ラガンスの森
「しかしー、参ったもんだ」
龍に乗っている隣のウルフが、抱いているアイネを一瞥し、爪で自分の額をかいた。
「まさか連れが指定難病とはねえ……しかも余命2週間だって? 無茶にも程があるぜ。なあクロハ」
「まあね」
僕は軽い返事をして2匹の伝鳥を消し、ウルフの腕の中で寝ているアイネに目をやった。
ユキ、という獣人の少女が薬を飲ませてくれていたお陰か、今は顔が火照っていない。だけれど、体内循環症は持病。
薬の効果が切れれば、また熱がぶり返すだろう。早くラガンスの森で2種類の薬草を取ってこなくちゃ……。
「それにしてもよ、ずっと気になっていたんだが……」
僕がアイネの方へ目をやっているのを見たウルフも、下を見る。
「このガキンチョのおでこについている紋様は何なんだ? これも病気の症状なのか?」
ウルフがアイネの前髪をかきあげると、おでこには黒い模様が描かれていた。
「あぁ、それは……そのー。コイツすぐ迷子になりそうだから、特別な魔具で印を付けたんだよ。どこへ行っても居場所が分かるように」
「その割には必死こいて結構探してなかったか? お前さん」
「すっかり忘れててさ。アイネに駆けつけて、そういえば付けてたなーと思い」
「何だそれ。意外とドジなんだなお前」
「アイネと似たようなこと言うなよ……」
ウルフが軽く笑い、左手で僕の背中を叩いた。彼からしたら勿論手は抜いていると思うのだが、やっぱり痛い。ヒリヒリと背中が痛む。
「おでこの紋様のことは、アイネに話さないでほしい」
「何でまた」
「言ったら絶対にコイツ、ブチギレるから。子供扱いすんな! とか言って」
「でも鏡を見られたら終わりじゃねえの?」
「鏡は出来るだけ見させないようにしているんだ」
思わずウルフから視界が逸れる。
……そういえばウルフ、旅人に助けられたことがあるんだっけ。昔は獣人と人間とでかなり差別をされていたのたが、今では僕が見た限りだと、大半の人間が獣人を受け入れている様子だ。
実際、国際中央広場では店を開いている獣人が多くいた。
「ところで、ウルフは人間に助けられたって言っていたけど、何かあったの?」
そう聞くと、ウルフは少しだけ俯いて黙り込んだ。
あ。まずい。これは聞いちゃいけないやつだったか?
「あ、あの……ごめんウルフ。話したくないのならいいんだ。僕、身近な人について深掘りをしちゃう癖がありまして、それで――」
「んーにゃ。別にいいさこれぐらい」
ウルフは口の先を少しあげて薄笑いを浮かべると、静かに語り始めた。
「俺もー小さい頃から人間は嫌いだったんだ。何せ、周りの皆が皆、人間は悪党だーとか、差別するんだーって騒いでてな。子供の頃はそれを丸呑みしてた。そんな中、俺ら獣人は基本森で育つわけなんだけど、1回山火事で酷い目にあってなあ……」
「あー、なんか新聞に掲載されていたのを見たよ」
ツリーハウス・園庭楽園での大規模な山火事のニュースは、世界中の新聞やテレビで取り上げられていた。
あの中にウルフもいたのか……。
「そういえば、双子の家に入る前もウルフ。上空から人間に家を焼かれたとか話していたけれど」
「あー、実はその話なんだよ。周りの連中は「人間に家を焼かれた」と思っているらしいんだけど、俺あー単純に山火事だと思ってんだ」
「何故?」
「酷い火事に遭遇して家を焼かれたんだが、その時通りすがりの水属性の旅人の集団が偶然居合わせてたみたいで、皆助けられたんだ。俺嬉しかったよ。だけれど、獣人の奴等はひねくれているから「わざと人間が森に火をつけて我々を救ってヒーロー気取りしてるんだ!」って言い張っててよ。話が通じないんだな」
「新聞には、ガッツリ「山火事だ」っていう報道がされていたけど……」
「俺も最初は人間がやったんじゃないかって思ったよ。何で火事が発生するタイミングでこの町に水属性の集団がいんだ? 俺らわざと家を焼かれて、人間共を英雄気取りさせてんじゃねえかって」
確か山火事は10年くらい前に起きた出来事だった気がする。
『ツリーハウス・園庭楽園が山火事! 旅の人間が住人を救う!』
という、大きな見出しが新聞に貼られていたのを今でも覚えている。
火の消化に当たったことで山火事の被害を大幅に減らし、旅人達は教皇様という、世界一偉い人から表彰の儀を持ちかけられたが、全員断ったそう。
名も名乗らずに立ち去った旅人の彼らは1つの町を救ったと世界中で称えられ、一時期は水属性の人々が集う国も潤ったそう。
もしこれが故意にやったとなれば、ウルフは被害者どころではないだろう。
「でも周りがどう言おうと、俺ぁずっと山火事だって思ってる。これからもこの考えは変わらないと思うが……裏で人間に騙されたから。ちょっと今は人間不信になっちまってな」
「ウルフ―――」
「心配すんな! あんたのことは信じてるよ。悪人があんな事を傷だらけで伝えてくるはずがないし、俺を連れ出すなんて、嫌がらせの連中だとしたらメリットがねえだろ?」
確かにそうだ。ウルフが疑う素振りを人間の僕に見せなかったのは、そう考えていたからなのか。
ウルフなりに、ずっと考えて動いていたんだ。
「……少なくとも僕は、ウルフのこと友達だと思ってる」
「そうかいそうかいー。まだ出会って数時間のはずだけどな。さて、もう葬式みてぇーな話はやめようぜ。旅人さんよ」
ウルフは鋭い爪が僕に当たらないよう、気を付けながら頭を撫でてくれた。
ふと、何も考えず僕の頭に乗っているウルフの腕を両手で掴み、手をまじまじと見てみると、腕は灰色のフワフワした毛で覆われていて、手の先には真っ黒でかなりの大きさの爪が光っていた。
僕達は今、龍に乗っているのだが、上空はどうしても寒い。
ウルフは毛皮が分厚いからそうでもないのだろう。薄っぺらい布1枚でしか身を包んでいないにも関わらず、平気そうにしている。
「何だよ、俺の腕なんか揉んで」
「ウルフって獣人なわけだけど、肉球がないね。双子の家のユキちゃんは肉球があるから、小物を持ったりするのを苦手そうにしていたけど。宿屋の女性も手には肉球があった。だから宿の部屋の扉は予め開けてあった」
「獣人。と言っても色んな種類の特徴が体に出るからな。俺の場合は手に肉球がない代わりに、他の奴より爪がデカくて鋭いんだ」
「よくそれで商品を壊さずに道具屋やってるね」
「意外と器用だろ? 俺」
そんなたわいもない雑談をして、いつの間にか眠りに落ちていた。自分では気付かなかっただけで、激しい戦闘と、走り回って体がくたくたに弱っていたのだ。龍に座ったまま居眠りをしていた。
――――――
何だか美味しそうな良い香りが鼻をくすぐり、目を覚ますと、もう日が昇っていて、辺りは明るかった。時計を確認してみると、もう昼頃だ。こんな時間まで寝ていたのか……。
隣ではウルフが片手で雑誌を読みながら、コーヒーを飲んでいた。抱いていたアイネはというと、後方の座席を2つ使い、横に寝かせていた。
ウルフを見た瞬間は正直、アイネを龍から落としたのかとビビったが、そうでもないことに一安心。
思わず背伸びをし、大きな欠伸をすると、ウルフが僕に気付いて笑いかけてきた。
「よぉ。お寝坊さん」
「おはようウルフ。さっきからいい匂いがするんだけど」
「それ、俺様特製サンドイッチ」
ウルフが僕の右腕付近を指差すので見てみると、椅子の間へ綺麗に草で編み込まれた箱が置かれており、縦にサンドイッチが2つ詰め込まれていた。
1つ持ち上げてみると、かなりボリューミーで、バケットの間にはレモンや鶏肉、レタス、トマト、などが挟まれている。
「サンドイッチって、ツリーハウスでは人気の食べ物なの?」
「人気というか、主食だぞ。てっきり他の奴もそうだと思ってたんだが違うのか」
「レモンの輪切り入れるなんて……かなり斬新なアイデアだね」
「それ酸っぱくねーよ。蜂蜜仕込んであっから」
僕が言おうとしたことを悟ったのか、ウルフが別のタッパーに入っている蜂蜜レモンを頬張りながら言ってきた。
「サンドイッチ持参してきたんだね」
「これは昨日の昼飯だったやつさ。品の手入れが終わらなくて、ご飯を後回しにしてたんだよ。そしたらお前がボロッボロになって走ってきたもんで……あれはたまげたわー」
「じゃあこれ、ウルフのお弁当じゃん!」
空腹のあまり、勝手に人のサンドイッチを鷲掴みして食べようとしてしまった!
慌てて手にしたサンドイッチを詰められていた箱に戻した。
「ご、ごめん。なんか掴んじゃっ―――」
「俺半分食ったから。お前食え」
「いやいや、人様の食べ物をもらうわけにもいかないし」
「じゃあお前のリュックには食料あんのか?」
ウルフが雑誌を片手に頭を傾げ、僕の足元に置かれているリュックを見つめた。
「いや……ない。飴玉なら。あるけど」
「何で飴玉しかないんだよ」
「長旅では基本飴しか口にしてない。飴は日持ちするし、糖分さえ取れば何とかなるから」
「タンパク質取れよお前」
「昨日の朝に卵サンド食べたから大丈夫」
「そういうことを言ってるんじゃねえ……」
ウルフはこちらに渋い顔をすると、箱に入っているサンドイッチを掴んで差し出してきた。
「いいから食えよ。朝も食ってねえんだから」
「でも……」
「食えったら食えっつってんだよ!」
ウルフは、手に持っていたサンドイッチを僕の口へ無理矢理突っ込んできたので、仕方なく手で受け取った。
「ところでー、ラガンスの森へはいつぐらいに着くんだ?」
「ふぉふっ、ふぁよ」
「あー悪い悪い。それ食ってからでいいわ」
僕は口の中に入っているサンドイッチを喉へ押し込むと、咳き込みながら答えた。
「今夜くらいだと思うよ。大体丸1日かかると思ってるから」
「夜ねえー。まだ昼だし、結構長旅なもんだな」
ウルフは退屈そうに両手を首の後ろにやると、椅子を前後に揺らし始めた。後ろにはアイネしかいないし、大丈夫だろう。
「このサンドイッチ、美味しいね。特に蜂蜜レモンを挟む発想はなかった」
「そうか? 俺の飯ではいつもレモン漬け挟んでるけどなあ」
「レモンは自分で作ってるの?」
「俺元々はレモネードを売る商売してたから、レモンの扱いは慣れてんだ」
「そうなんだ」
レモネードか。ラガンスの森でレモンは取れない。アイネにレモネードを作って飲ませたら、さぞかし喜ぶだろうな。
僕が後ろの座席で横たわって寝ているアイネに目をやっていると、ウルフもアイネを覗き込んだ。
「そういえば連れのガキンチョ、朝は起きてたから朝飯のサンドイッチ一緒に食ったぞ。体がダルい言って、今は寝てるけど」
「え!」
「お前のこと「兄ちゃん」っつってたけど、本当にお前ら家族じゃねぇのか?」
「連れが勝手に僕のことをそう呼んでいるだけだよ」
「腕組んで爆睡している隣のお前を見て、死んでんじゃないかって顔をペチってたぞ」
「何で死にながら龍に乗ってんだよ……」
朝は起きていたのか。全然気付かなかった。起きれるほど回復しているのならば、とりあえずは大丈夫だろう。
『その子は……2週間。命を保てるかどうかの状態に近い』
……いや、大丈夫ではないか。
けれど移動中の龍の上でモヤモヤと考えていても仕方ない。今はとにかく目の前ことを優先するべきだ。
「ていうかお前、旅人の割には随分とチビだよな。歳いくつだ?」
「え? えーー……内緒。成人はしてる」
「内緒にする内容じゃあなくねぇかー? 成人してる割にはどうも少年ぐらいにしか見えん」
「よく言われるよ……。だから成人証明書を持ち歩いてる」
「光属性で特異体質の奴はどいつもチビで背中に翼が生えてるって聞くけど、お前翼ねえもんな」
「身長伸びないの、結構根に持ってるんだからやめてくれ」
「わりぃーわりぃ」
ウルフが頭をかいて笑ってみせた。
特異体質。
それはごく一部の人々しかならないとされている体の特徴のことだ。
風属性の人間の場合、特異体質の人は頭から耳が生えていたり、尻尾があったり、全身が毛に覆われたりと、獣の姿に近い見た目となる。
つまり「獣人」と呼ばれる人々のことだ。
『炎属性には角が生えて攻撃力が上がり、水属性は鱗で覆われ防御力が上がり、風属性は獣人になり素早さが上がり、光属性は翼が生え指揮棒を振るう種類が増え、闇属性は髪の毛が銀色になり「物」を使い魔にできる』
これは、世界中の人々へ広がっている「特異体質」の知識だ。一般の人々と見た目が異なる代わりに、一部の能力が底上げされる生まれながらの体質。
人々の間では「ファイブ・ステラは全員特異体質」と噂されているが、僕の場合は違うんだ。
そう。僕の場合は。
ウルフと僕はたまに雑談。たまに昼寝。たまに荷物チェックなどを行いながら、龍に乗り続けて丸1日を過ごした。戦闘で負傷した傷口もだいぶ治り、顔の切り傷もなくなった。
ふと気付けば辺りは暗くなっており、乗っている龍の真下を見ると森が広がっていた。この辺がラガンスの森だ。
僕は赤いクッションを握って鳴らし、龍に「降ります」の合図をすると、上を向いてヨダレを垂らし、大きないびきをかいて寝ているウルフを叩き起こした。
龍は森の木に当たるギリギリの場所まで降下し、止まった。
「え、何でこの龍。停留所まで行かないんだ?」
ウルフは事情を何も知らない様子で、乗っている龍の背中を叩いた。
「ラガンスの森で降りる物好きなんてほとんどいないから、停留所がそもそもないんだ。ここで降りるよ」
「はぁ!? こっから飛び降りろっての!?」
ウルフは勢いよく龍の端に捕まり、真下を見た。暗いが、薄らと森が生い茂っているのは確認できる。
「龍に頼めばハシゴを下ろしてもらえるけど、それだと追加料金が発生する。そんな金はない」
「どんだけ金ねぇんだよお前!」
「ウルフは獣人なんだから、これぐらい飛び降りても死なないでしょ」
「いや獣人たって限度があるし! つーかお前はどうすんだよ」
「僕は翼……使い魔で降りるけど」
「んじゃあ俺にもその使い魔分けてくれ」
「翼鳥は一匹しか持ってない」
「鬼畜な野郎だなほんとに!」
ウルフは声を荒らげながらも、立ち上がって屈伸をし始め、大きく背伸びをすると、寝ているアイネを抱いた。
「アイネ、傷つけるなよ」
「お前に協力するとは言ったが、注文が多すぎるわ」
そういうとウルフは龍の背から飛び降り、暗闇に落ちていった。しばらく待つと、真下からガサガサっという音を立てた後に「お前も来いよー」という、呑気そうなウルフの声が聞こえた。
僕も指を鳴らして翼鳥を呼び、下に降ろしてもらった。
森に到着すると、片手にアイネ、もう片方に懐中電灯を持ったウルフが突っ立っていた。
「案外いけたわ、俺」
「獣人は森に慣れっこだろ。何でこれぐらいで怖気付いてんの」
「うっせえ!」
ウルフは懐中電灯を僕ではなく翼鳥に向けると、驚いた表情をして翼鳥に駆け寄った。
「コイツの顔、ひでぇ傷だなおい……何やったんだよこれ」
「翼鳥は魔物討伐の時に怪我をしちゃって。勿論使い魔病院で治療を受けたんだけど、顔の傷跡だけはどうも残っちゃうみたいなんだ」
「これ最近出来た傷だろ? 何でもっと丁寧に扱ってやらねえんだよ。可哀想だろ」
そう言われ、反射で指を鳴らして翼鳥を消した。
丁寧に扱え、か。国際中央広場の獣医にも同じようなことを言われた気がする。
翼鳥は移動用のA級使い魔だ。戦闘に不向きな使い魔をSS級のリベリオン前で出したのが悪かった。
だけれど、翼鳥が僕をリベリオンの真上まで運んでくれなかったら、恐らく僕は奴等に囲われて為す術がなかっただろう。
……あ。リベリオン。そうだ。リベリオンの雛を預かっていたんだ。色々と忙しくて忘れてた。きっとお腹を空かせているに違いない。
だけれど、使い魔として雛を呼び出したところで食べさせる物がない。リベリオンは雛と言えど肉食で、鋭い歯がもう生え揃っている。食料は飴だけだし……。
ん?
「ウルフ、まだサンドイッチって残ってる?」
「んあ? 1切れならあるぞ」
「鶏肉入ってたよね? ちょっとそれ分けてくれない?」
「何だよ急にまた。食うならバランスよく食えよな」
ウルフはアイネを木に寝かせると、布の包みからサンドイッチが入った箱を取り出して差し出してきた。
それを受け取ると、「リベリオン」と言って指を鳴らした。
リベリオンの雛が藁に包まれて手のひらに乗る。
真っ黒でフワフワの毛に包まれたその生物は、まん丸とした目で僕を見つめ、呼び出されるや否や手に噛みついてきた。
「痛っ!」
痛みで思わず手を振り払ってしまい、地面に落っこちた雛鳥は飛べない翼をバタつかせ、逃げてしまった。
マズい。こんな場所でリベリオンを見失ったら成長して大変なことになる!
僕が走って逃げる雛鳥に追いつく前に、ウルフが片手で雛を上から鷲掴みして持ち上げた。リベリオンの雛はピィピィと大きく口を開けて鳴いている。
「これ、今夜の晩飯か?」
「アホか。僕の使い魔だよ」
ウルフの手の中へ入っている雛へ手を伸ばしたら、雛は僕に向かって小さな歯をカチカチと鳴らした。威嚇だ。
この雛鳥は出会った時もそうだった。自分の母親を殺したのが僕だと認識しているんだ。
雛というものは基本的に鳴いて餌を求めるだけのひ弱な存在だと思っていたけれど、この雛だけは何故か区別が出来ている。
そこに惹かれて使い魔にしてみようと思ったのだが、予想以上に嫌われているようだ。
これでは餌を与えられない。
「なあーこの雛鳥。片足に赤いリボンが付いてるんだが、これ何だ?」
ウルフは不思議そうに、雛鳥の片足に巻き付けてある赤いリボンを優しく触った。
「それは「使い魔への移行リボン」とされていて、基本的に使い魔にしたばかりの動物は制御が難しいから、その赤いリボンを体のどこかに付けて最初は慣れさせるんだよ」
「犬の首輪みたいなもんか?」
「まあ……そんな感じ。十分に慣れたらリボンは外していいけど」
「練習ねぇー。大変なこった」
「それよりウルフ、その雛に鶏肉を食べさせて欲しいんだ。僕だと無理そうだから」
「あー、そういう事ね」
僕は持っていた箱の中からサンドイッチを取り出し、鶏肉だけをつまみ上げると、ウルフに渡した。
ウルフは鋭く大きな爪で鶏肉を器用につまむと、雛鳥の真上に垂らして食べさせ始めた。雛鳥は余程お腹が減っていたのか、短い首を伸ばして勢いよく食べて完食した。
食べ終わった雛鳥の頭をウルフが優しく撫でると、雛は体を小さく丸めて目を瞑った。
「初対面の俺にはこうなのに。何で飼い主は嫌われてんのかねぇー。なんかしたのか?」
「……何にもしてないよ」
「まさかコイツに虐待とかしてないだろうな」
「自分の使い魔にそんな事するか!」
指を鳴らして雛鳥を消すと、撫でていた雛が急に消えたのに驚いたのか「あっ」とウルフが声を漏らした。
僕の声が大きかったのか、木を背に寝ていたアイネが目を覚まし、目を擦った。
「んにゃ~……もう何よー」
「あっ」
「おっ。起きやがったぞ」
アイネはウルフを見上げると、引きつった顔をして後ずさりしようとした。が、後ろは木だ。
「えっ、えぇ!? 何で狼が二本足で立ってんのよ!」
「俺ぁ、獣じ―――」
「ていうかここどこよ! え!? お、お兄……え!? どこなのよここ!」
アイネが凄まじい勢いで辺りを見渡している。とりあえず今は元気そうだ。
「何だか懐かしい匂いがするわね……」
「ここはお前の故郷だよ。俺とお前が出会った森」
「はぁ? 何で帰ってきたのよ。こんな場所まで」
「この森で取れる2種類の薬草を探しているんだ。お前、出会った時薬草取って売ってたって言ったろ。薬草の名前は?」
「そんなの知らないわ」
「何でお前はいつも肝心なことを知らないんだ」
薬屋を営んでいる獣人のおばあさんに、薬草の見た目を聞いとくべきだった。これじゃあ草を見つけようにも、どれなのかさっぱり分からない。薬の調合もやった事がない。
「ウルフ、何か知ってる?」
「道具屋の俺に薬草のことを聞かれてもなぁ……」
「昨日僕の切り傷に塗ってくれてたじゃん、薬」
「あれは市場で出来上がっている薬を買ってあっただけで、薬草のことは何も……」
ウルフは空を見上げ、手で首を鳴らした。多分分からないのだろう。早速詰んだかもしれない。
「お兄ちゃん、怪我したの?」
「走ってて転んだだけだよ」
「あらそう」
アイネの顔が急に曇ったのを察し、咄嗟に嘘をついた。
とりあえず獣人の知り合いにでも電話してみるか……。
「あっ」
取り出した自分の携帯は大きくひび割れていて、一部は線が丸見えになっている。そういえば壊されて使えないんだった。
「何で携帯壊れているのよお兄ちゃん。広場で使っていた時は、そんな状態じゃなかったじゃない」
アイネが下から携帯を覗き込み、首を傾げた。
「……転んだら壊れたんだよ」
「何回転ぶのよ!」
アイネが真下で怒っているのをウルフが割り込み、僕が持っている携帯を眺めた。
「いや、転んだぐらいでそんな壊れ方しねぇぞ。それ、旅人向けの携帯だろ。耐熱から防水までかなり頑丈に作られているはずだ」
ウルフが冷静に僕の言葉を掴んできた。彼は何でも鋭い。
戦闘で壊れたと言ったらウルフは落ち込むだろうし、その場にいなかったアイネも、またモヤッとはするだろう。
綺麗な嘘をつかなければ。
「え、えーっと。えー……」
「えーっとって何よ。お兄ちゃん」
「お……。龍から降りる時に転けちゃって、そこでどうも携帯を落としちゃったみたいで、それで壊れた」
「お前、携帯なんかさっき落としてたっけか?」
「お、落としたよ! ウルフに気付かれないよう拾ってから合流したんだ。みっともないから見られたくて」
「どういう気遣いだよそれ」
ウルフはため息をついた。
どうやらごまかしは効いたようだ。
「ていうか、何でここの薬草なんか探しているのよ。大したものなんて取れないわよ」
「この森でしか取れないと言われているペチの葉と、クリガネ草を摘んで調合すれば、体内循環症を寛解させることが出来るかもしれないんだ」
「本当に?」
「市場ではかなり高値で売れる薬草らしいんだ。何か心当たりあるか?」
アイネはしばらく考え込む姿勢を取ると、閃いたように顔を上げた。
「1番高く売れたのは、そのー。名前分かんないけど白くて、フワッとした花。次に高かったのは黄色くて小さめの薔薇みたいな花よ。あれがもしかして、ペチとクリガネって名前なの?」
「「花?」」
僕とウルフは思わず顔を見合わせた。
「いやいや。俺達が探してんのは薬草だぜ? お嬢ちゃん。花屋するんじゃねえんだから―――」
「そもそも薬草っていうのは「薬用にする植物の総称」のことよ。薬用に使われるのは葉っぱや茎、根だけじゃない。花の部分だって、薬草としてよく使われるわ」
「へえ、マジか」
それは初耳だ。てっきり「薬草」だから、探すのは葉や草だと思っていた。
まさか花だとは思いもしなかった。もしアイネの言葉を聞かずに草を探し回っていたら、絶対に見つからない。
「んでもー、何でペチの「葉」とか、クリガネ「草」とか。そういう紛らわしい言い方をするのかね。俺ぁー、てっきり草とかだと」
「他の治療で多く使われる部分が葉だったり、茎の部分だったりするからそう呼ばれているんじゃないかしら? でも何故か、葉や茎よりも使われない花の部分の方が値段が高いのよね」
「でも、風属性の人々が集うネクア王国では病人が多く、ニクに聞いたら有名な医師でも3年待ちって言ってたぞ? 風の人々は元々病気になりがちだって聞くし、使われないなんてことあるか」
アイネが花を売っていた市場がどこなのかは知らないが、多分この森付近の市場だろう。森の周りは、風属性の人々が多く集いやすい。
だとしたら、市場付近にも花の需要があるはずだ。
「ここの森付近に住んでいる人達は、その国とは違って病人がほぼいないわ。いるのは怪我人だけで、一般的に使われる薬は鎮痛剤。だけれど花部分には基本鎮痛の作用がなくて、ほぼ普通の花。単体で指定難病を治せる花とは聞いたことないわよ?」
『ラガンスで取れる薬草はペチの葉、クリガネ草の2種類で、主に強力な鎮痛剤として使われたりするんだけど』
ツリーハウスにいたショータと同じことを言っている。
葉や茎の需要が高いにも関わらず、1番使われないとされる花部分が市場で1番高く売れるのは、鎮痛の作用はなくても難病を寛解出来る何かしらの成分が花に含まれていて、他の国や町が輸入で多く仕入れるから売れるのだろう。
おまけに2種の花は、この森でしか摘み取れない。
そういう事か……。
「ペチの「花」とクリガネの「花」、その他僕が持っている3つの薬草を混ぜて調合することで、どうも体内循環症を寛解出来そうな薬が仕上がるっぽいんだ」
「でもー、あの2つの花はそう簡単に取れないわよ。毎日ポンポン取れていたら、あたしも貧乏じゃなかったわ」
「つまり黄色と白の花を探せばいーんだろ?」
ウルフは空を見上げて上の空だ。
考えすぎて頭がパンクしたのだろう。
「でも万が一違っていたら困るんだ。アイネが花を売っていた市場まで行って、買い取っている店員に花の名前を聞きたい」
「ていうか、市場に行けば普通に花売ってんじゃねぇの? お嬢が摘み取って店に売ってたんだろ」
「客に需要のない品を並べてるわけないし、高価な花だとしたら取り扱いを厳重にして、盗難防止で店には置いていないはずだ。恐らく店側は、花の買い取りだけをして他の国へ売っている」
「何言ってんのか知らないけど、市場はこんな時間にやってないわよ? もう夜だもの」
アイネが空を見上げた。暗いせいか、周りの木々が生い茂る音が不気味に聞こえる。
時計を見てみると、もう既に22時だ。
「まあとりあえず、今夜はチビの家に泊まるか」
「誰がチ―――」
その瞬間、僕の右にいたアイネを太い何かが掴んで後ろへかっさらった。咄嗟にアイネをつかもうとしたが空振る。
「グオオオオオオ!!!」
その化け物は鋭い雄叫びを上げると、アイネの体を巻き取ったまま後方の奥へと走り出した。掴んだまま逃げる気か!
ウルフは突然の事に尻もちをついていた。僕の真後ろにいて奴の腕がかすったのか、頬から血を流している。
「何だありゃあ!!」
「暗くてよく見えなかったけど、恐らく樹木呪だ!」
僕も奴を追いかける為走り出した。やられた!
すごい静かだったのに足音が聞こえなかった!
樹木呪。その名の通り樹木の魔物だ。太い樹木は月から与えられるオーラ量が多い。その為、樹木が耐えきれない量のオーラを宿すと、他の木とは違って生物のような物体になり、根っこを器用に使って移動するようになる。
喋りはしないが樹木の真ん中には裂けた口があり、オーラの影響で本能のままに人を襲い、主に小さめで軽い子供を攫って食べると言われていることから、子供達から酷く恐れられているS級の魔物。
「樹木が呪われている」という事から、樹木呪と呼ばれるようになった。
僕とウルフが素通りされたのは子供じゃないからだ。
「ふっざけんな!」
怒りに任せて思いっきり樹木呪に指揮棒を振ろうとしたが、僕でも自分の指揮棒の威力を把握出来ていない。アイネに当たれば重症は確実。最悪死んでしまう。
アイネと出会った時に使った光鞭を指揮棒で振るおうとしたが、あの樹木呪を引っ張って倒せばアイネが樹木に潰されて圧死する。もしくは食われる。
使い魔の雷鳥を出せば一瞬で終わりに出来るが、雷は木を貫通する為、攫われて接触しているアイネも巻き込まれて感電する。
閃鳥も同じで、レーザーが当たれば人間は当たった部分が一瞬で塵と化す。
夜の森は予想以上に薄暗く、しかも樹木呪は後ろ姿で逃げている状態。
アイネがどこにいるのか分からない。閃鳥に的確な場所の攻撃指示をすることも不可能。
「だあぁーーもう!」
僕はものすごく迷いながらも「痺鳥」と言い、指を弾いた。
鶴のような見た目をした大きめの鳥が3匹現れた。全体的に少し黄色がかっており、しなやかでツヤのある鳥達だ。
いきなり狭い森に出されて窮屈したのか、大きな翼が僕の顔に当たる。
「目標アレ。頼んだ」
僕が、目の前をドタドタと音を立てながら根っこを足として逃げている樹木呪を指差すと、3匹の痺鳥は「クケェー」とそれぞれ鳴き、樹木呪の元へ一目散に飛んでいった。
3匹の痺鳥は樹木呪の真上まで来ると、体内に電気を溜め、全身で放った。眩しい光で一瞬目が眩んだが、僕としてはその程度だ。光属性じゃない奴が浴びれば大惨事。
痺鳥の攻撃をもろに浴びた樹木呪は立ち尽くしていた。そりゃそうだろう。
僕は走って樹木呪へ駆け寄ると、樹木呪は痺れの勢いでアイネを地面に落としていた。
勿論アイネも体が痺れて動けない様子だ。
「ちょっ……お兄ちゃん!」
「これしか方法が見つからなかったんだよ」
地面に倒れて動けない状態でいるアイネを抱き上げると、痺鳥を消し、代わりに雷鳥を3匹出した。
「何、するつもり」
「見りゃ分かるだろ」
「待って! やめて!」
「はぁ? 何で」
やたらと樹木呪を庇うアイネを不思議そうに見下ろした。
何でこんな化け物を庇うんだろう。お前を食べようとした魔物なのに。
「お兄ちゃん。あの化け物とはね、薬草を摘んでいる時に何度か会ったことがあるの。あの化け物って、この森でしか出ないんだって」
「らしいな。俺もこんなの初めて見たよ」
「それにね、何だかおかしかったの。太い木で胴体を締め付けられている時、温かかったの。だから――」
「うるさいな。もう戻るぞ。ウルフが向こうで待ってる」
「ちょっと! 待ってって――」
「殺せ」
低い声で命令すると、空中にいた3匹の雷鳥が樹木呪にめがけておびただしい量の電撃を放った。
樹木呪は獣に近い叫び声を上げ、数秒で散り散りになった。死んだのを確認すると雷鳥を消し、アイネを抱き直すと、走ってきた道を歩いて引き返した。
「……話、聞いてよ。お兄ちゃん」
「そんなことより、お前の家どっちだっけ? あんまり覚えてないんだよな」
「……」
アイネが黙ったままなので、仕方なく誘鳥を出し、上から家を捜索することにした。
アイネが攫われた地点まで引き返すと、ウルフが地面に倒れていた。全身が痙攣のようにピクピクしている。僕の使い魔である痺鳥の影響だろう。
「おい……クロハおめぇ何したんだよ……」
「あちゃー。ごめんごめん。痺鳥は去年使い魔にしたばかりで、まだ躾とトレーニングで練習中の鳥だったんだ。主に痺鳥は群れで生活しているからか、呼び出すとなるとどうやっても3匹セットで出ちゃうし、単独での攻撃トレーニングもまだまだでして。リボンもつい最近外れたばかりなんだ」
「この痺れはいつ解けんだよ」
「一匹の攻撃を浴びて丸1日の効果。だからー、アイネとウルフは3日間この状態だよ」
「えぇ!?」
「お前さぁ……何やってくれてんだよマジで」
「だからごめんって」
その時、丁度アイネの家を空から探していた誘鳥が帰ってきて「アッチ! アッチ!」と、クチバシで家の方向を示した。
一旦アイネを地面に降ろして寝かせると、リュックの中から大きめのカラフルなランプを取り出し、荷物の外側に取り付けて点滅させた。
「こんな危険な場所でオシャレなんかしてんじゃねぇよ……」
「これはお洒落じゃない。魔物避けの魔具。これが点滅している間の付近は魔物に襲われにくくなるし、懐中電灯代わりにもなる。S級は基本的に退けるよ」
「それを最初からリュックに付けろよ……」
「これ魔具だし、使い切りなんだよ。それに結構買う時高かったんだからね?」
僕は誘鳥の大きなクチバシを優しく撫でて消すと、翼鳥を呼び出しウルフの両肩を大きな足で掴んで運んでもらった。
「しっかし、コイツの顔面の傷ひでぇな……治してやりてえよ」
「僕も翼鳥の傷を見てちょっと思うよ。バステロの人にいじられたりして、可哀想だったから」
「この森でコイツの顔面の傷跡を無くせる薬、あんのかね。あったら個人で作りてぇな」
「それは有難い。翼鳥も喜ぶんじゃないかな」
僕が翼鳥を見上げて笑って言うと、ウルフも真上の翼鳥を見上げた。
「お前、自分の使い魔ならこの鳥と喋れるんだろ。傷跡を無くしたらコイツに鏡で自分の顔を見せて、俺様が治したんだって言えよ」
「そんなこと言わなくても、翼鳥は賢いから分かるんじゃないかな」
僕がそう言うと、偶然なのか飼い主の言葉を聞いていたのか。翼鳥が「クェー」と鳴いた。
「俺さぁー、クロハ。喜んでもらえる対象はずっと旅人だけだって思ってきたけど。動物にも喜んでもらえるような存在になりてぇな」
「もしウルフが獣医になったら、僕が常連になるかもしれないね」
「そんなに使い魔を怪我させてくんなっての」
彼が牙を並べ、笑みを見せてきた。
ウルフの笑っている顔はいつも眩しい。彼はいつも前を向いている。純粋で健気で、混じりがない。汚れがない。
いつか僕も、ウルフみたいな優しい存在になれるのだろうか。
……無理だな。僕は汚いから。
ウルフが獣医になるまで、僕は果たして生きていられるのだろうか。
「頑張るかぁ」
誰にも聞こえないようにボソリと呟いたつもりが、ウルフの左耳がピクリと動いた。
「あぁ? 今何か言ったか! クロハ!」
「何でもないよ」
「それよりほら! 何か目の前見えてきたけど、あれがお嬢の家かー?」
「え?」
目の前に目をやると、木製の建物が見えた。
ウルフと喋ってばかりいたので、全然前を向いていなかったから気付かなかった。見た事のある家だ。間違いない。
僕が抱いているアイネも、遠くにある自分の家を静かに見つめていた。
「あれだよ。もうすぐ着くね。とりあえず家に到着したら休憩しよう」
「つーか、俺達どーすんだよ。これじゃあ飲み食いも出来ねぇだろうが」
「僕が食べさせるから大丈夫。家に食料あるよな? アイネ」
「……ええ」
「お前に飯を食わされるの、すげぇー不愉快なんだけどー」
「じゃあウルフは3日間飲み食い無しで放置するね」
「死ぬだろ! 食わせろや!」
「どっちだよ」
僕達は笑いながら、アイネの家を目指して歩いた。