穢れ女
「あなたは!」
サヒは、その女の顔に見覚えがあった。
その人は、いつだったか兵士に嬲られかけていたところを助けた女だったのだ。
巫女だ、という話だったが……。
女の手には、青竹が握られている。
いままさに、板戸の裏に「咬ませ棒」をかけ、戸が開かないようにしようとしていた証拠だった。
「なぜあなたが、私を閉じこめようとするの? あ! ……待って!」
女は青竹を放りだし、いっさんに逃げ出した。
「待って!」
あわてて追いかける。
まだ東の空が明るくなりかける前の、朝まだき。
外には人影も見えず、物音もしない。
追いかける相手の吐く息と、草を踏みしだく音のみが聞こえる。
しかし、山育ちのサヒは追いつくだけの自信があった。
「待ってったら!」
とうとう、サヒの手がその女の肩を捉えた。
女は走るのも限界だったのか、もうそれ以上逃げようとしなかった。
へたへたと、くずおれるようにその場に座り込んだ。
「ねえ、私を局から出られなくするなんて、なぜそんないじわるをするの!」
サヒは息を弾ませつつ、女にいった。
見れば、サヒよりも年が幼い……女というより少女のようだった。
女は苦しそうに喘ぎ、しばらくは話すどころではなかったが、次第に息がととのってくると鋭い目をサヒに向け、こういいはなった。
「あなたが私を助けたりするからです。頼んでもいないのに」
「え?」
思ってもみないことを言われ、サヒは唖然とした。
「あなたが余計なことをするせいです」
女の言い分はこうだ。
あのとき、私は助けてほしくなかった、と。
あのまま兵士の慰みものになるほうがましだった。
なんで放っといてくれなかったんだ、と。
……そんなことがあるだろうか?
サヒは戸惑いつつもあのときの状況を冷静に思いだす。あのとき、あきらかに嫌がっていた素振りを見せていた。
「だって………」
こらえていた涙が、女の目から吹き出した。
細い肩をふるわせ、へたりこむ姿はあわれだった。
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マキムクでは何日かに一度、祭祀が行われるという。
その祭祀のために選ばれた巫女は、「籠の巫女」といい、神事の前に祓い清められる。
そして祭祀の日、神との媒をつとめる。
そこまではいい。
しかし、その後が異常だった。
神事が終わった後、籠の巫女は「神饌」のくだされものとして、武運長久を願う兵士らに「下げ渡される」というのだ。
「つまり、それって、兵士たちのいいようにされるってことなのね」
サヒは言葉を失った。
つまり先日サヒが見た光景は、神事が終わったあと、巫女が兵士に連れられていくところだったのだ。
「そんなのあんまりだわ」
巫女は神聖なものだ。あんなふうに血に盛った男たちに寄ってたかって汚されていいわけがない。
それに、あの状況はまちがっても「神事」というには礼儀もなにもあったものじゃなかった。
ただ飢えた山犬の群れに、血のしたたるシシ肉を放りこんだだけ……あまりにぞんざいなやり方だった。
しかし女は冷静だった。
「あなたが邪魔しなければ、お勤めをまっとうできました」
「そんな! そんなのお勤めといえるもんですか!」
思わず声を荒げるサヒ。そんなものは、神事とはいえない。いうべきでない。
兵士たちの慰みものになることが神事であるなら、祀られるその神は悪霊にちがいない。
「祭祀をまっとうできなかった私は、ともするとこのまま……奴婢に落とされるかもしれません」
女はいった。
「そんなの許されないわ!」
「あなたが決めることですか? なにも知らないくせに」
女は、冷たい目でサヒを睨んだ。
確かに、それはその通りだ。
マキムクで生まれ育ったことに嘘はないが、戦に追われて逃げまわっているうちに、いつのまにか「知らない場所」に変貌を遂げていたマキムク。
サヒにはこの十数年のわずかなうちに、マキムクで起きたことを何も知らないのだ。
「神託を受けたそうです」
女は虚ろな目で、とんでもないことを口にした。
「あなたがマキムクを……この地を滅ぼす、と。だから一刻も早くここから追いださねばならない、と」
「え………?」
サヒは我が耳を疑った。
私は許されるためならば、なんでもすると誓いました。
神の怒りを鎮めるために新たなる神託が乞われ、そして下りました。
新たなる神託は、局から出すべからずと。
まちがってもヒノカミなど拝ませてはならぬ。
悪しき女の顔をヒノカミに見せてはならぬ、女がここにいることを知られてはならぬ。
そう命ぜられたので、あなたを籠めました。いじわるですって? とんでもない、あなたこそこの土地に仇なす穢れ女ではございませんか。
いじわるなどと、生易しい話しをいているんじゃありません。
女の目は、嘘をついているようには見えなかった。
「ねえ、あなた名は?」
サヒは穏やかな声で聞いた。
「……トマノ」
「ではトマノヒメ、あなたにその神託を下ろした巫女は誰ですか?」
サヒは知りたかった。
だれがそんな無益無体な神託を下ろしたりするのかを。
むろん、「マキムクを滅ぼす」だの、「穢れ女」だのと罵られることに
腹立たしい気持ちもあったのだが、それ以上に……
だれが神の名を騙ってまで、自分を排斥しようとしているのか、知りたくなった。
「…………」
トマノヒメは沈黙したあと、「わかりません」と答えた。
どういうことなのだろう。わからないことなどあるだろうか。
「でもあなたにそのことを告げた巫女がいるでしょう? タノウエヒメですか?」
タノウエヒメは大巫女なのだから、このことを知らないはずはないだろう。
「知りません。本当に私は何も知らない」
トマノヒメは名をいわなかった。
しらばっくれているようにも見えなかった。
「もうこれよりほかにあなたに話すこともありません。はやく、はやくあなたの局へ戻ってください。もう詮索するのはよしてください」
おそらく気弱な女なのだ、目尻に溜まった涙を見てサヒは気の毒に思った。
「わかったわ」
サヒは女のすすめに従い、自らの局へと戻った。
大人しく引き下がったようにみえたサヒだったが、内心は烈火のごとく荒れ狂っていた。
これまで見聞きしたことが、めまぐるしく浮かんでは沈み、また浮かび上がってくる。まるで胸の中のうずまく水流が、木っ葉を弄び、くるくると回るようだった。
サヒは閉じられた板戸の前で眦をつりあげ、息を詰めつつ「そのとき」を待った。
……そして咬ませ棒が外された瞬間、サヒはすくっと立ちあがり、静かに外へ出ていった。
柱の陰には、いま戸から外した青竹をにぎりしめ、トマノヒメがなにか言いたげな顔でこちらを見ていた。
しかしお互いなにも言わなかった。
サヒが足早に向かった先は、むろんマキムクの大巫女のもとだった。
「騒々しいな、何事か」
なんの先触れもなく訪うたサヒに、タノウエヒメはあからさまに不機嫌な顔でもてなした。
脇几(※ひじおき)にもたれかかり、従婢に焚かせた麻のケムリを吸いこんでいる。
そこに、サヒは躊躇なく踏みこんだ。
「毎朝、出入りする板戸を塞がれ、外に出られず困っている。ヒノカミに拝こうにも外へさえ出られぬ。私へのこの仕打ちを、タノウエヒメはご存知ですか?」
サヒはそう問いただした。
タノウエヒメは麻の香りに朦朧としつつ、
「さあ、知らぬ」
と、答えた。
「私を、マキムクを滅ぼす穢れ女と、罵る者がいるそうだが。このこと知っておいでか?」
「けがれめ?」
タノウエヒメは急にケラケラと笑い始める。
「何が可笑しいのですか?」
「そんな話は聞いたこともない。そもそも戸が開かぬのをわらわのせいにするでない! そんな子供だましな嫌がらせをして楽しむほど暇ではないわ、ほほほ、ほほ!」
タノウエヒメはなおも笑い続けた。
その笑い声は周囲に侍る女たちにも伝播し、女たちは風が吹きすぎる笹林のように笑いさざめいた。




