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悪魔誕生



「ジン……そこにいるの?」


 苦しそうな声に呼ばれ、俺は読書をやめてベッドに近づく。

 暖かく照る橙色の電灯が、声の主を優しく包んでいた。


「ああ、いるよ」

「そう……もう目も開けられなくてね。死ぬ前に愛する息子の顔を見られないなんて、こんなに残念なこともないわ」

「悪魔が冗談を言うなんて、こりゃいよいよだな」


 苦笑しつつ、悪魔の額に冷えたタオルを乗せる。

 こんなもので彼女の苦痛が和らぐはずもないが、俺のできるせめてもの看病だ。


「ええ、もちろん冗談……お前を愛したことも息子だと思ったことも、ただの一度だってないわ」

「だろうな。俺もあんたを母親だと思ったことなんてない。お互いさまだよ」

「全く、最後まで生意気な人間ね……昔はもう少し可愛げがあったものよ」

「誰かさんのお陰で、捻くれて成長しちまったからな」

「ほんと、誰に似たんだか……ゴホッゴホッ」


 悪魔は痛みで表情を歪めるも、すぐに元の端正な顔立ちに戻る。

 まるで、俺に心配をかけまいとするかのように。


「……これ以上喋らないで寝とけ、アスモデウス。また意味もない料理でも作ってきてやるからさ」

「栄養は取れなくても味はわかるわよ……お前の作るシチューは絶品だから。それこそ、人間の魂よりも」

「物騒な例えだな」


 俺は肩をすくめながら踵を返した。

 が、すぐに袖を掴まれたので、その場に立ち止まる。


「どうした? シチューを作ったらすぐに戻って……」

「ジン」


 ベッドの上の悪魔は。

 今まで聞いたどんな言葉よりも優しく、俺の名前を呼んだ。



「……お前のことを愛していたわ。どうか、人間らしく暮らしてね」



 そして。

 彼女は微笑んだまま、息絶えたのだった。





「これが街、ね……」


 アスモデウスと共に暮らしていたエンドラ山脈を出て二週間……古びた地図を頼りに旅をしていた俺は、ようやく目的地に辿り着いた。

 人間が集まって暮らす、街という場所。

 街道に立っている看板を見るに、名前はハリノアというらしい。


「……」


 当たり前だけど、人間がいる。

 しかも大勢。

 生まれてこの方悪魔と過ごしてきた俺は、自分以外の人間と接してこなかった……必然、物珍しく辺りを見回してしまう。


「ギルド……」


 しばらく挙動不審に歩いていると、お目当ての建造物を見つけることができた。

 周囲の建物とは一線を画す立派な造りで、なるほど重要な場所であることが窺える。


「人間はギルドに所属して冒険者となり、ダンジョンを攻略する……だったっけ」


 何かの本で得た知識を反芻しながら、俺は木製の扉に手を掛ける。

 アスモデウスが最後に遺した、人間らしく暮らしてという言葉……とりあえず冒険者とやらになれば、幾らか人間っぽく生きられるだろう。


「……」


 少し息を吸い、一気に戸を開ける。

 中には、いわゆる酒場と呼ばれる施設が広がっていた……どこもかしこも上機嫌な人間で一杯である。

 アスモデウスの影響で酒は好きなのだが(あいつの持ってくるワインは絶品だった)、今は酔っぱらっている場合ではない。

 キョロキョロと辺りを窺い、話を聞いてくれそうな人を探していると、


「何かお困りごとですか?」


 カウンターの向こうから、女性が声を掛けてきた。

 俺よりいくつか年上に見える、茶髪でおさげなおねーさん。

 ニコニコと人当たりの良い笑顔を浮かべ、実に良い人そうである。


「えっと……冒険者? ってやつになりたいんですけど、どうしたらいいですか?」

「新規の冒険者登録ですね、かしこまりました……あ、私はここで事務員をしているテッサと申します、以後お見知りおきを」

「はあ……ご丁寧にどうも」


 ニコッと微笑む女性――テッサさんは、カウンターにてきぱきと書類を広げ始めた。


「ここにお名前と年齢、出身地をお書きください。こっちには使用できる魔法の系統を大まかに記入して頂いて、最後に魔力を使っての捺印をして終了になります」

「はあ……」


 想像していたより簡単に冒険者にはなれるらしい……しかし、魔法か。

 俺が使うのは()()()()()()()()()()()、まあ大丈夫だろう。

 そんなことよりも、名前ねぇ。


「……」


 アスモデウスにはジンと呼ばれていたが、律儀にその名を使い続ける必要もないわけで。

 ……まあ、適当に。


「ご記入終わりましたか? えっと……ジン・デウスさん」

「……ええ、終わりました」


 ジン・デウス。

 俺は今日から、そう名乗っていくことにした。


「はい、ではそこに魔力を流して頂いて登録は完了です。では、続いてパーティーについての説明を――」

「やあ、今日も可愛いね、テッサ」


 突然、身体をドンッと押しのけられる……何者かが俺とテッサさんの間に強引に割り込んだのだ。

 謎の男はカウンターに両肘をつき、わざとらしい笑顔を浮かべる。


「ちょ、ちょっとオズワルドさん! 今はそちらの方とお話を……」

「そんなの後でもいいだろ? 君にとって、僕と話すことが何よりも優先されるべき最重要事項なのさ」


 オズワルドと呼ばれた男は、自信満々にウィンクをかます。

 嫌味なくらいに光沢を放つ鎧と金髪をかき上げる動作が、この男のキザな雰囲気を助長していた。


「ダンジョン攻略の前に優雅な昼食と洒落こもうと思っていてね。テッサも一緒に来るだろう?」

「いえ、まだ仕事中ですので……」

「この冴えない男の相手なら、僕とのランチを済ませてからにすればいいさ……そこの君も文句はないね? なんてったって、僕はSランクパーティー『覇王の道』のリーダーなんだから」


 俺を見ながら、得意気に鼻を鳴らすオズワルド。

 Sランクパーティーが何だかは知らないが……とにかく、俺の手続きを邪魔しているのは確かなようだ。


「ってことで、テッサはつれていくよ。さ、おいで」

「こ、困ります……」

「ちっ……いいから早く来い!」

「きゃあっ!」


 思い通りに動かないテッサさんの腕を、オズワルドが強く掴む。


「……なあ、あんた」


 俺はまず、紳士的にオズワルドの肩を叩いてから、


「なんだ、君。何か文句でも――がっ⁉」


 腹を殴った。

 もし人間を殴りたいと思ったら、三十秒は待てとアスモデウスに言われていたのだ……しっかりきっかり、三十秒である。

 これで問題はない。


「がぁ……ぐう……」


 腹部を押さえてうずくまり、苦しそうに呻くオズワルド。

 おかしいな、かなり手を抜いたはずなのに……思えば、人間を殴るのは初めてなので加減を間違えたのかもしれない。

 あの様子を見るに、もう少し力を抑えないといけないようだ。


「ちょ、ちょっとあんた! いきなり何すんのよ!」

「お前、誰に喧嘩売ったかわかってんのか! 俺たちはSランクパーティー、『覇王の道』だぞ!」


 男女二人が声を荒げ、俺とオズワルドの間に割って入る。

 恐らく仲間同士なのだろう……随分とご立腹のようだ。


「まあまあ落ち着いて。きちんと三十秒待ったからさ、セーフセーフ」

「どんな理論よ! この野蛮人!」

「魔装鎧を貫通するってことは、魔法を使いやがったな! ダンジョン外で攻撃魔法を使うのは規則違反だろ!」


 そんな規則があるとは知らなかったが、しかし普通に殴っただけなので怒られる筋合いはない。

 彼らが怒っているのは別の理由だろうけれど。


「おい、エリザ! お前の魔法でこいつを凍らせろ!」


 男は大声で誰かの名前を呼ぶ。

 その声に反応し――離れた位置にいた青い髪の少女が、ビクッと身体を震わせた。


「で、ですが、ダレンさん。例え報復であっても、ここで魔法を使えば私も規則違反になってしまいます……」


 髪と同様に淡い青色の瞳を持つ彼女は、伏し目がちに答える。


「そんなの知るか! お前は俺たちの役に立てばいいんだ!」


 何やら揉めているようだが……野次馬も増えてきたし、一旦お暇した方がよさそうだ。

 俺は軽く床を蹴り、天井につるされたシャンデリアに移動する。


「なっ……おいお前! 降りてこい!」

「なあ、テッサさん」


 叫ぶ男(ダレンと呼ばれていたっけ?)を無視し、俺はテッサさんを視界の先に捉えた。

 まさか話しかけられると思っていなかったのだろう、テッサさんは驚いたように目を丸くする。


「な、何でしょうか?」

「ここら辺に良さげなダンジョンってあります? 始めて来た土地なんで、右も左もわからなくて」

「えっと……一応、あちらの壁にハリノア周辺の地図とダンジョンの位置が記してありますけれど……」

「あ、そーなんすね」


 驚いたままのテッサさんが示した方を見ると、壁面一杯に巨大な地図……そこに、ダンジョンごとに色分けされた印がまばらに付いてた。

 なるほど、あのマークがギルドだとして、北は森か……げ、黒魔法陣はないのかよ。だったら一番近い赤魔法陣ダンジョンは……。


「お前ら、何を普通に会話してやがる!」


 不意に何かが頬を掠める。

 どうやら、業を煮やしたダレンが手斧を投げてきたようだ。


「お前はとことんいたぶってから軍に突き出してやるぜ! おいエリザ! 早くあいつを氷漬けにしろ!」


 高圧的に命令され、再び肩を震わせる青い髪の少女。

 だが、彼女は震えながらも――確かにまっすぐ、俺の目を見つめていた。

 その青い瞳からは。

 決して俺を傷つけたくないという意志が、伝わってきた気がする。


「……あんた、良い奴だな」


 俺は少女の目を見つめ返し、シャンデリアを蹴る。



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