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ウマシマジという老王






 スメラギがウマシマジの宮殿みあらかおとのうた日のできことは、まだ続く。



 はからずも歓待されたスメラギだったが、まだウマシマジを信用したわけではなかった。

 湯を使い、髪に櫛を入れ、こざっぱりした衣服に着換えたところで、一向に心は落ち着かない。


「おいどうなっている。わしはこんなところに酒を飲みにきたのではないぞ!」


 立ち上がった瞬間、酒肴がのった盆に膝があたり、いきおいよく酒気がたおれ酒がこぼれた。

「もうしわけございません!」

 酌をしていた侍女まかたちがその剣幕におそれおののき、なすすべなくひれ伏した。


 スメラギは、ただ立ち尽くしている。

 目は、その侍女を見ているようで、見ていなかった。

 視線が揺れた。

 別のことを考えていた。


「どうなさったのですか、女が、なにか粗相をいたしましたか」


 騒ぎをききつけ、あわててやってきたウマシマジ。

 スメラギはギロリと、白髯をたくわえた老爺を睨んだ。

 ウマシマジでなくとも、ゾッとするような青白い目をしていた。


(人を殺めた目だ、それも幾百、幾千の死を見た目をしている……)


 ウマシマジはそっとその目をそらし、

「あの痩せた女でしたら、まだ寝ておりますぞ」

 ……と、穏やかに返答した。


 そのときスメラギは、はっと息をのんだ。

 ウマシマジに指摘されてはじめて、自分が何に苛立っていたのか気がついたような顔だった。


「ほお、()()がそれほどまでにしきおなごだったとは存じ上げませんでいたぞ」

 とたんにウマシマジの顔がほころび、

「……これは、あの女の待遇を改めねばなるまい」

 と小声で付け加えた。


「ちがう、そうではない」

 これに対し、スメラギはなぜか即座に否定した。

(大の大人があんな小娘一匹に取り乱したとあっては名折れではないか……)

 まずは面子が先にきたのである。


しき女などそんなものではない。あんな小娘を愛しきなどと……そんなわけがないではないか。断じて、ない。あれはただヤマト平定のためにかなめとなる娘だ。そのために必要になる女だからだ。したがって……」

 スメラギは脇においた太刀をひきよせ、その柄頭つかがしらに手をかけつついった。

「……もしあの娘になにかあれば、お前を殺し、お前のしかばねとともに、お前のこのやしろもろとも火をはなち、すべてが炭になるまで焼き尽くしてやるぞ」


「なんとも、まあ……」


 あまりに物騒な物言いにウマシマジはあきれ、あわてて人払いした。周囲にはべっていた女たちが静かに部屋から出ていった。

 場に、静寂がおりた。




「さてお聞きしましょうか、それほどまでに大切に思うとは、あの娘……いったい、どんな娘なんです?」

 ウマシマジはひどく興味をそそられたように尋ねた。

「知りたいか」

 スメラギはもったいぶって答えた。

「マキムクの前巫女王の娘だそうだ。国を覆すほどの恐るべき力をもっていたという伝説のマキムクの王、その血を受け継いだたったひとりのヒメだ」



 ウマシマジは、きょとんと間の抜けた顔をした。

「……ほう」

 ようやっと感心したようなため息をもらしたが、その瞳からは急速に興味が消えていった。

 一昔前に名をはせた泥臭い巫女の、その娘になど、ウマシマジにはなんの興味ももてなかったのだ。

    

                                                                                                      

「……で、わしにどうせよと? よもやわしがマキムクの王座から下り、王の座をあの娘にくれてやれとでもいいますかな?」

 ウマシマジは落ち着きはらったしぐさで円座わろうだのホコリを払い、そこに静かに端座した。さらに膳をはさんだ向かい側にスメラギに座るように促した。




「そうだな、なんならそうしてくれるか?」

 スメラギは片頬で笑い、促されるまま片膝をついて座った。太刀を、すぐそばにひき寄せている。

 笑みをたたえてはいるが、目は冗談をいっているようには見えない。

 まさか奴婢と見紛うような、あのみすぼらしい娘をマキムク王に据えよとは、なんという世迷い事を抜かすのか。ウマシマジは答えに窮した。



「もし……わしががえんぜずば、どうするおつもりか?」

「さあ、どうしようかな」

 殺す、つもりか。

 よくて追放か。

「…………………」

 白髯はくぜんの老人は睨むような目で、つかのま、スメラギの顔を注視した。



「ふふ……、ふふふ」

 息づまるような沈黙のあと、ウマシマジは低い声で笑いはじめた。

 白髯の奥の含み笑いが次第におおきくなりはじめ、やがてこらえきれないといったふうに大口をあけて笑い出した。

「はは……はははっ……あーっはっはははー!」

 さもおかしくて仕方ないといった様子であった。



「それほど、可笑しいか」

 あまりおかしそうに笑うものだから、釣られてスメラギも笑いはじめ、ふたり一頻り笑った。

 なにか、異様な光景であった。



「ツクシの大王おおきみの頼みなれど、それはできない」

 妙な笑いがおさまったあと、ウマシマジはきっぱりと言い切った。

 ウマシマジの言い分は、こうだ。



 わしは、白庭山におわすニギハヤヒさまのめいにて、マキムクの王に納まっている。なにも自分勝手に王位にしがみつくものではない。

 ニギハヤヒさまより任を解かれたわけでもないのに、自ら王を降りるというわけにはいかないのだ、と。



「わしを王位から降ろしたいなら、まずはニギハヤヒさまに許しをもらうのが筋である」

 と、ウマシマジはいう。

「それとも、そんなまどろっこしいことはすっ飛ばして、早々にわしの首を刎ねてしまうか? ニギハヤヒさまを敵に回すことになるが、それほどの覚悟がおありか?」

 ウマシマジは自分の後ろ首のあたりを撫でつつ、さも面白そうにいった。

 スメラギにはニギハヤヒと戦をする気など、毛頭ない。





 実はこの時代、大八島国オオヤシマグニには二つの皇統に別れていた。その二つはいずれも、正統な天神アマカミ皇孫すめみまである。

 皇統が枝分かれしたのは、スメラギの曽祖父の代のことだ。


 兄であるホノアカリと、弟のニニキネ。

 当時、どちらが王位を継承するかで朝廷は揺れにゆれていた。


 弟のニニキネは非常に有能な若者で、とくに土木灌漑(かんがい)事業に秀で、堰を築き、そこから水をひき、田をおこし、民を飢えと水害から救った。

 したがって能力でいえばニニキネに軍配があがるのだが、兄であるホノアカリに追従する国臣くにおみらも多く、父王たるハコネカミはそれらの意見をないがしろにするわけにもいかず、頭をなやませていたのだ。


 継嗣よつぎを決めかねたハコネカミは、とうとう二人の皇子に王位を譲ることに決めた。

 兄のホノアカリには生駒山のあたりに宮を与え、ナカクニ(※近畿地方)を治めさせた。

 一方、弟のニニキネにはハラミヤマ(※富士山)を与え、宮を建てさせた。このニニキネの皇統が西の果てにあるツクシ(※九州地方)に移り住んだのは、その子であるホオテミの時代になってのちのことだ。

 こうして皇統は二つに枝分かれし、今日まで二朝廷が並立してきた。



 まだ話は、ここで終わらない。

 ホノアカリには子がなかった。妻を取りかえても、若いヒメを妻に迎えても、一向に子にめぐまれなかった。

 そのため弟ニニキネの孫にあたるニギハヤヒを養子に迎え、なんとか皇統をまもった。

 つまりニギハヤヒはもともと出自がツクシであり、もっといえばスメラギの父王の従兄弟いとこにあたる非常に近しい血の人物なのだ。








「ニギハヤヒ王の名を出されては仕方がない。わたしはニギハヤヒ王と争う気はない」

 スメラギは相好を崩していった。

「ましてやウマシマジ殿、あなたはニギハヤヒの子だというウワサがある。そんな人を死なせることなどあろうか」

「……ご存知でしたか」

 ウマシマジは笑みをひっこめた。

「……なに、卑しい腹から生まれたので父には疎まれておりますよ。いまもこうして辺境の鄙びた宮に隠居する身でございます」



 なるほど、そういうことか……スメラギはようやく腑に落ちた。

 ニギハヤヒ王の血をひくウマシマジという子がいると伝え聞いてはいたが、なぜかその後、「ニギハヤヒ王に後継はいない」と急に前言が撤回されていた。詳しい理由はわからなかったが、「子は夭折したのではないか」とツクシの宮では憶測されていたのだが……。


 しかし、ウマシマジの母が奴婢かなにかだったとすれば、その卑しい血が疎まれて後継から外されたということなのかもしれない。

 そういうことであればウマシマジも広言が憚られ、はじめから名乗らなかったということか……。




「天孫の血に卑しいも尊いもあるものか、謙遜召けんそんめされるな」

 スメラギは相手の名誉をかばうように言った。





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