治癒院と努力
ところで、治癒院とはどういう施設か。
それを改めて説明すると、それは地球での病院と言うのが一番正しいだろう。
怪我の治療や病気の症状の緩和などを行う施設で、違うのはこの世界では診断にも治療にも魔法が使われているということだ。
地球では治療を病院で行っていたように、こちらでは治癒院で人を癒し、治す。
使われている技術は全くと言って良いくらい違うし、必要とされる能力も全く違う。しかし、そこに怪我人や病人が治療を求めて集まるという点では同じだ。
世界は違えど、今日も病や怪我に悩む人は待合室に座り、自分の順番がやってくるのを待っている。
「あら、ありがとうお嬢さん。痛みが薄れたわ」
「いえいえ」
そんな治癒院の一室、六畳ほどの部屋の中。
私は治癒院に勤める新人治癒師として一人のおばあさんと向き合っていた。
「季節の変わり目は古傷が痛んでねえ……」
「お役に立てたのなら、良かったです」
今日の患者は鬼族のおばあさん六十二歳。
元高位冒険者だった人で、若いころはオオカミやクマの魔物をちぎっちゃ投げしていたらしい。しかし、四十前に大きな傷を付けられてしまい、引退したのだとか。
それで今はこの都市の一角で定食屋を営み、平穏に暮らしているらしいのだけど、時折古傷が痛みだして辛いので、そういう時は治癒院で治癒魔法をかけてもらうらしい。
治癒魔法が古傷の痛みに効くなんて教本に書いてなかったけど……しかし現場では当然の話だと聞いたので、この業界の現場と教育の差は大きいのかな、なんて思ったりした。
「それでは、お世話になりました」
「おだいじにー」
そして、そんなことを考えているうちに、おばあさんが部屋から退出していく。
それを愛想笑いを浮かべながら見送って――。
「――ふう」
溜息をつき、背もたれに体を預ける。
疲れた。頭に疲労感が圧し掛かっていて、少し額の辺りが熱くなっている気がした。
魔力はまだあるけど、頭が疲れるんだよね……。
軽い治癒魔法をかける仕事なんて、別にそこまで大変じゃないと思っていた。でも実際にやってみるとこの有様だ。
「お疲れ、お嬢。茶でも飲むか?」
「あ、うん、ありがとう、ログ」
「次の患者はいないようだ。しばらくゆっくりしてくれ」
ログが労わりながらコップにお茶を注いでくれる。
それを口に含むと冷たい水が喉を通っていく感覚がして、それが心地いい。自分の喉が渇いていたんだと今更ながら実感した。
集中していたし、頑張っていた。
これは遊びじゃなく、お金をもらって行う仕事だし――。
――それに、これはある種の訓練にもなっている気がする。
患者ごとに症状が違い、必要な魔力量も違う。それを踏まえ、効率を考えて治療を行うと、それまでより少し成長できる気がした。
「……まあ、すごく疲れたけど」
「今日は患者も多いし大変だよな」
うん、それも確かに間違いない。今日は朝から患者の数が多くて、いつもの倍くらい疲れた気がする。
今働いているところは、このロークレインの街でもそれなりに大きな治癒院だ。場所も中心部に近い。だから、必然的に患者の数も多くて。
「……」
……まあ、あまり贅沢は言えないんだけど。
何せこれでも十分すぎる位恵まれている身だ。本来なら私の立場で現状はあり得ない。
そもそも、私たちは不法入国者だ。
国境の関所で入国手続きを受けて入国しなければならないのに、山脈を越えてこの国に来た。
この国の戸籍制度は日本ほど厳しくはないけれど、しかし、きちんとした身分もない私たちは立場的に流れてやってきた冒険者と変わりがない。それこそ街から追い出されて湖から離れたスラムの住人になっていてもおかしくなかった。
だから、今みたいに街の中の長屋に住んで、こうして真っ当に働いて、市民として暮らせているのはとても幸運なことで――。
――つまるところ、彼女のおかげなのだろう。
あの日私の前に現れた、青い髪の少女。身分は違えど、私の新しい友達になった人。
「――」
ふと、窓の外を見ると、そこには白亜の城の姿がある。
この街のどこからでも見ることが出来る、天を衝くほどに巨大な建造物。
この都市、ロークレインはファート王国の首都だ。
つまり、必然的にあの城こそが、この国の王族が住んでいる王城だった。
◆
しばしの休憩。ゆっくりと頭を休める時間。
冷たいお茶を飲み終わり、今度は暖かいお茶を啜っている。気温がちょっと低いし、お腹は冷やさないようにしないと。これはこの体になってからの知恵だ。
「しかし、お嬢は努力家だな」
「へ?」
と、ログが突然そんなことを言い出した。
脈絡もなく褒められてビックリする。
驚きすぎて手に持ったお茶を落としそうになった。
……努力家?
「そ、そうかな。そんなことは無いと思うけど」
むしろ逆じゃないだろうか。これまでサボりすぎてた結果が現状なわけで。
そりゃあ今は少し頑張ってはいるけれど……。
「失敗も多いし……」
「いや、失敗なんて沢山して当たり前だろ? 成長しようとしてるんだ。むしろ失敗しない方が問題だ」
「……えっと」
「大事なのは失敗を恐れないこと。そして失敗しても諦めないことだ。お嬢はそれが出来ている。だから努力家なんだと俺は思う」
「え、えっと、その……」
……な、なんだろう……!
なんだかすごく褒められてる気がする……!
背筋の辺りがむずむずするような感覚。嬉しいけど、恥ずかしくて。
私はあまり褒められ慣れてないというか……いや、父やマリーは褒めてくれたけど、なんというか、家族から褒められるのとそれ以外の人に褒められるのは違うと言うか……。
いやいや、ログだってもう家族というか、今の私にとって一番近いと言える人だとは思うけれど、でもなんというか……その……。
「……そ、そうかな……?」
「ああ」
そわそわする。ニヤケそう。
落ち着かなきゃと思うけど、でも普段落ち着いてるはずの大人の意識も慌てている。というか、前世の記憶とか今世以上に褒められた記憶がない。そりゃそうだ。褒められるようなこと何もやってないんだから。
褒められると嬉しい。それに年齢も性別も関係ない。
久しぶりに子供と大人が重なり合うような感覚がある。二人して喜んでいる。努力家。大人でも子供でも言われて嬉しい言葉。
大事なのは失敗を恐れないこと。そして失敗しても諦めないこと。
なんだか、ログにそう言われると、かつての失敗もなんだか喜ばしいことみたいに思えてくる。そうだ、この街に来てからした数々の失敗も――。
「料理だって毎朝頑張ってるしな」
「――――――あ、うん」
あ、それは止めて欲しい。思い出したくない失敗ナンバーワン。
舞い上がっていた心が一瞬で沈静化して地に沈んでいく。
いくらログに褒められても限度がある。褒められてもいい思い出にはできない失敗はあるのだ……。
「……」
……いや、その。
何があったのかといえば、あと一歩で食中毒だったというか……。
……だって、見た目がニンジンのくせに、根っこに毒があって可食部位が葉っぱだとか普通思わないじゃん……?
いや、確かにおかしいとは思ったよ? 妙に葉っぱが大きいなあ……とか、その割に細いニンジンだなあ……とか。疑問には思った。
でも、農業技術が前世ほど発達してないし、ちょっとくらい小ぶりでも仕方ないかなって。
……マリーが見ててくれなかったらどうなってたことか。
死ぬほどの毒じゃないらしいし、解毒魔法もあるから大事にはならなかっただろうけど、それでも一歩間違えたら。
「……」
思うに、あのニンジンモドキは日本でのジャガイモの芽に似ている気がする。
当然のように店先に並んでいて、しかし毒がある。
常識として対処法を皆知っているから問題ないけど、でもその常識がなかったら……という訳だ。
……まあ今回は前世の影響もあるけど。
似たような形のものでも一緒にしないよう気をつけないとって思った。
そもそも、この世界にあるもので日本と同じものなんて、きっと何もないのだ。
例えば小麦だって、外見がそれっぽくてパンの材料に使われてるから私が勝手に小麦って言ってるだけで、多分別の植物だし。
この世界にはこの世界の言葉があって、私だって頭の中以外ではそちらを使っている。小麦なんて名前は私が勝手に訳してるだけなんだから。
そして、だからこそきちんと区別をつける必要があるんだろう。そう思った。




