髪とお礼
――ところで、貴族とはなにか。
それを改めて説明すると、貴族とはこの世界の特権階級であり、民衆を統治するものを言う。
大きな屋敷に住んでいて、大勢の人を従えている。
畑を耕したことなんてなくて、いつも魔法を使ったり、紙と睨めっこしている。
この世界の一般的な民衆の貴族に対する認識はそんなところだ。
まあ大体間違っていないと言えるだろう。
そんな貴族として生きるには、当然民衆とは違う能力が必要になる。
かつて生きていた日本と違い、この世界では身分の壁は大きく、生活は天と地ほども違うからだ。
例えば、お茶会について。そこで飲む茶葉、茶器、作法。
例えば、ダンス。そこで流れる音楽、ステップ、相方の誘い方。
例えば、教養。人との会話、本や資料を読み、知識を蓄える力。
――そして、なによりも魔法。
これが何よりも違って、民衆と貴族を隔てる最大のものだ。
貴族を貴族足らしめるものは、その貴い血筋ゆえに持つ莫大な魔力。そして血に受け継がれてきた血統魔法と言える。
魔法があるからこそ、人々は貴族に従い、頭を垂れる。
魔法があるからこそ、魔物や竜などがはびこるこの世界で人間は生きていける。
だって、騎士は魔物を倒す事は出来ても、怪我人を治すことは出来ない。魔物に荒らされた畑を元に戻す事は出来ないし、魔物が入ってこないように結界を張ることも出来ない。
人が人として生きることが出来るのは魔法があるからだ。
だからこそ、魔法は権威の象徴であり、魔法を使うための魔力は何よりも重い意味を持つ。そして、それを多く持つ貴族は権力を手に入れたのである――。
――
――
――
――と、ここまでが一般の民衆が知っている話。
実はこの話には貴族だけが知っている裏話がある。それは、貴族がどうやって莫大な量の魔力を手に入れたのか。その理由だ。
端的に言おう。貴族の魔力の秘密とは、髪だ。貴い血筋なんかじゃない。
そしてそれこそが、今回の特別な方法に関わってくる。
……それは今よりはるか昔のこと。
まだ魔法使いとしての貴族が存在しなかった頃に遡る。
当時、多くの魔術師が身に宿る魔力量を増やそうと躍起になっていた。
より多く、より強い魔法を使いたいと研究していた。それが出来れば生活はもっと良いものになると信じていたからだ。
その中の一人、魔法貴族の祖ともいえる人物が目をつけたのが髪だった。髪には元々、魔力を蓄える性質があり、それをどうにかして増やせないかと考えたのが始まりらしい。
人体に宿せる魔力量には限りがあり、それの上限を増やすことは難しいと分かり始めていた時代のこと。
そもそも、魔法とは意志の力であり、そして魔力とは意志の宿る場所で生まれる。そのため、既に意志の宿っている人体では、増やせてもたかが知れていて、劇的な増加にはならない。そういう研究結果が出ていた。
そこで、男が目をつけたのは髪だった。髪は意志を持たない。しかし、魔力を蓄える性質を持っている。
――ならば、髪に意志を通すことが出来れば、より多くの魔力を貯蔵できるのでは?
男はそう考えた
理論的にはこうだ。髪には神経も通っていなければ血も通っていなくて、だから意志も通っていない。それなら、魔法的に髪に神経を通せばいい。
――そしてそれは成功し、今にも繋がる魔法貴族は誕生した。
私たちは幼い頃より、髪に魔法神経を通す特殊な訓練を施され、その結果として、莫大な魔力を手に入れたのだ。
◆
大きく、深呼吸をした。
ログに障壁魔法を纏わせる。
そのために必要なことはもう分かっていて、そのための道具だってある。
それさえできれば、現状から抜け出して思い切った一手を打てる。
だから、私はすぐにでもそれをするべきだし、躊躇うのは間違っている。そう思う。
「……」
そっと、自らの髪を一房手に取る。
そして、その毛先三センチ程の所で押さえた。
「……っ」
押さえたところに、ナイフの刃を当てる。
このナイフには魔力をすでに通していて、力を籠めればきっとあっさり髪の毛を切り落とすことが出来るだろう。
そうすればあとは簡単だ。
貴族の髪は魔力の貯蔵庫としての役割を持つが、もう一つ、特別な価値を持っている。
それは、魔法の触媒や、魔道具の材料としての価値だ。
こと魔道具作りにおいて、貴族の髪は超一級品の素材として働いてくれる。
髪が魔道具の材料としてどれくらいの質かというと、本人が術式を籠めればそのまま魔道具になってくれるくらい。私みたいな素人でも簡単に作れるくらいに、素晴らしい素材だ。
まあその代わり、作った魔道具には、髪の持ち主以外魔力を籠められないという欠点もあるけれど。でも、今回それは関係ないし。
「……」
つまるところ、私はこの髪を使って障壁の魔道具を作るつもりだった。
魔道具ならログでも使えるし、あらかじめ全身に纏うように設定しておけば、問題なく発動してくれるだろう。
私の負担だって魔力を込めるところまでだ。
そうなれば、きっと大丈夫だ。後はログが助けてくれる。
……だから、私はナイフを持った手に力を込めて――。
「――」
……その前にもう一度深呼吸をする。
少し、冷静になろう。大丈夫そんなに大変なことじゃない。
だって、この代償もそれほど後に引かない。
魔力貯蔵庫である髪を切り落とすんだから、当然最大魔力量が減るけれど、それでもこの量なら一パーセントも減らないはずだ。
だから今後の人生にそれほど影響がある訳でもないし、私がこれ以上弱くなったりもしない。大丈夫。きっと大丈夫。
……だから、もう一度手に力を入れて――
「――」
……手が震えているので、一旦ナイフを引く。
そして、床にナイフを置いて、手を軽く振った。ちょっと疲れちゃったかな。
大丈夫。別に髪を切るのが初めてって訳でもないし。
だってそうじゃないと、今頃私はとんでもないロングヘア―になってる。貴族の髪も、切りたい場所から事前に魔法神経を引いておけば問題なく切れる。
それなら最大魔力量も減らないし、普通の髪を切るのと同じになるんだ。
……まあ、とは言っても、今回はそれは出来ないんだけど。魔法神経がないと魔道具の材料にならないし。
「……」
手が震えるのを押さえる。
怖がっている場合じゃない。そうだ、弱くなるわけじゃないし、これで現状から抜け出せる。ついでに作った魔道具は今後も使えるので、もし似たようなことがあっても次は大丈夫だ。
……だから。
だから、髪を切ることで起きるデメリットなんて――
「――」
――ただ、痛い。それだけだ。
「……っ」
それは、そうだろうなと思う。だって魔法とは言え神経が通っているんだから、切り落とせば当然痛いだろう。でも、それだけ。
大丈夫。それだけだから大丈夫。
聞くところによると、昔ろくでもない貴族が自分の身内を使って実験をした結果、髪を切り刻まれた子供がショック死したらしいけど、まあ、私は一回だし。
魔法神経の麻酔なんてある訳ないのですごく痛いのは確かだろうけど――
「――お嬢」
「な、なに?」
と、ログの声がした。
振り向いて返事をすると、痛ましげな眼でこちらを見ている。
「難しいなら、別にいい。なに、俺がもう少し努力すればいいだけだ」
「……」
……それは。
「今回は少し慎重すぎたかもしれないな。次はもっと上手くやろう。そうすれば――」
「――ログ、それはダメだよ」
ログの言葉を遮る。
それは優しい言葉だ。思わず頷きたくなる。でも。
……それはきっと、間違っている。そんな気がするから
「……大丈夫」
ログの言葉で覚悟が決まった。
手の震えを押さえつけて、ナイフを髪に添える。
そして――。
「……ぎ、ぃ――」
一息に、切り落とした。
ナイフが髪を切り裂いて、握っていた手の中に一束の髪の毛が残っている。
「……あ、ああぁあ……う……ぐぅ……」
いたい、いたい、いたい――。
本当は無いはずの痛みが魔法の道を伝って脳を揺さぶる。
あまりの痛みに視界がにじみ、頬を伝っていく。
ナイフを投げ出し、髪を押さえた。痛みを抑えるために、そこを胸に抱くように蹲る。
ズキン、ズキンとまるで頭を殴られたような感覚があった。
「……ううぅ……あぁ」
痛くて、苦しくて。涙が次から次へと湧いてくる。
嫌だ。痛い。もうやめて、苦しいの。いたい、いたいよぉ……。
「あぁ……ぅ……?」
……でも、そんなとき、背中に感触があった。
硬いものが背中を叩いている。ログの手の平だ。
優しい感触が背中にポンポンと伝わってくる。
それは暖かくて、じんわりとそれが伝わってくる。
その温かさを感じていると、少しだけ痛みが楽になる気がして――。
「――」
――段々痛みが引いていくのにつれて、私の意識も沈んでいった。
◆
痛いことが嫌いだった。
それは別に今回の件とかだけじゃなく、痛いのは全部嫌いだ。
膝に擦り傷を作るのは嫌だし、歯が痛みだすのも嫌。
注射だって本当は大嫌いだし、足の小指を打ち付けたら泣きそうになる。
だから、痛いことを避けるようにしていた。
前世、大人になると、子供の時とは違って慎重に動くようになったのは、痛いのが嫌だったからだ。
それは悪いことじゃない。当然のことだ。きっと誰もがやっている。
そうだ。今世でも私はそうだった。子供の身で、痛みを避けるように行動していた。転ばないように、怪我をしないように、慎重に。
……でも、だからなのかもしれない。ふと思う。
今回、私は痛みを思い出した。だからこそ、思うことがあって――
◆
目が覚めると、ログが膝枕してくれていた。
ログのお腹に背中を向ける様に横になっていて、足に触れる横顔からログの体温が伝わってくる。
「……ログ?」
「お嬢、起きたのか」
顔を上に向けると、ログがこちらを見ている。
その顔は微笑んでいて、少し安心しているようにも見えた。
「お嬢、よく頑張ったな」
「……うん」
背中を軽く叩かれて、それが少し気持ちいい。
……ほう、と息を吐いた。
「痛みは大丈夫か?」
「……今は、大丈夫」
痛みはもうなくて、今は普段と変わりない。
そこは魔法神経のいいところだ。本物の神経ならそうはいかなかっただろう。
……まあ、さっきは死にそうなくらい痛かったけれど。
大人の意識で取り繕うとか、そういう次元を超えた痛みだった。
痛くて、どうしようもないくらい痛くて。
……でも、だからこそ、一つ思うところがあった。
「……ねえ、ログ」
「なんだ?」
「腕を見せて」
腕? と首を傾げるログの右手を引っ張って、私の前に持ってくる。
そして、袖をまくり上げると――傷跡が一つ出てきた。
それは、一カ月前。あの竜との戦いで出来た傷跡だ。
治癒魔法でも消しきれなかった大きな傷跡が、皮膚の色を変えて残っている。
「ログ、これ痛かった?」
「……ん? まあ、それなりに痛かったな」
それなりに、かぁ。
それは今日の私と比べてどれくらい痛かったんだろう。そんなことを思う。
……そう思ったのは、痛みを思い出したからだ。
私は今日、痛かった。とんでもなく痛かった。だから、この傷跡のことを思い出した。
ログは私を守ってくれている。
その中で、こんなに大きな跡まで残っている。
それだって、当然のように痛かったんだ。
私は鈍いので、自分が痛みに触れて、改めてそれを実感した。
「……ねえ、ログ。私はログに何を返せるかな」
「……なんのことだ?」
「いつも助けてくれるから、お礼がしたいんだよ」
ログが驚いたような顔でこちらを見ている。
「俺はお嬢の騎士だ。そんなもの必要ないさ」
「それじゃ私の気が済まないよ」
確かに、当然といえば当然だ。
それでも……いや、だからこそ、お礼がしたい。そう思う。
「なにか、私に出来ることはないかな」
「……」
ログが困ったように頬を掻く。
「……そうだな」
「うん」
「……生きていてくれたら、それでいい」
「……え?」
生きていたら?
それは……?
「どういうこと?」
「……お嬢、俺はな、守れなかったんだ」
「……」
「勘違いしていた。順番を間違えてしまった」
そこまで言われて、一つ思い浮かぶ。
それはもしかして、ログが前に仕えていた。
「俺が強ければそれでいいと思っていた。俺が負けなければ、全てを守れると思っていた。……だが、現実はそこまで単純じゃなかった」
「……」
「だから、今度こそ守りたい。そう願っている。お嬢が生きていてくれたら、それでいいんだ」
そう言ったログは、微笑んでいるのにとても悲しそうに見えた。
私の背を撫でる感触は少し弱々しく感じられて。
「……」
私は、そんなログになんて言えばいいのかわからない。
私はログの過去を詳しく知らないし、聴いていいことなのかもわからない。聴くのを躊躇してしまう。
それは私に大人の記憶があるからだ。
子供なら良かった。人の心の傷に鈍い子供だったのなら、無邪気に質問出来ていたかもしれない。
……でも、私の中には大人の記憶があって、触れない方がいいこともわかってしまう。
「……」
だから、口を閉じてログの目を見る。
ログの灰色の目はじっとこちらを見ていた。
「……」
なにか、ないだろうか。こんな時に言うべき言葉は。
そう思って言葉を探す。でも、私の頭には何も浮かんでこない。
……だから。
「……ログ」
「なんだ?」
「……守ってくれて、ありがとう」
「――」
そんなありきたりな言葉しか出てこない。
当然の言葉で、何も特別じゃない言葉。
――でも。
それなのに、ログは、なぜだか驚いたような顔をして。
「……どういたしまして」
少し寂しそうな顔で、そう言った。




