開戦
夜が明けて、早朝。
準備を終えてログと二人集会所の前に行くと、そこではもうアニータさんとマリー、マークが待っていた。
「おはよう、よく眠れたかい?」
「うん」
「俺も昨日は軽く眠らせてもらった。体調は万全だ」
「そいつは重畳、じゃあ、早速だけど出発しようか」
アニータさんが歩きだし、そこについていく。
今日は五人で竜の近くまで行く予定になっていた。
竜から離れたところでアニータさんが隠蔽系の結界を張って陣を作り、そこからログが一人で向かって竜と戦うのだとか。
ちゃんと距離を取るので、運悪く流れ弾ならぬ流れブレスが飛んでこない限り、こちらに危険はほとんどないらしい。
……のだけど、実は最初ログは私がついてくることに難色を示していた。万が一があると。
でもアニータさんが――
『――いざという時、治癒魔法使いが一人か二人かでどれだけ生存率が変わるか知ってるだろ? あんたが死んだらお嬢様はどうなるか分かってるんだろうね?』
なんて言ってから、仕方なさそうな顔で頷いていたりして。
合理的に考えたら、私に流れブレスが飛んでくる可能性より、ログが大けがをする可能性の方が圧倒的に高いらしい。
……まあ私としても、安全なところに籠って、ログの帰りを待つのは不安なのでそちらの方がありがたい。
ログが危険な戦いに挑もうとしているのに、のほほんとしているのは嫌だ。頑張ると決めたばかりなのに蚊帳の外にはいたくない。私が役に立つ可能性があるんだったらなおさらだった。
「お嬢、大丈夫か?」
隣を歩くログが少し心配そうな顔で問いかけてくる。
それに対して自然と顔が笑顔を作り、返した。
「大丈夫。ログこそ頑張ってね」
「……ああ、任せておけ」
穏やかな空気だった。
それはきっとログがいつも通りだからなのだろう。
浮かんだ表情は穏やかで、これから竜と戦うとはとても思えない。
戦いの前とは思えない少し緩んだ空気の中、森を進んでいく。
遠くで鳥が鳴いている。木のざわめきが耳に届く。
ともすればピクニックに向かっているような、そんな錯覚を抱きそうなくらいで――
◆
――そんなものは、竜を見た瞬間吹き飛んだ。
「……なに、あれ」
まず最初に衝撃があった。見ただけで伝わってくる威圧に驚愕した。
そして次に恐怖があった。本能が教えてくれる力の差に魂が震えた。
「――あれが、竜だよ。
どうだい? 格が違うっていう言葉の意味が理解できただろう?」
アニータさんの声が遠く聞こえる。体の中の魔力が暴れている。あまりにも大きな力に意志の力たる魔力が揺れている。
魔法使いは外部の力に敏感だ。時に自分とは違う力を利用する魔法使いは、高位になればなるほど相手の力が推し量れるようになる。でも、まだ未熟な私はこれまでまともに外の力を感じたことはなかったのに。
力を肌が感じている。魂が怯えている。
今すぐに逃げ出せと、本能が叫んでいる。
「……お嬢、落ち着け。大丈夫だ」
「……ログ」
頭がぐちゃぐちゃになって、パニックになりそうなとき。
肩に暖かいものが乗った。ログの手だ。見上げると笑顔を浮かべている。
「……あ、あれと、ログは戦うの?」
「ああ」
……信じられない。
竜は森の先、山と山の狭間に寝ころんでいる。眠るように目を瞑った姿は、一見赤い色をした巨大な岩のようにさえ見えて。
翼が無く、首が長い。そして長い腕を体に巻き付けている。想像する竜とは全く違う姿。
……でも、それでも一目で分かる。そこに居るのが怪物だと。人間なんてあれと比べたら蟻みたいなものだ。そう感じる。
「……あ、あの、今からでも止めたほうが」
つい、そんな言葉が漏れる。でも本気だ。あんなものと戦ったら死んでしまう。
……ログに死んでほしくない。
考えが甘かった。知識では知っていたけど、全然理解してなかった。
あれは、人間が戦うものじゃない。
「安心してくれ。俺は勝つ」
「で、でも」
「支えると言っただろう?」
……それは、昨日の。
「大丈夫だ。お嬢は待っていてくれ」
ポンポンと背中を叩かれる。昨日の夜と同じ場所。
――なら、俺はそんなお嬢を支えよう。そんな言葉を思い出す。
「――」
――少しだけ、恐怖が薄れた。
揺れていた視界が定まる。足の震えが止まる。
「行ってくる。お嬢は自分の安全を第一にしてくれ」
「あ……」
ログが背から手を離し、竜に向かって歩き始める。
その背中が遠ざかっていき――。
「――ロ、ログ」
「なんだ?」
ログが振り向く。
「……頑張って」
「ああ」
咄嗟に、それだけを私は言って。
ログは、そう返して森の中に消えていった。
◆
「……」
アニータさんが張った結界の中。その瞬間を待つ。
マリーは私の傍にいて、マークは盾を構えて警戒しているようだった。
一応、竜に近くても魔物が出る可能性はあるからと。
アニータさんは結界を維持しながら、傍の岩に腰を掛けていて竜の方をじっと見ている。
……落ち着かない。
一瞬が妙に長く感じる中、落ち着かず手を握り締める。
――と、その時だった。
「……あ」
遠い場所、竜の傍で銀色の光が奔る。
ログだ。彼の銀色の光が森で輝く。遠く離れたこちらまで見える強い光。
しかし――。
「え」
――次の瞬間、それをかき消すように放たれた金色の光が視界を塗りつぶした。
◆
森の一角が吹き飛ぶ。木が空を飛び、めくれ上がった台地が雨のように降り注ぐ。
地響きが走る。地面が揺れる。大きな地震のような衝撃。
『GAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAA!!!!!』
咆哮が衝撃波のように広がる。
強い風に吹かれたように木々がざわめき、弾かれるように鳥が一斉に空へと飛び立った。
金色の光が柱のように天高くまで伸びる。
光の中に大きな影が見える。巨大な竜が立ち上がる。
……大きな体、大きな影。
周囲の木が半分位しかない。比べるとまるでミニチュアのように小さく見えた
「……っ」
お尻に衝撃。そこで初めて自分が尻もちをついていることに気付く。
遅れて歯がカチカチと鳴り出した。
……なに、これ。
違う。何もかもが違う。それを改めて思い知らされる。
……これが、竜?
――ログは? ログはどこ?
遠くなりそうな意識を必死につなぎ止め、ログの姿を探し――。
――金色の狭間、銀色の光がかすかに見える。
ログだ。そう思わず安心して。
『GYAAAAAAAAAAAAAGAAAAAAAAAAA!!!!!』
――その場所が消し飛んだ。
地面に大穴が開いている。木が消し飛び、茶色い地面が露出する。
地響きが断続的に起きる。
視線の先で穴がいくつも作られていく。
――遠い場所。離れた所から見ているからギリギリわかる。
ログが森の中を駆けている。木を縫うように、木を足場にしながら先へ先へ進んでいく。
その後ろを、竜が追っている。通り抜けた後には大きな穴が開いている。
金色に目が眩む中、かすかに見えた。
竜は、長く伸びた腕を振り回している。振り下ろされた先の森が弾けている。
――あの穴は、竜が地面を殴りつけた跡だ。
「……とんでもないね……でも、着いた」
アニータさんの声。言われて気付く。
銀色の光は、小高い丘のようになった場所にある。段上に崖が連なっているところ。事前にログが戦場にすると言っていた場所だ。
「……ログ」
竜から離れるように移動していたログが反転する。
竜の方へと銀色が向かっていった。
『GAAAAAAAAAARAAAAAAAAA!!!!!』
腕の一振りで崖が崩れる。地面に亀裂が走る。
それが凄まじい勢いで繰り返されている。竜の両腕がいくつもに分かれているように見える。
銀色の光はその間を縫うように駆けた。
雨のように降り注ぐ竜の腕をかいくぐり、その腕の内側へと侵入していく。
――一閃
銀の輝きが金色を抉る。
凄まじい速度で竜の周囲を飛び回りながら、幾度も斬撃を叩きつける。
『GAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAA!!!!」
竜が叫ぶ。怒りの咆哮を上げる。
さらに腕が強く振り回され――しかしログはそれを全て躱し、反撃に斬撃を打ち込んでいく。
それは、ログが完全に竜を翻弄しているように見えて――。
「――?」
――しかし。
「……あ、あの、アニータさん」
「……なんだい?」
「ログの攻撃が、効いていないように見えるけど……?」
しかし、いくら銀光が竜を薙ぎ払っても、竜は微動だにしない。
金色の輝きに陰りは無く、斬られたはずの場所からは血の一滴も流れていない。
「……私の、見間違い?」
「いや、その通りだよ。竜の鱗を破れないみたいだ」
「――!」
竜の拳が地面を殴る。地面が揺れる。ログはそれを躱し続け、カウンターを打ち込み――でも。
『GYAGYAGYAGYAGYAGYA!!!!』
笑っている、竜が笑いながら腕を振り回す。
いつの間にか怒りの色は消え、嘲笑うような声を上げている。
――ログの攻撃が、全く効いていないと笑っているように見えた。
『GAAAAAAAAAARAAAAAAAAA!!!!!』
そして竜が、一際大きな動きを見せる。
ログの斬撃を無視し、その場で両腕、両足を地に付けて、踏ん張るような姿勢を取った。
『GAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAA!!!!!』
――閃光。
金色が広がる。広がった光が力をもって周囲を蹂躙する。
竜を中心に球状に広がった光。それは木を飲みこみ、地面を抉り――。
「――あっ」
銀色の光が金色に弾かれ、吹き飛ばされる。
森の木をへし折りながら飛び、岩壁に弾かれる。そして森の中へと落ちていき――。
――さらに、金色がもう一度光る。
竜の口。乱杭歯の生えた口が大きく開かれる。
そしてそこに光が集まる。
『GAAAAAAAAAARAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAA!!!!!』
竜の咆哮が、ログが落ちた場所を薙ぎ払った。




