母巫女の死
エイッサーッヨーイ!
エイッサーッヨーイ!
日輪の睨るヤマトのクニじゃ
山祇に流るる水の
流るる水の
水くくる玉藻の鎮石
その秀つ宝珠
その美し宝珠
エイッサーッヨーイ!
エイッサーッヨーイ!
火祇のうしはくヤマトのクニじゃ
タタラ炉に沸きたつ鉄の
沸きたつ鉄の
おしはぶれ鐸のスズよ
その堅き矛はや
その美し刃はや
太鼓の音に調子をあわせ、鞴を踏む男たちがタタラの謡を歌う。
噴き上がる火のるつぼに惜しみなくどんどんと炭をくべ、屈強な男たちが代わり番子に踏み続ける。
棟梁石にあぐらをかき、見えない目をカッとうち開いたまま、ヤマヒコは微動だにしない。
(まだ、まだだ……)
ヤマヒコは、若い頃から先代の火守長老に勘の鋭さを買われ、その下で長年において修行を積んできた。
火の色を凝視めすぎて網膜が焼かれ、やがて利き目が見えなくなった。
「それでいい。そっからが本物だ」
先代の火守長老はそれをことのほか喜び、この後ほどなくして長老の座をヤマヒコに譲りわたした。
火守の大役を継ぐことができるのは、たったひとり。
長子がいるにもかかわらず、先代の長老はヤマヒコを後継に選んだ。
それほど、ヤマヒコは優れた火守人であった。
長老となってからまもなく、もう片方の目も見えなくなっていったが、不思議なことに、炉に燃える火だけは、前よりもっとよく見えるようになった。
だが、火の神は気まぐれだ。
どれほど熟練しようとも、どれほど決まった手順を守ろうとも、火の神が宿らねば鉄にはならず、ぐずぐずの鉄まがいになってしまう。
「おし! 初種入れよ!」
ヤマヒコは竹の棒でピシリと地をたたき、指示をだした。
すると長老の次席をつとめるタタラ首長、モモヒコが歩みでて、砂鉄に神への供物を混ぜくわえた「初種」を炉の中へ捧げいれる。
多くの鉄穴師たちが命をかけ、昼夜をわかたず山を掘り、ようやく手にいれた砂鉄なのである。
貴重な砂鉄をムダにすることなど、絶対に許されない。
タタラ屋のなかの、むっと立ちこめる高温のせいだけでなく、ただ肝を引き絞られるような緊張のために、ヤマヒコの額には汗が滲みでていた。
(まだか……?)
ヤマヒコの盲た目が白く光る。
そのとき。
火の神殿を前に、一枚の白絹が広がるように平伏していたタタラヒメが、身を起こした。
ヤマヒコにはタタラヒメの姿が見えるはずはないのだが、不思議なことに、真っ暗な闇の中に、一穂の炎が人形に影をむすび、それがすっと立ち上がるのが見えるのである。
「いまだ! 次の手を入れよ!」
ヤマヒコは声を張りあげた。
「はっ!」
周囲が慌ただしくなる。
すぐに、次の砂鉄が放り込まれた。
「踏め! 踏め! もっとだ! 風を送れ!」
「はっ!」
鞴を踏む力が強くなる。
「このまま炎を枯らすな! つなげ!!」
ヤマヒコにはタタラヒメの姿は直に見ることはできない。
しかしこの巫女に神が宿るとき、その身は金粉をまとった蝶のように金の光に彩られるのである。
(なんと美しい……、なんと美しき舞であることか……)
炎の色は赤から黄へ、さらに白へと変化してくる。
タタラヒメは舞い狂い、カグツチとサヒモチの二神をその身におろし、炉の中で荒ぶる神を溶け合わせた。
(これはいい。これはいい。わしにはわかる。これまでになく凄まじい業物ができるぞ!)
ヤマヒコの心は高鳴った。
「歌え! タタラヒメを助けよ、こころを一にせよ!」
「はっ!」
エイッサーッヨーイ!
エイッサーッヨーイ!
日輪の睨るヤマトのクニじゃ………!
汗みずくになりながら、男たちの謡は低く高く続き、火の粉とともに夜空へ吸いこまれていった。
そして上り詰めていく。
その最高のときへと。
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「今でもわすれません、そのときでございました。禍神が降り下ったのは……」
「……まがつひ?」
深刻な顔でおし黙ったヤマヒコに、サヒは聞きかえした。
ヤマヒコは頷き、
「まがつひも、まがつひならむ。あれがそうでなくば、ほかに禍神などおりますまい。ねじけた人のこころにつけいる、悪しき神に違いありません」
といった。
「母に……、タタラヒメに悪い神が降りたということですか?」
「いいえ」
ヤマヒコは驚いて首をふった。
「タタラヒメさまの強さと清らかさは比類のないもので、悪い神など寄せ付けようもございませんよ」
そうではなく……、ヤマヒコは言い淀んだ。
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「わしを覚えているか! 覚えていないなどとはいわせないぞ!」
どこか聞き覚えのある声が、なにやら騒いでいる。
これからタタラ炉でもっとも重要な工程にはいるというときであった。
「目にものを見せてやるといったはずだ、わしを除け者にしやがって!」
その声はわめきちらした。
「おまえ、戻ってきたのか!」
首長であるモモヒコが呆気にとられたようすでいった。
「カギロイビコのやつ、戻ってきやがった……」
モモヒコは、目の見えないヤマヒコにこのことを耳打ちした。
(カギロイビコ?)
ヤマヒコの話を聞いていたサヒは聞き覚えのある名に首をかしげた。
サヒは、カギロイオキミという人を知っている。
クマワニを斬ってすてた、あの悪い男だ。
その男に名が似ている……。
話は戻る。
「おまえ、なにを踏みつけて立っているかわかっているのか! そこは何人たりとも上がってはならぬ神の磐座だぞ!」
モモヒコは怒鳴った。
「知ったことか!」
カギロイビコは唾を吐き、その磐座にむす苔を蹴りはがした。
「わしはもうこのタタラとはなんの関わりもない。わしに物をいうな!」
「……そうだ、なんの関わりもない。なにしに来たのか知らぬが」
ヤマヒコは冷静だった。
「みなみな、鞴を止めるな! 火を燃やし続けろ! タタラヒメを見よ、巫女は踊り続けておる! まだタタラは終わっておらぬ! 続けよ!」
ヤマヒコは意に介さない。こんなことで炉の火を絶やしてはならないのだ。
長老の冷淡な態度に、ヤマヒコは激昂した。
「殺してやる! 殺してやる! 殺してやる! なにもかもめちゃくちゃになればいい!!」
カギロイビコは恐ろしい声で喉も裂けよと叫び、そして………―
「……そのとき蛟が現れましたんです」
絞り出すような声で、ヤマヒコはいった。
わしは見ました。
この目は満足にものを見ることもできませぬが、確かに見たのです。
蛟……―荒ぶる水神の化身を。
炉の中の、沸きたつ白い火の中に、蛟が天からまっすぐに落ちてきた。
そこにいる者たちは、目をみひらくことしかできなかった。
巫女王も、動きをとめた。
すべての音が消えた。
直後、閃光と轟音がこだました。
せめぎあっている火の塊のなかに、水神がつっこんだのだから。
タタラ炉の中で蛟はのたうちまわり、苦し紛れに火を喰いながら、地を揺るがすような咆哮を上げた。
あまりの熱に、たまらず蛟は飛びあがり、天に逃げようとした。
すると、それを追いかけて火柱があがり……火の雷が宙を追いかけて蛟を尾から飲みこんでしまった。
「そんなことが………」
サヒはその光景を想像して息をのんだ。
火の神殿は屋根も柱も吹きとび、すべてが火の中に飲み込まれた。
火炎は山を灼き、土を灼き、木々を灼き、三日三晩、炎と煙を上げ、山ごとすべてを灼きつくした。
「神憑りのさなかであったタタラヒメさまは、影もかたちも消えておしまいになりました。まるで露のように、何も残さず」
衣の切れはしさえも残さず。すべてが火に呑みこまれ、骨も、髪も、爪も、なにもかもが消えて……。
「それが、わたしが知るかぎりでございます」
ヤマヒコはそこでただ深々と、サヒに額づいた。




