バステロ
「バステロまで残り半分ってとこか」
「まだ半分もあるのぉ!?」
砂漠地帯を歩き続けて何時間経っただろう。アイネは既にバテ気味だ。砂に足をとられて歩きにくく、予想以上に移動に時間がかかる。
「そりゃ何日も宿屋に篭ってたら体力も落ちる」
「うぅー……しょうがないでしょー。ていうか、日陰はないのー?」
「砂漠に木なんて生えないぞ。あるとしたらサボテンぐらいだ」
僕としては何時間も歩くのが普通で、何の問題もないのだが、アイネは全く慣れていないからな……。
「お兄ちゃんんん……もう水筒のお茶無くなっちゃったわ、干からびちゃうわよ」
「俺まだ4分の1ぐらいしか飲んでないんだけど」
「あっづいよぉーーー」
舌を出して手をパタパタさせるアイネを見てられず、自分の水筒を差し出した。
「ほら。ちょっとだけだぞ」
「いいの!?」
アイネは水筒を受け取るなり、ガブガブとお茶を飲んだ。
数秒で手が止まり、水筒の口を真下に向けて振り出した。
お茶は出てこない。
「お兄ちゃん、お茶。なくなったわよ」
「俺ちょっとだけって言ったよな……?」
「……ごめんさい」
アイネは分かりやすく下を向き、落ち込む。
いいや、責めるのはもう後回しだ。飲んじゃったものは仕方ない。
手元の温度計は50°を示していた。そりゃあ暑い。
アイネが俺の水筒も空にした。結構マズイ状態だ。
「ねえお兄ちゃん。使い魔で水くれる奴いないのー?」
「そんなのいるわけないだろ。魚の使い魔ならともかく」
「じゃあお兄ちゃんも魚を使い魔にしちゃえばいいじゃない」
「俺は光属性だから鳥しか使い魔に出来ないんだよ。魚を使い魔に出来るのは水属性を持っている奴だけだ」
「えぇー……」
――1時間後――
「お兄ちゃん、もう歩けないわー」
アイネがその場でへたり込む。僕もこの暑さには応えるな……。
「あと1kmくらいで着くはずだから。ほら、もう町が見えているだろ?」
「んえー……もう無理よー……」
「俺リュック背負ってるし、担ぐなんて無理だからな。歩かないのならもう置いていくぞ」
「え! 嫌よ待って――」
アイネが走り出そうとした瞬間背後で転ぶ音がした。砂にもつれたのか?
またすぐに立ち上がり、走って俺に追いついてくるだろう、そう思い僕は振り返りもせず、歩みを止めなかった。
だけれど、どれだけ歩いて待ってもアイネは来ない。来る気配がない。
振り返ると、アイネは遠くでずっと転んで倒れたままだ。
急いで駆け寄り、抱き寄せる。
足が痙攣していて息遣いがおかしい。熱中症か?顔も赤く染まり、どう見ても異常な状態だ。
「アイネ。おい、大丈夫か?」
呼びかけにも答えない。いや、答えられないのだろう。彼女はもう限界だ。ここから動けない。抱っこをして砂場を歩くのは足をやられる。
俺が1km先のバステロまで走って飲み物を買って、ここに戻ってくるか?
いや、それだとかなり燃費が悪いし、俺も疲れる。
水分のストックももうない。冷やす物も何も……。
「正直使いたくなかったんだけど。事態が事態だ」
僕は翼鳥と言って指を弾いた。
翼鳥はリベリオンとの討伐でまだ傷が癒えていない。
翼の傷は治ったものの、戦闘で顔は醜く歪んでしまっていて、見るに堪えない痛々しい姿だ。
まだ動くのも大変だろうに……。
「まだ傷が癒えていないのにごめんな。俺の連れが危ないんだ。この子を1km先にあるバステロの町入口まで運んでやって、それから俺が追いつくまで日陰になってやってほしい」
翼鳥はクエッ!と、短く返事をすると、顔を僕に擦りつけてきた。大丈夫!とういうことらしい。僕も翼鳥の大きなくちばしを撫でる。
「悪いな。頼んだぞ」
「クエッ!」
翼鳥は、アイネの肩を両足で掴むと、ぐんぐん上昇していき、低空飛行でバステロへ飛んで行った。
俺の水筒を飲みきって、まだ足りないみたいなことを言っていたんだ。
相当脱水を起こしている。早く飲み物と冷やす物を買ってこなくちゃ……!
僕も翼鳥を追うようにバステロの町へ向けて走り出した。
――――
走り始めて数十分。やっとバステロの入口前まで来た。
息を切らして入口付近を見渡すが、翼鳥とアイネの姿がみえない。
どこに行った? 流石に鳥でも町という認識はあるはずだ。1kmとも指定した。これ以上遠くへは行っていないはず――。
「何だこの鳥~」
「顔ボコボコじゃねえか気持ちわりぃ」
「こんな所で何してんだよ」
複数人の声は微かに。入口ではなく、かなり離れた場所から聞こえた。何だ。どこにいる!
その時、入口の1番角に男が下を向いているのが見えた。何かを蹴っている。その先にいる物は壁で見えない。翼鳥か? アイネは?
急いで男の元へ向かい、角を曲がった。
そこにいたのは3人組の大柄な男に、石を投げられたり蹴られたりしている翼鳥。アイネが被害に遭わないようにか、大きな翼で囲い彼女を守っていた。
「何してるんですか!!!」
後ろから男達を怒鳴りつける。これは無意識にやっていた。どうしても許せなかった。
苛立ちをグッと我慢する。
僕の存在に気付いた男達は不機嫌そうに、ゆっくりとこちらを振り返る。
顔や肩、背中と全身に龍のタトゥーが入れられており、肌はこんがり焼けてTシャツ姿だ。髪の毛も刈り上げられていて、明らかに達の悪そうな連中。
「んだよガキかよ」
「今いい玩具見つけたんだから遊びの邪魔すんな」
「ガキはお家でねんねしてな」
僕に話しかけながらも男達は翼鳥を蹴り続ける。
翼鳥はピィーと小さく、俯いて鳴いている。翼鳥をよく見ると、そこら中に男の靴跡が残されていた。
僕が来るまでの間、ずっと……。
「その鳥は僕の使い魔です。女の子は僕の連れです。手を出さないでください」
「んでもよ、俺達が先にこの玩具を見つけたんだから俺達のもんだよなぁ」
「そうそう。人のもんを欲しがるなら、金貨数枚は出してくれなくちゃな」
「金貨なんてありませんよ。いいからその鳥を蹴らないでください」
金貨がないなんてのは嘘だ。あるに決まっている。
でも金貨がなければ飲み物や冷やす物を買えない。
医者にかかるのにお金もかかる。
もしこんな輩に金貨を取られれば、アイネは……。
「いやいや、どう見ても旅のもんっしょー?あんた」
「旅人が金なしで歩くわけないだろ」
「本当にないんです。だからお願いします」
僕は3人の前で膝をつき、頭を地面の砂に擦り付けて、土下座をして懇願した。
「おいおい」
「お願いします。僕ら急いでいるんです。僕の使い魔から手を引いてください」
長時間歩いてろくに水も取れていないせいか、声は振り絞るように出さなければ枯れてしまう。
僕自身の体力もかなり削れているんだと、この時初めて自覚した。
「頼むからもう、大切なものを奪わないでください」
一番奥にいる白シャツの男は、呆れた様子でため息をつき、僕を見下ろした。
「お前なあ、そんなことしたって無駄なんだよ。金貨はどうした。早く寄越せって言ってんだよ。そうしたら鳥とガキから手を引いてやる。俺達は金がないんだ」
「だから金貨はないって―――」
「おいお前ら、コイツのポケットを全部漁れ」
3人の内、2人の男にいきなり両手を掴まれ、腕や足のポケットの中を漁られ始める。
大柄な男二人に両手を掴まれれば、当然身動きも取れない。
「やめてください!」
「無いぞ。どこに隠し持ってるんだコイツ」
「離してください!」
「ポケットにはねえな。リュックの中か」
1人の男は僕の背負っているリュックの中身まで確認し始めた。
翼鳥は限界が来て消えてしまい、意識のないアイネだけが取り残された。
指示を出した男は、消えた翼鳥を見て「本当に使い魔だったのかよ……」と、ボソリと呟き、舌打ちをした。
そしてアイネの首根っこを掴み、乱暴に持ち上げた。
「やめろ……」
「お前にとって、コイツは何だ?え?妹か?」
「……い、妹です。だから離して――」
「金貨持ってねえなら、コイツをバラして臓器売っちまうぞ」
「……は」
男が鋭いナイフを腰から取り出した。言葉が出ない。
このままじゃ目の前でアイネが――。
「やめてください持ってますよ! 金貨!!」
男がナイフをアイネの首筋に突き立てようとした瞬間、咄嗟に反応して出た言葉。
アイネを守ろうとして出た本音だった。
男は、それでもアイネの首の前にナイフを突きつけ続ける。
「何だよ、やっぱり持ってるんじゃねえか。早く出せ」
「出してほしかったらこの2人の手を離してくださいよ。これじゃあ身動きが取れません」
「金貨はどこにある」
「持っている金貨は盗難防止の為に、リュックのあちこちに細かくして隠してあります。見つかるわけないでしょう。僕がリュックから取り出して全部あげます。なので拘束を外してください」
「……チッしゃあねえな。おい。拘束を解け」
その時、一瞬アイネの首にかかっているナイフが下へ緩んだ。
僕はそれを見逃さなかった。
「光鳥」
男達に聞かれないように小さく、囁くように呟き、指を弾いた。
その瞬間、目の前が真っ白になり、何も見えなくなった。
「うわ! 何だこの光!!」
「眩し……!!」
堪らず顔を覆う2人。2人の拘束が解かれ、僕は真っ直ぐアイネの元に駆け寄り、ナイフ男から無理矢理引き離すと、全速力で逃げ出した。
「クソ……! 目潰しの使い魔か!!」
3人の男からだいぶ距離を取り、バステロの入口付近まで、また戻ってこれた。
入口にいる人々が僕を見て、眩しがっているのに気付く。
しばらくアイツらは目が使えないだろうし、もう解いても大丈夫か。
「ありがとう光鳥。助かったよ」
そういうと光鳥はチュンチュンと可愛らしく鳴き、静かに消えた。
光鳥は男も言っていたが、敵の目眩しの他、深夜の懐中電灯代わりの役割もこなしてくれる。
ただし、光属性の人は光に耐性がある為、光鳥の目眩しは全く効かず、普通に見える。
光属性以外の人は、光鳥の姿が見えぬほど眩しく感じるらしい。
光鳥を出すのは本当に、一か八かだった。
指揮棒の色を見れば相手の属性が分かるのだが、3人の男は指揮棒を一切持っていなかったからだ。
アイネの首にナイフを当てていた男がもし光属性だったら……きっとアイネは殺されていただろう。
そう思うと、すごくゾッとする。
アイネの様子を見る。先程よりかは顔色が良くなったように見える。
翼鳥がずっと彼女を覆って影になってくれていたからか?
それでも意識がなく、ぐったりとしている姿に変わりはない。
「とりあえず水と、冷やす物を買って来なくちゃ……医者の診察はそれからだ」
――――
バステロの入口の門をくぐり抜け、店を探そうとするも、どこもかしこも人、人、人!
店があったとしても入れないし、そもそも近寄れない!
バステロって何で人口の割にこんな通り道が狭いんだ!
バステロは砂漠地帯で、主に暖かい……暑い環境を好む炎属性の人々が集い、作り上げた町だ。
だから恐らく、頭からフードを被っていないほとんどの人々は炎属性だろう。
じゃなければ、この暑さに耐えられる訳が無い。
さっきの男3人組もそうだった。50°を超える環境でTシャツ1枚の短パン姿。
ここでフードを被って暑さから凌いでいる人なんて、旅人ぐらいしかいない。
「3人共、炎属性か……」
そう呟いた時、人混みに流されて、女性に強くぶつかった。咄嗟に謝る。
「わっ! ごめんなさい」
「何でこんな場所で女の子を抱っこしているんだい!邪魔でしょうがないよ」
「すみません……」
確かにそうだ。この人混みを抱っこしたまま通り抜けるのは少しキツい。
きっとこの人だかりだ。日陰となっている休憩所も満席で座れないだろう。
「翼――」
いや彼はダメだ。出しちゃいけない。
さっき炎属性の男に虐められたばかりじゃないか。
また同じ目にあったらどうするんだ!
また翼鳥にトラウマを作る気か! 僕のバカ!
町を囲う壁は全て岩で出来ている。岩の上に登り、僕の持っているあの魔具を使えば、少しはアイネも休憩が出来るはずだ。
しかし、アイネを抱えたままじゃ高い場所へは登れない……どうしたものか。
「あっ! そうだ!!」
閃いた! 最初からこうすれば良かったんだ!
僕は出来るだけ人混みを避けた場所にアイネを寝かせるとリュックを下ろし、ロープを手に取った。アイネの胴体に3重、4重と巻き付け、ロープの先端を出来るだけ小さく、鳥が口でくわえれるレベルまで細かく多く、ハサミで地道に切っていく。
アイネは子供だから軽い。翼鳥じゃなくても、小さい使い魔でも何でもいい。僕は最大で50匹まで使い魔を出せる。
使い魔にアイネを巻いたロープを上に引っ張ってもらうしかない!
もうこうなりゃ手数勝負だ!
周りには少々疑われるだろうが、そんなのもうどうでもいい。いくらでも誤魔化しは出来る。
「閃鳥!」
僕が空に向かって叫ぶと、上空に閃鳥が50匹。一気に現れた!
途端に、何事かとざわめく人々。
50の閃鳥が、僕の周りに降りてきて指示を静かに待つ。
「いい? 攻撃分野の閃鳥にはちょっと悪いんだけど、このロープを皆でくわえてあの岩まで運んでいって欲しい。一匹はこれをくわえて運んでくれ」
「ピィピィッ」
「え? ああ勿論。運ぶのを邪魔してくる奴がいれば、攻撃を許可する。でも人には絶対に当てちゃダメだ。店の屋根を焦がすとか、付近に当てるとか、その辺にして欲しい」
「ピィ! ピ!」
「え、ご褒美? そうだな……公園を寄る機会があったら、そこで自由に遊ばせてあげるよ」
「ピィ!」
そう言うと、閃鳥達は1つのロープを49匹でくわえて少しずつ上昇し、アイネを運び出した。
皆、不思議そうに空を見上げている。
……めちゃくちゃ目立っている!!
しかしこんなの命には変えられない。
僕も閃鳥に続いて岩をよじ登り、走って追いかけた。
指示を出した岩に到着すると、閃鳥達はロープを降ろして消えていった。
残り1匹は言われた通り、傘をくわえてアイネの傍で待機している。
僕もそこへ到着し、水晶のように透き通った丸い魔具を地面に叩きつけ、アイネのロープをほどいて傘を差した。そして最後の閃鳥一匹も消えた。
地面に魔具が割れ、その中身がもくもくと白い煙を上げ登っていき、空に雲を作った。
その瞬間、僕が魔具を割った半径200m以内に土砂降りの雨が降り始めた!
ここは砂漠地帯。勿論傘なんて持っている人はいるはずもなく、皆突然のゲリラ豪雨に大パニック。 悲鳴をあげながら屋根のある場所へぎゅうぎゅう詰めになって避難していった。
僕がこの地点の場所を選んで割ったのは、ここが市場のど真ん中だと知っていたからだ。出来るだけ人がいない内にさっさと買い物をして、医者の元へ行きたい。
お客にとっては大迷惑かもしれないが、こんなクソ暑いの……やってられるか!!
こっちは今すぐ必要なんだ!
すぐさま岩から飛び降りて、人がいなくてガラガラになった通りを走り、店に飛び込む。
「すみません、飲み物を3本……いや、5本ください」
「すみません、ここにあるアイスノンを3つください」
「すみません、熱さまシートを……」
魔具が作り出した雲で雨が降るのは約3分間。
その間に必要なものを全て買い揃え、雲が晴れると同時に、僕は買い物袋を手にアイネが横たわる岩へとよじ登った。
「一体何だったのかしら……」
「こんな砂漠地帯に雨が降るなんて」
「誰かが雨の魔具を炊いたんだ」
「確かに今日は特に暑いわよねぇ~」
雨が止んだのを確認すると、皆屋根から出てきて、1分も経たないうちに元通りの人混みになった。
「なんかすごい営業妨害しちゃったけど……3分間だし、人の命に関わることだったから許してほしい」
アイネの頭を持ち上げると、買ってきた水を少しずつ、彼女がむせないよう、気をつけながら飲ませた。
その後アイスノンで脇や足、頭を冷やす。
僕も座り込み、休憩がてら水分を取った。カラッカラで枯れた喉に、潤いが行き渡る。
こういう時に飲む水が堪らなく美味しい。
アイネも急激な温度変化で寒くなったのだろう。目を覚ました。
「なんか……すごく涼しいわ」
「さっき雨降らせちゃったからな」
「だからあんた、全身びしょ濡れなのね」
「この暑さだとすぐに乾く。お前はこれを貼っとけ」
「ギャッ!」
アイネのおでこに勢いよく冷えピタを貼り付けた。
アイネはあまりの冷たさにビックリしたようで、飛び上がった。
「何すんのよ!」
「元気そうでなにより」
「……医者の所行くんでしょ?」
「うん、そうだけ――」
「何で医者の所へ行くの?」
突然見知らぬ女性の明るい声が背後から聞こえ、反射で杖を構えて振り向くも……いない。
「そんなに警戒しないでよ。私、貴方達にお礼をしにきたの」
真横に顔を向けると、フードを被り直して隣で体操座りをする女性がいた。茶色の布で全身を覆っていて、金色の髪は肩ぐらいの長さまである。かなり若い人だ。
女性は、こちらを見てニコリと微笑む。
何だ。え?どこから来た。何者だ。
音が全くしなかった。
手は指揮棒から離れない。
「君、旅人だよね。さっき雨を降らせたの、君だよね?」
「え……はい。そう、ですが」
「いやぁー。ここは見晴らしが良くて気持ちいいね!」
女性は正面に向き直り、力いっぱい背伸びをした。敵意がない?いや、またさっきの男みたいにナイフとか突きつけられたら……。炎属性の人々は気性が荒いし、何をしてくるか分からない。
でもこの人、フード被っているし、炎属性ではないのか?
僕と同じ……旅人?
僕の手からは指揮棒が自然と離れる。
「いやぁー! あれー凄く助かったんだぁー! もうここってさ、人が多くて多くって! 立ったまま蒸し焼きにされる所だったんだー。でも急に雨降ってくれたから。私ー、助けられちゃって!」
「それで、僕らに何の用でしょうか」
「医者に行くって言っていたけれど、それってアリーナ先生の診療所だったりする?」
「あっ……はい、その先生です。用事があるのは」
「んまあ、アリーナ先生はどの旅人にも好かれる有名人さんだからねー。はい! これ」
突然手渡されたのは彼女の名刺。
「マヤ」という名前なのか、この人。
ナースの服を着ている写真だ。働きながら旅を?
「私、旅人だけど、アリーナ先生の元へ時々帰りながら働いているの。この名刺を診断前に見せれば、その時の治療費は全部私のお財布から支払われることになるから」
「えぇ!?」
じゃあこの人……治療費全額払ってくれるってこと?
見ず知らずの僕達の為に。
「あ、いや、そんな……でも」
「じゃあねー! 助けてくれてありがとう! またーどこかで!」
彼女は素早く立ち上がると、足早に立ち去って行ってしまった。
僕からは何も言えず……行ってしまった。どうしよう。
名刺をじっくり観察する。偽物じゃないし、詐欺ではなさそうだ。いや、今はお金がない。
嘘かどうかは置いておいて、一応頼ってみるか……。
「さっきのお姉さん、美人だったわね……」
「アイネ、動けそうか?」
「ええ!」
十分に水分を取って体を冷やしたアイネは、すっかり動けるようになっていた。
けれども、まだ少し顔が赤い。熱は引いていないようだ。
「無理するなよ」
「無理なんかしてないわ!」
アイネは岩から難なく地面へ飛び降りると、頭上にいる僕に手招きをした。
さっさと降りて行こう、という意味なのだろう。
僕も降りると、アイネは僕の手を握りしめて、アリーナ先生がいる診療所まで走り出した。
―――――――
「ここか……」
大きな看板で「アリーナ診療所」と大きく建物に書かれており、すぐに見つけられた。
入る前に濡れていた服を確認する。まだ湿ってはいるが、ほとんど乾いていた。
診療所は随分と年季が入っていて、僕としては懐かしい故郷を思い出すような感覚だ。
「懐かしいな……」
「お兄ちゃんはここに来たことあるんだ?」
「何年か前にね。でもだいぶ昔だよ」
「どうしてここの病院に来たのよ」
ドアを開けながらアイネの質問に答える。
「実は、魔物を討伐する時に足の骨を折ったことがあって。そこで偶然アリーナ先生に見つけられてここに来たんだけど、完治してお金を払おうとしたら、旅人は無料だよ、だなんて言われちゃって。それが1番印象的だった」
「ふーん。だから旅人の間で噂になっているのね」
「多分皆知っているんだろう」
「今でも無料なのかしら?」
「さあ? 有料になっていたとしても、やっぱりマヤさんの名刺は使わない。人の金は使いたくないから」
受付に立つと、女性スタッフがマスクをして出迎えてくれ、順番まで席に座って待つよう言われた。
「ねえ、お兄ちゃん」
「何」
「ありがとうね、あたし。男に刃物を向けられていた時、実は薄ら意識があって、気付いていたのよ」
「……眩しかっただろ、あれ。目は大丈夫だったか?」
「お兄ちゃんはいつも、私の心配をするのね」
虚しいような、悲しいような、そんな震えた声をして、アイネは僕に話しかけてきた。
手で新聞のページをめくり、それを黙々と読みながら、静かな声で。
「次の方ー。先生がお待ちしております!」
「あ、はい。行くぞアイネ」
「あーい」
僕が立ち上がると、アイネも新聞を折りたたみ、ピョンッと跳ねて椅子から降りると、新聞を元の位置へ戻してついてきた。
そこには随分と歳をとったアリーナ先生が、立って僕たちを迎えてくれた。
「お久しぶりです。アリーナ先生。あの時はお世話になりました」
僕の声を聞くなり、アリーナ先生はハッとした表情を一瞬して、またにこやかな顔に戻った。
「あぁ、もしかして……クロハちゃんかい?相変わらず、変わってないねぇ」
「結構前なんですけど、僕のこと覚えていてくれたんですね」
「そりゃあー、もう」
アリーナ先生は僕とアイネに座るよう指で指示をしたので、それぞれの椅子に腰掛けた。
その瞬間、ナースが扉を閉めて後ろで見守っている。
「今日はー、どうしたんだい。随分と元気そうだけれど」
「実は、診て欲しいのは僕ではなくて、このチビの方で」
「チビじゃないわよ!!!」
「彼女は6歳なのですが、どの属性の指揮棒を持っても、触れた瞬間に粉々に砕けるんです」
「ほぅ……」
アリーナ先生は考え込むような仕草を見せた。続けて僕は話す。
「僕と彼女はまだ旅の途中でして、このまま指揮棒が持てないとなると、危ない目にあっても自分で切り抜けられず、死ぬかもしれないんです」
「全ての属性の指揮棒に触れた瞬間破壊、ねえ……お嬢さん。少しこの台に手を置いてくれないかい?」
アリーナ先生はナースに首で指示すると、ナースが診察室の外から容量計算機を持ってきた。
それを見た瞬間、アイネは一気に怖気付き、怯えた表情を取った。僕もそれを察した。
「え……あ……」
「あの、先生――」
「となると、体内のオーラの容量問題かもしれないから。1回測定してみないと――」
アリーナ先生が言い終わる前にアイネが音を立てて立ち上がり、診察室の隅で耳を塞ぎ、丸くうずくまった。
ナースとアリーナ先生は、驚いた表情で彼女を見つめている。
「おやおや、どうしたんだい」
「あの、先生……実は――」
僕はそっと「あの事件」をアリーナ先生に耳打ちした。
「そうだったのかい。すまないね、悪いことをしてしまったね。ナースや、これをすぐに下げておくれ」
「え……? あ、はい」
ナースは不思議そうに思いながらも、容量計算機を部屋から出しに行った。
「おい。もう大丈夫だぞ」
「うぅ……」
アイネは辺りを見回すと、立ち上がり、また元の椅子へ座った。
「本当に、悪いことをしてしまったねぇ……。今回の診断は、タダでいいから」
「先生もお金を取るようになったのですね」
「いやはや、違うんだよ。私はずっと旅人には無料で治療を進めたかったのだが、周りの大人がうるさくてねぇ……あたしゃ、お金なんていらないのに」
「アリーナ先生……」
アリーナ先生は旅人から1番信頼されている医者だ。
「旅人が1番よく怪我をするから」と、薬から何まで全て無料にしてくれて。
そんな人を皆は称え、旅人からはお礼として金貨の山や、古代の置物品や、変わった魔具など、沢山の物をプレゼントされていたという。
アリーナ先生は本当に心の底から。
「医者」として優しい人だ。
「しかし、クロハちゃんが上限を超える容量数を見たと言うんだ。そうなれば彼女は、体内循環症の可能性があるねえ」
「体内……循環症?」
アリーナ先生はとても言いにくそうに、顔を下に伏せて答えた。
「体の大きさと、体内にあるオーラ、つまりエネルギーの量が釣り合っておらず、体に膨大な負荷がかかるとされる病気のことだよ。このままじゃあ彼女は……もって1-2ヶ月の命だろうねぇ」
「それは……一体どうやって治せば」
「指定難病だから……今は治す術がないのさ」
「そんな」
アリーナ先生はアイネに近付き、彼女の頬に手を当てた。
「この子の熱はー……熱中症じゃなくて、体内循環症による症状だよ。体内のエネルギー量が膨大すぎるから、器である体が耐えきれておらず、熱が出ているんだ。時間が経てば熱以外にも吐血、頭痛、呼吸困難等の症状が出て……」
指定難病……?
もって数ヶ月の命……?
治す術が……ない?
僕は思わずアリーナ先生の胸ぐらを掴んで叫んでいた。
「じゃあどうしろって言うんですか! 治す術がない!? このまま見殺しにしろと!?!?」
「お兄ちゃん!」
「先生から手を離してください!」
ナースにアリーナ先生から無理矢理引き剥がされて止められた。
訳が分からない。何でこんな……こんな。
せっかく見つけたのに。
「あんまりだ」
「お兄……」
気付くと僕は声を上げて泣いていた。男の癖に、みっともなく涙を流した。
手で抑えようとしても止まらない。
出会ったばかりはうっとおしくてしょうがなかった。何で旅についてくるんだと思った。旅において邪魔な奴、としか思わなかった。
でも……今は……。
「落ち着いて聞いて、クロハちゃん。希望は0ではないのよ」
「……え?」
アリーナ先生は僕の涙を親指で優しく拭き取ってくれた。
アリーナ先生自身も、目が赤い。涙を堪えているようにみえる。
「これは……私でも分からないのだけれど、体内循環症は、何故か風属性の人にしかかからない病気なのよ。だからきっと、風の属性の人々が集まる場所へ行けば、きっと、何か知っていることがあるかもしれないの」
「アイネは本当に風属性なんですね?場所に行けば何かあるかもしれないんですね!?」
「対策があるかどうかは保障出来ないけれど……彼女が風属性なのは、間違いないと思うわ」
僕は素早く袋から金貨を数枚出して無理にアリーナ先生の手へ握らせた。
「ありがとうございます。ここから一番近い緑の国は「ツリーハウス・園庭楽園」ですよね」
「えぇ……でも代金は――」
「失礼します」
勢いよくドアを開けて駆け足で診療所を飛び出し、地図を確認する。
アイネも走ってついてきた。
「お、お兄ちゃ――」
「ツリーハウスまではかなり遠い。30km以上ある。クラクチョウでは無理だけど、ここは砂漠地帯だ。クラクチョウよりも龍を飼って商売している人が多いと思う」
「お兄ちゃん」
「行くぞアイネ。乗り場はこっちだ」
「ちょっと!!」
――――――
あれからお兄ちゃんは、あたしの話を何も聞いてくれない。
初めて見る龍。とってもデカくて、薄緑色で、カッコよかったわ!
乗り心地は……まあ、悪くはなかったわね。
でもお兄ちゃんはずっと、ただ淡々と目的地にまで足を運ぼうとしているだけで、あたしの事を全然聞いてくれない。
どれだけ話しかけても、お兄ちゃんは無表情で。
「うん」とかしか言わない。
どうしてそんなに……ショックだったの?
初めて感じる疑問。
あたしだって死にたくない。泣きたい。生きたい。けれど、お兄ちゃんの方がショックを受けていたわ。それは何故なの?
お兄ちゃんは、あんなにあたしのことをうっとおしがっていたのに、どうしてあたしが死なれるのは嫌なの?
お兄ちゃん、貴方が私を死なせたくない理由は、あたしの事が好きだから。
という理由ではないような気がするの。
お兄ちゃん、貴方は一体、何を考えているの?あたしには全く分からないわ。
名誉とされる目の勲章を長い前髪で隠すのも、どうしてなの?胸を張れる物を偉い人から貰ったのに、どうして?
他のファイブステラは、勲章をもらった目を誰も隠していないそうじゃないの。自分の強さに皆、誇りを持っているんだわ。
なのにクロハ、貴方は何故……。
尋ねても、お兄ちゃんは答えてくれない。龍に乗っている時も、ずっと彼は地図を見ていた。移動で揺れる前髪の隙間から、薄らとファステラである目の模様が見える。
あの時、あたしの死を泣いて悲しんでくれる人がいるんだって思って、すごく嬉しかったわ。
すごくすごく、嬉しかった。だけど。
あの涙は、本物なのよね?お兄ちゃん