人間って
「……起床」
赤魔法陣ダンジョンの探索から一夜明け、俺は安宿のベッドで目を覚ました。
と言っても、この部屋に帰ってきたのは明け方だったので、睡眠をしたという感覚はないけれど。
闇ギルドの襲撃からライズ一行を助けた後、コルカの街の医療施設まで彼女らを送り届けた俺は、エリザにバレないようにコッソリと部屋に戻ったのである。
「……俺が人助けね。なんつーか、毒されちゃったよなぁ」
エリザのことを馬鹿正直の真面目人間と罵っていたにもかかわらず、まさか人助けに手を染める(?)だなんて……くそ、調子が狂う。
俺は悪魔に育てられた人間モドキで、善人じゃあないはずなのに。
「……げ」
しばらくベッドの上で呆けていると、自分の荷物がなくなっていることに気づく。
……まずった。システィーと戦う際、身軽になるために鞄を置いてきちまったんだ。
「ってことは、まーたタダ働きかよ……」
エリザの勝ち誇った顔が脳裏に浮かんでくる。
『ほらほら、ジンさん。真面目に仕事をしないからこういうことになるのですよ? 一人で抜け駆けしようったって、そうは問屋が卸しません』
青い目を爛々と輝かせ、実に嬉しそうだった。
「……っせーな。余計なお世話だっての」
「何が余計なお世話なのですか?」
「っ⁉」
不意に声が聞こえ、身体が臨戦モードになる。
「いや、あの……そんな人慣れしていないネコちゃんみたいに警戒されても……なんだかショックです」
見れば、扉のところにエリザが立っていた。
俺の失礼な反応を見て、普通にショックを受けているようである。
「あ、えっと、ごめん……でも、ノックもなしに部屋に入る方もどうかと思うぜ?」
「いえ、何回かノックはしましたよ? 反応がないので中にいらっしゃらないのかなーと思ったら、ブツブツと声が聞こえたので、こうして覗いてみたのです」
「さいですか……」
ノックに気づかないなんて、少しボーっとし過ぎていたらしい。
俺は臨戦態勢を解除し、ふーとため息を吐く。
……おっけー、落ち着いた。
「で、何の用? 朝食だったら一人で食べてよ、気分じゃなくてさ」
「別に用というほどのことでもないのですが……昨晩、宿を抜け出していましたよね? どこに行っていたのですか?」
もろバレしていた。
エリザに悟られないよう、慎重に窓から出ていったつもりだったのに……気が抜けてるぞ、ジン・デウス。
「十五分おきに部屋を訪ねたのですが、ついぞお会いできなかったもので」
「ストーカーかよ」
俺のせいではなかったようだ。
つーか怖いよ、マジで。
「あー……まあ、ちょっとばかし夜風に当たりにね」
「そうでしたか。私はてっきり、ギルドの規則に反して一人でダンジョンに潜りに行ったのだと思っていましたよ」
「そそ、そんなわけないだろ? 俺は真面目な冒険者だぜ? 規則違反なんて絶対にするはずないじゃないか。疑われるなんて心外だよ。公明正大こそ、俺の生きる道しるべなんだから」
「語るに落ちる、とはこのことですね」
はーっと、大袈裟に肩をすくめるエリザ。
「私があなたの規則違反に気づいてしまったら、軍に通報しなくてはいけないのですからね? 少しはこちらの身にもなってください」
「そこはほら、一緒に共犯になってよ」
「無茶言わないでください。犯罪者になるのは嫌です」
今回は証拠もないので構いませんが、と言いながら、エリザは備え付けてある椅子に腰を下ろした(相変わらず身内に甘い)。
「……それで、何があったのですか? ジンさんの格好を見る限り、戦闘があったのは確かなようですけれど」
「……」
普通に着替えるのを忘れていた。
そりゃ、誰がどう見たってダンジョンに潜ったのが丸わかりである……詰めが甘すぎないか?
「……まあ、隠すことでもないから話すけどさ」
俺は赤魔法陣ダンジョンで起きた出来事について、エリザに報告した。
半ば懺悔のようなものである……あー、恥ずかしい。
「ライズさんたちのパーティーにそんなことが……闇ギルド、やはり危険な存在ですね」
エリザはもっともらしく頷いてから、
「一見したところ大丈夫そうですが、ジンさんにお怪我はなかったのですか?」
と、俺のことを気遣ってきた。
……本当に、食えない奴だ。
「見ての通りピンピンしてるよ……【悪魔の加護】の力もあるしね」
「とにかく良かったです、ご無事で」
ニコッと笑顔を浮かべるエリザを見て、不覚にも頬が綻びそうになる。
「……やっぱり、ジンさんは良い人ですね」
一呼吸おいてから。
エリザは、何の気なしにそう言ってきた。
「俺が、良い人?」
「はい……だってそうでしょう? ジンさんはライズさんたちを助けるために、たった一人で闇ギルドに立ち向かったのですから。どこからどう見ても良い人ですよ」
「いや……あれは身体が勝手に動いただけで……」
「だからこそ、です」
再び、笑顔を浮かべるエリザ。
自然と、彼女の顔を見つめてしまう。
「打算も計算もなく、ただ純粋にただ真っすぐに、困っている誰かのために行動できる……それこそ人間の本質なのだと、私は思います」
「人間の、本質……」
あの時、考えるより先に身体が動いてしまったのは。
俺が――人間だから?
「誰だって、大人になるにつれて打算的になるものです。損得勘定を抜きに他人を助けるだなんて、幼稚で無謀だという人もいるでしょう……でも、思うんです。人間の本質は、助け合いなんじゃないかなって」
「……」
「誰にも助けられず、誰のことも助けず、真の意味で孤独に暮らせる人なんて、この世界に存在しないでしょう? みんながみんな、互いに助け合い、守り合い、思い合い、生きているんじゃないでしょうか……例えそこに損得や偽善が混ざっていたとしても、本質は変わりません」
人間は、人と人との間と書く。
その間を繋ぎ止めるものは。
一体、なんなのだろうか。
「だから、今回のジンさんの行動は、そのものまさしく人間だったのですよ……少なくとも、私はそう信じています」
「……」
そう言って俺を見つめる青い瞳は。
いつまでも、清く煌めいていた。