到達者と街
ログの背中で必死に恐怖と闘いながら、時が過ぎるのを待った。
金属音を避け、見晴らしのいい大通りを避ける。そうして、ゆっくりと、しかし確実に長屋へと近づいていき――。
「――む」
ふと、ログが足をとめた。
何か近づいてきたのかと思い、ログに回した手に力を入れる。
………………?
あれ、なんだろう、少し様子がおかしい。
音は聞こえてこないから、白いのだと思うけれど、なぜかログは顔を上げて空の一点を見つめている。あの化け物は空にはいないはずだけど……。
「この道は、ダメだな。少し引き返そう」
ログが踵を返し、元来た道を戻り始める。
そして、家と家の僅かな隙間を抜けて、隣の路地へと移動した。
「……何があったの?」
「ん、ああ。空におかしな生き物が浮かんでいてな。多分使い魔の類だと思うんだが」
言われて私も空を見る。
でも何も見えない。霧が濃すぎて、私にはっきりと見えるのはログくらいだ。
「……しかし厄介だな」
「そうなの?」
「ああ、小さくて気配が薄い。魔力もほとんど感じない。……これでは、距離があると察知できない」
嫌そうな顔でログが言う。
「仮に、あれがこれから先増えてきたら……すまん、先に進むのがさらに難しくなる」
「……そんな」
それでなくても迂回したり、騎士が通り過ぎるのを待ったりして時間がかかってるのに。これ以上時間が経てば、長屋に付く前にタイムリミットが来るんじゃ。
「どうにかする方法は無いの……? 昨日みたいに、屋根の上を移動するとか。走るのは無理でも、少しくらいなら」
「……それは難しいだろうな。昨日の騎士がいる」
昨日のって……レイシアの護衛騎士のこと?
「あれだけ闘気が強いと、距離があってもはっきりわかる。あの騎士は昨日いた尖塔から一歩も動いていない」
「え」
「今の距離だと、迷彩があっても屋根に上った瞬間矢を打ちこんでくるだろうな。そうなれば、他の騎士にも居場所がバレることになる」
……なにそれ。
そんなこと本当にできるの?
そもそも、こんなに霧が深いんだ。この距離ってログは言うけれど、それでも普通に歩いて一時間以上はかかると思う。それを、屋根に上がった瞬間に? 迷彩だってあるのに?
「……ほ、本当に?」
「ああ。お嬢、あれは恐らく到達者だ」
到達者?
「分かりやすく言うと、超越者の一種だ」
「……は?」
「人工的に作り出した超越者と言っていい。国のバックアップを受けて、十の死闘を乗り越えた騎士。それを到達者と言う。
……一般的に、国の最高戦力の一角になるだろうな」
「……」
……私たち、そんなのに狙われてるの?
いや、考えてみればそれも当然か。敵は王族の可能性が高いんだから、そりゃあ国で一番強い騎士も出てくるだろう。
……嫌な話だ。
敵が強いという情報ほど、聞きたくないものもそうそうないと思う。
おかしな生き物とやらも含めて、嫌なことばかりだ。
願わくば、せめてこれ以上事態が悪化しませんように――
◆
――そう祈り、しかしそれとは裏腹に、道行く先の敵の数は増えていった。
「……この道もダメか」
「……」
城――街の中心部に近づくにつれて、騎士や白い怪物の密度は上がっていく。そして、私の目には見えない生き物も増えているのだとログは言う。
「でも、ここを通らないと」
「……ああ」
ロークレインの構造は上空から見ると十字の形になっている。
十の中心部に城が建ち、その周りに貴族や一部の金持ちがすむ貴族街がある。そしてその周りを囲むように市場や店が軒を連ね、そこから東西南北に一般人の居住区が広がっている構造だ。
もちろん、居住区にも店はあるし、居住区の中心には大通りがあってそこも賑わっているが、大まかに言うとそんな感じだった。
水路が至る所に引かれ、丁寧に区画整理されたその構造は、街を造り始めた時から計画的に造られたのは間違いないだろう。街に入り口にあたる湖畔から街を見ると、真っ直ぐに伸びた道の先に巨大な城が見え、道の両脇の建物がまるで城を飾る装飾のようにも感じられた。
あまりの壮大さに、私もつい言葉を失って、しばらく目を奪われたほどで――。
――いや、それはいいか。
とりあえず今の問題は、構造的に街が十字になっていることと、陸とつながっているのが南側だけだと言うこと。そして私たちが住んでいた長屋は街の西側にあると言うことだ。
私たちは今日、南側から街に侵入し、長屋に向かっているのだけど……構造的に、中心部を一度通らなければ西側に辿り着けない。
「中心部は警戒が強すぎる。どの道も騎士や白いのが必ずいるし、空の使い魔も数が増えてきた。……これは難しいな」
通れそうな道を探して、でも見つからない。
どこもかしこも敵だらけだ。時間だけが刻一刻と過ぎていって、しかし打開策は何も浮かばない。
多少無茶をしてでも突破するべきかもしれないが、しかし現状では、一度でも見つかってしまえば終わりだ。それをするには覚悟が必要になる。
……どうすれば。
「しかし、どういうことだ?」
「……なにが?」
「あの騎士たちだ。練度が高すぎる。常に一定の間隔、一定の速度で動いている。行進中じゃないんだぞ? どうやったら互いの姿が見えない街中でそんなことが出来るんだ?」
……言われて、確かにと思う。
さっきからあの騎士たちは皆同じような動きをしているようだった。一組の騎士が角を曲がるかと思えば、次の騎士がタイミングを計ったように現れる。そのため、死角が全く無いように見えた。
それこそプログラム通りに敵が動くホラーゲームなら当然のことだけど、現実で出来ることじゃない気がする。
「普通は哨戒中でも速度に個人差が出るものだ。だからこそ、それが侵入するための糸口になったりもするんだが……こいつらは隙が見えない」
……ならどうすれば。
今こうしている間も時間は過ぎていくのに。
――と、ログが突然横を向いた。
「……白いのがこちらに来るな」
「……え?」
咄嗟に耳を澄ますと、遠くからずるりという音が聞こえてくる。
何かが地面を這うような音。それがだんだんと近づいているように聞こえて。
「……ど、どうするの?」
ログの耳元で囁く。
今いるところは狭い路地裏で、すれ違うようなスペースはない。いくら迷彩があっても近づけば必ずバレてしまう。でも反対方向に逃げたらそこには哨戒中の別の騎士がいて。
……え、これ逃げ場ないんじゃ?
そんな、こんなところで見つかる訳には。
混乱している間も音は近づいてくる。
でもどうすることも出来ない。両脇は家の壁だ。真っ直ぐに切り立った壁面が私たちの移動を阻んでいる。
とっさに、窓を探す。そこから家の中に侵入できればと思った。
しかし窓は遥か上、小さいものが一つあるだけだ。あれでは中に入れない。
焦りながら周囲を見る。
でも何もない。身を隠せるものもないし、この状況をどうにかできる魔法も知らない。
どうすれば。どうすることも出来ない。
時間がない。もう音はすぐそこから……。
……
……
……
濃い霧の向こうに、影が見えた。
それは何度も見た白い化け物だ。全長五メートルくらいはありそうなグネグネとした生き物が私にも見えるところにいて――。
「――」
――そして、私たちの下を潜っていった。
化け物は何事もなく真っ直ぐに通り過ぎていく。
「……」
改めてログを見る。
その右手、壁に添えているようにも見えるそれは……指先が壁にめり込んでいる。
ログはあの一瞬で上に跳び、壁に指を突き刺してそこに張り付いていた。
「……なんとかなったか」
……もうめちゃくちゃだよ。




