富裕層向け天国
「せっかく天国に行けたのに、生活水準が落ちちゃって残念! そんな声にお応えして、『富裕層向け天国』なるものをご用意させていただきました」
セレブ向けの病院の個室。天国からやってきたという営業マンの男が、入院中である×××グループ頭取の佐竹義雄にそんなセールスをかけていた。
「今まで、死後は平等というのが天国のモットーだったんですが、生前立派な暮らしをされてきた方から、平民ごときと同じ扱いをしないで欲しいという意見が増えてきたんです。富裕層の方々にはたくさん寄付をしていただいていますし、だったら一肌脱ごうとなったわけなんです」
佐竹はその説明に納得した。自分は現世で大成功し、誰もが羨む地位と暮らしを手に入れていた。それなのに、死んだだけで、それら全てがチャラになるなんて不条理極まりない。俄然興味が湧いてきた佐竹は一体いくらで富裕層向け天国へ行けるのかを尋ねてみる。しかし、営業の男が佐竹に告げたのは、払えないことはないものの、簡単にハイとは言えないような金額だった。
「天国にお金は持っていけませんからね。それに、生きてる時間よりも、死んだ後の時間の方がずっと長いわけですから、そこにお金をかけるのは賢い選択だと思いますよ」
「だがな、私の資産を騙し取ろうとしてきた人間を今までたくさん見てきたんだよ。君が富裕層向け天国だと言っている場所が、本当にあるという保証はどこにもないじゃないか」
「ああ、そういうことですか。でしたら、どうでしょう? 一度天国に行って、実際に富裕層向け天国を見学してみるというのは?」
眉を顰める佐竹に、営業の男が補足する。男の説明によると、一度死んで天国へ生き、実際に富裕層向け天国を見た後で、もう一度生き返って現世に戻ってくることが可能らしい。営業力強化のため、つい最近になってこの制度が天国で導入されたんです。男がどこか誇らしげな表情で説明した。
自分の目ほど信じられるものはない。佐竹は二つ返事で承諾する。営業の男は携帯を取り出し、天国にある事務局に連絡を取り始めた。佐竹は営業の男の後ろ姿を見つめながら、考えに耽る。今まで味わってきた苦労や挫折、そして栄光。綺麗事だけではもちろんなかったし、墓場まで持っていくべき秘密もある。しかし、それも今では懐かしい思い出。そんな自分にふさわしい富裕層向け天国とはどれほど素晴らしいものなのだろうか。天上の世界に想いを馳せていると、営業の男が準備ができましたと声をかけてくる。
「それでは、早速。ちょっとだけ痛いかもしれないですが、ご容赦ください」
営業の男が病室に置かれていた花瓶を手に取り、佐竹に近づく。佐竹がぎゅっと目を瞑ると同時に、病室内に鈍い音が響き渡った。
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天国の入り口。現世から戻ってきた営業の男が、腕時計を見ながら、佐竹を待っている。しかし、そこへ同じ営業部の先輩がやってくる。男が挨拶をしようと頭を下げると、先輩がその頭を勢いよく叩き、叱りつけた。
「お前が現世で殺してきた佐竹だけどな、いくら待っても天国には来ないし、現世にも戻れないぞ! 営業をかける富裕層はきちんと選べって何度もいってるだろうが! 」
顔を上げた男はきょとんとした表情を浮かべる。そんな男に対して、営業部の先輩は半分呆れた口調でこう伝えるのだった。
「富裕層向け天国の営業を、そもそも地獄行きが決まってた相手にかけてどうするんだ!」