表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
27/28

火の祭祀(まつり)


 それは、月ものぼらない漆黒の暗闇。

 地にくいこむように打ち下ろされたほこ。そのさきに下げられた鉄鐸さなぎの音が、五臓六腑ヰクラムワタを震わせた。



 暗闇に火がともる。

 神殿みあらかへと続く山道やまみちのわきに、あまたの篝火かがりびが置かれており、そこに松脂まつやにがほおりこまれるや、火は勢いよく燃えさかりはじめた。

 まっくらな山道が、燃えるように明るく照らされる。



 これより始まるは、タタラ炉に初火はつびをいれる火の祭祀まつり

 篝火に照らされた道を、伴人ともびとを引きつれ、白栲しろたえかずき物をした女がいく。

 マキムクの巫女王、タタラヒメである。

 被き物にかくれ、顔は見えない……―

 その代わり樫の木でできた面を首から下げ、それが顔としての役割をしていた。




 やがて木々の間から人がひとり、またひとりと姿を現し、タタラヒメのあとに続く。

 タタラ炉ではたらく火守人ひのもりびとたち。

 その下で雑用をする犬(※奴隷)ども。

 そして、それらを束ねる火守長老ひもりのおさヤマヒコ。

 みな上衣うわぎぬを脱ぎすて、その盛り上がった逞しい胸板からもうもうたる湯気を噴きあげていた。



 火守人たちはそれぞれ、ひとりずつ燃えさかる巨大な松明たいまつをかつぎあげる。

 ヒノキの割板わりいたを束ね、そこに持ち手を差しこんだ巨大な松明で、一本で大人の女ひとり分ほどには重みがある。

 火守人らは活火カッカと燃えたぎるそれを肩にかつぎ上げ、軽々とふりまわし、夜闇に火の粉を振りまいた。



 ただ、だれひとりとして口をきかない。

 軍人いくさびとのように、勇壮な雄叫びもない。

 掛け声ひとつ、咳払いひとつ、聞こえない。

 太鼓も、笛の音もない。

 ただ、一団がならす鉄鐸さなぎのさざめきが風にのって聞こえてくる。

 そのほかには、益荒男ますらおの息遣いのみ………



 秘された祭祀だった。

 この祭祀は他所者とつくにびとはもちろん、近隣の村人むらびと里人さとびとの目にさえ、触れさせてはならない。



 このタタラ炉の神事は、神々と工人たくみとの秘めたうけい。

 よそから来た者が踏みあらせば、神域ひもろぎけがされ、大いなる災いを招くと畏れられていた。




 金屋のタタラ炉に火がはいる。

 初火入りのこの瞬間。

 ここに集うだれもが息を詰め、神々の機嫌をうかがう。

 このとき火口ほぐちにうまく火が移らなければ、火の神々の御気色は芳しくない。

 しかしこの日は、喰いつくように火がつき、炉内に一気に火が回った。



「おおっ」とほうぼうから歓声が上がり、

「神々が言祝ことほいでおる。きっとすばらしいカネるにちがいない」

 と、長老オサの顔にも喜色が浮かんだ。



 山を切り崩し、苦労して採った砂鉄、その砂鉄を火にべる。

 焼きしめた炭をどんどん放りこみ、千人鞴ちたりふいごでどんどん風を送る。

 しかしこれだけでは鉄は生まれない。



 鉄を生むには、神が降りなねばならない。

 カグツチとサヒモチの神を呼び、二神ふたかみが宥和せずばよき鉄にはならない。

 そこでマキムクの火の巫女、タタラヒメがその一つ身に二神ふたかみを下ろすのだ。



 タタラヒメは唯一無二。

 生まれながらに、火の神に愛でられた巫女。

 タタラヒメが一舞ひとまいするだけで神々が喜び、『』はより強く結びつき、粘りのつよい鉄が生まれる。



 だからタタラヒメでなくばならぬ。

 マキムクの王にはタタラヒメこそふさわしい。

 山の土を火に喰わせ、無から有を、土から鉄を生み、奇しき霊力ちからでヤマトのクニを豊かに栄えさせた偉大な巫女。

 ほかの、歴代の男王では成し遂げられなかった偉業である。




 −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−




「わたし知りませんでした。母のこと」

 サヒは俯きかげんにいった。

 母がなにを成した巫女だったのか。

 偉大なマキムクの巫女王だったいう言い伝えだけで、なにが偉大だったのか。

 姉巫女も、わたしに何も言ってくれなかった。



「そうでしょうとも。火の祭祀まつりは秘された神事。もし広く知りわたれば火の神の機嫌を損なうことになる。だから巫女王と、そのごく側近の巫女しか知らなかったはずでございます」

 ヤマヒコは、遠いむかしに思いをはせる如く、見えない目を細めてみせた。



「わしは、タタラヒメさまに御子がおいでになることすら存じ上げなかった。おそらく尊き命を狙われることを恐れてのことだとは思うが……、なにせ秘密の多いところでございますな、マキムクというところは」



「命を狙われる」という言葉の刃のするどさに、サヒは内心どきりとした。

 トミノフツクミの禍々しい顔と、中つ湖に突き落とされたときの恐怖を一瞬、思いだしたのだ。



「タタラヒメさまは用心深いお方でしたよ。身につけるもの口にするものだけでなく、伴人ともびとに至るまで、非常に気をつけておいでのようでした」

「だれかに、命を狙われていたということ?」

 ヤマヒコは曖昧に首をかしげ、

「とにかく、素顔を決して晒さぬ方でございました」

 と、答えた。



『おおいなる巫女王の尊顔をじかはいすれば最期、目が潰れる』

『タタラヒメは、目も鼻もとけおちる悪疾もちで、顔も身体もふすべだらけ。とても見られたものじゃない』

 みな、そんなウワサ話を信じていたから、タタラヒメを見ようとする物好きなどいなかった。



 巫女王の素顔を知る者はごく限られていた。

 王の身の回りの世話をする、ほんの一握りの従婢まかたちと、王の腹心の巫女が、幾人いくたりか。

 それ以外には、(※夫)である事代主ツミハだけだったのではあるまいか。



 タタラヒメの世話をする従婢まかたちらは、喉笛のどぶえが切り取られていた。

 ヒメの身の回りに関して、外に余計な流言つてごとができぬようにである。

 それほどまでに、マキムクの宮は徹底してこの巫女王を秘匿したのだ。



「わしにはわかるよ。いや、わしにしかわからぬ。タタラヒメは美しいお方であった。悪疾など、とんでもない」

 ヤマヒコは微笑んだ。

「美しすぎるゆえ、人目を忍んだのでございましょう。端麗きらぎらしき面貌かおなど見せびらかしてもロクなことがない………」

 マキムクの環濠ほりのそとには、好色な土豪や、荒くれた土蜘蛛つちぐも、得体のしれぬ流れ者どもが掃いてすてるほどいたからだ。



 そう思えば、ツミハと出会ったのは三諸山みもろやまの禁足地で、だれも知らぬ、ふたりきりが知るできごと……ほんとうに奇跡のようなできごとであった。

 そうでもなければ、絶対に出逢うはずのない二人だったのである。











評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ