森の先へ
竜が倒れて、少しした頃。ログが私たちの所に戻って来た。
緊張から解放されて少し呆然としているところに、森の中からあっさりと顔を出して。
「お嬢、大丈夫だったか?」
「……それは、私のセリフだよ!」
しっかりとした足取り。ふらついている様子もない。
……でも、その姿は泥と血に塗れていて――衝撃を受ける。
だって、ログはこれまでずっと、どんな時も平然とした様子で落ち着いていたから。
その姿が竜との戦いがどれほど大変なものだったか表しているように見えて。
もちろん竜と戦ってそれで済んでいるのが凄いことだということは分かる。
……それでも。ログが竜と戦ったのはきっと私のためだから。
「ログ、怪我は!? 怪我があるならすぐに治療するから」
「大丈夫だ、少し擦り傷があるくらいだよ」
ログはそんなことを言うけれど、でも信じられない。その場に座らせて上着を脱がせる。そして近づいてきたアニータさんと一緒に傷をチェックして――。
「――どこが擦り傷なんだい?」
「擦り傷だ。別に骨が見えているわけでもない」
アニータさんが呆れたような声で視線を向ける先。
二の腕から先が、深く抉られて血みどろになっていた。背中には大きな裂傷があって、手の平も皮が剝がれたようになっている。
「お嬢様は腕の方をお願いできるかい? 私は背中を治すから」
「あ、う、うん」
こんなにひどい怪我を見るのは初めてだ。思わず怯みそうになるけれど――でもそれよりずっと大切なことがある。
今は一刻でも早く治さないと。そう思って。
魔力を両手に集めて、治癒魔法を発動して――
「……お嬢」
「うん」
「……泣かないでくれ」
「…………うん」
なぜだろう。真っ赤な傷跡。そこに治癒魔法をかけていると、涙が溢れて来た。理由がわからない。ログが怪我をしたのが辛いのか、傷が怖いのか。ログが無事に帰ってきてくれたことが嬉しいのかもしれないし、その少し前、竜の恐怖から解放された安堵もあるかもしれない。
分からなくて、でも涙が次から次へと湧きだしてくる。
いい年をした大人なのに。そう思うけれど、どうしても止まってくれない。
「……」
「……」
しばし、無言の時間が過ぎる。森のざわめきだけが当たりに響き、鳥の鳴き声一つ聞こえてこない。
その静けさの中。鼻をすすりながら、一つの事実だけを噛みしめる。
――ログは、生きている。
それだけを強く感じながら、治癒魔法をかけ続ける。
治癒魔法をかける手の平。ログの二の腕に触れ、魔力を流し続ける。
「……」
手の平からは、ログの鼓動と熱が伝わってきていた。
◆
それから。日が落ちる頃。
拠点に帰った私達は、大きく息を吐く大人たちと、歓声を上げる子供たちに迎えられた。
空を横切るブレスに驚愕し、どうなったのか気が気じゃなかったそうだ。
そこに全員が無事に帰って来たので、心から安堵したらしい。
『今日一晩ゆっくりして、明日の朝に出発しよう』
アニータさんからそう言われ、一晩拠点で眠ることになった。
かなり目立っただろうし、追手とか大丈夫かなと少し思ったけど――。
『――あんなの普通、竜同士が殺し合いしてるとしか思わないよ。追手も竜がいるところにわざわざ来たりしないさ』
と、そう言われ、確かにそんなものなのかなと思う。
皆でお祝いとして、少し豪華な食事をとり、ログとシェルターに戻り、一夜明かした。
◆
翌朝の早朝。
荷物をまとめて出発する。
皆で一列になって前へと進み、山の向こうを目指す。
私とログは最後尾を任されて歩くことになった。山の先はあまり道が整備されていないので枝を切り払ったりと道を確認したりとアニータさんと他の大人たちが頑張るらしい。
私とログはのんびりついて来てくれと言われて――。
『――なあなあ、兄ちゃん、竜を倒したって本当か?』
『金色の、すごかったのに!』
ログはゆっくりする間もなく子供たちに群がられていた。
特に男の子たちに大人気で、休憩の合間にログに剣の振り方を聞く子もいたりして。
ログも子供の相手は慣れているようで、特に気負うこともなく子供たち相手に木の棒を削った木剣を作ってやったりしていた。
『俺も将来兄ちゃんみたいになるんだ!』
『……いや、俺みたいになるのはおすすめしないけどな』
目を輝かせる子供に、苦笑いしていたのが妙に印象的だったなあ、と。
◆
前へ、前へと進んでいく。何度か夜が来て、朝が来た。
家を出た後の数日が嘘みたいに穏やかな数日間。
山を越え、少しずつ先へ歩いて行った。
道を切り開きながらなのでどうしても時間はかかるけれど、でも落ち着いて悪くないとも思う。
ログは子供の相手をしたり、偶に近づいてきた魔物を追い払ったり。
私は障壁でサポートしたり、ときには靴擦れで歩けなくなった人に治癒魔法をかけたりした。
――そんな中、気になったのは前の方を歩くアニータさんだった。
私なんて比べ物にならない練度の魔法を使い、八面六臂の大活躍だ。道を切り開くところから、浄水に虫よけ、寝床の確保や食料の保存、大人たちの指揮などありとあらゆることを先頭に立ってこなしていく。
そんな姿を見ていると、かつてログが言っていたことを思い出した。
魔法使いの強みはありとあらゆる環境で活躍できることだ、と。今の私には遠い言葉ではあるけれど……。
……でも、少し目標が見えた気もした。
◆
――そして、その日が来る。
もうすっかり慣れた雰囲気の中、ただ足を前に出して――
「――木が、無い! 道だ! ついに森から出たぞ!」
先頭から声。そして歓声。喜びの声が伝わってくる。
そして少し遅れて「静かにしな! 変な目で見られたらどうするんだい!」なんてアニータさんの声が聞こえてきて。
……でも、その声も少し弾んでいるように聞こえた。
「……着いたんだ」
隣の国へ。故郷を出て、山を越えて。
あと少し歩けば、きっとそこは隣の国だ。……いや、山を越えた時点でそうなのでは? という野暮なツッコミは置いておくとして。
「――!」
前を歩いていた子供たちが歓声を上げて走っていく。
あっという間に目の前から人がいなくなってログと私の二人が残された。
「お嬢はいいのか?」
「……うーん、今はゆっくり歩きたい気分かも」
あと僅かな森。そこをログと歩きたい気がした。
穏やかな昼下がり、木漏れ日が落ちる道を、ゆっくりと歩く。
「……あ」
そんなとき、ふと思うことがあった。
なにかと言えば、少し前にログと話したことだ。
「ねえ、ログ」
「なんだ?」
「前言ってた、これからの目標についてなんだけど」
それは何度かログに問いかけられたこと。
国を出たら、何をするか。何をしたいか。
その質問に、あのときの私は答えられなくて――。
「決まったのか?」
「――実は、細かいことは決まってないんだ。だって私はこの世界について何も知らないから」
箱入りの私は何も知らない。だから、まずは知ることから始めなければならない。
とりあえず街に行って、ドルクが言っていたように冒険者ギルドに行ってみるのもいいだろう。
「でも、大まかな目標というか……決意というか。そういうのだけ決めたんだ」
「……聞かせてくれるか?」
決意。目標。
それは竜と戦う前の日、ログに宣言したことでもある。
「強くなりたいし、もっと頑張りたい。
失わなくても済むように。今度はちゃんと守れるように」
「……ああ」
必死に生きる。そう決めた。ほどほどなんかじゃなくて、流されたりしないで、ちゃんと自分自身の足で。
あの日の決意は鈍っていない、必ずそうしようという意志がある。
――そして。
「そして、幸せになりたい」
「……ん?」
「なんのために強くなるかってことだよ。守れるだけの力を手に入れても、守りたいものが無ければ意味がないでしょ?」
かつての幸せは壊れてしまった。マリーは傍に居るけど、ドルクは未だ奴隷のままだ。どうすればいいかは分からないけど、でもいつか必ず、そういう想いがある。
「……もう一度」
幸せになりたい。
幸せだと思える場所をもう一度作り上げたい。そこに大切な人がみんな居てくれたらそれ以上のことはない。
「強くなって、幸せになりたい」
だから、そのために旅に出よう。
国を出て、色んなことを学んで、その先へ。
「――私は、幸せになるために旅に出る」
そう、決めたんだ。
私はこれからの旅をそういうものにしたい。
元大人のくせに、あやふやで中身のない決意だ。でも今の私にはちょうどいい。
空っぽの中身は、きっとこれから詰めていけばいいんだから。
「……そうか。いい目標だ」
「そう?」
「ああ、守りがいがある」
ポン、とログが背中を叩く。
その感触は優しくて、頼もしい。
胸の中に暖かい感情がある。
それを大切に胸に抱えながら――。
――私たちは、森の外に一歩足を踏み出した。
これで三章及び第一部逃亡編が完結になります。
ここまで大体十万字。文庫本一冊分くらいですね。よく一カ月で書き上げられたものだと自分自身に感心しております。頑張った。
さて、今後の予定ですが、一旦休憩させてください。
そろそろ限界というか……色々インプットする時間が欲しいので。
いつ再開になるかは分かりませんが、そのうち必ず第二部も始めたいと思っておりますのでその際はよろしくお願いします。




