新しい日々
お久しぶりです。今日から第二部一章開始です。
今回は毎日投稿は出来ないので書けたら投稿という形になります。
最低でも週に一回は投稿したいと思っているのでよろしくお願いします
『ねえ、私たちお友達にならない?』
それは少し前のこと。
突然私たちの元を訪れた少女は、とても澄んだ笑顔でそう言った。
美しい水色の髪。風に揺られて少し広がったそれは、まるで空のようにも透き通った海のようにも見えて。そんな髪をそっと片手で押さえて、彼女は笑っていた。
『え、お、お友達、ですか?』
『ええ、あなたとは仲良くなれそうだなって思ったの』
上品に口元を押さえて彼女は言う。
しかし、それは普通じゃない。だって身分が違う。私は貴族の生まれといっても家から逃げ出して身で、でも彼女は――。
『――ダメかしら?』
『い、いや、その』
思う。おかしいと。
私と彼女じゃ釣り合わない。たとえ只の友人だとしても。
これまでの十一年間で培った貴族的な思考回路が、そんなのは間違っていると言っている。
そして合理的にモノを考える過去の記憶も言っている。
この言葉には裏があるんじゃないかと。そうだ、私の騎士が目的なのでは、なんて考えて。
……でも。
『……その』
なぜか、確信があった。彼女は本心からそれを望んでいる。
打算でもなんでもなく私と友達になりたがっていると。
どうしてかそれが分かったから、悲しそうな顔をしているのが見ていられなくて。
それにその直前、彼女に助けられたという恩もあった。
……だから。
『……えっと、私で良ければ』
『本当? 嬉しいわ、ありがとう。じゃあ今日から私たちはお友達ね?』
……そうだ。
……だから、私は頷いたんだ。
◆
朝、窓から差し込む日差しで目が覚めた。
「……ん……まぶしい……」
閉じていた瞼越しに視神経が刺激される。
見ると、部屋の壁にある木製の窓は少し開いていて、その隙間から入ってきた光が丁度私の目に当たっていた。
「……ふわぁ」
欠伸をしつつ、起き上がる。そして軽く背伸びした。
毛布から出ると、少し肌寒いくらいの気温。それに思わず身震いしながら、傍に用意しておいた上着を羽織る。
「今朝はまだ冷えるなぁ……」
季節的には春と夏の間だけど、この土地の朝はまだまだ肌寒い。
実家の屋敷にいるのなら、もう毛布はクローゼットに行っている頃だ。でも今いるこの街は少し特殊な立地になっているから。
「――でも、空気は気持ちいいよね」
冷えた空気が胸に入ると清々しく感じる。
冬の冷気ほど刺々しくはなく、しかし一瞬で温まるほど生温くない。
「……はふう」
深呼吸し、なんとなく窓へと近づき外を見る。
ちょうど私の目の高さにあるそれは、防犯上小さめに作られていて、でも向こう側を見るのに支障はなかった。
「……」
窓の外。そこにはこの長屋の庭があり、その奥には水路がある。朝早くにもかかわらず、大小さまざまな船が行き来している大きな水路。
まだ日は低く、街に人の気配は薄い。
しかし水路だけは賑わっている。
異国の風景。
故郷とは全く違う思想のもとに建築された都市の姿。
――水の都、ロークレイン。
それは大陸中に知られている名だった。
ファート王国の首都にして、世界で最も美しいとさえ言われる都市。大きな湖の上に造られた水上の街だ。
「……」
水面が煌めき、まぶしいほどに輝いている。
水の流れる音がして、船が水をかき分ける音がする。
流れる水は都市の傍にあるとは思えないほどに透き通っていて、見ているだけでどこか心安らぐものがあった。
――だから、つい、ぼうっと眺めてしまう。
「――」
「――お嬢?」
「……へ?」
と、横から声がかけられた。もう聞き慣れた声。
低く、はっきりとした響きが耳の中に入ってくる。
「……ログ?」
視線を動かし、声の方向を見る。
庭の片隅。そこには私の護衛騎士がいた。
薄手のシャツとスラックスを身に着けた姿。
それは先程上着を羽織った身としては肌寒そうに見えて――手に持った剣と、汗で少し張り付いたシャツに気付く。
「……庭で剣を振ってたの?」
「ああ、気持ちがいい天気だったからな」
言われて空を見ると、そこには抜けるような青空。
雲一つないそれは眩しくて、たしかに運動日和と言えるのかもしれない。
「折角だしお嬢もどうだ? 」
「……いや、それはいいかな、うん」
……とはいっても、私は遠慮したいけど。
特に朝は。寝起きから運動したくない。訓練なら頑張るけど、それ以外で体を動かすのは嫌いだ。私は前世からインドア派である。
「ほら、私は朝食の手伝いがあるから……」
なので、最近手伝っている家事を理由にして断ることにする。
一応私はログの主なのだけど、断るのに理由をつけてしまうのは、私がその辺りに厳しかった日本人だったからなのか、それとも相手がログだからか。
――強く出るには恩が多すぎるから。
「そうか。なら仕方ないな」
「うんうん、仕方ないよ。――あ、じゃあそろそろ準備するから」
幸い、ログもあっさり納得してくれた。
なので早速台所へ向かうことにする。何か間違いがあったら嫌なので出来るだけ早急に。
笑顔で頷くログに笑顔で返し、窓を閉めようとして――
「あ、そうだ」
「うん?」
――と、そこで気付く。
大切なものを一つ忘れていた。
「おはよう、ログ」
「ああ、おはよう、お嬢」
忘れていた挨拶をして、今度こそ窓を閉じる。
そして食堂へ向かうべく急いで準備することにした。
◆
フードをしっかりと被り、紐を結ぶ。
壁に掛けられた鏡の前で髪が外に出ていないかを見て、問題ないことを確認し、一つ頷いた。
「うん」
部屋から出る。
部屋の外はもうとっくに活動を始めていたらしく、色々な音が聞こえてきた。
まな板の音に、小走りに移動する音。
話し声に、少し潜めた笑い声。その中には子供たちのものも混ざっている。
「……遅れちゃったかな?」
皆はもうしっかりと起きて朝の準備をしているみたいだった。
それに遅れてしまったことを少し申し訳なく思いつつ、小走りで声のする台所の方へと向かう。
別に朝食の準備は私の仕事という訳ではない。しかし任せっきりというのも申し訳ないので出来るだけ手伝うようにしていた。だって私はもう貴族ではないのだし。
「――あら、おはようございます、お嬢様」
「おはようマリー」
台所に入ると、マリーが笑顔で迎えてくれた。
それに私も挨拶を返し、台所に居る他の人達にも声をかけていく。
「「「おはよう、お嬢様!」」」
「……ははは、うん、おはよう皆」
まだ小さい子供たちから元気のいい挨拶をもらいつつ、エプロンをつける。
しかし、子供たちは元気がいいなあ……。
……いや、私も子供なんだけど。一応。この体は。記憶はおっさんが混ざってるけど。
「……さて、マリー、私は何しよう」
「芋の皮をむいて貰っていいですか?」
うん、と返し、手を洗って包丁を握る。
そして積まれた芋を一つ手に取った。
刃を芋の表面に当て、くるくると皮をむいていき――
――
――
――
――
……しかし、そろそろ一か月か。
手を動かしながら、そんなことを思う。
山脈を越えて、国を出て――この国に来て、一月。
あのとき、森から出た私たちは、いくつかの村を通り過ぎてこの都市に来た。
そうしたのは共に山を越えたみんなで話し合った結果であり、仕事や隣国の人間という出自も考えた上で、それが最もよいだろうと結論が出たからで……。
「……」
……いや、しかし大変だったなあ……。
ここに至るまでにいろいろ苦労があった。
騎士団から逃げきって、国境を越えても全てがめでたしめでたしになるわけじゃない。むしろ始まりでしかなかった。
あのときの私たちに保証されていたのは身の安全だけ。お金はあんまりなくて、住む家も仕事もなくて、それをもう一度取り戻さなければならなかった。
……うん、もう本当に。
挙句の果てにログにまつわることでひと悶着あった時はもうどうしようかと……。
「……はあ。
……あ、マリー、芋終わったよ」
「あ、じゃあ火の準備をしてもらっていいですか?」
……でもまあ、今はこうしてなんとかなっている。
あのときの皆でこの街に長屋を借りて、一緒に住んで。問題がないわけではないけど、それでもこうしてゆっくり朝食を作っている。
「――そういえば、お嬢様は今日も治癒院ですか?」
「うん、その予定だよ」
マリーと一緒に並んで、料理をして、雑談をして。
一カ月前の日々が嘘みたいな平和な時間がここにある。
「マリーは喫茶店だよね?」
「はい、ようやくこちらのお茶にも慣れてきました」
会話しながら隣に立つ人の顔を見る。
一度は失ったけど、でも取り戻した笑顔。それが、あの逃走劇の果てに私が手に入れたものだ。
「――」
――国を出て、今の私はそんな生活を送っていた。




