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掌(たなうら)の火





「おい、誰だ! こんなところに物をほかす奴は!」

 やにわに落雷のような凄まじい「がなり声」が振ってきて、あたり一帯に響きわたった。

 川のこちら側まではっきり聞こえてくるような大きな声である。

「せっかく気持ちよう寝とったのに、熊が入ってきよったかと思うて、肝ぉ冷えて目ぇ覚めてしもたぞ!」

 なにやらぶつくさと独り言をいいつつ、戸口に現れたのは背の低い老爺。

 どうやら沢の奥に人の住処があるらしく、フツの蹴り飛ばした兵士び生首が、ちょうど男の住処すみかを狙ってぶち当たったらしいのである。




「なんや、血ぃの匂いがするで?」

 老爺は、草の間をごそごそとかき分けている。

 そしてついに、生首を探しあてまじまじと見つめ、

「うわああああ、なんやぁー、これー! 首やないかー!!」

 ………と絶叫するなり、手に取ったそれを天高くほうり投げた。




「違うんです、これは!」

 大変なことになってしまったと大慌てで、川の向こう側へ渡るサヒ。

 川といってもくるぶしくらいの深さしかない、浅い川である。

「この死人しびとは私をかどわかした罪人つみびとで、その制裁のために……」



 しかし、サヒのいいわけも聞こえないようだ。

 いきなり、知らぬ人がザブザブと川を渡りくる様子に、老爺は悲鳴をあげた。

「やめろおぉ、わしは何にも見ておらん! 見たくても見られんのだ、この罪もない年寄りを殺すなあ! 命ばかりは助けてくれい!」

 これを聞き、あらためてサヒは悟った。



(あら、この人……―)

 落ち窪んだ目。

 しぼんで、閉じたまぶた。

 まぶたのすきまには眼球すらなく、淀んで暗い影がみえた。

(この人、めしいている………)



 人も物も景色も、見ることができないこの人に、はたしてうまく説明ことわけできるだろうか。

 むだに恐怖と混乱を与えるくらいなら、このまま何も言わぬままひっそりと姿を消したほうが、よほどこの人のためになるのではないか。




 サヒの心がゆらぎ、足がとまった。

 背後のフツを振り返り、

(もういいわ、行きましょう)

 と、目で合図を送った。

 もと来た方へ戻ろうとした。




 ところが。

「お前さんは、誰だね?」

 あれほど恐れおののいていたにもかかわらず、その人は急に正気にもどったようにいった。

 その様子が、亀が甲羅から首をのばして物を見ているさまに似ていた。




「光がみえるぞ」

 その人はいった。

 背を丸め、痩せた首を前につきだし、見えない目を一心に凝らしていた。

 本当に目が見えないのだろうかと疑わしいほど、その人は、真剣にサヒを「見よう」としていた。



「まさか、まさか。そのようなことが?」

 老爺の顔は驚きと……これまで露呈していた恐怖とは違う、畏れをにじませていた。

 そして膝から崩れ落ち、その場に跪いた。



「あなたさまはマキムクの王、タタラヒメさまではありませんか? まさか、生きておいでであったとは………!」

 タタラヒメとは、サヒの母の名である。

 まさか、こんなところで母の消息を知る人に行きあうとは、なんという奇貨だろうか。



「タタラヒメは母です。私は、タタラヒメの子です! あなたは母巫女のことを知っているんですか?」

 サヒは思わず叫んだ。

「なんと……!」



 あたりにはまだ生々しい血の匂いが立ちこめていた。

 サヒとフツ、そして得体のしれぬこの老爺は、血の匂いが風にただようなか、お互いがこの場をどう立ち回るべきかわからず、ただただ立ち尽くすしかなかった。







 −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−






「むさくるしいところだがのう……」

 老爺は、自らの住処すみかに、サヒとフツを招き入れてくれた。

 さっきまで大騒ぎしていた人間の生首のことなど、ここにいる誰もがすでにどうでもよくなっていた。



 木と木の間に藤のツルを巻きつけ、さらに編み上げて作った藤カゴのような住処……人が一人伏せることしかできないほどの狭い家である。



 老爺は、自分がいつも座っているところに胡座をかこうとして、あわてて立ち上がった。

「いやいや、ヒメミコさまを下へ座らせるわけにはいかんし……」

 アナグマのようにうろうろとしつつ、結局サヒを座敷に上がらせ、自らは土間へ膝をついて座り、

客人まろうどなどついぞ訪れぬゆえ、作法も知らず……」

 ……と、いいわけのように呟いた。

 フツは、サヒと老人の間に、木像のようにだまって片膝をかかえている。




「わしは本気で、おまえさんをタタラヒメさまだと、あの……マキムクの火の巫女王さまだと思ったよ……―」

 丸い頭をつるつると撫でながら、その老爺はいった。

 そして、急になにを思いついたのか、サヒの眼前にみずからのたなうらをさっと差しだした。

 日に焼けて、痩せしぼんだ老人の手である。



「ヒメミコさんよ、わしは目が見えない老いぼれだが、ひとつ、このわしの手を握ってみてくれんかの?」



 なんのことかわからないながら、半信半疑、サヒはいうとおり、その手を取ろうとした。

 しかし。

(………え?)

 サヒの手は空をつかむ。

 さっきまでそこにあった老人の手は、右に移動している。

 もっと右だったか、と右に追いかければ。次は上へと動いている。

 サヒが上へいけば、老人の手はひょいと下へ。

 下へいけば、ひょいひょいと左へ。

 まるで海中わたなかの波に揺られたナマコのごとくくるくると、その手は捕まらない。



 目が見えないといいながら、本当は目が見えているのではないかと疑いたくなるほど、老爺の動きは軽妙だった。

「ははあ……」

 しまいに、老爺は笑いながら自らサヒの手を迎えにいき、

御手みてに触れる無礼をお許しください、ヒメミコさま」

 と、掴んだサヒの手をおしいただき、額づいた。



「わしの名は、ヤマヒコ。鉄穴山かなやまのヤマヒコといえば、わしのことでさ」

 老爺は名乗った。

 見えない目でもなんとか面影が見えないかと、首をくるくると動かしては角度を変え、サヒを見ようとしていた。



「鉄穴山………」

 なるほど、と合点がいった。

 この人は神山かむやまから砂鉄を採り、鉄を生みだすタタラ屋……その金工人かなだくみなのだ。

 熟練の金工人はタタラ炉の温度を火の色ではかるために、小さな火吹き口から長いあいだ一途に火を見つめ続け、やがて気づいたときには目が焼けただれてしまう。

 そうやって目の片方を失う者が多い。

 しかし、光を失った金工人かなだくみは「目一マヒトツ」と呼はれ、あらゆる人々から尊崇されたという。



 ヤマヒコと名乗るこの老爺は、過去、タタラ炉で失明した「マヒトツ」に違いなかった。



「なぜ盲たやつがれめがあなたさまをタタラヒメさまだと思い違いをしたか。それはあなたさまの手から、あなたさまの指から、発せられるこの火の粉を見たからにございます」

 いつのまにか言葉遣いが、臣下のようにうやうやしくなっている。



 ヤマヒコの目には、サヒの手からは暗闇のなかでも火の粉をまき散らし、動くたびに火の尾がたなびくようにまばゆく見えるというのだ。

 だからこそ、サヒの手を避くるも、掴むも、自在にできた。



 それにしても妙な力である。

 サヒには自分の手の光は見えないのだから。

「目が見えぬのに、見えると?」

 目が見える者のほうが、「見えない」物があるというのも、倒錯的なはなしである。



「いいえ、いいえ」

 ヤマヒコは平伏し、

「それはこの下僕やつがれの力などではなく、火の巫女さまの血がなせるたえなる技でございます。わしはたまたま目が見えぬが、それゆえ、勘が鋭いというだけでございますよ」




「マヒトツ」は、網膜が焼かれすでに光を失っていたとしても、炉に燃えさかる火を見るとき、神が宿ったその色だけはふしぎと識別がつくという。

 ヒノカミを呼ぶ、生まれながらの火の巫女。

 その指先からこぼれでる神威いつきちからは、マヒトツたればこそ、見えぬわけはないのかもしれなかった。




「なつかしき火の光。かつてタタラヒメさまの御手からこぼれ出る光は、長らく目が見えぬ者にとって、目裏まなうらに輝く唯一の光でございました。

 その光を受け継ぐ者がいるならば、正しく、濃い血脈ちみちをうけつぐタタラヒメさまの御子であることに間違いがありません。

 このことを信じていただきたく、このような無礼な遊びをいたしました。どうぞ、お許しください」



 ヤマヒコはようやくやっと、サヒの手を離した。

 サヒは、まじまじと己の手を見つめ、

「ねえフツ、あなたには見える?」

 と、尋ねた。



 フツは困った顔をして黙りこんでいる。

 おそらく、見えないということなのだろう。




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