真実
尖塔の屋根に開いた穴から、中に下りる。
そして、様子を確認すべく、気絶している騎士の傍へと寄って。
「……なんなの、これ」
屋根を衝き破って落ちたにもかかわらず、彼女の肌には大量のトンボが蠢いている。普通の虫ならそんなに強い衝撃を受けたら一匹残らず逃げ出しそうなものなのに。
「……補助用の使い魔にも見えんな」
「補助用?」
「ああ、戦場ではよくあったが、魔法使いが騎士のサポートをするために開発した方法の一つだ。魔力を込めた使い魔を騎士の傍に置き、障壁や解毒などでサポートする」
……なるほど。言われてみれば習った覚えがあった。
今回ログに渡した魔道具ともまた違う、サポート法の一つ。魔道具よりよっぽど簡単に作れて、数も用意できるが、その代わり使い捨てになる。
また、魔道具との一番の違いは、込められた魔法の発動を誰が行うかという点だ。魔道具は騎士の意志で発動できるが、使い魔の場合、魔法使いが遠隔で発動する。
なので総合的に見れば、使いやすさは魔道具の方が上、運用コストも魔道具の方が安く、しかし初期費用は使い魔の方が圧倒的に安い形になるだろう。
「こんなに気持ち悪い補助用使い魔なんてないよね」
「ああ、俺でもこれを渡されたら嫌だな。特に、こんなに数がいるとなおさらだ」
私だって絶対嫌だ。
一匹二匹なら、まあ大丈夫だろうけど。
「……」
ログが手を伸ばし、倒れる彼女の腕を這っているトンボを一匹摘み上げる。
そして、目の前にかざして。
「……気味の悪い生き物だ。見たことがない。普通使い魔は既存の生物に似せるはずだが……」
「……え?」
見たことが無い?
沢山いて気持ち悪いのはそうだけど、でもこれ……トンボでしょ?
……いや、ちょっと違うか。
目の前のトンボは記憶にあるものとは少し異なっているように見える。
大きさはかなり小さめで大体三センチ位だろうか。
透明な羽も、棒のような胴体も同じで……頭の形だけ少し違う。なんというか、ちょっと爬虫類っぽいというか。
「……まあ、いいか。それよりも今はするべきことがある」
ログの手が一瞬銀色に輝き、トンボが弾ける。
そして軽く手をはたいた。
「ところで、お嬢、そこの扉の向こうに人がいるようだ。街の人間と同じように動いてはいないが……どうする?」
「……え?」
ログは部屋の隅にある扉を見て、そう言った。
◆
隣の部屋へと繋がる扉の前に立つ。
あの騎士は武装解除した後に縛り上げて、一旦置いておくことにした。
「……はー」
大きく深呼吸。だってこの先には人がいる。
そしてその人は街にいる人と同じ状態らしい。……つまり、長屋にいる皆と同じ状態かもしれないということだ。
……だから、もし中にいる人が大変なことになっていたら、それは。
「……開けよう」
「ああ」
それでも、なんとか覚悟を決めてドアノブに手を掛ける。
そして――。
「……!」
扉の先は監視台のようになっていた。小さな窓がいくつか開いていて、その先を見通せる。今は霧が深くて何も見えないけれど、でも普段ならきっといい景色が見えただろう。そんな部屋。
……その中には、いくつかの白い繭のような物が転がっていた。
「……」
ログに隠れるように傍へ寄る。
繭はとても大きく、二メートルくらいはある気がした。
さらに一歩寄る。そして、それを覗き込んで――。
「――あ!」
白い繭の中には、人がいた。
近くで見ると、繭は半透明で中の様子を見ることが出来る。中にいる人は目を閉じている。身動きもせず、ただ眠っているように見えた。
「……生きては、いるな。特に外傷もなさそうだ」
ログの声。その言葉は嬉しい。
……でも、この状況をどう見ればいいかわからない。生きていて、傷は無くても……果たして中身はどうなっているのか。
「……これ、どうすればいいの?」
何もかもが分からなくて、混乱している。さっきから同じ言葉を繰り返している気がした。あのトンボも、この繭も何もわからない。一体これらは何なのか。
「……これは、あの白いのに似てないか?」
「え?」
言われて、もう一度見る。
この繭が、あのうねうねしたヤツに?
「……たしかに」
言われてみると、なんだか色が似ている気がした、
その白さも表面の少しぼやけた感じもそうだ。そして、繭の両端から出ている紐のようなものも、あのうねうねの頭と尻尾のように見える。
「……あ」
そして、そんな繭に、一匹のトンボが寄っていくのが見えた。
フラフラと空を進むトンボは、そのまま繭の表面に足でしがみ付く。
……そのとき。トンボはその尖った尾を繭に向け、振り上げて――
「――!」
――しかし、振り下ろしたそれは、繭の表面で弾かれた。
繭の表面はぼやけている。でもトンボの尻尾は貫くことが出来ない。
それをトンボは何度か繰り返し……最後には諦めたようにまたどこかへ飛んでいった。
「……これは」
「……」
トンボの、謎の行動。
でもそれを見ていると……なぜだろう。
……私にはそれが、まるで繭が中にいる人をトンボから守っているように見えて。
「お嬢」
「……なに?」
「人の気配だ。こちらへ向かってくる。
しかもこれは……あの王女か」
……レイシアが!?
「どうする?」
「……」
考える。状況を把握するために。
レイシアがこちらに来ている……なんで?
さっきの戦闘を見ていたから?
しかし、それならあの騎士が負けたことも知っていそうだし……。
……でも、わからないけど事情が聴きたい。
「……ログなら、いつでも押さえられるよね?」
「ああ」
「……それなら、少し話をしたい」
「わかった。様子を見よう」
扉を出て、元の部屋へ戻る。
すると、ほどなく足音が遠くから聞こえて来た。
――そして。
外から扉が音を立てて開かれた。
……レイシアだ。
「……はあ、はあ」
彼女が転がり込むように部屋の中に入ってくる。
その姿は息が乱れていて、髪も汗で肌に張り付いている。
「……レイシア」
「リ、リーヤ」
彼女がこちらを見て……嬉しそうな顔をする。
目を輝かせるように。まるで追い詰められた人が、助けを得た時のように。
「……! ロアナ!」
次に、床に倒れている騎士を見て名を叫ぶ。
そうだ。あの騎士の名前はロアナだ。彼女がいつもそう呼んでいたから私も覚えた。
「……! 水蛇!」
レイシアの手が、ロアナに向けられる。
すると、周囲の霧が動き出す。彼女の手に向かって霧が集まり――。
――あの白い怪物がそこにいた。
そして、怪物は騎士へと向かって飛びかかり、その体を一息に飲みこむ。
「……」
一瞬、空白があって。
……次の瞬間。
トンボが、白いのの表面から弾き出されるように飛び出してくる。
宙に投げ出されたトンボが床に転がり、まるでそれは、部屋の一角が埋まりそうな量だった。
――すぐに、弾き出されたトンボが、宙に浮きあがる。
その頭を、一斉にレイシアのいる方向へと向けた。
「――霧よ!」
レイシアがまた叫ぶ。すると、窓から大量の霧が部屋の中へ流れ込んで――。
――それに包まれたトンボが、途端に落ち着きを失い、フラフラと宙を漂い始めた。
「……」
……これは。
「……ゴホッ、ゴホッ」
レイシアが咳き込んでいる。
その顔は真っ白で、まるで病人のようにも見えた。
「……レイシア」
「リーヤ」
彼女がこちらを向く。
苦しそうな、でも嬉しそうな顔。
「……お願い、リーヤ。力を貸して」
「……え?」
「この国は、今――竜による襲撃を受けているの」
レイシアは、泣き出しそうな顔でそう言った。
これで二部一章水の都は終了になります
この後も物語は続きますのでお付き合いいただければと




