12.レミアムアウトの一の尾根(中編)
「今、皇都で『皇帝陛下と対立している者』といったら、みんなビットラン侯爵と答えるでしょうね!」
シシーが断言すると、隣でギーゼラが「そうですよ」とうなずいた。
「ビットラン侯爵などという方は聞いたことがないわ。だいたい、ビットラン家などという家門はなかったはずだわ」
コリーナは皇后となるために学んだ、貴族たちについての知識を思い出しながら言った。
「コリーナ、皇都では『辺境の砦』の長、チネンタル公爵をモデルにした本が流行ってるんだよ」
「ビットラン侯爵というのは、チネンタル公爵のことなのですか?」
ウルバン将軍が確認した。
「そうなんです、チネンタル公爵なんです! チネンタル公爵と半獣半人の下女の、身分を越えた恋のお話なんです!」
シシーは満面の笑みだ。
「その下女をチネンタル公爵が騎士にしたんだよ。だから、この前、コリーナも半獣半人の女騎士だと勘違いされたんじゃないかな? 半獣半人は男女を問わず騎士にはなれないのに」
ツァハリアスが顔をしかめた。コリーナがザイクタイルの町で男に絡まれた時のことを思い出しているのだろう。
「疾き褐色の槍騎士様。『ビットラン侯爵と野に咲く薔薇』では、野薔薇の弓騎士様ですよ」
ギーゼラが解説する。どうやらギーゼラも愛読しているようだった。
「そういえば、ツァハリアス護衛兵長様みたいに騎士名に武器の名前が入っていないのは、仮に付けられた騎士名なんですね! 『ビットラン侯爵と野に咲く薔薇』に書いてありました!」
「シシー、僕の話はいいよ……」
子爵令息であるツァハリアスが困った顔をした。
「ビットラン侯爵、もといチネンタル公爵は婚姻後にすぐ奥様を亡くされて、今も独り身でいらっしゃいます。まだお若いのに長らく再婚されないため、一族から養子をもらうつもりだろうと目されていました。そんなある日、辺境の領地にいる一族の者が、一人の美しい半獣半人の下女をさし向けるんです」
ギーゼラがさらに解説し、「さし向ける……」とウルバンが繰り返した。
「実際にはただ料理上手だったから贈られたようなのですが、物語ではビットラン侯爵を誘惑するためとされていますね。『辺境の砦』は結束が固いので、一族で足を引っ張りあうようなことはしないはずですよ」
「それで、どうして皇帝陛下と対立するのでしょうか……?」
ウルバンの問いはもっともだった。貴族の男が半獣半人の下女に手をつけたからといって、普通ならば皇帝とは無関係だろう。
「皇帝陛下もその下女を気に入ったのでしょうか?」
「それではありきたりですよ!」
言ったのは、またもギーゼラだった。ギーゼラがそんなにも恋愛物語に詳しいなど、コリーナは知らなかった。
「チネンタル公爵は屋敷の使用人に手を出せないんです。亡くなった奥方様とのお約束をずっと守っていらっしゃるんです! 一途な愛なんです!」
シシーがうっとりとした目をして、祈るように胸の前で手を組んだ。
「それでは関係の深まりようがないですね」
ウルバンの冷静な分析は、シシーとの温度差がすごかった。
「皇帝陛下とは、いつ対立するの?」
コリーナが訊ねた。
「そこでですよ!」
ギーゼラの声に力が入った。
「チネンタル公爵は本気で下女を愛し、下女もまたチネンタル公爵を愛しました。チネンタル公爵は跡継ぎ問題で悩んでいます。誰を養子にしても、一族に波風が立つかもしれません。さらに、チネンタル公爵は皇帝陛下から皇女グンドゥラ殿下を娶るよう命じられてしまいました。だから、下女は身を引こうとするんですよ!」
「ああっ、切なすぎます……!」
シシーが己の身体を抱きしめた。
「そんな状態ですから、チネンタル公爵は悩みに悩んで、ある日、昼間から酒場にいました。そこに、下女が来て、こう言うんです」
「あたしが跡継ぎを産んでやりたいけど、あたしは半獣半人だ。公爵様の子を産んだところで、その子もただの使用人さ。公爵様の子供とは認められない。さっさと皇女様を嫁に迎えなよ」
テーブルに突っ伏していたチネンタル公爵は顔を上げて、下女を見つめた。
「私が望めば、私の子を産んでくれると言うのか?」
「そうじゃない。あたしが産んでやりたいと勝手に思ってるのさ。公爵様の望みなんて関係ないね」
チネンタル公爵は下女にひざまずき、その手をとった。
「我が妻になってくれるか?」
「この酔っ払いめ! 半獣半人を相手になにやってるんだい!? この国では半獣半人が人間の妻になんて、なれやしないんだよ……」
下女は慌てて、チネンタル公爵を立たせた。
チネンタル公爵は下女に、テーブルに置いてあった杯を渡した。下女は杯の中身を一口飲んでみた。
「公爵様、帰りましょう」
下女は静かに促した。
「お前はいい女だ。そういうところが好きなのだ」
「帰りますよ」
「水だろう」
「この酔っ払いがなに言ってるんだい! 帰るんだよ!」
下女は叫んだ。
「私が飲んでいたのは水だ。酔ってなどいない」
「酔っ払いはだいたい、酔ってないって言うだろう! 帰るよ! 自分で歩けるかい?」
下女はチネンタル公爵の腕を引いて帰ろうとした。
チネンタル公爵は再びひざまずき、下女の手を握った。
「私の側女になりたがる半獣半人の使用人は大勢いた。他の者たちならば、先ほどの私の求婚に応じた上で、嬉々として妻ではなく側女になっただろう。だが、お前はそうしなかった。水だとわかっても、私が酔っていることにしようとしてくれた。自分のことよりも、私の体面を考えてくれている」
「なに言ってるんだい! さっさと立って!」
「酔ってなどいない。信じてほしい。私はあなたを妻に迎える。どんなことをしてでも、側女ではなく妻に!」
チネンタル公爵はそのまま下女の腕を引いて戸籍管理局に行き、一人の戸籍管理官を肩に担いで皇宮へ。皇帝の前までそのまま進み、震え上がっている皇帝を立会人として婚姻を成立させようとした。
しかし、婚姻は許可されず、戸籍管理官は殺された。




