11.ユニコーンの乙女
ザーランド伯爵の館を発った婚礼行列の雰囲気は暗かった。
ツァハリアスは、何度も自分の伯父の行いを詫びていた。
「ツァハリアス護衛兵長、気にしないでちょうだい。辺境と皇都を行き来する上で、ザーランド伯爵は避けて通れない方よ」
コリーナが馬を進めてツァハリアスの横に並んだ。
ツァハリアスは力なくうなずいた。
「コリーナ、まだ辺境王殿下と並んで進んだ方がいいよ。まだ伯父上の領内だから、『目』が監視してるよ」
「そうだったわね」
コリーナは馬の速度を落とした。
ウルバンがすぐにコリーナのそばに馬を進めた。
「レミアムアウトの峡谷まで、このまま行くとしよう」
ウルバンはザーランド伯爵の監視を警戒し、まだ辺境王として振る舞っていた。
(ウルバン将軍はなんという度胸のある方なの……。ザーランド伯爵が半獣半人である方に賭け、受けて立ってきていたら、命がなかったかもしれないというのに……。ザーランド伯爵にはそんな危険を冒せないと、見抜いていたのでしょうけれど……)
コリーナが黙っていると、ウルバンがさらに馬を寄せてきた。
「疲れたのか?」
ウルバンがコリーナの腕を引いた。
「あ……っ!」
ウルバンは馬上で体勢を崩したコリーナを引き寄せ、抱き上げて自分の前に座らせた。コリーナの馬の手綱を引き寄せると、自分の馬の手綱と共に握った。
「なにかお話したいことがあるなら、今のうちにおっしゃってください。これならば、さすがに『目』という者たちにも、我々の話は聞こえないでしょう」
ウルバンがコリーナの耳元でささやいた。
(ウルバン将軍……、もう危ないことはしないで……)
コリーナは思ったが、口には出せなかった。危ないことをしないで行かれるような道のりではないことを、コリーナもわかっていた。
コリーナが黙っていると、ウルバンが話し出した。
「自分はここに至るまで、皇太子殿下の許嫁というのがどういうものか知らずにいました。騎乗する前にギーゼラ様と少しお話をさせていただいて、ようやくわかりました」
ウルバンはザーランド伯爵の館を発つ前、ギーゼラと話をした後、なぜか「ディートマー……ッ!」と血の繋がらない兄の名を叫んでいた。
「なにがわかったというの?」
コリーナには、ウルバンが血の繋がらない兄の名を叫ぶような話がなんなのか、まるでわからなかった。
「失礼ながら、妃殿下はまだ子供です」
「子供……? わたくしが……?」
「はい、自分のような者から見たら子供です。若く美しいご令嬢のお姿をして、辺境王殿下に嫁ぐことが決まっていても、妃殿下は子供でいらっしゃいます」
「意味がわからないわ」
「そうでしょう」
ウルバンは言葉を切った。
「皇太子妃が嫁ぐ時には、ユニコーンを伴うしきたりだそうですね」
「ええ、そのために王宮では、献上されたユニコーンを飼っているわ。繁殖に成功した馬丁が、繁殖公という公爵位をもらったりしていたわね。献上した者も、庶民ならば褒美に子爵位をいただけるわ」
「ユニコーンのお世話をする者たちも、みんな純潔の乙女なのですよね?」
「もちろんよ。ユニコーンは純潔の乙女にしか扱えないんですもの。繁殖公も女性の公爵なのよ」
ウルバンの小さなため息が、コリーナの髪に落ちた。
「皇都や皇都に近いところにお住まいの方々にとっては、『皇太子殿下の許嫁』とはそういうもの。常識だったのでしょう。自分のような辺境の田舎者には、想像もできないことでした」
「さすがのウルバン将軍も、皇族の婚礼作法までは知らなかったのね」
コリーナは小さく笑った。
「……数々の無礼な振る舞いをお詫びいたします。これからは護衛に専念いたします。どうかお許しを」
「どういうこと? 無礼なことなんてなかったわ」
「妃殿下は……、身も心も清らかな乙女でいらっしゃいます。なにもご存知ないのです。自分は妃殿下をわかっていませんでした」
「ウルバン将軍の言っていることが、よくわからないわ……」
コリーナは困り切った声で言った。
「こんなことを言う自分も、実は世事には疎いのです……。妃殿下にこんなことをお訊きするのは失礼かもしれませんが……」
ウルバンは言葉を切った。
「なにかしら?」
「その……。なんと言ったらよいものか……。非常にためらうのですが……」
言い淀むウルバンは、顔も耳も真っ赤に染めている。
「わたくしにわかることなら答えるわ! 安心して言ってちょうだい」
コリーナは軽くふり返って言った。
「……子供というのは、男女が口づけを交わすとできるのですか?」
「そうよ。知らなかったの!?」
コリーナは驚いて答えた。
「そう……だったのですか……?」
「ウルバン将軍ほどの方でも、女性関係には疎いのね。月夜の晩に精霊が届けてくれると信じていたの?」
「ああ、ええ、まあ……。ええ、そう……。そう、ですね……。そのような……感じでしょうか……? 教えてくれるような者もおりませんでしたので……」
ウルバンはコリーナの乗っていた馬の手綱を引いて近寄らせた。無言でコリーナを抱き上げ、隣の馬に乗せた。
「ごめんなさい! 傷つけるつもりはなかったの! ただ少し意外で……」
コリーナはウルバンに馬を寄せたが、ウルバンは距離をとった。
「フォルカーに話がある。貴女はこのまま進んでくれ!」
ウルバンは自分の後ろにいるフォルカーの名を呼び、手で来るように合図した。
ウルバンとフォルカーは、隊列から少しだけ距離をとって並んだ。
コリーナが心配しながら見ていると、ウルバンは片手で目を覆い、苦し気になにかを言った。
「ひぇ……!?」
フォルカーが叫び、ウルバンがなだめているようだった。
「大の大人がそんなことを訊ねるなんて、どうかしてますよ!」
フォルカーが叫び、ウルバンが「声を落とせ!」と何度も必死で言った。
「よく質問できましたね! そういうのは子供が親に訊ねて、気まずい雰囲気になるヤツですよね!? 大の大人がありえないですよ! どうしちゃったんです!?」
フォルカーの発言だけが響きわたった。
辺境軍の兵士もザーランド家の護衛兵も、ざわつきながらウルバンとフォルカーを見ていた。
「ふぇ……!?」
フォルカーが再び妙な声で叫んだ。
「声が大きい!」
ウルバンがフォルカーよりも大きな声で叫んだ。
「いや、だって……! 本当のことを知る機会ぐらいありますよね!? もう嫁げる年齢ですよ! 皇太子妃になる教育では教えないんですか!? からかわれているのでは!? なにがどうなって、それで子供ができると思うんです!? そこまでいっちゃうと、月夜の晩に精霊が届けてくれる方が、まだリアリティがあるんじゃないですか!?」
「どうやら本気で信じているようだ! だから、こうしてお前に相談している!」
ウルバンは、顔から耳、首、さらに肌蹴たままの胸元まで赤くなっていた。
またウルバンがフォルカーになにか言った。
「そこを疑っちゃダメですよね!? できるわけないでしょう! 絶対にできないですって! それじゃあ、娼館はなにをするところなんです!?」
「やはりできないか」
ウルバンはほっとしているようだった。
「俺に言わないと受け止めきれないような話だとは思いますが、今度は俺が受け止めきれないですよ! どうしてくれるんです!?」
「すまない。お前には苦労ばかりかけているな」
「こんな話、誰にも言えないじゃないですか……。本当にどうしてくれるんです……」
ウルバンとフォルカーは並んで隊列に戻ってきた。
(あんなにショックを受けて……。ウルバンもフォルカーも、本当に子供は月夜の晩に精霊が届けてくれると思っているのね……。ああ、彼らには、わたくしにとってのギーゼラのように、いろいろと必要なことを教えてくれる者がいなかったのだわ……)
コリーナは気遣わしげに、早くに両親を亡くした二人を見つめた。
隊列のあちらこちらで、二人の会話について噂が飛び交っていた。
噂のどれもが的外れだった。
噂を盗み聞きしたザーランド伯爵の『目』たちは、それぞれが報告を上げたことにより、ザーランド伯爵を大いに困惑させた。
ザーランド伯爵は辺境王が皇都に舞い戻ったかもしれない件と、この噂の件を受け、『目』の情報収集の精度を疑い、領地内への監視体制を強化した。




