魔王が魔王を名乗る理由
結論を言ってしまえば、魔王が魔王と名乗るのは「私は悪です」という自覚があるからである。
「それってひがみ根性~」
「我々を敵とみなしたのは人間の方だ!」
「だからそれがひがみ根性だって言ってるの」
「下等品性がっ……」
魔王クラリネットはケラケラと笑い、魔王フルートは不快を顕にした。
「ところで、どうしようねフルートちゃん。魔王は……ああ、魔王だけじゃないか……」
「なんだ、はっきり言え」
「うーん」
クラリネットは髪をかきあげ、黒いベッドの上から罅割れはじめた空を見上げる。
「言え」
「ほらさ、魔なる者は私と君以外ぜーんぶ死んじゃったじゃん。いやぁ、強すぎるよね勇者。人間のくせに寿命クソ長いし。アレは神に溺愛されてるからって言うけどさ、限度ってものがあるじゃない」
「困難に対して度が過ぎるだのなんだのいうのは、現実逃避だ」
「暇があれば私に抱かれて現実逃避している君がそれを言う?」
「貴様っ……!」
ここは魔界の三層目。二層が制圧されたのは、約二百年前のことである。
「しかし、やばいよねぇ」
カーン カーン カーン
聞こえるのは、勇者が空を割ろうとしている音。
「最終決戦がきちゃうねぇ」
「勝てるはずだ。ここなら、深淵の力が使えるからな」
「ふふ、深淵だって! かっこいいねっ!」
「茶化すな!」
魔界の底に近づけば近づくほど、魔なる力は強くなる。
「勝ったら、人間の世界に戻ろうねぇ」
「ああ、もう腹が減ってかなわん」
二層戦争の後、三層に逃げ込んだ魔なる者は六十六名。
「三大欲で、一番きついよね」
「私はそうは思わん」
「スケベ」
「貴様っ! まぁ……みな、空腹より死を選んだな」
餓死に次ぐ餓死、共食いに次ぐ共食い――――その後の、無食。いつの間にか三層は、クラリネットとフルート二人だけの世界となっていた。
「もしかするとさ、もしかするとさ、発端は魔界からの侵略戦争だったのかもね。ほら、二層は食べ物が少ないし、一層の食べ物はクソ不味いし。でも、人間はクソ美味い」
闇が濃すぎる三層に、自生する有機物はない。
「人間だって、魔界に侵略してきただろう」
「先に手を出したのは多分こっちじゃん?」
「少なくとも私達は、相手を絶滅させようとはしていない」
「フルートは、若いもんねぇ」
見た目で言えば、クラリネットのほうが幼い。かつては妖艶な美女であった二人も、今や子どもの肉体を保つので精一杯である。
「どうあれど、私はここでやつに引導を渡す。貴様は隠れていろ、クラリネット。四層の火の中なら感知もされん。あとは私が唯一の生存者を演じるだけだ」
「え? なんで?」
「決着が着くくらいまでの時間なら、四層の火にも耐えられるだろう」
「いや、そういうことじゃなくてさ」
ビシッ
空の罅が大きくなり、パラパラと砂のようなものが降った。
「必殺の左腕を失った貴様が、どう戦う」
「大丈夫、私器用だから。この腕で、何度も君を抱いたでしょう?」
「ああ、貴様は私が泣くたびに抱きしめてくれた。片腕の抱擁、暖かかった」
「フルート、君は死ぬつもりだね」
リィン リィン
薄氷のような欠片が落ちてきて、美しい音を立てて砕けた。
「私はこの日のために泣いてきた」
「命を一気に燃焼させれば、相当な威力が出る。三層で魔力を研ぎ続けた今なら、勇者も殺せるほどにね」
「そのとおりだ」
「まあ、そうだよねっ! うんうん。命がけってそういうものだし。ねぇ、二人の命燃やしちゃおうよ。オーバーキル! オーバーキル!」
「モーターヘッドか?」
「ここで人間の歌は草」
クラリネットが右腕でツッコミを入れた。
「一人で足りるなら、二人死ぬ必要はない。だが、私には貴様がいない世界は耐えられない。そして、貴様の死にも耐えられない。すまない、わがままなのは――」
「わかってる。大丈夫だよ」
それは、三層に来て七万三千回目の抱擁であった。
「クラリネット、貴様と出会えて幸せだった」
「勇者がいなければ、出会うことはなかったかもね」
「感謝するつもりはないがな」
「うん、私もそう思う。だからあいつを殺してよ、フルート」
「まかせろ」
「ありがとう」
カツーン カツーン カツーン
クラリネットは四層に向かう螺旋階段を降りていく。
「クラリネット、聞こえるか。火は見えるか」
「うん、まだ聞こえるよ。火も見える。安心して、七日は耐えられる」
「そうか」
「空はどう?」
「やはり、今日のようだ。急げ、やつが来る前に火へ入らねば見つかるぞ」
炎が彼岸花のように、クラリネットを手招きした。
「ねぇフルート。私、モーターヘッドならオーバーキルよりエース・オブ・スペーズのほうが好きだよ。君が最初に教えてくれた歌だからさ」
炎の蔓が、細い脚に蛇のように絡みつく。
「ああ、そっか。火に触れちゃうと心の声が聞こえなくなるんだっけ」
クラリネットは引き返さず、その身を血のように紅い業火の中へと沈めていった。
深く、深く。
深く。
深く。
深く。
底を目指した。
「ごめんね……フルート」
ここを出たら、人類を滅ぼしてやると誓いながら。