救世主?
「おい、あんた」
背後から声が聞こえた。 聞こえたというか、そんな気がした……の方が合うかな。
そもそも一人暮らしの部屋、テレビも付けて無いし、スマホは持ってない。
「おい、あんた。
死のうとしてるのか?」
また、聞こえた、男の子っぽい声で。
そう分るのは、少し近づいたのか?
まさか幽霊? 状況からその確率が高いと思えた。
僕に霊感は無いと思う、これまでそういう経験が全くないから。
そして、そうだ、僕は死のうとしていた。 今、目の前には輪っかが吊るされている。 椅子の上に立っている。
もしかして、もう済んだのか? それで同じ状態のやつの声が聞こえる……なんてね。
気になる、最後に振り向くくらいいいだろう。一分一秒を争う状況じゃないし。 見てやろう幽霊ってやつを、もし居たら、僕もそうなれるなら、死ぬのも悪くないかもな。
ゆっくりと振り向いて見た。
「お」
目の前で、目的を達した感じで声がして、確かにそこに居た。
「うわっ」
僕は、驚きの声を返して椅子から飛び降りた。 首は輪っかに入って無い、それどころじゃなかった。
居ると考えて振り向いてなお、何かの存在が見えた事で、よくわからない恐怖を感じて逃げた……のだと思う。 本能だろうか。
そして、もう一度見直す。 今度は、恐怖を通り越した興味に近いかも。
「その反応酷くない?」
そいつは、特に声音を変えずに僕を非難した。
「…………あ、いや、すまない、驚いたんだ」
目の前に居るのは、間違いなく女の子だった。
ただ、その姿は、説明すると天使の羽の生えた少女だろうか、しかも、頭身いや比率は人間と変わらないのだが、小さい、半分くらい。
そして、間違いなく美しいが最初に出る形容詞だ、小さいよりも先に確かにそう思った。
それが浮いている。人語、日本語をしゃべっている。
そうそう、服は着ている、白いレオタード? 水着っぽい感じ……美しい。 長い髪は銀髪?
そうだ、その姿が見とれるほど美しかったから、言葉を返すことができた。
もし単に人間であれば、大人であれ、子供であれ、男であれ、女であれ、恐怖を増していたと思う。
「驚いたってことは、もう大丈夫か?」
しゃべり方は、最初からそうだけど男っぽい。
「ああ、大丈夫そうだ」
もう普通に答えられた。
「じゃ、話をしようか」
「その前に、君は何者だ?」
絶対聞きたい、聞けたら死んでもいいくらいに興味がある。
「別にあんたに危害を加えに来たんじゃないし、そういう話からするよ」
「そうですか、では、お願いします」
だんだん、威厳というかやっぱり天使に思えてきたのもあって、丁寧な応対になる。
「俺達は、あんたたちの世界の言葉では悪魔が近い。
魂を集めてるからね。 でも、怖くないよ」
「いや、君が本当に居るんだから、悪魔みたいじゃなくて悪魔でしょ?」
「いやいや、悪魔は、あんたら人間の空想上の産物じゃないか、いろいろ設定あるでしょ?
お話によって全然立ち位置違うし」
「そうかもしれませんが……まぁ、悪魔みたいなのでとりあえず了解しました」
なんか、ちょっとがっかりしている自分が不思議だった。俺は悪魔に会いたかったのか、それとも天使と言って欲しかったのか。
「わかってくれたならそれでいい。
で、頼みが有ってきた」
「頼み? 今から死ぬ僕に?
魂をよこせと?」
「ええと、我々の仕事を手伝って欲しい」
「手伝う? 今から死ぬ僕が?」
重ねて言う。
「そう、手伝ったら死ななくても済むかもよ? 失敗したら死んでもらうが」
「どういうこと?」
失敗? 人生、失敗を重ねてきたようなもんだけど。
「誰か殺したい人間を三人指名して欲しい」
「は?」
「一人指名する毎に願いを一つ叶える」
「は?」
「願いと言っても、出来る事とできない事がある」
「ほう?」
「基本お金をお勧めする」
「え?」
「まぁ、仮に可愛い女とか言われると、出来ないことは無いが、たぶん後悔する。
まず、人間の可愛いの基準とかわからん? 全部同じに見える。
やさしい人は見当が付くが、あんたに優しいとはかぎらん。
そして、ただ造った人間には過去が無い。
もし、誰か実在の個人を指名しても、本人が嫌だと居なくなるかもしれんし、そこまでは保証できん。
そして、そいつらはどうやって生活する? 養っていくのもいいが”いろいろ”足り無いのがわかるだろ?」
妙に親切に解説してくれる。うさん臭さ倍増だけど。
「そりゃそうだね」
どっかの誰かだと周囲も含めて問題になるし、新たに造れるとしても、その人にはあらゆる権利が無い。
そもそも僕にそんな甲斐性が無い。だからこの状況なんだ。
「あと、権威とか物理的で無いものは無理だ。
お金でなんとかなるかもしれんが、ならお金でいいだろ?」
「なるほど」
「ちなみに、お金は日本円だと5640万円だ。一人につきね。
外貨でもいいが、換金方法が無いと面倒だぞ。
ちなみに、ドルだと百万ドルくらい。 為替関係無くね。
換金方法については貴金属とかも同様だぞ」
よくわからん金額に反応の仕方すらわからない。
「確かに、大金の換金なんて怪しまれるだろうな、でもアメリカに住むならドルもありか」
「そうだな、希望は考えて決めてくれ、質問には答える」
「指名した人はどうなるんだ?」
「殺す」
「う」
「別に、あんたに殺せって言ってるわけじゃ無い」
「そうだけど同じじゃ?
銃で殺すのも悪魔使って殺すのも」
「一緒にされるとちょっと心外だが。
恨みのあるやつとか、嫌いな奴とか、報道とかで見て死んだ方がいいと思う奴とか、死刑囚とか、テロ組織の誰かとか、煽り運転してるやつとか、歩きタバコしてるやつとか、好きに決めていいんだぞ?」
「それは理解したさ…………でも、なんとかなるかな、ものすごく悪い奴なら……たしかに」
「で、指名された悪い奴の魂は消滅させるんだ。
勝手に死なれると消滅させられないから、また転生しちまう。 その際に悪度が成長し、より酷い悪事を働く。
だから、死ぬ前に見つけて消滅させる。
この悪い魂の浄化が俺達の仕事だ。
ところが、俺達には悪い奴が分らない。
魂を抜いて見れば俺達にもその悪度がわかるんだけどね。
だから、あんたみたいな人間に頼むのさ。
そして三つの魂の悪度であんたの評価が決まる。 低ければあんたの魂ももらう。
合格なら、あんたは魂を失わないし次の参加権を得る」
「評価って、そっちの都合で付けるんじゃ、最初から不合格じゃ?」
「そんな事はない、そもそも合格できそうな人間を選んでるだ。 他にも居るし。
俺達は、どっちかと言うと、次というかずっとやってもらいたいんだ。 そういう人間は少ないからね。
ましてや、不合格でも、もともと死ぬ気だし問題無いだろ?」
「そう言われると、僕は既に良い方に評価された様で悪い気はしない。
ただ、どうしても何か裏がありそうで…………まぁ、そう考えてこれまでチャンスを逃して来たのかもな。
どうせ既に死んでるはずだし、やるだけやってみるか」
普通の人間の言葉なら微塵も信じる要素が無いが、目の前に居る明らかな人外はもしかしたらを適用してもいいと思った。
「ありがとう。
それから、たぶんだけど、あんたが死ぬ理由って、お金が無いからだろ? まぁ、頑張れる気持ちが折れたんだろうけど。
で、もし、一個目の願いがお金なら、少し前金で出すよ。
いくらあれば一週間生きてくれる?」
「ああ、家賃とか光熱費とか貯めてた借金返さないと結局どうしようも無いから、百万くらいかな」
とりあえず希望を言う。 一週間の食事代でも、いいけどね。
「よし、じゃ五百六十四万でどうだ?」
「え? その金額を提示してくれたら聞かなくてよかったんじゃ?」
よくわからない金額だ。
「どうだい?」
「もうひとつ聞きたい」
「なんだい?」
「殺すって、どうやって?」
「魂を抜く、そしたら死ぬ」
「それだと死因は何に? 心臓麻痺?」
「だいたい不明になるかな。 確認した事無いけど。
だから、殺すタイミングは他人を巻き込まない時を選ぶよ。
交通手段の運転中とか、誰かを守ってる時とかね」
「守ってる時?」
「そいつ死んだら守られてるやつが死ぬかもしれない」
「悪い奴が守る奴って一石二鳥みたいな気もするけど、僕の思考が既にダメな方に」
「まぁ、あんたが思った直感を信じれば評価は大丈夫だと思うよ」
「指名ってどうすればいい?」
「ああ、目の前に居るやつ、使い魔なんだけど、手を握って思考してくれれば伝わる。
後は、俺達のタイミングで魂を抜くから、あんたはその場に居なくてもいい。
指名したら報酬の権利が発生するから、好きな時にこいつに伝えれば、俺達のタイミングで実行するよ。
ああ、こいつは、基本的にはあんた以外には見えない。 普通に会話は通じるから、相棒として好きに扱ってくれ」
「ずっと見張られてるとかじゃないんだ」
「その必要性が無いからな。
さて、後はこの使い魔に任せて俺は消えるよ」
「あ、待って、もう一つ気になったことが」
「何だい?」
「このこ、使い魔は、すごく可愛いんだけど、さっき”可愛い”が分らないって言ってたよね?」
「こいつは、人間を観察して綺麗だと言われてる者をモデルに造ったやつだから、俺達の感覚じゃ無いんだ」
「ふ~ん」
「後で、こいつから説明があるかもだけど、期限迄お前を守る護衛も務める。
他人には見えないと言ったが、人間サイズの実体にはなれる。 ちゃんと人格とそれなりの知識はあるから、家事とかはやらせてもかまわんぞ。
ぜひ合格してくれ、せっかく言葉を交わした縁だ魂を抜きたくない、じゃ最終日に会おう」
「いろいろありがとう、頑張ってみるよ」
僕は、話の流れか雰囲気か、お礼を口にしていた。 人殺しを頼まれたというのに。
「あの……」
目の前の使い魔と呼ばれた美しい者が姿に見合う声を発した。
「あ」
僕は、ちょっと間抜けな声を出したと思う。
「わたくし、使い魔のエカと申します。
あなた様の助けとなりますよう頑張りますので、これからよろしくお願いいたします」
「あ、ああ、こちらこそよろしく」
参った。 声だけでこれほどに印象が変わるとは。
だからだろうか、今、一目惚れをした。そう感じた。 ずっと見ていたのに、男声としゃべりとあと内容のせいか、美しい以外の感想が無かったのだ。
「それでは、あなた様を何とお呼びすればよろしいでしょうか?」
おっと見とれてた。
「困ったな、そういう風に聞かれたら答えようが……じゃ、鈴木さんで」
雇い主でも無ければ友人でも無い、様付きさえ分不相応だ。
「鈴木さん、以降なにか必要があればお声がけくださいませ」
「ええと、ずっとそこに浮いてるの?」
「お邪魔でしたら、待機位置を指定いただけますか」
「そっか、ちょっと待ってね」
ちゃぶ台とか用意した椅子を部屋の隅に寄せてスペースを造る。
そこに寝袋を拡げた。
「ええと、人の姿になれるんだよね?」
「はい、この様に」
エカは、体の大きさが衣類ともども倍くらいになり髪が黒くなって羽が消えた。 ゆっくりと床に足が着く。
美女降臨だ。
「あ…………ええと、君はそのベッドを使ってください。
僕はこれで寝るんで」
「待機場所でしょうか?
わたしに睡眠は必要ありませんし見張りもしますので、鈴木さんがいつもの様にお休みください。
姿は消しておきますので」
監視かなぁ。
「そう、わかった。 それでいこう……おやすみ」
「お休みなさいませ」
そう言うとエカは姿を消した。
僕は、ベッドに移り、これまで通りに寝ることにした。
吊るされていたはずの縄を見つめながら。
「あっ」
そう、縄がそのままだった。
「エカさん、申し訳無いけど、そこの縄を外してもらえます?」
試しにお願いしてみた。
「お任せを」
エカは姿を現すと縄を外して部屋の隅に置くと姿を消した。
「ありがとう、あらためておやすみ」
「おやすみなさいませ」
声だけが返ってきた。
なんか、メイドさんが居るみたいだなどと浮かれ気分で眠りに付く……が、眠れそうに無い。
人殺しの依頼の件が吹っ飛んでいた。 エカのことが気になっているのだ。
まぁ眠れないのはちょうどいい、方法を考えてみよう。
それでも、そんなに時間は経ずに眠りについていた。 心配事が無くなったかの様に妙に心が落ち着いたのかもしれない。
さっきまで人生の後悔と死ぬことしか考えて無かったからだろう、どういういきさつであれ、心が前向きになったんだ。




