街の中へ
一歩一歩前へ進み、外壁へと近づく。
巨大な石を積んで作られた壁。その街を魔物から守る外壁は領都ほどではないけれど大きくて、天高くまでそびえ立っている。
「……お嬢」
「……うん」
そんな壁の外と中を繋ぐ門。重厚な造りのそれの両脇には槍を持った衛兵が立っている。検問は無いものの、不審な人間を通さないようにしているのだろう。門をくぐる一人一人に目をやって観察しているのが見えた。
「……っ」
……ここを通るのか。思わず息を呑む。
怪しまれないように自然体でいるべきなのは分かっているけれど――しかし、言うのは簡単でも実行するのは難しい。
もし本当に手配されていて、その上呼び止められたら。そう思うとどうしても怖くて、足がもつれそうになる。顔も強張りそうになるのを抑えて――なんとなく、被っているフードを押さえた。
「……」
被っているフード。ローブについているそれが、私を守ってくれる壁で、私を隠してくれる鎧だ。
日本なら逆に怪しまれて職質でもされてしまいそうなそれだけれど、この世界なら、それほどおかしな恰好じゃない。
――フードを被っているのは、魔法使いの証だ。
◆
『お嬢には、魔法使いのフリをしてもらおうと思う』
『魔法使いのフリ?』
それは少し前、ログに落ち着けと言われた後の事。
私のローブに付いたフードを指さしながらログはそう言った。
『魔法使いのフリって……私は魔法使いだけど?』
フリをするまでもなくそうだ。
これでも使える魔法はもう五種類。貴族社会でも胸を張って魔法使いですと名乗れる数を習得している。
これはこの国で社交界に出られる資格を得たということでもあって――私はまだ年齢的に早いと言われていたけど。
『いや、すまん。言い方が悪かった。そうではなくて、民間の魔法使いの恰好をしてもらうということだ。具体的に言えば、フードを被ってもらう』
『……あ、そういうこと』
民間人の魔法使いがフードを被る――というのは私も聞いたことがある。それはなぜかと言うと髪を守るためだ。
――魔法使いにとって、髪は命の次に大事なものだから。
『私ももう貴族じゃないもんね』
この世界では、髪には魔力が宿る。そういうものだ。
体内から漏れだした魔力を溜める器になってくれる髪は、日本風に言うと魔力の外部電源とも言えるかもしれない。
そしてだからこそ、魔法使いにとって髪は命の次に大事なものだ。なにせ魔力が無ければ魔法使いはただの人でしかない。古今東西、魔力を使い切って雑兵に殺された強大な魔法使いの話はどこにでも残っているわけで。
――だから、魔法使いは髪を守る。
フードや兜を被って。間違っても失わないように。切り取られたりしないように。
『たしか、髪を晒して歩いてると、すれ違いざまにスリが切り取ったりするんでしょ?』
魔法使いの髪には価値があるからだ。自分の髪じゃなくても魔法の触媒に使えるし、魔道具の原料になるとも聞いている。
……まあ、貴族はそんなこと気にしないんだけど。貴族の場合は騎士の護衛も付くし、そもそも馬車が普通で道を歩かないことも多いから。私だって思い返してみれば生まれてこの方護衛なしで道を歩いたことは無い気がする。
『……いや、それはそうなんだが、もう一つ理由がある』
『……え?』
……もう一つ?
『……お嬢の髪は、目立つ』
『……え? そうなの?』
『癖のない銀髪なんて、俺はほとんど見たことが無い。故郷にいた頃を含めてもだ』
『……そういえば、言われたことあるかも』
まだ母が生きてた頃の話。
髪の手入れをしてくれる度に言っていた気がする。珍しい髪だ……とかなんとか。
思い返せば兄弟にもあんまりいなかったかもしれない。髪の色は父譲りなので髪が銀色の兄弟は多くいたものの、癖がない人は――私を入れて二人だけだっただろうか。ちなみにもう一人はあの下品な姉だ。
『だから、まずそれを隠さないと遠目でもお嬢だとバレる可能性が高い』
『……そ、そうなんだ。じゃあフードを取らないようにしないと』
『ああ、そうしてくれ』
◆
そんな話をログとして……今、門番の前を通ろうとしている。
俯きそうになるのを必死に抑えながら。流石に顔を隠すと怪しいので呼び止められるかもしれない。
「……」
「……」
門番まであと五メートル……四メートル……。
見られてる気がする。周りにも人はいるけど、それでもこちらを見ているような。
でも今更逃げる事は出来ない。あとは進むしかない。
三……二……。
今だけはログに頼る事は出来ない。
下手なことをしたら逆に怪しまれるかもしれないから。
……一。
「……」
そして、私たちは門を潜った。
門番は私をしっかり見ていたけれど、でも呼び止めることはしなくて。
「……っ」
「……」
ちらりと目だけでログを見る。
ログも小さく頷いてくれた。
「……ふぅ」
聞こえないように息を吐く。
私たちは、なんとか街に入ることが出来たようだった。
◆
それから、少し街の中に入って宿を探した。
選んだのは安いわけでも高いわけでもなさそうな普通の宿。
そこに二人部屋を一つ取って、中に入る。
そして、障壁を部屋の中に張り巡らせ――。
「――き、緊張した!!」
思わず叫んでしまう。
遠慮なく声を出せるのがこんなに嬉しいなんて。
「大丈夫だったよね? ログ」
「ああ、大丈夫だ。あれなら怪しまれてはないだろう」
「よかった……」
本当に良かった。本当に。
もしあそこで見つかったら、昨日と同じように抱えて逃げると言われていたのでなおさらだ。本当に良かった。もうあの恐怖体験は嫌だ。
「……はぁ」
「まあ、とりあえずこれでも飲んで落ち着くといい」
コトリ、と音がする。
見ると、ログが水をコップに注いでくれていた。
「ログは?」
「俺も飲む。お嬢も気にせず飲んでくれ」
ログはもう一つのコップに水を注いでいる。
そっか。それなら遠慮なく。
「――」
口に含むと、果実の風味がした。
体に水の染みわたっていく感覚。一口飲んで、自分がどれだけ水を求めていたのかを実感する。
「――おいしい」
「もう一杯飲むか?」
「飲む」
こんなにおいしい水を飲んだのは初めてかもしれない。そう思うほどに美味しい。果実もいい味を出しているし。ここに来る途中果実水を買って来たんだけど正解だった。
「――はー」
気が抜ける。これまでどれくらい自分が緊張していたのかを実感する。さっきまであんまり感じてなかった疲労感が襲い掛かってきて、ベッドに倒れ込んだ。
「……柔らかい」
「部屋の中ではゆっくり休んでくれ。外に出たらそうはいかないからな」
「……うん」
そうだった。髪を隠さないといけないし。特別注意しないと。
……物語だとバレるのはこういうところからだ。前世で本をたくさん読んだので私は詳しいのである。フラグに注意。
「……そういえば、髪以外に注意することはある?」
顔だけログに向けて質問する。
ログもログで休んでいるようで、椅子に座りながらコップを傾けていた。
「……そうだな、特に注意したほうがいいのは言葉遣いか」
「言葉遣い?」
「ああ、貴族は癖が出るからな」
そうなんだろうか。あまり自覚は無い。そりゃあ畏まった話し方もできるけど、普段はそんなことしないし。
だから、そう質問すると――。
「普通の平民は畏まったとか言わないな。平民と貴族の一番の違いは語彙力だ。大半の平民は学校には行ってない」
「……あー」
なるほど。
「あとは……そうだな。敬語に厳しいとか。平民にタメ口きかれて嫌そうな顔したりするとバレる。お忍び貴族がバレる原因としてはよくある方だ」
「……そんなものなんだ」
敬語……敬語か。
「貴族にタメ口きいて嫌がられないのは奴隷くらいだ。まあ奴隷はむしろ敬語を使ってはいけないんだが」
「……え?」
「……ん?」
顔を見合わせる。
敬語を使えない? どういうことだろう。
「奴隷は敬語使っちゃいけないの?」
「……それは、そうだろう? 奴隷は人以下なのに人より上等な言葉を使うなと」
……なにそれ知らない。
「うちの屋敷にいた奴隷は使ってたけど?」
「……なに?」
うちの屋敷の下男とか下女は奴隷だったけどその辺りの教育を受けていて、皆敬語をちゃんと使っていた。
前に教師に奴隷について教わった時も、敬語を使えない奴隷は多いと聞いていても、使ってはいけないとは聞いてない。
「……まさか、場所によって違うのか?」
「そうなのかな」
まあ、それもおかしくは無いだろう。ログは二つ隣の国の人だし。
なにせ主な移動手段が馬車の世界だ。地域差が大きくても仕方ない気もする。通信機はあっても、あれは貴族とかしか使えないし。
あれだけ通信網が発達した日本でも、一部地方の人は方言がきつくて会話できないくらいだ。こんな世界なら当然なのかも。
「……ログ?」
突然ログが膝を突く。
そして頭を深く下げた……って何してるの?
「これは大変失礼いたしました、お嬢様。下賤な身で御身に無礼な口を利いたこと、誠に申し訳ありません。この罰はいかようにも」
「……………………い、いやいいよそんなの。頭を上げて」
慌てて止める。
そんなことしてもらいたいなんて思ってない。
「しかし――」
「いいから! 今までと同じように話して」
というか違和感が強すぎる。
落ち着かないし、これまで通りがいい。
そもそも、私はもう貴族じゃないし。偉ぶる方が間違ってる。奴隷商と話してたときとは違うのだ。
「……いいのか?」
「うん、それがいいの」
これまで通り。今までと同じで。
それがいい。それが私を助けてくれたログだ。
「……わかった。じゃあそうしよう」
「うんうん」
……それにしても。なんとなく思う。
たった一日しか一緒にいないのに、これまでという物があるのが少しおかしかった。
……色々内容が濃すぎたのかもしれない。