失意と
森の中をログに背負われながら進む。
あれから数時間。すでに日は昇り始め、朝露が葉の表面で光を反射していた。
「……」
なぜこんなことに、そんな疑問だけがあった。
なんで。どうして。意味のない思考だけが空回りするように頭の中をぐるぐる回っている。
何も理解できない、分からない。
嘘だと思いたかった。夢じゃないかと思った。
……でも、目を瞑っても頬を抓っても何も変わらない。変わってくれない。
どうしようもない現実だけがそこにあった。
ログはそんな私を背に、森の小道を歩き続ける。
そして――。
「――お嬢、門が見えた」
言葉に、顔を上げる。
そこには一月前にも見た小さな門があった。
……ここは、ロークレインの最寄りにある小規模な宿場町だった。
◆
「ロークレインが、ロークレインがとんでもないことになってる。濃い霧に包まれて、中と連絡が取れないんだ!」
「なんなんだあれは! 普通の霧じゃない! 仲間が一人あれに触れておかしくなっちまった。話しかけても反応がなくて、ふらふらロークレインの方に歩いて行って……止めようとした奴も霧に触れて同じようになっちまったんだ!」
町を囲む簡素な外壁の門では騒ぎが起きていた。
そこには行商人らしき人物や、その話を聞いて混乱する衛兵がいた。多くの人が慌ただしく出入りし、怒声や叫び声が飛び交っている。
「……」
その横を、流れに乗るように中へ入る。混乱している検問はあまり機能しておらず、特に呼び止められることもなく、あっさりと門を潜れた。
まあ、宿場町は基本的に誰でも入れるし、魔法使いと戦士は冒険者ならよくある組み合わせらしいので、混乱していなくてもきっと普通には入れただろうけど……。
……ただ、一カ月前は、呼び止められて大変だったから。
アニータさんが話をしている間、門の前に何時間も待たされて、皆で地面に座り込んで、そして数少ない食料を分け合った。
「……」
今、彼らはいない。
それをもう一度実感する。
◆
宿に入り、一部屋借りた。
そして、部屋の片隅にある椅子に腰を下ろす。
……疲れた。
「……しばらく休もう。お嬢、ベッドもあるし少し眠るか?」
「……ううん、今はいい」
眠くはある。深夜に起こされてあまり眠っていないからだ。
……でも、経験上、こういう時は眠れない。横になって目を瞑ると、嫌なことばかり考えてしまう。辛いことばかり瞼の裏に浮かんできて、逆に疲れてしまうだろう。
「じゃあ何か食べるか? 緊急用の保存食しかないが」
「……そっちも、いいかな」
食事。いつもなら朝食の準備をしている頃だ。
皆で料理を作って、皆で食べて。
……やっと、手に入れた平穏だったのに。
あの地獄みたいな実家から抜け出して、追いかけられて、山を越えて、皆で安住の地を探して。それでようやく手に入れた日々だったのに。
……たった、一晩でめちゃくちゃになった。
あんなに苦労して、ようやく辿り着いたのに。
「……みんなは、大丈夫なのかな」
「……わからない」
そうだ、わからない。ログにも私にも何もわからない。
だから、わからないからこそ怖い。皆がどうなったのか。もしかしたら、もう……。
「……ぅ」
あんな白い化け物が沢山いた街で、皆が無事でいてくれる可能性はどれくらいなんだろう。何事も無かったらいい。今頃普通に目を覚まして、私の部屋の瓦礫を見て慌ててくれていたらどれくらい嬉しいことだろうか。
……でも私はあの白いのに襲われた。
ログがいなかったら、どうなっていたのかわからない。
逃げる途中にも見えたんだ。
あの白い怪物は、家の中にも入り込んでいた。隙間から入り込んで中で蠢いていた。流れ矢が当たって倒壊した建物からは沢山の怪物が飛び出してきて。……それはもしかしたら、中に居る人を……。
「……」
あのときは逃げるしかなかった。
矢が降ってきて、騎士たちが追いかけてきたからそれしかなかった。その判断は間違ってなかったと思う。
でも、落ち着いて、冷静に考えることが出来るようになると怖くて仕方ない。
もし、もしも彼らが死んでいたら……。
「……ぅう」
吐き気がする。もう嫌だ。
なんで、どうして、私の大切な人はこんなに簡単にいなくなるんだろう。
私が何をしたというの? それとも何もしなかったから? それはこんな目に遭わなきゃいけないくらい悪いことだったんだろうか。
頑張っていた。今度こそ手放したくなくかったから。
でも今、私の手の中からほとんどが零れ落ちてしまった。
……レイシアだってそうだ。
なんで私に弓を向けたんだろう。友達だと思っていたのに。友達だって言ってたのに。
それとも嘘だったんだろうか。
本当は私のことなんて何とも思ってなかったんだろうか。
だって身分が違う。私だって釣り合ってないと思ってた。それでも、レイシアがそんなのは気にしないでと笑っていたから。
それも、全部嘘だった?
「……」
虚脱感があった。
疲れて、もう泣きたかった。
「――お嬢」
でも、目から涙がこぼれる前に、ログの声が聞こえた。
静かな、でも力を持った声。
「……なに?」
「これから、どうする?」
「……」
「どうするかは、お嬢が決めてくれ」
顔を上げる。ログがこちらを見ている。
決める……私が?
……でも疲れてる。それに考えると不安になって、怖くて仕方ない。皆がどうなったか、怖いんだ。
大人の意識があるからって、いつだって冷静に考えられるわけじゃない。むしろ大人の記憶があるからこそ、皆の現状が絶望的だと理解できる。街があんな状態になって、なのに無事なんてありえるの?
……だから、考えるのが苦しくて。
「……ログは、どう思う?」
「お嬢、今回は俺に判断を委ねるな」
「……え?」
聞いたこともないような厳しい声だった。
だって、ログはいつも私を気遣ってくれていたから。
「俺に任せると言うのなら、すぐにここから離れる。あの街には戻らない」
「な、なんで?」
「知らないからだ。こんな状況、これまでに見たことも聞いたこともない。……それでは、お嬢を守りきれないかもしれない」
「……」
そう、かもしれないけど。でも、ログは。
「以前、言っただろう」
「……?」
「俺は、もう二度と順番を間違えない。大切なものを最優先にすると。……今の俺にとって、なによりも大事なのはお嬢だ」
……聞いた覚えがある言葉だった。
まだ出会ったばかりの頃、ログが確かにそう言っていたような。
「……だが、俺もお嬢の意志を無視するつもりはない。だから、お嬢。お嬢自身が決めるんだ」
「……」
でも、そう言われても。
もし、皆が手遅れだったら。そう思うと、怖い。
「……ただ、一つお嬢に言うことがあるとすれば」
「……なに?」
「死んでいるかもしれないということは、言い換えれば、生きているかもしれないということだ」
「……え?」
それは……それは?
「……ぁ」
それは、言葉遊びのようなものかもしれない。同じ意味。表から見ていたものを、裏から見ただけの話。
……でも。
……それでも、その言葉には希望があった。
もしかしたらとそう思えるような響きがあった。
「……!」
そうだ。生きているかもしれない。
だったら、すぐに動かなきゃいけない。こんなところで蹲っている場合じゃない。
「……ログ」
「どうする? お嬢」
「街に、行こう」
「……そうか」
思い出す。私は何のために頑張ると決めたのか。
本気で生きて、幸せになると決めたんだ。
だから、前を向こう。
怖くても出来ることを精一杯やらなくちゃいけない。
「わかった。それなら、俺は全力でそれに応えよう」
「……うん、ありがとう」
「なに、それが俺の役目だ。……ああ、それと、あの王女はどうするんだ?」
「……あ」
……そうだ。それも問題だ。
どうして私達に攻撃したのか。なんで町はこんなことになったのか。どうしようもない事情があったのか。事情があったのならどんな事情なのか。……そして、私のことをどう思っているのか。
わからないから、少し悩んで。
……そういえば、この前の別れ際も泣きそうな顔をしていたなって思って、やっぱりレイシアは今日のことを知っていたのかなと考えて。
……だから。
「会えるかわからないけど……会えたら、とりあえず話を聞いて」
「ああ」
「納得できなかったらビンタする」
「……ん?」
心が少し前向きになった。
そのせいか、そんな答えが出てきた。
まず、理由を聞こう。それでもしも理解できなかったらそうする。
だって、私は攻撃された。だからやり返す権利があると思う。
その後のことは、それから考える。
……皆が無事かどうかによって、色々変わってくるだろう。
「……そうか。いいんじゃないか?」
ログが笑って言う。
なんだか妙に楽しそうな顔だった。
「行こう、ログ」
「ああ」
皆がどうなったのか、怖くて仕方ない。
……でも、まだ出来ることがあるから。
頑張って立ち上がって、部屋の外へ一歩足を踏み出した。




