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向日葵が消えた夏

作者: 長月きいこ

 頭上に広がっている快晴の空の影響だろう、うっすらと青み掛かって見える周囲の景色を眺めながら、私は彼の話を聞いていた。


 うちの学校には裏門へと続く長い階段がある。何十年も前の夏の話のこと。ある生徒がいじめに遭っていた。その生徒は、自分をいじめる生徒から逃げていた際に、足を滑らせそこの階段から落ちて亡くなった。

 その後毎年夏になると、階段の下にある植樹帯に、複数輪の向日葵ひまわりが咲くようになった。

 もし向日葵が咲いていたら、挨拶の一言だけでも向日葵に話し掛けると良い。そうすれば永遠の友達ができるらしい。

 ただし、咲いていた向日葵の数が、ある日突如として減った時……


「亡くなった生徒に呪われちゃうんだって……」


 彼の「こんな話知ってる?」から始まったいわゆる噂話は、お化けのポーズ付き、いつもより低い声音で、ゆっくりとしたテンポで、語尾を震わせて締め括られた。

 私もその向日葵は知っている。鮮やかな黄色が眩しくて綺麗で、寄り添って咲いている様子は、永遠の友達と言うのにぴったりかもしれない。

 記憶の中の向日葵が私を見ていた。


「……初めて聞いた」


「えっそれだけ? 何か反応薄くない?」


「こんな話知ってるかって聞いたから」


「そうだけどさあ。今も向日葵咲いているでしょ? 数減ってないかなとか考えると怖くない?」


「全然怖くない。もしもその話が本当なら、いじめていた生徒の方が嫌。生きている人間の方が怖い」


 何を考えているのか分からないから、と付け加えるのはやめた。


「本当にそう思うの?」


「うん本当。……何その顔」


 満面の笑みで私を見ている彼に問い掛けた。


「ううん。人間の方が怖いっていうの、僕も同じだから。嬉しかっただけ」


 僕も同じという彼の言葉に、彼のふと見せた憂いを帯びた表情に、とても安心した私がいる。


「そう」


「うん。まあ噂話だし、尾ひれを付けて広まっちゃうこともあるよね。どこまでが本当なんだろうね」


「うん」


 お互いに何かを察しながら思い思いの時間を過ごしてきた。私の気持ちを洗いざらい彼に伝えたら、今の関係はどうなるのだろう。

 ぼんやりと思い浮かんだ一冊の本のタイトルが、次第に鮮明になって私の頭の中を支配していく。そういえば……


「向日葵と仲良くしてほしい」


「え?」


 私の口から出てきた言葉は本のタイトルじゃない。それから逃げる為に出てきたものだった。

 何の脈絡もなく発した私の言葉に、彼が戸惑った様子を見せたのは一瞬だけで、彼は目を輝かせた。


「向日葵って、何何? さっきの噂と何か関係ある?」


「どうだろう……前に図書室で本を読んだ時、その本にノートの切れ端が挟んであって」


 彼は相槌を打ちながら私の話を聞いていた。

 罫線が印刷された紙の切れ端には、中央に手書きの小さな文字が横に並んでいた。


「そこに書いてあった。向日葵と仲良くしてほしいって」


“向日葵と仲良くしてほしい”

 思い返せば、一文字一文字丁寧に書かれていたなと感じる。どの文字も罫線をはみ出すことなく書かれていて、走り書きしたような文字には見えなかった。

 噂話になぞらえて誰かがいたずらで準備したとも考えられる。あの本を手に取る人は一体どのくらいいるのだろう。


「関係あるかもね」


 彼は楽しいと言わんばかりに私の目を見た。

 屋上で話をする私たち二人の姿は、傍から見たらどんな風に見えているのだろう。青春を謳歌しているように見えるのだろうか。

 授業の終わりを告げるチャイムが鳴り響いていた。



「最近学校に来てないらしいよ。隣のクラスの――」


「知ってる! 一年の時の委員長でしょ? 意外だよね。真面目なのに。学校で倒れていたって聞いたんだけど。今も目を覚まさないで病院にいるとか、家に帰ってなくて行方不明とか色々言われてる」


「えっ嘘! 大丈夫かな」


「本当それ。心配だよね。誰も詳しいこと知らないし」


「うん……あっやばい! 早く移動しないと時間ない! 怒られる」


「あの先生うるさいよね」


 言葉では心配していても、それが心からの言葉ではない上辺だけのものなら直ぐに忘れられてしまう。今会話していた彼女たちも、直ぐに次の話題へと話が移ってしまった。

 次の授業の開始を告げるチャイムが鳴り響くなか、誰もいなくなった教室を出る。

 本音を隠して取り繕っても本当に仲良くなれる訳がない。どうせ……そこまで心の中で呟いて、自分の考えを打ち消すように足早に階段を上った。最上階まで来た所で屋上へと続く扉を開ける。生ぬるい風が頬を撫でた。


「昨日ぶり」


 扉が開く音に気が付いた彼が振り向いて言った。私は小さく手を振ってそれに返事をし、体育座りをしている彼の隣へと座った。


「今日は何の授業?」


 上目遣いに彼が問い掛けてきた。


「体育」


 淡々と答えた私に彼がくすりと笑う。


「僕も苦手。のろまらしいし、走るの疲れるし、転ぶし」


 彼は何かを思い出したみたいで、膝を抱える手に力が込められたのが分かった。


「そろそろ終わりかな」


 彼は前を見据えながらぽつりと言った。


「何が?」


「屋上でサボるの。今日はまだマシなんだけどさ」


「うん」


「これから嫌でももっと暑くなるよなって」


「そうだね」


「嫌でしょ? 暑いの」


「うん」


「夏休みももうすぐだね」


「うん」


 私の肯定する返事で会話は途切れた。遠くの方でホイッスルの音が聞こえた気がした。授業をサボった罪悪感なんてものはこれっぽっちも無いけれど、彼と会えなくなることは嫌だと感じる自分がいることに気が付いた。

 授業の時間に屋上で会うサボり仲間。……仲間と呼ぶのも違うのかもしれない。授業をサボる私と授業をサボる彼。彼との関係性に名前を付けるとしたらそれだけで、ただ事実を述べることしかできない。

 授業が行われている50分間の間に会話をしたりしなかったり。一緒に景色を見たり見なかったり。私が本を読んでいる隣で彼が寝転んでいたりする。

 彼に関する情報は、些細な会話から得たものと、彼の表情や仕草、見た目から得られる私の推測によるものだけだ。それは彼から見た私という人物も同じことが言える。お互いに深く関わろうとしない、だけど隣にいる。そんな距離感が私には心地よかった。

 初めて会ったあの日も彼は私より先に屋上にいた。



 初めて授業をサボったその日は、まだ今日よりも少しだけ冷たい風が頬を撫でていった。彼は眼下の景色を眺めていた。

 半袖の白いシャツに黒いズボン。夏服のその背中をぼんやりと見つめていたら不意に彼が振り向いて目が合った。


『君もサボり?』


 小首をかしげて彼は私に問い掛けた。


『…………』


 じっと私を見る彼に、直ぐに返事ができなかったのは、期待と不安が入り交じっていたからだ。


『……違うか』


 彼は私の返事を諦めたみたいで、再び私に背を向けた。その背中が寂しそうに見えたのは、彼も私と同じ境遇だと勝手に決め付けたからだ。


『サボりです』


 彼の背中に話し掛けた。振り向いた彼と再び目が合って、私はもう一度同じ言葉を伝えた。

 彼は目を見開いて驚いた反応を見せた。そしてくすりと笑った。


『僕屋上でのんびり過ごすのに憧れていたんだ』



「おーい? 大丈夫?」


 耳元で聞こえた彼の声に我に返った。


「うん大丈夫。ぼおっとしてただけ」


「何? 考えごと?」


「うん。私たちが初めて会った日のことを思い出してた」


 彼とは授業がある時間に屋上でしか会ったことがない。次はいつ会おうっていう口約束をしたことがない。何度かお昼休みに屋上に行ったことがあったけれど、他の生徒たちで賑わっているその場所に彼の姿はなかった。一度だけ彼に聞いたことがあったけれど、「みんな楽しそうにしているんだもん。それを一人で見ているのが嫌だ」と言って頬を膨らませていた。

 暑くなったら、夏休みに入ったら、他の場所で会えばいい。約束をして会えばいい。ただそれだけのことなのに、今まで通りを変えるのは少し怖かった。今の関係だからこそ、近付くこともないけれど、離れることもないと思うから。


「ひとりぼっち」


 唐突に彼から発せられたのは、あの日読んだ本のタイトルだった。耳が彼のその言葉を鮮明に拾って、それが胸を刺した。胸が波打って、その言葉が頭の中を、私を支配していく。私は傷付いているのだと言い訳する為に、自己防衛の為に涙が込み上げてくる。


「ひとりぼっち……」


 口から一つだけ吐き出しても、それは増殖して消えてはくれない。

 ひとりぼっち、ひとりぼっち、ひとりぼっち、ひとりぼっち……

 そんなのはいらない。今の状況から抜け出したくて、助けてほしくて、懇願するように彼の目を見つめた。

 彼は笑みを浮かべて一つ頷いた。


「僕も読んだことあるよ。君はどうしてあの本を手に取ったの?」


 彼の一言一言に意識を向ける。

……あの本読んだんだ。

……君……お互いに名前も知らないね。


「私は……」


 私がその本を手に取ったのは、私にとっての何かヒントが書いてあるかもしれない。それ以上に答えが書いてあるかもしれないと思ったからだ。真っ白いその本の背表紙に書かれていた黒色の文字が、数ある本の中で浮いて見えた。まるでその本自体が主張しているように見えた。

 塗り絵の中の真っ白な世界で、ひとりぼっちで生きる女の子が、色と出会い、友達を増やしながらその世界を彩っていく物語。

 その本を読んで私は主人公に共感した。安心した。だけれどそれは最初だけで、どんどん私から離れていく主人公に嫉妬した。

 私はずっと……ずっと私は……


「本のタイトルみたいに、図書室の本棚の目立たない場所にあってさ。ちょっと埃を被ってて、誰も見てくれな――」


「寂しかった……寂しい」


 彼の言葉を遮って私の口から出た言葉に、彼は目を見開いた。初めて会ったあの日と同じ驚いた反応だ。

 あの日と違うのは、少しだけ季節が進んだことと、彼の笑った顔が眩しいくらいに嬉しそうなこと。


「誰からも嫌われたくなくて、本音を隠して、自分からみんなと距離を取ったくせに……上辺だけだったのは私なのに……まだみんなみたいな日常に、関係に、憧れて期待しているの」


「こんな話知ってる?」


 彼は嬉しそうな顔をそのままに話し始めた。どうしてそんな顔をするの。僕も同じだって共感してくれないの。大丈夫だよって言ってくれないの。友達にはやっぱりなれないの。

 私は目をつぶった。彼の声が、言葉が耳に入ってくる。


 この学校の図書室にある、一冊の本にまつわる話。その本は小説で、タイトルはひとりぼっち。その本には一枚のノートの切れ端が挟んであって、そこに書かれた言葉は、ある生徒が一文字一文字、自分の気持ちを込めて書いたものだった。誰かに伝えたくて、だけれど伝えられずにいたそれを、その本に託した。その生徒は数週間後、階段から落ちて亡くなった。その生徒の死後、そのノートの切れ端を触った人に、亡くなった生徒の姿が見えるらしい。


 数秒の静寂の後、話の終わりを告げるように、手を叩いた音が一度だけ聞こえた。その音を聞いて私は目を開けた。私の目からこぼれた涙は何だろう。

 目が合った彼は弾むように立ち上がった。


「向日葵の噂、もう誰もしなくなっちゃった。僕しか知らないんだ」


 両手を広げ、その場で回って見せた彼の、話す声は明るいのに、私を捕らえたその目に輝きはなかった。


「ある日突如として向日葵の数が減る理由なんだけど、実はあの噂にはもう一つあってね」


 咲いている向日葵に向かって絶対に悪口を言ってはいけない。もしもそれに背いた場合、咲いていた向日葵がある日突如として消える。そして……


 私は思い出していた。


『みんなと一緒でいいね。……嫌いだ』


 向日葵に向けて言った言葉と、そんな考えが出てしまう自分自身に向けて言った言葉だった。


「ムカイアオイ。僕の名前。よろしくね」



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