逃走
凄まじい音が街中に響く。
衝撃は空気をビリビリと震わせ、波のように周囲に満ちていた霧を吹き飛ばした。
銀と蒼の激突が視界に焼き付いている。
目が眩みそうな光が、真っ暗な空を一瞬塗りつぶしていた。
「……な、なにが……?」
混乱し、呟く。今度は何が起こったのだろうか。
……何もかもが分からない。
「――?」
と、そんな私の横に何かが落ちてくる。コンクリート造りの屋根に、カランと軽い音を立てて……それは見覚えのある形をしていた。
「……矢?」
「ああ、そうだ」
それは砕けていて、もう原形はとどめていない。でも、矢じりの羽だけは見てわかった。かつての世界にあった、初心者マークにそっくりな形。きっと力学的な意味を持って決められたそれは、この世界でも変わりはない。
「お嬢、あいつだ。城の上に一人立っているだろう」
「……城の上?」
言われて、遠く離れた城に目を向ける。
眉を顰めて上を見るログの視線を追った。
――そして、確かにそこに人はいた。
その人は、月を背にして立っている。王城の横に建つ尖塔の上だ。巨大な何かを持っていて――持ち主の体の倍はありそうな大きな曲線が、蒼い光に包まれて輝いている。
……あれは、まさか弓?
呆然としている間も事態は進む。
視線の先、遥か遠くに立つ人は、こちらに弓らしきものを向けて――。
「……あ」
――轟音。
蒼色はあちらとこちらの距離を一瞬で踏破して、それを銀色が迎撃する。
……狙われてる?
なんで? どうして?
……あの人はこの街の異常と関係があるの?
「……この闘気、覚えがあるな」
「……え?」
「あの王女に付いていた近衛騎士だ」
王女……レイシアのこと?
でも、そんな。
「う、嘘でしょ?」
「……嘘じゃない」
「なんで、レイシアの護衛騎士がこちらに矢を撃ってくるの?」
「……わからない」
……どういうこと?
なんでレイシアの騎士が私を攻撃するの?
まだ会って少ししか経ってないけど、でも私達は友達だったはずで。
……頭がおかしくなりそうだった。
ついさっきまで平和だったはずだった。ほんの数時間前まで皆で笑って晩御飯を食べてたんだ。なのに、どうして。
混乱してパニックになりそうで、そんな頭を大人の意識を前に出して必死で保つ。
落ち着けと。それだけが今の私にできる唯一のことで――。
「……お嬢、すまない。もう一つだ」
「……え?」
「城門が開いた」
――遠くから、重く、金属の擦れる音が聞こえてくる。
天を衝くほどに巨大な城。その城門はそれだけでも人の数倍以上の大きさがある。金属で造られた重い扉は人の力では開くことすらできない。しかし、鎖と機構の力で少しずつ開いていく。
――そして、足音。
聞き覚えのある音。金属の鎧が石畳の地面を叩く音だ。一つや二つじゃない。幾十、幾百の音が重なり合っている。
「――」
――城門の向こうには、数えきれないほどの騎士がいた。
「……あ! もしかして街の異常を見て出てきたのかな?」
咄嗟にそう思う。だって、街はこの惨状だ。
街の治安維持も騎士団の仕事の一つ。だからきっと――。
「――どうだろうな」
騎士団は行進を続ける。前へと一直線に。
一歩一歩、足を前に出し続けて……。
「……あれ」
……異常に気付いた。
騎士団が動揺しているように見えない。変な白いものが街を埋め尽くしているのに、歩く速度は一定だ。普通に歩いている。
……普通だからこそ、おかしい。
なんでこの異常事態に驚いていないの?
――そしてそのまま、騎士団は白い怪物の元へとたどり着く。
白く、気味の悪いそれは、騎士団に頭を向けて――
――しかし、何もせず、逆に道を開けた。
「……え」
白い怪物が道の端に寄る。
足の踏み場もなかったはずの場所に、新しく道が出来る。
そして、その道はこちらへ続いているように見えて。
……こっちに向かってきてる?
「………………まさか、この異変は王族に関係があるのか?」
ログの声。
普通なら到底あり得ないことを言う。
だって、この街は王族のものなんだ。己の持ち物にこんなことをする人間がどこに居るだろうか。それも幾百年もの時をかけて築き上げたものに。
巨大な街。水の城。美しく、大陸中に名が知れている都。
先祖代々、どれほどの努力と苦労の果てに造り上げてきたのか想像すらできない。
……なのに。
「……」
「……これは、ダメだな。一度撤退する他ない」
ログが言う。その声と同時に蒼色が降ってきて、それをログが弾き飛ばす。
騎士たちは開いた門からこちらに向かって行進している。決して速くはないけれど、こちらに向かって確実に近づいてくるのが分かる。
「悪い。弓だけならまだしも、あれだけの騎士に囲まれたらお嬢を守れないかもしれない」
「……うん」
……混乱している。
でも、ログの声だけはしっかりと聞こえた。
……だから、従う。きっとログの判断が正しい。このままここに居ても事態は悪化するだけにしか思えない。まともに動いていない頭でも、それくらいは理解できた。
「……行こう。障壁を決して切らさないように注意してくれ」
ログが駆けだす。その腕を離さないように、しっかりと手に力を入れた。
家の屋根を足場に街の上空を駆けていき――。
――そんな私たちを追いかけるように、矢が空から降ってくる。
ログはそれを打ち払いながら前へと進む。
後ろからは騎士の足音が聞こえてくる。その音に追い立てられる様に前へ、前へと。
「……あ」
その途中、私たちから逸れた矢が、一つの建物に突き立った。
蒼い輝きが弾け、石が砕ける。
弾けた瓦礫は吊られていた看板を弾き飛ばし、地面に落ちた。……そして、少し遅れて建物全体が崩れ始める。
「……」
――その建物は、私が働いていた治癒院だ。
「……」
手に力を入れる。
ログはそんな私を抱えて、夜の街を駆けていった。
……中心部から離れる度に靴の音は遠ざかっていき、降ってくる矢の数も減る。
ふと、一月前のことを思い出した。
そういえば、実家から逃げる時もこんな感じだった。
ログの腕に抱えられて、後ろから飛んでくる砲撃を避けて。私はログの腕に縋りついて、混乱していて。
……本当にそっくりだ。
……でも、ただ一つ、大きく違うことを言うのなら――。
「……ねえ、ログ」
「なんだ、お嬢」
「……皆は」
「……………………すまない」
――今回は、後ろに大切な人たちがいる。
私たちは彼らを置き去りにして逃げ出しているんだ。




