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 トマノヒメはいつのまにこれほど病み衰えたのか、自力で歩くのさえやっとという状態で顔色も悪く、袖からのぞく手足は枯れたススキのように細かった。



「逃げるところなら、ある。この人の仲間ともがらがいま磐余邑いわれむらに留まっている。そこには温かい食べ物もしとねもあるわ」

「………でも」

 トマノヒメは何かをいいかけてやめ、力なく目を伏せた。

 なにかを考える気力さえないのだろう。

「………………」

 サヒは痛ましげに眉間を曇らせたが、すぐに彼女を鼓舞するようにいった。

「大丈夫、なにか精のつくものをたっぷりと食べてぐっすりと寝ればきっとまた元気が湧いてくるわ。この人の仲間は外国人とつくにびと(※この土地の人ではないというほどの意味)だけど、けっして悪い人たちじゃないわ。ここにいるよりはずっと大事にしてくれるはず」

 そういって、細くなったトマノヒメの肩を叩いた。

 トマノヒメはそれ以上は何も言わなかった。




「おい、こんなものしかなかったが、なんとか借りてきたぞ」

 肝心のタケヒトは夕方近くになって、ようやく姿を現した。

 短甲を脱ぎ、ひとえの上衣姿になっていたが、まだ春浅いというのにその額にも首筋にも玉の汗が光っている。




「どこへ行っていたの?」

 タケヒトはどこで調達したのか、大きな牛を引き連れている。

「どこへって………さすがに俺さまとはいえ、女を抱えて磐余邑まで歩くのは無理だぞ」

 ………確かにその通りだ。




負袋者ふくろかづきを頼みたいという女がいただろう、そいつの言うとおり荷をいくつか運んでやり、その見返りにそいつの知り合いの牛追うしおいに口をきいてもらったのさ」

 貴人が他人のために汗をかくなど、ありえないことだ。

「へえ、すごいじゃない!」と、サヒは素直に感心した。

「あなたにそんな思いやりがあるの?」




「……おいおい聞き捨てならないな、それはどういう意味なんだ!」

 ふと口をすべらせたサヒに、タケヒトは不満げに反論した。

「俺ほど思いやり深い男もいないではないか。これまで一体、俺のなにを見てきたんだ!」

 しかしサヒに褒められた喜びが、少なからず口元に滲んでいる。




 ばかね、褒めたんじゃないわ、といいかけてふとやめた。

 あの顔色の冴えなかったトマノヒメが楽しげに微笑んだので、サヒはそのまま言い返すのをやめ、トマノヒメに微笑み返した。






 −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−





「は!? まさかお前らこっから出ていくのか?」

 いままさにマキムクを出奔しようとしていたサヒたちは、いきなり背後から声をかけられ、どきりとして動きをとめた。

 振り向くと、そこにはミオツヒメがたぬきのようなとぼけた顔をして佇んでいた。



「そんなこと………」

 サヒは「そんなことないわ」と言いかけたが、しかし嘘がつけなかった。

 取り繕うにはあまりにも、衣装いでたちも積荷もおかしかった。取り繕えるものではなかった。



 サヒはミオツヒメに向き直り、

「悪いけど私とトマノヒメはここを出ていくことにしたの」

 と、本当のことを正直に告げた。



「………そうか」

 ミオツヒメはぼんやりと呟いたが、しかしすぐにパッと眉間を開いた。

「いや、あんまり急だから驚いちまっただけだ。そりゃそうさ、ここは歪んでる。並のものなら気が変になるさ。いやむしろお前さんがここのおかしな連中に染まりきる前に出ていく決心がついてよかったよ」

 ミオツヒメの口調はぶっきらぼうだったが、マキムクを去ることを否定するわけではなかったので、サヒはほっと胸を撫でおろした。




「だが、断りもなくぬるはよくない」

 ただひとつ、ミオツヒメは釘を刺した。

「そもそもマキムクは勝手に出たり入ったりすることなどできない。タノウエヒメのあの性根は知っているだろう。ヘビのような女だ。断りなく去ぬれば、前の巫女王タタラヒメの子はおのが好きなところ、好きなときに顔を突っこんでその場をひっかきまわし、挙げ句にるときはとんでもない礼儀しらずだったと方々で吹聴するぞ。そんな悪くちを言われたくなければ、スジは通したほうがいいと思うね、私は」




 ………もっともだ。

 サヒはミオツヒメのいうことに大きく頷いた。

「わかったわ、あなたの言う通りよ。これからタノウエヒメにマキムクを辞することを伝えてくるわ」



 だがトマノヒメはもう足が立たず、歩くのさえおぼつかない。とても高殿の上にあるタノウエヒメの局まで階段きざはしを登ることすらできないだろう。



「あなたのことは私が話をしてくる。だから私が戻るまであなたはここで待っていて」

 サヒは、木に凭れてままぐったりしているトマノヒメを安心させるようにそういった。



「おれも一緒に行ってやる」

 タケヒトが口をはさんだ。

「あなたはここにいて、トマノヒメを守って」

 当たり前でしょう、というようにサヒはぴしゃりとはねつけた。


 しかし、これが思わぬ罠であった。 





 −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−






 ………——おかしい。

 サヒが気がついたときにはすでに遅かった。



 独特な、いやな臭いが鼻先をかすめた。

(このにおい、どこかで………)

 ふと歩みをとめ、何だろう、と振り向いたとき。



 一瞬で視界が真っ暗になった。

(え、なに?)

 ゴワゴワとした大きな袋。

 自分が大きな麻袋のなかに頭から尻まですっぽりと入れられてしまったことに、すぐに気がついた。

 あっという間に袋の口が紐で縛られ、土の上に蹴り転がされた。

 まるで、イタチかなにかを捕まえるような手際のよさだった。

 サヒは恐怖に身をつまされ、ぎゃあああ———とものすごい悲鳴をあげた。



「うるせえぞこの醜女しこめが! 静かにしやがれ、寝てろ!」

 麻袋のむこうで、しゃがれた男の声がした。

(あ!!)

 男が力任せに拳を振り下ろし、サヒの耳のあたりを殴りつけた。

 殴られたところは血が吹き出したかとおもうほどに熱を帯び、身体はまったくいうことをきかなくなった。



「そうだ、おとなしくしてろよ。すぐに済む。お前は寝ているだけでいい」

 薄れていく意識。

 その意識のむこうで、薄ら笑いをもらす男の声が聞こえた。

「むやみに抵抗あらがうなよ、抵抗えば殺しちゃうぞ。殺したっていいと言われているんだ」

 サヒはゾッと身の毛がたった。

「なに、おとなしくしていりゃあ、じっくりじっくりなぶってやるよ。お前の女陰ホトが溶けおちるほど、もっともっとしてくれとヨガリ声をあげるまでなあ」



「………や、やめて!!」

 サヒは薄れて行く意識をふるいたたせるように、ようやく声を絞り出した。

「騒ぐな!」

 がっと喉元を捕まれ、そのまま締めあげられる。

 まるでかけどりを絞め殺すごとくに、迷いのない手つきだった。

 サヒは急速に手足の力が抜けていくのを感じた。



「……まったくよお、マキムクに来ればいい女がわんさかいて、だれとでもヤリほうだい犯しほうだい、夢のようなところだと聞いていたのに、実際に来てみればどうだ、妙に気位ばかりが高い、辛気臭しんきくさい巫女ばかりだときた。あーあ、だまされたね。このくらいのいい女を仕留めでもしなけりゃあ、割に合わねえよ」



 ぶつくさと文句をいう男の声と、この独特なにおい……。

(思い出した。あのときの………)

 トマノヒメを担いで連れて行こうとする兵士らの、その中にいたひとり。

 ぎょろぎょろとした大きな目をした、あの男だ。



 男はサヒを入れた麻袋をかつぎあげると、周到に用意していた馬の背にサヒを乗せ、落ちないように紐で縛った。

 そして己も馬にまたがると、馬の尻を蹴りあげた。



(………タケヒト!!)

 舌を噛むまいと歯を食いしばり、徐々に遠のいていく意識を必死で引き戻しつつ、サヒは心の奥で助けを呼んだ。







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