ツリーハウス・園庭楽園
「もうすぐツリーハウスに着くぞ。おい、起きろ」
いつの間にか居眠りをしてしまっていたみたいで、頬をペチペチと軽く叩かれた。
「はれ……ここは! えぁ!」
「おい馬鹿!」
寝ぼけて立ち上がろうとしたあたしを、お兄ちゃんは服を引っ張って止めた。
足元を見てみると、あたしは緑色の背に乗り、空中を移動していて、地面は森で生い茂っていた。
そうだ。ツリーハウスに向かうために、龍に乗って移動しているんだったわ! すっかり忘れてた。
「龍はお人好しだから。客が落下しても助けるけど、その衝撃に他の客が巻き込まれることを忘れるなよ」
そう言うと、お兄ちゃんは後ろを軽く見た。
龍の背にはあたし達の他にも8人ほどの男女バラバラなお客が乗っており、お酒の話や討伐戦の作戦会議などをしている様子だった。
主に2列で席が組んであり、龍の背は広いから、最大で20人は乗れるってお兄ちゃんから聞いた。
「ところで、龍っていうのはどうやって手に入れるのかしら?」
「龍は鳥の分類に入るから、光属性の人であれば飼える。成長速度が速くてデカイから、そこらの市場では飼育が難しく、一般的には売られていない。捕獲して個人で管理して運用するんだろう。性格は大人しくて扱いも楽だから、ランクがA以上の人は龍捕獲の依頼が受けられるんじゃないか」
「ランクAって、何の話? お肉の話?」
「食わねえよ……」
お兄ちゃんはため息をつきながらも、嫌々説明をしてくれた。
「この世界には主に「ランク」っていうものが存在していて、毎年一度はランク査定があり、それで決められている。Dが一番下のランク。D~Aランク。それから上位ランクとして認定されているのはS、SS、Rだ。全ての生き物がランク対象とされている為、魔物にも同様にランクが当てられる」
「どうしてそんな物が存在するのよ」
「掲示板の魔物討伐で金を稼ぐ人が増えたからだよ。Dランク級の人が知らずにS級の強さを持つ魔物の討伐依頼を受けてみろ。どうなるか分かるだろう?」
「お兄ちゃんは? ランクいくつなのかしら」
「俺はR」
「あたしのランクは?」
「そんなの知らないし、お前が指揮棒を持てるようになるのかも分からないだろう」
途端にお兄ちゃんの顔色が曇る。目元が前髪で見えなくても、強く紡いている口が心を表していた。
あたしは慌てて話を変える。
「おっ、お兄ちゃんは龍も使い魔にしているのかしら!? 光属性だし!」
「龍は主に商売動物だし、餌代も高く、鱗のケアをマメにしないとすぐ病気になって死んじゃうんだ。だから自分の使い魔にする気はない。ほら、見えたぞ」
おもむろにお兄ちゃんが目の前を指差す。その視線に目を向けると、生い茂った森の中、ポッカリと穴が空いたように小さな町らしき物が広がっていた。
「あれがツリーハウス……園庭楽園」
「よし、降りるぞ」
お兄ちゃんは手に持っていた丸くて赤い、風船のような物を強く握った。そしたら風船からはブゥーと大きな音を出した。
あたし達を乗せた龍はその音を聞くなり、少しづつ降下していく。
「それ――」
「これは龍に、ここで降りますって伝える音だ。龍自体がバスみたいなものだからな」
あたしが聞くのを分かっていたのか、遮るようにお兄ちゃんが答えた。
龍はツリーハウスの停留所まで降りていき、あたしは土台を使って降りた。
あたし達が降りたのを確認した龍は再び上昇していき、別の地方へと体をうねらせて飛んで行った。
「そういえば、代金は払わなくて良かったのかしら」
「動物タクシーは基本、龍の飼い主に前払い。お前が龍に乗るのに苦戦している間、既に払った」
お兄ちゃんは風で乱れた服装を整えると、ツリーハウスの町を見渡していた。
もうすっかり夜になってしまい、真っ暗で何も見えない。街灯を頼りに歩いていく。
地面には細かな白い石が綺麗に並べて作られており、今は見えないが、きっと建物なども素敵な場所なのだろう。
「もう夜だし、宿を探すか」
「そうねー。あたし、さっきから腰が痛いのよ」
「変な座り方してたからだろ」
長時間座りっぱなしなのも、あたしにとっては少ししんどく、早く宿屋で休みたかった。
しばらく歩くと、商店街らしき通りに出た。
しかし、街灯があるにしても、暗くて周りの建物の看板の名前が読み取れない。どれも何かの店、というのは分かるけれど。
「何にも見えないわ。看板に光はさしてくれないのー?」
「俺もあまりここには来たことないけど、ツリーハウスの建物は全て木製で出来ているから、きっと看板も木製で光がないんだろう」
「不便な町ねー」
「まあ、体内循環症についての手掛かりが見つかるのならば何でもいい。明日は5時起きだからな」
「こんなにも疲れているのに容赦ないのね!!」
「龍に乗って移動してただけだろ」
お兄ちゃんは立ち止まり、再び懐から地図を取り出す。勿論暗くて地図なんて見えないはずだ。
「光――あっ」
急にお兄ちゃんは、あたしの方へ顔を向ける。
……一体何だろう。
「まあいいや。街灯の近くに行けば、地図も少しは見えるだろう」
お兄ちゃんは確かに何かを言いかけて、地図を四角く綺麗に畳むと、また歩き出した。
相変わらず何も教えてくれないお兄ちゃんに、あたしは尋ねる。
「ねえ、何なのよ」
「いや、何でもない。夜だし光鳥で辺りを照らそうと思ったんだけど、お前の属性風だろ。俺はいいが、お前は目をやられる」
「光鳥? 使い魔のこと?」
「光鳥は光属性以外の奴が近くにいたりすると、そいつの目がやられて、しばらく使えなくなるんだ」
「眩しいってこと?この先に街灯があるの、全然見えないわ。あたしが目を瞑ればいい話でしょ」
「光鳥は目を瞑っていてもかなりの威力なんだ。目を光に焼かれて、最悪失明する」
「じゃあどうしろってのよ!」
「30mくらい俺から離れて、後ろ向きで目を瞑っていてくれ。光がなくちゃ地図を見れない」
あたしはお兄ちゃんに言われた通り、30mくらいまで離れると、後ろ向きにしゃがみこんで目を手で隠した。
しばらくすると、背後が眩しく光っているのを感じた。
目を瞑っているのにも関わらず、少しだけ眩しく感じ、目がチクリと痛んだ。
その光が消えると同時に、背後から軽い足取りでこちらへ地面を駆ける音が聞こえた。お兄ちゃんだ。
「おい、宿の場所が分かった。あっちだ」
「何で旅人の癖して懐中電灯を持っていないのよ……」
「別にそんな物無くても……ずっと夜は光鳥で全部解決していたから。お前が旅についてくるとも思っていなかったし」
「明日、懐中電灯買いましょ」
お兄ちゃんに道を案内され、とある店の前についた。
玄関前には四角いランプが点灯している。
見た事のあるランプだ。あたしが調味料漁りに侵入していた廃墟にあった物と似ている……。
「どうしてこの建物だけランプがついているのかしら?」
「これは魔物避けの特殊なランプで、宿屋は客の安全を守る為、これを玄関の付近に設置するよう法律で義務付けられている。旅人に宿屋だとアピールする道具にもなっている」
「へぇ~あの廃墟、宿屋だったのね」
「すごい今更だな……」
宿屋のドアを開けると、ドアの真上についていたベルがカラーンと、綺麗な音色を立てた。
店の奥の方から「はいはーい!」と、明るい声がこだます。
店内から急いで出てきたのは、頭に狼のような大きな耳を生やし、猫のようにしなやかな長い尻尾を持った変わったお姉さんだ。
「あら! 小さな旅人ちゃんだこと!」
「夜分遅くにすみません……。今夜一晩、ここに泊めさせて頂きたいのですが」
「ええ勿論! 大歓迎よ! 長い旅をお疲れ様!」
受付係と思われるお姉さんは、あたし達を2階の部屋へと案内をしてくれた。
目の前をうねうねと動く白い尻尾が気になってしょうがなく、思わずあたしはお姉さんの尻尾を両手で掴んでしまった。
「キャッ!」
「あ、こらアイネ!」
お兄ちゃんが急いであたしの掴んでいる手を引っ張り、尻尾から引き離して頭を下げる。
「申し訳ありません! うちの連れが……」
「いいのいいの! でもビックリしちゃったよー」
「だ、だって尻尾や耳を生やしている人なんて見た事ないし、気になったから……」
そう言うと、お姉さんは少し気まずそうに答えた。
「私達はね、風の中でも獣人って言われている種族なんだ。だから耳や尻尾は生まれつき生えているの」
「風の人は皆尻尾が生えているの?あたしには何もないわよ」
「獣人は風属性の人口の中でも、ほんのひと握りしかいないんだよー」
階段を登りきると、3つの部屋の扉が開かれていた。
「今は3部屋が空いているから、好きな部屋に入っちゃって!」
「ありがとうございます」
「ふふっ。いいんだよー。君達まだ幼いのに、旅しているなんて凄いね!」
「あ、いえ……どうも」
お兄ちゃんが気まずそうに苦笑いをして返事する。
お兄ちゃんは成人していると言っていたけれど、見た目はどう見てもただの少年にしか見えないから、誤解されてもしょうがないわよね。
「朝起きたら声をかけて頂戴!朝食代はサービスなの!」
「ありがとうございます」
「それじゃあごゆっくり!」
そう言うと、お姉さんは階段を使わず、そのまま手すりに足をかけて1階へと飛び降り、奥の部屋へ走っていった。
一方、お兄ちゃんは階段に一番近い部屋を選ぶと、リュックを開けて荷物整理しているみたいだった。
改めて今晩泊まる部屋を見渡してみると、棚から天井の照明まで、全て木製だった。
深呼吸をすると、木独特のいい香りがする。
あたしはいつも藁の中で睡眠を取っていたから、ベットで寝るのは人生初。
飛び込んでみるとふっかふかで柔らかく、こんな場所で眠れるなんて最高だわ!
「あたし、ベット初めてなの! こんなにも気持ちいいなんて知らなかったわ!」
「お前の家にはベットがないって言ってたもんな」
「お兄ちゃん、一緒に隣で寝てあげてもいいのよ?」
「無理。てかベット2つあるから必要ない。お前はそっちで寝ろ」
「えー、冷たいのね!」
初めてのベットを満喫していると、2階から1階へ迷いなく飛び降りていった女の人を思い浮かべる。
「あのお姉さん、階段使わずにそのまま下へ飛び降りていったんだけど……凄いわね」
「風属性の人々は生まれつき風からの加護を受けていて、元々身体能力がどの属性の人よりも高いんだ。お前も結構足速いだろ」
「そんなに速かったかしら」
あたし自身では普通だと思っていたけれど、お兄ちゃんに指摘をされるんだから、自分は他の人よりも運動出来る方なのだろう。
「どうしてお姉さんは獣人で、あたしは普通の人間なのかしら?」
「自身のオーラの耐性によって、見た目が変化する人々はごく一部でいるらしい。詳しい詳細は俺も科学者じゃないので分からない」
「そう。でも獣の姿をしているのなら、それなりのメリットもあると思うわよ?」
その瞬間、空気がピリついて、荷物の整理をしていたお兄ちゃんがあたしを見る。
「……アイネ。獣人の人に「獣」とかは絶対に言うなよ」
「どうしてよ」
「彼女達は「獣人」であることを気にしているんだ。人間ではない見た目をしていることからか、容姿を悪く言われたり、獣同然の扱いをされ首輪を付けられて見世物にされたり……。少なくともハナは、そういう扱いを受けていたんだ」
「……え?」
「あ。ハナは俺の知り合い」
獣人、というだけでそんな酷い扱いを……?
尻尾のことを聞いた時、受付係のお姉さんが気まずそうに下を向いていたのを思い出す。
容姿だけで……そんな。
「ここは森のど真ん中に位置する小さな町なんだ。昔俺がここに寄った時は、ここに住む風属性の人々がほぼ獣人だったし、ツリーハウスは別名「獣人の国」とも言われている。……意味は分かるよな?」
「人を避けて、人目のない場所で静かに皆で暮らしているのね」
「そういうこと。だから口が裂けても言うなよ」
「……そんなの、分かってるわよ」
「獣人は体の作りが俺らとは違うから、元々動体視力の良い風属性の人々の中でも、トップクラスで能力が高いらしいぞ」
「じゃああたしのライバルね!」
「いや別に競わなくていい」
お兄ちゃんは荷物整理が終わったのか、リュックをしめると、近くの扉を開けて内装を確認し、こちらへ振り向いた。
「ここの宿屋はどうも風呂付きみたいなんだけど、お前から先に入れ」
「お兄ちゃんが入ればいいじゃないの」
「俺が入っている間にどうせお前、疲れてベットで寝ているだろ。明日は5時起きだって言ってんの。体だけでも洗ってこいよ」
「んもーしょうがないわね」
あたしは寝そべっていたベットをコロコロと転がり、立ち上がると、宿屋のタオルを持って脱衣所に入った。
バステロでは物凄く暑かった上、服もまともに着替えられなかったから。正直風呂付きの宿はすごく有難い。
あたしは鼻歌を歌いながらシャワーを浴びた。
あぁ気持ちいい。最高だわ!
体と頭を洗うと流し、タオルで拭いて脱衣所に出た。
だけれど、肝心の服が見当たらない。
「あれ、お兄ちゃん。あたしの服知らない?」
「んぁ? もう洗濯に回したよ」
「えぇ!? じゃああたしが着るものないじゃない!」
「タンスに宿屋が予備で準備してくれた浴衣があるから。それ着て寝ろ」
「下着は!」
「今夜くらい我慢しろ。明日になったら洗濯と乾燥機で、また着れるようになっているから」
「うぅ……」
お兄ちゃんが用意してくれていたのだろう。脱衣所の隅に浴衣があるのに気づき、仕方なくそれを身につける。
今夜だけ……今夜だけノーパンを我慢するわ!
脱衣所から出ると、お兄ちゃんはコンパスと地図を手に取り、眺めていた。
ベッドには携帯が転がっている。
あたしは自分のベットへ横になると、寒気を感じ、布団に潜り込んだ。まだ熱があるのかしら。
「ねえ、明日は5時に起きてどこに行くの?」
「まずは病気を治す魔具がないかをここで探す。基本道具屋は旅人をメインに接客しているから、開店は5時からなんだ。それから商店街の人々に手当り次第聞いて回る」
「そんなので本当に見つかるのかしら」
「それでも見つからなかったら世界最大とも言われている風属性の国、ネクア王国で情報を仕入れる」
淡々と話すお兄ちゃんに、私は問いかける。
「……ねえお兄ちゃん。どうしてそこまでして、あたしの事を助けようとしてくれるの?爆破の件でもそうだったけれど」
「……そりゃお前が大事だからだよ」
「本当に?」
「本当だよ」
お兄ちゃんの方を見た。お兄ちゃんはこちらに背を向けていて、顔色が見えない。
「……そう。ありがとう」
それだけを呟くように言うと、私はお兄ちゃんに背を向けるような体勢で横になり、静かに目を閉じた。
――――――
ピピピピッ
目覚ましのアラームが鳴る。あたしは何も持っていないから、お兄ちゃんの時計だろう。
お兄ちゃんもあたしと同時に起き、頭を軽く振って、髪の毛を整え、浴衣姿で洗濯物を取りに1階へ降りていった。
あたしも髪の毛を宿屋のクシでとかし、ゴムで髪の毛を2つ結びにした。
5時起きなのだが、眠気はあまりない。シャワーを浴びてすぐに寝たからなのだろうか。
それにしても……少し頭が痛い。軽い吐き気もある。
『体内循環症は、放置しておくと頭痛や吐血、最終的には呼吸困難になって死に至る』
バステロの医者である、おばあさんが言っていた言葉だ。
寒い。間違いなく悪化している。
でも我慢できないほどでは無い。あたしの余命が数ヶ月と知った時に、お兄ちゃんがおばあさんの胸ぐらを掴みあげて泣いていた時を思い出す。
お兄ちゃんに気を使わせる訳にはいかない。
お兄ちゃんをまた、泣かせるわけにはいかない。
お兄ちゃんがあたしを想ってくれていたように、あたしもお兄ちゃんの事を想っている。
まだ、我慢しなくちゃ。我慢だ。
その時部屋の扉が開き、洗濯物が入った大きなカゴを持ったお兄ちゃんが入ってきた。
あたしはいつもの様子でお兄ちゃんに話しかける。
「お兄ちゃんありがとう。よくやったわね」
「これぐらい別にいいけど。何でそんな偉そうなんだ……お前」
あたしはいつもの黒いワンピースと下着を履くと、脱いだ浴衣を綺麗に畳んで元のタンスへ戻した。
それを見ていたお兄ちゃんが口を開く。
「それタンスに戻しちゃダメだぞ」
「え、どうして? 使った物を元に戻しただけよ」
「俺達が出ていった後、この部屋は掃除される。綺麗に畳まれてちゃ「使われていなかったんだ」と勘違いされるだろう」
「あぁーそっか。なら普通に置いておくわ」
あたしは綺麗に畳んだ浴衣をわざと崩してベッドに置いた。
お兄ちゃんは荷物のチェックをし終えると、リュックを担いで1階へ降りた。あたしもお兄ちゃんに続く。
「あら、おはよう! 朝食の準備はもう出来ているよ!」
背後から声をかけられ、お兄ちゃんと同時に後ろへ振り返ると、昨日の獣人のお姉さんがいた。
直前まで料理をしていたのか、エプロン姿だ。
「すみません、僕ら少し急いでいて。お持ち帰りは出来ますか?」
「ええ勿論! これからも旅、頑張ってきてくださいね!」
「はい」
お兄ちゃんはリュックの中から透明な空の箱を取り出すと、そこに宿屋さん特性のサンドイッチを詰め込んだ。
代金を払ってお礼を言い、宿屋を出ようとした時。
ふと思い出したように、お兄ちゃんが宿屋の受付付近にいる女性数人に声をかけた。
さっきのお姉さんと同じ服装をしているので、同じくこの宿屋に勤めている人達だろう。
「あの、すみません。僕ら体内循環症という病気を治す術を探しているのですが、何かご存知ないですか?」
「え?」
宿屋勤務の人達は少し驚いた様子を見せるも、複数人で話し合いをし始めた。
「ねえ、体内循環症って知ってる?」
「えぇ……? 知らないわ。聞いたこともない」
「うーん……あたし達はその病気について詳しい事は分からないの。ごめんなさいねー」
「いえ、大丈夫です。お世話になりました」
お兄ちゃんはニコリと笑みを見せると、宿屋を後にした。
でも、宿屋を出たお兄ちゃんの顔は明らかに曇っていて、沈んでいた。
「だ、大丈夫よ! まだ店とか回っていないし、ネクア王国にも、何か治す術があるかもしれないわよ?」
あたしがお兄ちゃんを必死に励ますと、お兄ちゃんは「そうだな」と、無表情で答えた。
宿屋を出ると、夜では見えなかった景色が目の前に広がる。
澄み切った空に、木製の建物が横へズラリと並んでいた。広場らしき場所には噴水もある。
お兄ちゃんは背伸びをして、地図を見る。きっと道具屋を探しているんだ。
あたしもお兄ちゃんの真似をして思いっきり背伸びをする。
すると同時に、頭に激痛が走り、思わず頭を押さえてしゃがみこんでしまった。
痛い……痛い。でも我慢よ。これ以上心配はかけられないわ!
お兄ちゃんはあたしに気付いたのか、上から「どうした?」と、声をかけられる。
「いっ……地面の石が……綺麗だなーと思って。覗き込んでいるのよ! 何か悪い!?」
「悪いなんてことはないけど。んー、まあな。確かに綺麗だ。こんなに地面手入れされている町はそうそうないだろう。じっくり見ておけよ」
「えぇ! 目に焼き付けておくわよ!」
見上げると、お兄ちゃんも地面を足でトントンして眺めていた。
よ、良かったわー。バレてない! 流石あたしね!
「こういうのを見ると、風属性の人ってすごい丁寧で器用なんだなと思うよ。薬の調合も上手い。きっと宿で貰ったサンドイッチも格別だろうな」
「早く食べたいわね!」
「いや……まだ朝の5時だけど。もう食うの?」
「お腹空いたわ!」
広場の噴水前へ移動をし、腰を掛けると、お兄ちゃんはサンドイッチの入った箱をリュックから取り出した。
中を開けてみると、トマトやレタス、肉が入ったサンドイッチ2個と、潰した卵がたっぷり入ったサンドイッチ2個が敷き詰められていた。
「わぁ! 美味しそう!」
「俺肉嫌いだから、出来れば肉の方食って欲しいんだけど……」
「別にいいわよ!」
こうしてあたしは肉と野菜入りのサンドイッチ。お兄ちゃんは卵のサンドイッチを口にした。
絶品だ!肉とレタスのバランスも良く、噛めば噛むほど肉の旨みとトマトの甘みが口に広がる。
2個とも、すぐに平らげた。
「こんなに美味しいもの、食べたことがないわ!」
「お前いつも、あの野菜スープだけで生活していたのか?」
「市場での肉は高いから、野菜しか買えなかったのよー。これが無料だなんて凄いわ!」
「風の人々は主に値段の高い薬草や薬を売ったりして生活費を賄っているから、そんなに貧乏ではないのかもしれないな」
お兄ちゃんも2個目の卵サンドを食べ終わると、立ち上がった。
「この町には道具屋が3件ある。1件目は今の商店街から結構近い位置にあるし、そっちから寄るぞ」
「あーい」
―――――――
広場から歩いておよそ10分。
1件目の道具屋に辿り着いた。中のゴツイ体型をした店主が棒立ちのあたし達に気付く。
「いらっしゃい。こんな朝早くに……旅人さんかい?」
「朝早くからすみません。僕ら実は体内循環症という病気を治せる魔具を探しているのですが……」
「体内循環……?んんー、聞いた事のない名だね。俺の店にはそんな魔具は売ってないよ」
「そうですか……。ありがとうございます」
「おじちゃん。あたし、懐中電灯が欲しいわ」
「懐中電灯ならいくらでもあるよ。好きな物を持っていくといい」
懐中電灯は小さなものから大きな物まで様々。あたしは自分で持ちやすいよう、小さめの懐中電灯をお兄ちゃんに買ってもらい、自分の腰のベルトへ身につけた。
お兄ちゃんは店主に軽く頭を下げると、また歩き始めた。
「魔具。見つからないものなのねー」
「まあ、薬も治療法もないって言われているから。なくて当然だ」
「ていうか、あたしもお金を持ち歩きたいわ!」
「お前なんかに渡したら絶対にどこかで失くすだろ」
「なんかって何よ!!」
しばらく歩いていると、大きな公園に出た。
周りは木で囲われていて、簡単なアスレチックや滑り台、ブランコ、トンネルと様々な物がある。
「お兄ちゃん、あれは何?」
「あれは子供が遊ぶ遊具だよ「園庭楽園」と呼ばれるほどだから、ここには数え切れないぐらいの遊び場があって、一日中飽きないだろうな」
「あたし、やった事ないから遊んでみたいわ!」
「ダメだ。2件目の道具屋に向かうところなのに――」
「いやー! 遊ぶー!」
「1回遊び出したら止まらないだろお前」
それでもしつこく駄々をコネるあたしに嫌気が差したのか、お兄ちゃんがため息をついた。
「あのなぁー……んー……。まあいいや。じゃあ俺一人で店を回ってくるから。3件目は少し遠くて、多分ここへ戻るのは昼頃になると思う」
「いいの!? やったぁ!」
「まあ条件はあるけど」
お兄ちゃんは「伝鳥」と言い、指を弾いた。
するとお兄ちゃんの頭に、全身緑色で小さな鳥が3匹乗った。
「あ、出しすぎた」と言い、1匹を消す。
1匹はあたしの手元に。もう1匹はお兄ちゃんの頭の上から動かずにいる。
「使い魔? この鳥は何なの?」
「伝鳥は、それぞれマーキングしている生き物の声、音声をお互い聞こえるようにすることが出来るんだ。まあ超能力みたいな世界でいうテレパシーみたいなもん」
「遠距離の電話機器みたいな感じ?」
「お前携帯持ってないしな。ここで遊んでるんだぞ」
「はぁい」
そう言い残して、お兄ちゃんは足早に公園を去った。
―――――――
「2件目はここからちょっと離れた距離にあるけれど。人混みのない朝はすごく楽だな」
走りながら僕は伝鳥の声を確認する。
アイネが楽しそうにはしゃいで、遊んでいる声が聞こえる。何ともないみたいで良かった。
宿屋に出て、アイネが地面に敷き詰められた石をしゃがんで眺めていた時、俺の顔色を伺うように見上げてきた。
そして、眉をひそめて引きつった顔。
多分具合が悪いんだと思っていたが、今の声を聞く限りだと、何ともなさそうだ。気のせいだったか?
どちらにしても急いだ方が良さそうだ。
適度に休みながら走り続けること数時間。やっと2件目の道具屋に到着した。
息切れをして膝に手をついていると、店主に話しかけられた。
「何だい坊ちゃん。急ぎかい?」
「はっ……はぃ……」
僕はとりあえず呼吸を整えるように何度か深呼吸をして、息切れを直してから店主に話しかけた。
「あの、ここに体内循環症を治せる魔具はありますか?」
「体内循環症……うーん、聞いたことがあるような無いような」
「風の人々にしかかからないとされている指定難病です。それを治す方法を探しています」
「んー。悪いんだけど分からないねえ……申し訳ないが」
「いや、大丈夫です。ありがとうございました」
僕はすぐに3件目の道具屋へ向かう。やっぱり魔具は置いていないのか……。そりゃそうだ。指定難病を治せるなんぞ都合のいい魔具なんか、市場にあるわけない。
じゃあ裏か?裏ならあるのか?
僕は携帯を手に取り、ニクへと電話を繋げる。6コールぐらい鳴らして、ニクが電話に出た。
「ふぁ~あ。こんな朝早くに何なんすかー。まだ寝てる途ち――」
「体内循環症という病気を治せる魔具を探してる。お前、何か知らないか?」
「はぁぁー? 体内……んん……ちょっと探すから待つっす」
そういうと電話の向こう側でガタガタと荒い音を立て始めた。数分待つと、ニクが電話に戻ってきた。
「そんな物、こっちにはなかったっすよ」
「じゃあ、この前使わせてくれた回復魔具の王様を貸して欲しい。金は払う」
「あの魔具は王様と言っても「怪我をした傷」を回復させる王様っすよ。根っからの病気とかは治せないんす」
思い返してみると、確かにそうだった。
爆破で内臓が裂けた「傷」
目玉を失い、火傷をした「傷」
足の筋肉が傷ついた「傷」
あの時、どれも外面から受けた傷しか治していない。
「そうか……ありがとう」
「クロハっちがその病気なんすか?それとも――」
「連れだ。連れがその病気なんだ。医者に余命数ヶ月と宣告されていて、薬や治療法も未だに見つかっていない指定難病だ」
「指定難病……か」
電話越しに本のページをめくる音がする。ニクなりに解決策を考えてくれているのだろう。
「一応、世界でも優秀な医者達はネクア王国にいるんすけどね」
「ネクア王国……」
3件目の道具屋がダメだった時に行く予定の風の国だ。
やっぱり病気を治せる方法を知っている名医は、薬の原材料が豊富なネクア王国に多いようだ。
3件目の道具屋へは諦めて、今からでもネクア王国へ向かうべきか……?
「でも女の子の余命からすると、それに頼ろうとするのは無駄足になるっすよ。何せ、唯一難病を治せると言われている医者がいる病院には患者が殺到していて、今じゃ予約3年待ちっす」
「3年も待てない!!」
「だから無駄足だって言っているんすよ」
難病を治せる医者が予約3年待ち……実質「いない」ということだ。
それでも、難病を治せる医者がネクア王国にいるのであれば、完治は出来なくとも、症状を緩和させる何かしらの薬草が国にあるはず。
「分かった。ありがとう」
「……最期まで可愛がってやるんすよ?」
「知ってるさ。そんなの」
ニクと繋がっている電話を静かに切り、肩に乗っている伝鳥に耳を澄ます。
アイネの嬉しそうな笑い声が聞こえてくる。
裏でも病気を治せる魔具は存在しなかった。ネクア王国へ行っても、医者に頼れないことが確定。
アイツは割と有名な情報屋だ。彼が僕に話した情報は全て事実だろう。
だけれど、嘘だと思いたい。
「……とりあえず3件目の道具屋へ向かうか」
3件目の道具屋の位置はここから真逆の方向にある。かなり長い距離だ。
時計を見ると、もう既に8時を指していた。
通りに人が溢れ、混み始める。空からの移動をしたいが、まだ翼鳥は出したくない。
昼頃にアイネの元へ帰ると言ってしまったので、とにかく12時か13時ぐらいには公園へ到着出来るようにしなければ。
僕は目的地、最後の道具屋の元へ地図を握り、走り出した。