れると、自分の考えを話し始めた。

「そうよね。『辺境の砦』もチネンタル公爵が下女を娶ろうとしたからといって、殺す必要まではないと考えるでしょうね」

 コリーナは小さくうなずいた。


「皇帝陛下は婚姻によって『辺境の砦』との結びつきを強くしようとしていたのでしょう。ですが、チネンタル公爵はそれを断ってきました。すでに誰か……、他の貴族や皇族と手を結んでいるか、『辺境の砦』そのものに反逆の意思があるかもしれないと考えたはずです」

「皇帝陛下はチネンタル公爵の行動を、ただのロマンチックな恋物語ではないと思ったのね。そうかもしれないわ……。皇女グンドゥラ殿下は皇后陛下の娘。『皇太子と同腹の皇女』との婚姻を断る者なんて、普通はいないわ」

 コリーナは、皇女グンドゥラを思い出す。コリーナと同じ金の髪に濃緑色の瞳をした、皇太子の妹。生まれた時から、いずれは政治の道具として、重臣や他国へと嫁がされることが決まっていた、コリーナの幼馴染の一人。


「自分のような者ですら疑わしく思うのです。政治の中枢にいる皇帝陛下は、どれほど危機感を覚えたことかと思います」

 ウルバンは険しい表情でさらになにかを考えていた。


(ウルバン将軍はわたくしとのただの雑談から、ここまでのことを考えられる方……。一介の軍人がウッタイと組んでこの国を滅ぼしたなんて、少し不思議だったけれど……。知れば知るほどに、彼ならばできただろうと思わされるわ……)


 コリーナはアロイスのことを思った。ウルバンは武も知も兼ね備えている。アロイスは、どうやってこれほどの男を従えているのだろう。ウルバンを超える男が存在するなど、コリーナには信じられなかった。


(ああ、そうだったわ、ウルバン将軍は半獣半人……。人間の下で働くしかない方よ……。たとえウルバン将軍が、辺境王殿下よりも全てにおいて優れていたとしても……)


 物思いに沈んでいたコリーナの耳に、ウルバンがまた話し始めた声が聞こえた。

「皇帝陛下は、軍法会議でもしチネンタル公爵を切り捨てられなかった場合には、辺境王殿下を殺すつもりだったのではないかと思います」

「辺境王殿下を?」

 コリーナは訊き返した。コリーナの鼓動がまた早くなった。

「はい。辺境王殿下は辺境総大将として辺境軍を率いておられます。辺境王殿下がいなくなったら、新たな辺境軍の全軍指揮官が必要となります。チネンタル公爵を辺境総大将に任命すれば、皇都から追い出すことができます」

 たしかに前世では、アロイスが処刑された後、チネンタル公爵が辺境総大将に任命されていた。その後しばらくして、皇都に迫るウッタイ軍を退けるため、皇軍の全軍指揮官に転属していたが。

「あなたの言う通りだわ……」

 コリーナは前世で、ウルバンの語る出来事を見てきたというのに、皇帝が策を弄した結果だったなどとは、まるで気づかなかった。


「皇帝陛下はさぞご腹立だったでしょう。チネンタル公爵を殺すこともできず、辺境総大将は生きて辺境に戻りました。軍法会議に妃殿下を呼んだ意味がありません」

「むしろ呼ばない方がよかったわね。わたくしがいなければ、辺境総大将を処刑することはできたかもしれないもの」

 コリーナはうっすらとほほ笑んだ。処刑したらしたで、この国が滅んだのだが、皇帝にはそれを知る由もない。


「妃殿下」

 いきなりウルバンが身を低くした。

「羽音か……?」

 ウルバンがコリーナに後退するよう手で合図を送った。

 コリーナは崖から離れながら、腰に下げていた金のレイピアを抜いた。

「ウルバン将軍も下がって! 羽音がするなら、ペガサスが来るかもしれないわ!」

 ウルバンが飛び退りながら、「弓と槍、用意!」と命じた。

 崖の下から大きな黒い影がせり上がってきた。


「『漆黒の天馬』!」

 叫んだのは、ギーゼラだった。『見た者は死ぬ』とまで言われている、最強の天馬騎兵の一人がそこにいた。

「皇帝陛下が……、皇帝陛下が……、お嬢様を殺そうと……!?」


 黒い翼を大きく広げたペガサスの背には、革鎧を着た天馬騎兵。構えた大弓から、コリーナに向かって矢が放たれた。

 鋭い音をたてながら飛んできた矢は、ツァハリアスの大剣で軽々と半分に切られた。

 コリーナの視界の端で、ウルバンが天馬騎兵から死角になるペガサスの右の翼の下に入った。


「お前如きに、このわたくしが殺せるかしら!?」

 コリーナは精一杯の挑発をしながら、ツァハリアスの隣に立った。金のレイピアをペガサスに向かって、まっすぐに突き出してみせた。

 天馬騎兵は無言で再び矢を放った。またしても、矢はツァハリアスが大剣で弾いた。

「天馬騎兵とはその程度の腕前か!」

 コリーナは嘲笑った。


 天馬騎兵は大弓から槍へと武器を持ち替えようとした。

 その隙を逃さず、ウルバンがペガサスの後方から右の翼の付け根に飛びついた。バランスを崩したペガサスが砂ぼこりを巻き上げながら地面に倒れ込み、乗っていた天馬騎兵が投げ出された。

 倒れたペガサスには護衛兵の一人が騎乗し、体勢を立て直させて天へと駆け上がった。


 天馬騎兵は素早く体勢を立て直すと、槍を構えようとした。その背中を、ウルバンのサーベルが斜めに切り裂いた。

「ウガァ――ッ!」

 絶叫しながら、天馬騎兵は槍を構えた。その目は、コリーナだけを探していた。

 兵士たちの槍が、天馬騎兵を取り囲んだ。

「単騎で奇襲とは良い度胸だ。戦功を焦ったか?」

 ウルバンはサーベルを大きく振って血を払い、鞘に戻した。

「この狼藉者め! 皇帝陛下の命で辺境王妃殿下のお命を狙ったのですか!?」

 ギーゼラが少し離れたところで叫んだ。

 天馬騎兵が、なにかが奥歯に挟まった時のような口の動きをした。その顔に苦悶が浮かび、槍が地面に落ちた。続いて、天馬騎兵の身体がゆっくりと膝から崩れ落ちた。

 天馬騎兵は絶叫以外には、一言も発することなく息絶えた。


 護衛兵がペガサスを操り、地上に戻ってきた。


 天馬騎兵の死体は、辺境軍の兵士が近くの林の中に埋めに行くことに決まった。

 天馬騎兵は携帯食と武器の他には、密書の類などはなにも持っていなかった。


 ウルバンがギーゼラにペガサスについて訊ねていた。ギーゼラは、ユニコーンは純潔の乙女にしか扱えないが、ペガサスはただ翼が生えているだけの馬だと答えていた。

 その翼のせいで少々扱いの難しいペガサスは、コリーナの指示でザーランド伯爵に預けられることになった。

 ペガサスに乗っている護衛兵と、彼が隊に戻るための馬を連れて行く護衛兵と、彼らを護衛する護衛兵三人が、金杯軍のマントを羽織ってザーランド伯爵領に戻って行った。



 ウルバンがコリーナの前に来てひざまずいた。

「危険なめにあわせてしまい、申し訳ありません」

 ウルバンは静かに首を垂れた。

(なぜ彼は謝っているの……)

 コリーナはウルバンと共に崖から夕日を眺めていただけだ。

 その崖だって、コリーナが自分から近づいたのだ。ウルバンに無理やり連れて行かれたわけではなかった。

 雑談から少し難しい話になったけれど、一緒に楽しくおしゃべりをしていたつもりだった。

 天馬騎兵をほとんど一人で倒したのだって、この目の前で詫びている男だ。

(これが身分の差……。彼は半獣半人の奴隷で、わたくしは人間の貴族……)

 コリーナが鼻持ちならない貴族の令嬢ならば、『驚いたじゃないの!』とウルバンを責めることすらできた。責めるどころか、罰を与えて苦しめてもよいのだ。


 今のコリーナの仕事は、彼を許し、立たせて、仲間の元に戻すこと。コリーナ自身も、やるべきことはわかっていた。

 ただ、身体が動かなかった。

「妃殿下……?」

 ウルバンが戸惑いながら、コリーナを見上げていた。

 コリーナは震える手を持て余し、握ったり開いたり、組んでみたりしていた。



 前世の牢で出会ったウルバンは、コリーナの隣に座って、いろいろな話をしてくれた。涙を流せば拭ってくれて、震えれば抱きしめ、時には大袈裟な動作で笑わせてくれた。

 コリーナが笑うと、ウルバンは満足げに空色の目を細めていた。

 あそこには、身分の上下などなかった。

 前世でも、今世でも、あの一夜ほど楽しく幸せな時間はなかった。



「妃殿下、どこかお怪我でもされましたか?」

 ウルバンが許可なく立ち上がり、コリーナの顔をのぞき込んだ。

「顔色がひどく悪いです」

 コリーナはウルバンから顔を背けた。

「医師をお呼びしますか?」

 コリーナは首をふった。

 ウルバンは返り血で濡れている自分の手や服を見下ろした。指先で額をぬぐうと、その指先も血に染まった。

「ああ……。このような姿で失礼いたしました」

 ウルバンはコリーナに背を向けて歩き去った。

 コリーナはただぼんやりとその姿を見送った。



 ウルバンが身にまとっていた血と汗と砂ぼこりの入り交じった匂い。それは、コリーナにとって、前世の牢の中で出会った、愛する男の懐かしい香りだった。

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